order18.刺さった記憶
<邸内・二階>
シノとクライアントの男――ベルモンド・カーウィン――に肩を貸し、ベッドのある部屋まで連れて行かれるグレイ。
彼の状態は良好とは言えるものではなく、むしろ悪化している。
ゆっくりとベッドに寝かされ、シノはグレイの肩と腹に刺さっているナイフと対峙した。
「引き抜くぞ。我慢しろ」
「……痛くしないでくれよ? 」
「無理な話だ」
そう言うと彼は一気に刺さったナイフを引き抜く。
「ぐ……ぁっ!? 」
「あと一本だ。耐えてくれ」
次に腹に刺さったナイフを抜き、グレイは思わず気絶しそうになった。
多少の痛みには慣れていたつもりだが、やはりどうにも苦手である。
息を荒くしながら、グレイは痛みを和らげようと目を瞑る。
「クライアント、何か消毒できるものは? 」
「救急箱がここにある。一式揃っているはずだ」
「申し訳ない。使わせてもらう」
差し出されるがまま箱を開け、ガーゼに消毒液を染み込ませると傷口に当て始めた。
神経を突き刺すような痛みがグレイを襲い、再び呻き声を上げる。
「が……ぁっ!! 」
「もう少しの辛抱だ」
腹から流れ出た血を拭きとると、慣れた手付きでシノは患部にガーゼを当ててから包帯を巻いた。
さらしのように巻かれた包帯は傷口を上手く塞いでいる。
「あ、相変わらず痛くしやがるんだな……」
「勝手な行動をした罰だと思え。あそこで俺とキッドが一足遅れていたらクライアントもお前も死んでいたぞ」
「……悪い。俺のミスだ」
「そうだな。代わりと言っては何だが、あの男との因縁話でも聞かせて貰おう」
言葉を交わしながら肩に刺さっているナイフを引き抜き、即座に溢れた血を拭っていく。
傷口を消毒し終えると、肩全体を包むように包帯を巻き始めた。
「男の過去話ほど、不味いもんはないぜ? 」
「"毒も食らわば皿まで"、だ。お前と関わっている以上、俺には知る権利がある。……ソフィアにもな」
全ての応急処置を終えると、普段の落ち着いた様子でグレイはおどける。
「あ、あはは……バレてました? 」
「ありゃー、嬢ちゃんのせいでばれちゃったじゃないの」
「むー、わたしのせいですか! 」
既に気配に気づいていたのか、シノは扉の方へ視線を向けた。
そこには苦笑いをしながら扉の側に立つソフィアと、ニヤニヤしながら彼女の後ろに立つデイビッドの姿が見える。
遅れたようにヘルガも追いつき、三人は部屋に入ってきた。
ハーヴェイとキッドはいないようである。
「あの二人は? 」
「先に帰っちまったよ。寂しいねぇ、せっかく一緒に生き残った仲間だってのに」
「他の全員も帰った。死人は出たが、そちらで処理するみたい」
「そうか。デイビッドはどうしているんだ? 」
「おっさんはこういう話に興味があるもんでね。ま、話してみなよ。グレイの兄ちゃん」
グレイはベッドに寝転んだ。
「そうだね……。どこから話したもんか……」
彼はベッドの縁に掛けてあるコートのポケットから煙草とライターを取り出し、口に咥える。
この場にいる全員もそれぞれの場所に座り込み、聞く準備は万端と言える。
「俺は親に捨てられた子供でな。孤児院に入れられ、シスターに育てられた。まあそこまでは何にもなかったんだが、迷惑を掛けたくなかった俺は全寮制の士官学校に入学したんだ。あ、もちろん金は自分で稼いだぜ? 」
「……おいおい、なんかシリアスな話じゃないの」
「お前らが聞きたいって言ったんだろーが……。ま、そこで俺は優秀な成績を収めて、無事アメリカ陸軍に入隊という形になったわけ。ちょうどこの頃にシエラともヘルガとも知り合ってる。ヘルガ、もう言ってもいいよな? その様子だとお前も話したみたいだし」
「構わない」
ヘルガは頷いた。
「ヘルガとは入隊した隊が同じとこでな。シエラは軍が銃を仕入れているとこがあのウェッソン鉄砲店で、結構前から知り合ってたんだ。毎日の訓練は辛かったけど、あの頃は幸せだったと思う」
「……なるほど。ヘルガが銃器の扱いに長けている理由がやっと分かった」
「ま、過去なんてものはそうそう表沙汰にするもんじゃないしな。だがある日、俺達の所属する中隊にとある報せが入った。"対テロ特殊部隊"の人員をそれぞれの隊から引き抜くという報せだった。俺とヘルガ、それにそこの中隊の隊長である"ジーク・ハミルトン大尉"が引き抜かれることになった」
淡々とグレイは続けていく。
話しが進むにつれて、ヘルガの表情が少なからず暗くなっていくのをシノは見逃さない。
「対テロ特殊部隊"ハウンド"は3つのチームに分かれて任務に就く形を取っていてな。俺とジーク隊長は"アルファチーム"、ヘルガは戦闘支援がメインの"デルタチーム"に配属となった。俺はそこでラインハルトと初めて出会ったのさ」
「同じ部隊だった、というわけかい」
「そういう事だ。初めの印象は冷静で頭の切れる奴だった。仲間からの信頼もあったが……思えばそれも全て演技だったのかもしれないな」
フィルターギリギリまで火が点いた煙草をグレイは携帯灰皿にねじ込んだ。
「それで……グレイさんは……」
「大方の話は聞いてるみたいだな。テロリストの拘束任務に就いた日に、事件が起こった。いつも通りに順調に任務を遂行しながら、俺達の部隊は連中のアジトの中枢まで進み、連中のリーダーを追い詰めた。そこであのクソ野郎は……いきなり仲間を撃ち始めたんだ」
握り拳を作りながら、グレイの言葉に力が入っていく。
「最初は何が何だか分からなかった。やっと事態を理解出来たのは、隊長がラインハルトにトドメを刺された時で……。既に生き残りは俺しかいなかった。完全に罠に嵌められたのさ」
「……あの時はちょうど通信障害が故意的に行われていた。別働隊が彼らを援護するのは不可能」
「だがあいつは俺を殺さなかった。ただニヤついた顔を俺に見せたまま、敵のヘリで撤退した。作戦は勿論失敗。俺だけが……アルファチームの生き残りとなって帰還した」
苦し紛れに吐き出された言葉を、この場にいた全員が受け止める。
しかし何よりも一番辛いのはグレイだと全員は理解していた。
「グレイ君。横槍を入れるようですまないが、確かその事件は"テロリストの犯行"としてニュースに報道されたはずじゃないかね? 」
「陸軍上層部の情報操作でそうなったんですよ、クライアント。その後俺がアルファチームの隊長に任命されたが、俺には荷が重すぎた上に続ける気力なんてあるわけがない」
「それで今に至るという訳だな、グレイ」
「その通り。軍のお偉いさん方も、今の俺を見たら驚くんじゃないか? 」
自嘲気味にグレイは肩をすくめる。
そんな中シノは、壁にもたれ掛かりながら静かに口を開いた。
「……だが、その過去が勝手な行動を承諾できる理由にはならん。グレイ、次からは気を付けろ。クライアントを危険な目に遭わせてしまっては元も子もない」
「そうするよ。俺の理性が崩壊しない内に無理やりにでも止めてくれ」
「ま、そろそろ行くかい。クライアント、家の修理費と治療費は報酬から引き抜いておいてくれ」
「分かった。では、また何かあったら連絡しよう」
話しも終えたところでグレイはベッドから立ち上がり、シャツとコートを羽織って部屋の出口まで歩く。
重い空気もまだ残ってはいるものの次第に部屋を出て行く彼らをベルモンドは見送った。
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<シカゴ郊外墓地>
あの護衛の依頼を請けてから、約5日が経過していた。
ベルモンド邸を後にしたグレイは単身医者の元へと赴き、傷口を縫合した彼はこのシカゴ郊外にある物静かな雰囲気の墓地へと訪れている。
手には花束とまだ封を切っていない煙草"ラッキーストライク"の箱を持ち、グレイはとある人物の墓石の前で歩みを止めた。
「……よ、久しぶり。隊長。今日はアンタの命日だったよな」
彼はタバコの箱と花束を十字架の墓石の前に置き、ポケットから同じタバコ"ラッキーストライク"を取り出し、火を点ける。
「アンタの薦めてた煙草……不味いな」
一口吸ってから、皮肉交じりに独り言を吐く。
「なぁ、隊長。俺は軍を辞めて正解だったのかな? それともアンタ達の遺志を継ぐべきだったのかな? 」
何も返答は返ってこない。
彼は再び煙草を吸う。
「今じゃ裏社会に出入りするようになっちまって……。隊長がくれたコイツを使って俺は一体何してるんだろうな……」
愛銃でありジークの形見でもある"M586"をホルスターから抜き、墓石の前に見せた。
「……そうだ、この間依頼でラインハルトと遭遇したよ。あいつも今じゃ狂ったような奴になっちまってさ。あいつに腹と肩をナイフで刺された。痛かったなぁ。……隊長も、こんな気持ちだったのか? 」
まるで父親と会話するようにグレイは言葉を続ける。
煙草の火のみが進んでいき、ついにフィルターまで燃えてしまった。
「隊長なら、"あいつは悪くない、何か事情があったはずだ"って言うんだろうな。……違うよ、あいつは……金に目が眩んだのさ」
寂しげに彼は吐き捨てる。
「だから隊長、見ててくれ。俺が仇を討つ。ハウンドの"グレイ・バレット"として」
そう言うと彼は立ち上がった。
煙草の吸い殻をいつもの携帯灰皿に仕舞うと、彼は墓の前に置かれた真新しいラッキーストライクの箱を開け、タバコを一本取り出す。
「……一本、貰うよ。じゃあな、隊長」
取り出した煙草を口に咥え、火を点けた。
グレイはジークの墓の前に必ずラインハルトを殺すことを誓う。
開けたままの煙草の箱は、側にあった花束に寄り掛かって倒れた。