order9.劇的師匠アフター
<なんでも屋アールグレイ・事務所>
二人が朝食を食べ終え、営業時間となった今朝の事である。
シノも到着したところでソフィアが早速朝から依頼を請けて仕事に向かおうとすると、事務所の扉の前に道着を身に付けた190㎝強の大男が立っているのが視界に入った。
思わず声を上げて尻餅をつく彼女に、その大男は体格にそぐわない穏やか表情で手を差し出す。
「すいません、驚かせてしまって。立てますか? 」
「え、あ、はい……。ここに用事が?」
「ええ。ちょっと依頼をしたくて」
大きな手を握ってソフィアは立ち上がると、彼を見上げた。
一言彼女に別れを告げると、今度はグレイ達に会釈をする。
「あ、あぁ。すいません、うちのもんが失礼を」
「いえいえ。あの方も従業員の方ですか? 」
「まぁ新人ですが。依頼ですね、お話をお伺いしましょう」
そう言うとグレイは彼を椅子に座らせた。
「えーと……その」
「おっと、申し訳ない。ご不快になられたのでしたら仰ってください」
「あはは、大丈夫ですよ。こんなに大きな男見たことないですものね」
「いや、見事な筋肉だと思ってな。何年もかけてトレーニングしているみたいだな 」
「ま、世間話はここら辺で。まずはお名前を伺っても? 」
「私は"ラリー・ウェン"と言う者です。ある道場で現在は師範代をしています」
ラリーは上体だけを傾けて二人に会釈をし、再び向き直る。
老けているようには見えるが、目や表情は活き活きとしていた。
「それで今回は貴方がたにこの写真の人を探して頂きたいんです。名前は"ロジャー・ウェン"。私が現在師範代をしている道場の師範であり、私の父です」
「"ロジャー・ウェン"だと? まさか"武道施術"を著したあのロジャー・ウェンか? 」
「お恥ずかしながら、父はそのような本も出版していました。ご存知なのですか? 」
「知っているも何も、武道を志す者なら一度は手に取る本だ。昔は俺も何回も読み直していたよ。そんな方の息子からの依頼とは光栄だ。是非やらせていただきたい」
「ちょっ、シノ。えらくやる気だな。いいのか? 」
「構わん。俺が引き受けよう」
珍しくシノが身を乗り出して話に割り込んでくる。
年甲斐もなく目を輝かせているようだが、やる気なのはいいことだ。
「そうですかい。では、この依頼は我々が引き受けましょう。依頼料はどうされますか? 」
「えー、こちらの金額でどうでしょうか? 」
ラリーが見せたのは数字が書かれた小切手。
普段の依頼料より0が一つほど多い。
思わずグレイはニヤリと内心笑った。
「分かりました。よろしくお願いします。調査結果が分かり次第、ご連絡させて頂きますね」
「はい、ありがとうございます。では、私はこれで」
互いに挨拶を交わすと、ラリーは会釈をしつつ事務所を立ち去っていく。
「こんなでけえ金が入ってきたんだ、久々に本気出さねぇとな。シノ、ヘルガに連絡できるか? 」
「既に連絡済みだ。夜の20時にここで待ち合わせしている。彼女が来るまで事務所で一息ついて待っているとしよう」
「さすがシノ。分かってるねぇ」
「伊達にお前と組んでいないからな」
互いに軽く笑い合うと、グレイは二つのマグカップにコーヒーと緑茶を淹れる。
本来ならマグカップで乾杯などするものではないが、やけに機嫌がいい二人はこれからの依頼の成功を願ってお互いのカップの縁を鳴らした。
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<夜、シカゴ市内・メインストリート>
そしてヘルガとの待ち合わせの時間になった。
念の為に銃だけは携帯しておき、依頼を終えたソフィアも加えて早速"ロジャー・ウェン"について聞き込みを開始する4人。
まずは行きつけのバーで話を聞くことにした彼らは、顔なじみのマスターに話を伺うことに。
「よっ、マスター。久しぶりだな」
「これはこれはグレイさんに皆さん。お久しぶりの方と初めましての方がいらっしゃる様ですね」
「初めまして、ソフィア・エヴァンスって言います! 」
「おや、元気なお嬢さんですね。よろしくお願いします、マスター、とでもお呼びください」
「自己紹介はその辺にして、今回はマスターに用があるんだ」
「私にですか? 珍しいですね」
グレイは懐から渡された写真を取り出し、マスターに見せた。
何かを思い出す様に顎に手を当て、彼は髭を撫でる。
先程のような優しそうな表情とは打って代わり、マスターの目つきが鋭くなった。
「……ふむ、ここでは見ない顔ですね。この方がどうかされたのですか? 」
「この男はグレイ達が探している依頼対象者。話によるとこの辺り一帯に潜んでいるという」
「残念ですが、お力にはなれなさそうです。申し訳ありません」
「いやいいって。代わりと言っちゃあなんだが、ここにいる客に聞き込みしてもいいか? 」
「えぇ。もちろんですよ、グレイさんを知る人も多いでしょうから」
「恩に着るぜ、マスター」
そう言うとグレイは早速このバーで飲んでいる常連客に話を伺うことにする。
ソフィアはヘルガと二人で聞き込みを開始し、シノもそれに釣られてバーの奥へと歩いていった。
「おぉ! グレイのあんちゃんじゃねぇか! どうしたんだ、そんな難しい顔して? また俺と飲み比べでもしに来たのか? 」
「悪いが今はそんなことしてるヒマねーんだ。ちょいと聞きたいことがあってな」
「ん? なんだ? 」
「この写真の男を探しているんだ。あんた何か知らないか? どんなことでもいい」
「んー、どっかで見たことあるような…………あぁ! 思い出した! こいつ前に俺が店で酒を買おうとした時にぶつかった奴でよ、いきなりぶつかって謝りもせずにどっか行っちまったんだ」
「挙動不審だった訳か。場所は? 」
「確かこの通りの方だったなぁ。店の名前は"シェルフ"だ。酒やら雑貨やら売ってる」
「そこまで言ってくれれば分かるぜ。ありがとうな、今度酒でも奢るよ」
別れを告げるとグレイは情報収集を行っているシノたちを呼び寄せ、バーを出る。
"シェルフ"という店を出入りしているという情報を得られたのはとても大きな報酬だ。
「手がかりは"シェルフ"のみ、か。グレイ、俺が今日一日張り込みを引き受けよう。危険が生じた時の為に二人一組で行動するのはどうだ? 」
「いい案だな。張り込みするのは一人が車の中、んでもう一人が付近の建物の中やら屋上やらで見張りを引き受ける。そんなんでどうだい? 」
「了解。なら私の出番。屋上からスナイパーライフルで監視」
「じゃあ私はグレイさんとですね! 」
「決まりだな。一旦事務所に戻ってから装備を整えた後に落ち合おう。ヘルガ、お前は自前の装備を取って来てくれ」
「無論。シノの為なら」
そう相槌を打つと彼らはそれぞれ別方向の道を行くことにした。
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<深夜0時、シカゴ市内・メインストリート>
そうして準備をすること数十分、一人事務所から車に乗り込んだシノは愛刀とグロック17をホルスターに仕舞い目的の店"シェルフ"の前へと駐車した。
周りから見ても怪しまれない位置につき、シノはヘルガに電話を掛ける。
「ヘルガ、俺だ。ポイントに着いた」
『了解。そこで待機してて。私ももうすぐ到着する』
「分かった。何かあった時は頼むぞ」
『任せて。私の狙撃は百発百中』
そう言うと彼は電話を切り、再びシェルフの方に視線を戻した。
『こちらヘルガ。作戦ポイントに着いた。これから監視及び周囲の警戒を開始』
「了解。頼りにしてるぞ」
所変わって"シェルフ"近くのアパートメントの屋上、黒いシャツと黒いスキニーパンツに身を包み、髪を結んでニット帽を被るヘルガの姿がそこにはあった。
彼女は両手にスナイパーライフル"H&K MSG90"を握り、ホルスターには中・近距離用として"ワルサーP99"を装備している。
銃身に取り付けたハイボットを展開し、ヘルガは銃を置く。
銃口を向ける先は店の入り口周辺。
首から提げた双眼鏡を使って、彼女は観察し始めた。
『……………目視』
そして時間が経つこと数時間。
夜も更けて人通りが少なくなった頃、目的の人物は現れた。
『現れた。シノ、尾行は可能? 』
「任せろ。お前も援護を頼む」
そう言うと彼は車を降りて店内へと向かう。
店の中にはパンク系な服を着ている一般客と店員のみだ。
その中にいるポロシャツを身に纏った60代ぐらいの老人がそうだろう。
「すまない、貴方はもしや"ロジャー・ウェン"か? 」
「……あ、あぁ。そうだが」
「やはりそうか。貴方の記した本のファンでな。是非ともサインを頂きたくて」
「う、うむ。構わんよ」
色紙をロジャーに渡すと、慣れた手付きでサインを書いていく。
しかし、妙に挙動不審だ。
「もう少しお話を伺いたい。時間を取っても――――」
その瞬間である。
先程雑誌コーナーにいたパンク系の男がこちらに銃を向け、今にも発砲しようとしていた。
既にロジャーは店外へと抜け出し、逃げ出している。
嵌められた、と気付く頃には銃声が店内に響いていた。
「ちぃっ」
銃声が響いた瞬間、咄嗟に身を屈めてなんとか回避するシノ。
その勢いで腰のホルスターからグロック17を抜き、数発放った。
店員の悲鳴が耳を貫き、彼は顔を歪める。
既にパンク系の男はロジャーを引き連れて店を出ており、逃げていた。
「ヘルガ! 」
『了解』
しかし既に手は打ってある。
直後にスナイパーライフルの銃声が聞こえ、パンク系の男は血の海に沈んでいた。
一人でロジャーは逃げているが、足は遅く、今から走っても間に合うくらいである。
「違う! 待ってくれ! 俺達はあんたの息子さんから依頼されただけだ! 」
「うるさい! 私に近づくな! 」
60代近い男が20代の男の足に敵うはずもなく、あっけなくロジャーは捕まった。
仕方なく当身で気絶させると、シノは軽々と持ち上げる。
『シノ! 怪我は? ロジャーは確保できた?』
「どちらとも問題ない。警察に勘付かれたら厄介だ、車を出してくれ」
『了解。無事で良かった』
シノはヘルガに車を出すよう連絡した後、身を潜めるように先程の位置へと戻った。
しかし彼らは気付かない。
この依頼が、大きすぎる闇を抱えている事に。