order19.キスは煙草の味

<なんでも屋アールグレイ事務所>


 ジークの墓参りを終えた翌日、グレイは事務所を休みにしていた。
昨日一人で飲み過ぎたのが原因なのかベッドから起きてもまだ頭が痛い。
それに髪も寝ぐせでボサボサである。

「あー……そっか、今日事務所休みにしたんだった……。いつもみたく早く起きちまったよ……」

渋々グレイはベッドから立ち上がる。

「頭痛ぇー……。昨日マスターのとこで飲み過ぎなきゃよかった……」

ズキズキと痛む頭を押さえ、彼は冷蔵庫から牛乳を取り出した。
コップに注ぐと腰に手を当てて一気に飲み干す。

「ぷはぁ、やっぱ朝はこれに限るな。シャワーの後もいいとかってシノが言ってた気がするが……。ま、今度試してみるかな」

珍しく独り言をつぶやきながらグレイは台所にあるトースターの電源を入れた。
トースターが温まると彼はそこに食パンを一切れ入れる。
パンが焼き上がるまでの間、冷蔵庫からバターやジャムを取り出しておくのを忘れない。

「いっただっきまーす」

パンを頬張ると、軽快な音と共に甘い風味が広がった。

「あー、こう平和な日々が続いてくれるといいねぇ。そうすりゃあ俺も安心して夜も寝れるし酒もたくさん飲めるんだが」

おもむろに独り言をつぶやいた瞬間、事務所のインターホンが鳴り響く。
どうやら平穏というものを神様は与えてくれないらしい。

「……ったく、今日は休みだってのに……」

うんざりしながら扉へ向かうグレイ。
その間にインターホンは何回も連打されている。

「うちは今日休みだぞ!? 何回も鳴らすんじゃねぇ! 」
「奇遇ね。あたしのとこも"偶然"お休みで、約束をすっぽかして寝坊してる誰かさんのところにこうして来てる訳なんだけど……。グレイ、アンタ今日が何の日か知ってる? 」

大きな音を立てながら扉を開けると、そこには私服姿のシエラがいた。

「…………あっ」
「グレイ、何か釈明は? 」

「酒を飲んでて寝坊しました、ごめんなさい」
「はぁ……このスカタン……」

彼女はため息を吐き、グレイの頭に弱めにチョップをくらわす。
今日グレイはシエラと共に朝からショッピングに行く約束をしていたのであった。

「すまん。完全に忘れてた」
「あたしは楽しみに待ち合わせ場所に待ってたのに……。これは何か買ってもらわなきゃねぇ……? あ、そういえば新発売の作業用ゴーグルが出たのよねぇ~」

「……い、幾らだ? 」
「そうねぇ……ざっと450ドルってとこかしら」

意地悪な顔をしつつ彼女はグレイの手を掴む。
逃げられないと悟った彼は渋々承諾し、シエラはニヤリと笑う。

「わーったわーった。とりあえず着替えてくるから部屋に入って待っててくれ」
「ふふ、お言葉に甘えて! 」

「ったく、こういう時だけ調子いいんだからよ。子供かっつーの」
「何か言った? 」

「はっはっは、なんでもございませんよ」

逃げるように事務所の中へ彼女を招き入れ、いつも客に座らせるソファにシエラを座らせた。
その後グレイはアフロのように跳ねた髪の毛を櫛で解かし、ワックスで髪を整える。

瞬く間に普段のグレイへと変貌を遂げ、彼は白いシャツと灰色のセーターの上にボルドーのPコートを羽織りシエラを出迎えた。

「悪い、待たせた」
「……ぁ……」

「シエラ? 」
「なっ、何よいきなり!? ビックリしたじゃない! 」

「同じ部屋にいるのに声かけて驚かれることに驚きだよ。へっ、その様子だとあんまり見ない俺の私服姿に見惚れてたって感じか? 」
「そ、そそそそんな訳あるもんですか!! 」

顔を真っ赤にして否定するシエラを見て、グレイは意地悪な笑みを浮かべる。
彼女のその行動が本心をさらけ出している事は周知の事実だ。

「くくくっ、シエラちゃんはかわいいねぇ。まあ時間も昼前だし、行くとしますか」
「誰のせいで遅れたのよ……」

なんとも深いため息を吐いて、二人は事務所を出る。

「まあそう落ち込むなって。ほら、手」
「え、あ、うん……」

優しくシエラの手を握ると、グレイは事務所付近に停めてある車へ彼女を連れて行く。
エンジンを掛け、車は間もなく発進した。
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<大型ショッピングモール・1階>

 約30分のドライブを経て、二人はシカゴ市内にある大型のショッピングモールへと辿り着く。
朝早くから起きて眠かったのか、シエラは静かに寝息を立てている。

「こりゃ本当に悪いことしたなぁ。おーい、シエラ! 起きろ、着いたぞー」
「んぅ……? あ、おはよー……」

彼女の肩を叩いて起こすと、可愛らしい声を上げながらシエラは起きた。
グレイの手を握りつつ車から降りて、シエラは背伸びをする。

「んーっ……。グレイ、どこから行く? 」
「姫様の行きたい所でいいぜ。今日は俺が荷物持ちの役だからな」

「じゃ、最初洋服見てもいい? ちょっと最近バリエーションがなくなっちゃって」
「仰せのままに」

「ぷっ、何それ。似合ってないわよ? 」

丁寧にお辞儀をした後にグレイはシエラと並んで歩き始める。
手こそ繋がないものの、傍から見たら二人はお似合いのカップルだ。

「……ん? 」
「どうしたの、グレイ? 」

唐突にグレイが背後を振り返る。

「いや、何か後を尾行されてる気がしてな……」
「アンタの日頃の行いが悪いんでしょ? なんかやらかしたんじゃないの? 」

彼が振り返った先には親子連れや他のカップルが歩いている姿しかなかった。

「そういう覚えはないんだが……。ま、襲ってきたら全力で追い返すか」
「ちゃんと守ってよね? 」
「へいへい。お任せくださいお姫様」

不審に思いつつも2人は目的の場所へ再び歩き出す。
二人の背後にいる親子連れとカップルが彼らの後を尾行しているとも知らずに。
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<昼・イタリア料理店>


 一通りの買い物を終えるとグレイとシエラはこのショッピングモールの中にあるレストランで昼食を採っていた。
幾つもの買い物袋を座席に置いているシエラはカルボナーラを頬張っておりなんともご満悦の様である。

「んん~っ! 美味しーっ! 」
「はぁ……よくそんな元気があるな……」

「グレイが体力なさすぎなのよ。アンタなんでも屋でしょー? 」
「うるせー! 余計なお世話だっつーの! 」

核心を突かれて躍起になるグレイを、シエラが笑いながら視線を向けた。

「ねぇ、ちゃんと栄養のあるもの食べてるの? いくら前に軍にいたからって、栄養管理とか怠ってたら体調崩すわよ? 」
「お前は俺のお母さんかっつーの。ちゃんと一日3食採ってるし、筋トレだって欠かしてねぇさ」

「じゃ、タバコと酒ね。止めたらどうなの? 」
「嫌だ。あれは俺の楽しみなの」

「心配して言ってあげてるのに……」

不満そうな顔をしながらアイスティーを飲むシエラ。
心配してくれるのはありがたいことだが、酒とタバコだけは彼の習慣と化していた。

「ま、心配無用って事だ。ほら、もっと食えって」
「ち、ちょっと! いくらなんでも盛りすぎよ! 」

「全部栄養が胸に行くんだからいいだろ別に」
「殴るわよ」

胸倉を掴まれた辺りで彼女に謝るグレイ。
渋々シエラは手を離し、再びカルボナーラを食べ始める。

しかしグレイには気になる事があった。
先程から後を付いて来る親子連れとカップルの事である。

(……まさか、暗殺者か? 確かに心辺りはあるが……)
「グレイ? そんなに周りを見渡してどうしたのよ? 」

「いや、あの親子連れとカップルの行く場所が何故か俺達を一緒なことが多いと思ってな。妙だとは思わないか? 」
「……気にしすぎじゃないの? 」

グレイが敢えて大声で話すと、当の本人たちは驚いたように肩をビクつかせた。
どうにも様子がおかしい。
予想は的中のようである。

「……ちょっと話つけてくる。そこで待ってろ」
「あっ、グレイ!? 大丈夫なの!? 」

シエラの声を無視して、彼はカップルの席へと歩みを進めた。
グレイが二人のテーブルに着くと、気まずそうに彼らは顔を上げる。

「き、奇遇だなグレイ。こんなところで会うなんて」
「……なんでここにいるんだ? シノ、ヘルガ? 」

グレイとシエラを尾行する怪しげな人物の正体はシノ達であった。
なぜ彼らの後をつけたのかは不明だが、顔を隠すように全員サングラスや帽子などを被って変装している。

「私たちは偶然ここへ買い物へ来ていた。そこにいるソフィアとデイビッドも同じように買い物。決して尾行してたわけではない」
「いや尾行なんて一言も言ってないけど」
「尾行ではない」

彼の言葉を遮ってヘルガは尾行を否定した。
渋々グレイはそれを受け入れ、元の席へ戻っていく。

「……どうだったの? 」
「シノとヘルガだった。ありゃ俺たちを尾行してたな」

「何やってんだか、あの二人」
「んであそこにいる親子連れもソフィアとデイビッドっつー俺の知り合いだ。もしかすると俺たちのデートを覗き見にでも来たのかもな」

「はぁ……。つくづく暇してるのね」
「今は忙しいんじゃねぇの? 俺たちの行動を見るのに」

シエラはため息を吐きながらアイスティーを飲み干した。
既にグレイは食事を終えていたのでウェイターを呼び、会計票を貰うと彼はクレジットカードを渡して代金を払う。

「……毎度毎度、奢ってもらっちゃって悪いわね」
「400ドル以上するゴーグルを買わされたんだ、今更飯奢る事ぐらい造作もねぇさ」

「そ、それはグレイが遅刻したからで……! 」
「だから遠慮すんなって事だ。いいな? 」

「う、うん……」

顔を赤くしながら頷くシエラに思わず恥ずかしくなるグレイ。
にやけたヘルガやソフィアの顔が思い浮かぶが、無視して二人はレストランを出た。

「ねぇ、グレイ。次はアンタの服見繕ったげる! ほら、来て来て! 」
「うおっ!? 急に何すんだよ!? 」

「何って、アンタと腕を組んでるんだけど? 」
「余計にアピールするつもりかよ……」

店を出た直後、シエラは見せびらかすようにグレイの腕にしがみつく。
内心顔が真っ赤なのは言うまでもないが、それでもシノたちを沸かすのには十分であった。
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<夕方・車内>

 買い物袋を後部座席に押し込み、グレイとシエラはそれぞれ助手席と運転席に乗り込む。
互いに疲れが顔に出ており、グレイは眠気覚ましにコーヒーを飲んだ。

「ふぅ……。今日は疲れたな、あんなに歩いたのは久々だ」
「あたしも。いつも工房で作業してるから身体が鈍っちゃったみたいね」

「少し太ったんじゃねーの? シエラ」
「なっ! 失礼ね、女にそういう事言うなんて! 」

「ははっ、冗談だよ」

笑い飛ばしながらエンジンを掛け、間もなく車は発進する。
あの後ヘルガ達は付いて来れなくなったのか疲れた様子を見せて普通に帰って行った。
二人の歩くペースに追い付けなかった、といったところだろう。

「……けど、こうしてアンタとこういう風に買い物するの、悪くないかも」
「そりゃそうだ。こんなナイスガイと買い物になんてそうそう行けないぜ? 」

「あたしが言ってるのはそういう事じゃないの。調子に乗るな」
「へいへい。手厳しいこった」

いつも通りにおどけた様子でシエラをからかうグレイ。
こんな会話は彼らにとって日常茶飯事なのだが、今日のシエラの様子は何か違う。

「ねぇ、グレイ」

何かを振り切ったような声で、シエラがグレイを呼ぶ。

「どうした? 」
「仮に、仮にだけど……。もしあたしがアンタの事を、す、好きって思ってたら……。グレイはどう思う? やっぱり……おかしいって思う? 」

「思わないさ」
「そ、そう……。あ、アンタならそう言うと思った……」

顔を赤くしながら彼女は俯いた。
片手でハンドルを握りながらグレイはシエラの肩を叩く。

「シエラ、これが俺の答えだ」

彼女が振り向いた瞬間、一気に顔を近づけ、自分の唇とシエラの唇を触れ合わせた。

「……えっ? い、今……グレイ? あの……」
「何度も言わせるなって。恥ずかしいだろ? 」
「あ、ご、ごめん……」

沸騰しそうな顔を抑えて、シエラはただ俯く。
そんな彼女の様子を見ながらグレイはフッと笑い、煙草を吸い始める。
さすがに強引すぎたか、と彼は一人車を運転しながら思慮に耽った。

「おーい、シエラー。着いたぞー」
「あ、あぁ、うん、ありがと……」

しばらくして、車はウェッソン鉄砲店へと到着する。
二人の間に流れていた微妙な空気を一蹴するように、グレイは彼女を呼んだ。
先に車を停めて、助手席のドアを開けるとシエラは車から降りる。

「えーっと、その、何だ、今日は楽しかった。また予定が合えばどっか行こうぜ」
「あ、あたしも……。じ、じゃあね、グレイ」

「そうだ、シエラ。一つ言い忘れたことがある」
「な、何? 」

車のエンジンを切り、店の入り口まで送るとグレイは照れくさそうに頭を掻く。
そして店に入ろうとしたシエラを引き止めた。

「俺も好きだ。お前の事」
「あ……。あ、あたしも! 」

恥ずかしさに耐えられなかったのかシエラは急いで店の中へ駆け込む。

「……くそっ、柄にもねぇな」

そんな彼女を見送ると、グレイは一人煙草を吸いながら照れくさそうに再び頭を掻く。
初めての経験だった。
過去にモテたことはあったが恋人までは出来なかった彼にとって、シエラは初めての彼女である。

「ま、俺もぼちぼち帰りますか」

嬉しさと恥ずかしさの入り混じった感情を抑えながら、グレイは車へ乗り込む。
車内にはシエラの香水の香りと、グレイの煙草の匂いが合わさって心地よい香りとなっていた。

旗戦士
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旗戦士

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