order6.Sweet Death
<土曜日、カフェ"クリエ・ド・ショコラ">
翌朝。
以前からシエラと約束していた"スイーツ店で奢る"というのを今日行う為に、グレイはいつもの黒いコートを着て店の前で彼女を待っている。
土曜日なのにも関わらず朝8時という早い時間に起こされた彼は、あくびをしながら店内の方へと視線を見やる。
「ずいぶんと熱心な客なこって」
皮肉な視線を送りつつ彼は頭を掻く。
グレイがタバコを口に咥えた瞬間、女性の手がそれを遮った。
「グレイ。ここは禁煙よ、タバコは仕舞いなさい」
「お、やっと来たかシエラ。遅いぞ、待ちくたびれた」
「アンタも前に遅れたでしょ? お返しよ」
「へいへい。すいませんでしたー」
キャメル色のコートに身を包み、紺色のフレアスカートと黒タイツを穿いたシエラがそこにはいる。
背はグレイの肩ぐらいしかないものの、構わず彼の顔を覗き込むように顔を近づけた。
気の強そうな凛とした目がグレイを見つめ、いつも通りの表情に戻る。
「んで、この店で良かったんだよな? ずいぶん並んでるみたいだけど」
「そうよ。つい先週出来たって噂でね、行く機会がなかったからアンタも誘ったわけ」
「そりゃありがたいこった。とりあえず並んだはいいが後どんぐらい掛かるんだ? 」
「前に来た友達が言ってたんだけど、早くて30分は掛かるらしいわ」
「うげ……。勘弁してくれよ……」
「勘弁なんて言わないでよ! その……二人きりなんだし」
うんざりした表情を見せた後にガックリ肩を落とすと、珍しく少し残念そうな顔をするシエラ。
少し言い過ぎてしまったか、と頭を掻きながら彼女に詫びを入れる。
「言い過ぎたわ、悪い。本来ならお前みたいな綺麗な女の子とこんなとこにそうそう来れないもんな」
「そ、そんなに褒めないでよ……。照れるじゃない……」
「お? デレたか? 」
「で、デレてない! ほ、ほら前進んだわよ! 行きましょ! 」
茶々を入れつつも普段通りの雰囲気に戻ったようでグレイは内心ほっとした。
顔を赤くしながら進むシエラはなんとも可愛らしい。
年頃の娘、といったところか。
そんなことを考えているうちに列は進み出し、30分後にはグレイたちは既に店内へと入ることが出来た。
「へぇ。なかなかいい店じゃないか。 夜はやってるのか? 」
「やってないからこうして朝早くから並んで来てるのよ。けどいいとこよね、ここ」
「あぁ。コーヒーを一杯頼んで閉店時刻まで寝たいところだな」
「店側からしたらただの迷惑な客じゃないの」
ため息と共に店員が丁度いいタイミングで現れ、彼らは各々のメニューを注文した。
ちなみにグレイはコーヒーとレアチーズケーキを、シエラはダージリンティーとクリームブリュレを頼み、それぞれ待つことに。
今の時間がピークなのか、従業員はせわしく店内を交互に行き来している。
「でもグレイがレアチーズケーキだなんて結構面白いかも。大の男がそんなスイーツを注文するなんてね。シノ辺りが聞いたら失笑するんじゃない? 」
「あいつもあいつで面白れえネタ持ってるけどな。女に間違われておっさんに話しかけられたけど、実はそのおっさんがゲイでしたって感じの」
「うわぁ……。それ割とシャレになってないじゃないの……」
「だろ? シノもあの時ほど貞操の危機を感じたことは無かったそうだ」
「その話、詳しく聞きたい」
「のわあっ!? 」
「きゃあっ!? 」
話が盛り上がった所で互いにニヤニヤしていると、急に水色のロングヘアーを携えた長身の女性が彼らのテーブルからひょっこり顔を出した。
グレイとシエラにとって見覚えのある女性である。
「なぜ二人とも大きな声を? 私、ヘルガ」
「いや分かってたけどさ……。いきなり来られるとどうも驚いちまうんだ。下手な真似は止してくれ、ヘルガ。俺は臆病な性格でな」
「グレイは臆病ではない。あなたに臆病という言葉は不相応」
「あんまりからかわないでよ。ヘルガは純粋なんだから」
彼女の名前はヘルガ・サンドリア。
あまり感情を顔に示さずに無表情で喋る彼女は美しく、店内にいる多くの男性客を虜にしている。
ここの制服姿も様になっていた。
「へいへい。ところでなんでお前さんはここの制服を着てるんだ? コスプレか? 」
「否。私はここのバイトリーダーを任されている。れっきとした従業員」
「へー、意外と仕事出来るんだ。ヘルガって器用なのね」
「肯定。ところでご注文のものを持ってきた」
「お、早いな」
「ここのカフェは早さがウリ。情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さに加えて速さも足りてる」
どこからともなく取り出したトレイには先程注文した品々が乗せられており、慣れた手つきでヘルガはテーブルへと置いていく。
グレイのコーヒーとレアチーズケーキを置く瞬間、シエラに聞こえないように無表情で彼に向けて言葉を呟いた。
「……あなた、狙われている。注意が必要」
「誰にだ? 」
「不明。ただ注意としか言えない」
「了解」
この会話から分かる通り、ヘルガも表と裏を行き来する人間である。
彼女の立場は"情報屋"。
訳有ってグレイたちとは協力関係にある。
「あとシノの話について詳しく聞かせてほしい。仕事が終わり次第で」
「あいよ。仕事頑張ってな」
「感謝。ではごゆっくり」
「ありがとね、ヘルガ」
そう言うと無表情な口元を少し曲げて笑みを浮かべながら、彼女は仕事場へと戻っていく。
普段見れないヘルガの笑みにグレイは少しニヤリとするが、シエラに爪先を踏まれすぐにその表情を苦悶のものに変えた。
「ニヤニヤしないでよね……? 」
「うぐっ……いってぇ……。全力で踏みやがったな……」
「ふんっ。さ、早く食べましょ」
「ちぇっ、現金なやつだぜ」
顔色一つ変えずに彼女は運ばれてきたクリームブリュレをひと口含むと、感嘆の声を上げながら頬に手を当てる。
グレイも釣られてケーキを食べると、確かに美味い。
「んん〜!! たまんないわ! 」
「こりゃあ美味い。並んだ甲斐があったな。」
「でしょー! あたしが誘ったんだから感謝してよね! 」
「はいはい。今回ばかりはそうだな」
苦笑いしながら偉そうに胸を張るシエラに感謝の言葉を述べる。
グレイはコーヒーを啜りながら苦笑した。
ふと窓の外を見ると、こちらを見つめる怪しげな黒ずくめの男が視界に入る。
しかしシエラはその男の影に気付かず、嬉々としてクリームブリュレを食べていた。
警戒しながら、グレイはレアチーズケーキの二口目を頬張る。
「……シエラ、もう食い終わりそうか? 」
「え? ああ、もう少しだけど? どうかしたの? 」
「急に仕事が入っちまった、ここの会計は出しておく。先帰ってるぜ。この詫びは必ずする」
「あ、そ、そう……。わかった……」
「悪いな、本当に」
「ううん、大丈夫。けど必ず埋め合わせはしてよね? 」
「当たり前だ。俺が前に約束を破ったことあったか? 」
「幾つもあるわよ」
そう睨みながらもシエラはカフェを出るグレイを見送り、互いに手を振り合う。
本当に悪いことをした、と彼は良心が痛みつつも店を出て人通りの少ない所へと向かった。
こちらの裏の世界の事情で傷つけてしまってはいけない。
何より、それを一番恐れているのは自分。
そう思いながら、彼は人通りの少ない路地裏へと入った。
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<シカゴ市内、路地裏>
先程の華やかな通りとは違って、汚い掃き溜めのような路地へと歩みを進めていたグレイは、丁度いい空き物件の建物を見つけるとそこへ入っていく。
埃を被ったような臭いと雰囲気に包まれながら、彼は背後に立つ気配を感じつつ言葉を放った。
「俺は逃げも隠れもしねえぜ? いるのはわかってんだ、出てこないとこっちから行くぞ? 」
「さっすが、泣く子も黙る"死の芳香"さんだ。そう簡単には殺らせてくれねぇか」
「こちとらデートを邪魔されて腹立ってんだ、相応の報酬は貰わねぇとなぁ? 」
「報酬を払ってもらうのは御宅の方だぜっ!! 」
殺気を感じた瞬間に銃声が聞こえるが、その直前にテーブルを盾にしなんとか銃弾を防ぎきる。
冷や汗と共に愛銃"M586"を腰のホルスターから抜き、咄嗟にテーブルから身を投げ出した。
2発銃弾を放つが、手応えを感じない。
「ひゃはッ」
張り詰めた空気を全身で感じながら、神経を最大限にまで張り巡らせて敵の気配を読み取ろうとしたその時、横殴りに殺気が押し寄せてきた。
本能的に振り向くと眼前には銃口が向けられており、急いで左手で銃口を逸らす。
「あーららっ」
「うっ……! 」
直後銃声が耳を貫き、思わず顔を歪めるグレイ。
構わず、右手の"M586"を刺客に向けた。
だが刺客は同じようにして彼の銃口を逸らし、再び奴の銃をグレイに向ける。
今度は潜るように身を屈めて刺客の懐まで入り込んだ。
「ふッ」
「……ッ!! 」
呼吸するように短い息を吐いた後、あらかじめ左手に装備しておいたコンバットナイフを刺客のアゴ目掛けて振り上げるとするが、それも掠るのみで致命的なダメージを与えられない。
一旦距離を取ろうと、グレイは身体を素早く一回転させて右手の愛銃を再び刺客に向けた。
同じようにして刺客も銃口を彼に向け、互いに睨み合う形となる。
「…………へへぇっ」
「へっ」
よく見ると刺客の方も同い年の男のようだ。
黒いミディアムショートの髪に、常にニヤリと不敵に笑った表情。
背は自分と同じくらいの180センチ代だろうか。
「"コルトパイソン"の6インチか。"リボルバーのロールスロイス"っつう高級なもんを使ってるなんて、いい御身分だねぇ」
「そりゃあアンタも一緒だろうよ。S&W社の"M586"なんて銃、そうそう見たことないぜ」
お互いに似た境遇に、思わず笑いが込み上げる。
高らかに笑い声を上げると、奴の方も釣られて笑い始めた。
まさに狂気の笑い。
汚い笑い声を上げた後に、再び仕掛ける覚悟をしたその瞬間である。
「おい。てめぇら、俺たちのシマで何してやがる」
「あ? 」
「ん? 」
周囲を見渡すと、辺り一帯には各々の銃を構えた男達が二人に銃口を向けており、今にも撃ち出しそうな雰囲気で現れた。
「あー、オーライオーライ。悪いことしたな。今すぐにでも出て行くぜ。ちょっと兄弟喧嘩の真っ最中でさ。俺達も死にたくないんだ」
「そーなんだよー。ま、出てくから文句は言わないでくれよぉ? 」
「んな甘ったれたことが通用するとでも思ってんのか、このクソ野郎共! どこの誰に許可を得てぶっ放してんだよ!あぁ!? 」
一瞬で事の内容を理解したのか、刺客の方もグレイの話に合わせてきた。
バレないように目を合わせるも、どうやらよりギャンググループの連中に油を注いでしまったようである。
抵抗の意志がないように両手を挙げている二人だが、視線は常に空き物件のカウンター部分に向けられていた。
一人の男が油断して銃口を降ろした瞬間。
「あっそ。じゃあ死ねよ」
二人は互いの愛銃を西部劇の決闘シーンのようにホルスターから素早く発砲し、同時に二人のギャングを屠る。
刺客の男は殺したギャングの武器を拾い上げ、カウンターへと走った。
「この野郎!! ぶっ殺せ!! 」
急いでグレイと刺客の男はカウンターへと飛び込み、間一髪でギャンググループの男たちの攻撃を避ける事に成功する。
相変わらず怒号や喚き散らす声が聞こえるが、構わずグレイはタバコを取り出して吸った。
「なぁ、俺たちいいコンビになれそうじゃね? 」
「殺しに掛かってきた相手と誰が組むかよ。とりあえず一時休戦だ、このチキンどもをどうにかしねぇと二人ともあの世行きだ」
「けっ、そう言うと思ったぜ。んじゃ行くぞ。"クソ野郎"」
「そうだな、"クソ野郎"」
お互いに罵声を吐きつつ、グレイは"M586"を、刺客の男は先程拾ったサブマシンガン"UZI"を構えながらカウンターを飛び出す。
「はいこんにちはっと」
「ひゃはッ」
後方をカバーしながら彼らに向けて銃弾を放つギャングたちは、圧倒的な数で勝っていても二人に銃弾を掠らせることもできない。
「弾切れだ。やるよ」
「ぶべっ!? 」
刺客は弾切れになったUZIを投げ捨て、再び愛銃の"コルトパイソン"に持ち替えた。
確実に1発で仕留めていく彼らの腕前に、男たちは立ち向かうことすら叶わない。
すべてのシリンダーから銃弾を撃ち切ると、グレイは素早くコートのポケットからスピードローダーを取り出し排莢してから新しい銃弾を込める。
「死にてぇやつからかかってきなぁ!! 」
だが刺客の方がコルトパイソンのシリンダーを空にする頃には既にギャンググループ全員の身体に穴が空いており、皆殺しにしたと気付いた瞬間、グレイは刺客に愛銃を構えていた。
「チェックメイトだ、刺客さんよ。どうして俺をつけ狙う? 言え、でなきゃお前のケツにもう一個穴が空くことになるぞ? 」
「おいおいおいおい、今まで一緒に切り抜けてきた仲じゃないか。それに……ドンパチし過ぎたせいかお巡りさんにばれちゃったようだぜ? 」
「何? 」
「隙ありってね! 」
そう言った瞬間、刺客の男はスモークグレネードを投げてグレイの視界を妨げる。
ドアの開く音と共にサイレンのけたたましい音が彼の耳を刺激し、刺客を追うことさえ不可能となってしまった。
「クソッタレ! 逃がすか! 」
舌打ちをした後、急いで出口を探すグレイ。
煙を掻き分けつつなんとか辿り着くと、既に男の姿はない。
「ちっ…………絶対次会ったら殺してやる」
そう一人呟くと、再びサイレンの音が耳に入る。
気付いたように銃を仕舞い、彼は路地裏を抜け出した。
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<刺客の男視点、シカゴ市内>
ターゲットよりも早く抜け出した彼は、肩で息をしながら壁にもたれかかる。
思い出すだけで笑いが止まらない。
「へへッ……。あいつがアールグレイ・ハウンド……」
血で滲む肩を抑えながら、彼は再び立ち上がった。
通行人が異様な雰囲気を纏う彼を怪訝そうに見るが、構わず男は歩き出す。
「俺がこの手で……。必ず殺してやる」
そう言うと刺客の男、"キッド・マーキュリー"は静かに笑った。