「初めて嘘を吐いた日。」

「初めて嘘を吐いた日。」


放課後、生徒たちがまばらに帰り始めた教室で、亮太は大きくため息をついた。
朝から降り続いた雨はすっかり止んで、夕日が差し込めていた。
すでに目の前の席の日向と、彼方はもう教室にはいなかった。

「なー、しょーごー。」

亮太は隣の席の男子生徒に声をかける。
亮太と中村将悟は中学校から一緒で、
部活や交友関係は違えど、昔から割と仲は良かった。

「なんだよ。部活行かねえの?」

将悟はいつもの様子で片耳にイヤホンを挿し、雑誌を読んでいた。
耳には無数のピアス。繰り返す脱色で明るい髪。
胸に光る星をかたどったネックレスが揺れる。
机に項垂れる亮太をチラッと見る。

「最近調子でないからサボりー。」

「なんだよ、失恋?」

そう最近の亮太は静かだ。
いつもは教室中に聞こえるほどの大声で、
くだらないことばかり騒いでいるのに。

亮太は、んー、むー、と唸りながら机に顔を押し付ける。

「失恋…っていうか…あれ、失恋…なのか…?いやでも…」

とブツブツ考えているようだった。

「他の男に取られてから気づいたとか?馬鹿じゃねえのお前。」

将悟は雑誌を閉じて呆れたように言う。
亮太は考えていることが全部口に出る。
その割に何も考えてないのじゃないかと思う。

「俺さ、俺の友達のことを好きな女の子の恋愛相談とか乗ってたんだけどさ、
 その友達とも喧嘩して、仲直りできなくて…女の子は一年生なんだけど…
 で、いつの間にか女の子からその友達と付き合ったって聞いて…それで、
 なんか素直に喜べなくて…。いや、おめでとうとは言ったけど、なんか…。」

静かに亮太の話を聞く。
たどたどしく思いつく言葉を並べているようだった。

「その友達って、高橋日向?」

「は!?なんでわかんの!?エスパー!?怖い!」

大げさに驚いたような仕草をして見せる。
わざとらしいその仕草はおそらく天然のものだろう。
亮太は声だけでなく行動もうるさい気がする。

「いや、お前見てたらバレバレだろ。最近アイツらと喋ってないみたいだし。」

「…そんなにわかりやすい?俺。」

「むしろ隠せてないぞ。」

亮太は頭を抱えてショックを受けているような表情をする。
本当に隠していたつもりだろうか。
つくづく馬鹿な男だと将悟は思う。

「でも、アイツそういうのに淡泊そうっていうか、
 興味なさそうだったから意外だよな。」

―高橋日向。
高橋彼方と双子の兄弟。
将悟はまともに話したことはなかったが、
どこか周りと距離を置いているような男だと思っていた。
彼方と亮太以外の誰かと話しているのをあまり見たことがなかった。

「そうなんだよ!俺がちょっとえっちい本持ってきても、
 興味ないとか彼方がーとか言うから一時期ホモかと思ってた!」

「それはアイツなりの照れ隠しなんじゃね?」

「そんなわけないだろ!ほらこれ!すごくね!?マジ巨乳!」

亮太は興奮気味に鞄から少しボロボロになったグラビア誌を取り出す。
パラパラとページを捲り、将悟に見せてくる。
使い古された感じが少し、リアルだ。

「いや、俺彼女いるからそういうのいいから。」

将悟は呆れ気味にその本を閉じさせる。
こいつは毎日こんな本を持ち歩いているのだろうか。

「なんだよー。お前もリア充かよー。」

亮太は唇を突き出し、拗ねたしぐさを見せる。
将悟はそんな亮太を鼻で笑う。

「バンドやってたら嫌でもモテるからな。」

「…俺もバスケ辞めてバンドやろうかな。」

「やめとけ。お前は何やってもモテないから。」

拗ねた表情のまま、横目で将悟を見る。
将悟は確かにカッコいい。
整った顔、バンドマンらしい少し長めで明るい髪、ギターを弾く繊細な指先。
そしてクールに見えるが、社交的で優しい。
誰にでも優しいが、恋人のことを一途に思っている。

モテないわけがない。
バンドをやっているからではない。
将悟は昔から女子に好かれていた。

「でもさ、俺あの双子の見分けつかないんだよなー。
 黙ってたらどっちがどっちが全然わかんねーし。
 お前はちゃんとわかってるみたいじゃん?」

将悟は椅子をフラフラと揺らしながら天井を仰ぐ。
先週の放課後に珍しく話しかけてきたのが日向だとは会話の流れではわかったが、
最初はどっちがわからなかった。

「いや、全然違うだろ。」

亮太はポカンと口を大きく開けて大げさに手を横に大きく振る。

「愛想がいい方が弟。笑わないのが兄?」

手を口元に添えて考える。

「ちっげーよ!」

「どこがどう違うんだよ。」

亮太も真似して口元に手を添えて考えるそぶりを見せる。
そして閃いたように人差し指を突き立てる。

「優しい方が日向で、誰にでも優しそうなのが彼方!」

それはどちらも同じではないだろうか。
亮太は小難しいことをあんまり考えず、本能で生きている気がする。
野生の感みたいなものだろうか。
大型犬のような、子ザルのような亮太にはぴったりだ。

「わかんねーよ!…一緒じゃねーか。
 それって内面的な話だろ?黙ってたらお前はどっちがどっちかわかんの?」

「当たり前だろ!」

「ホントかよ…。」

自信満々な亮太。
将悟は少し、意地悪なことを思いつく。

「じゃあ、兄が弟のフリするとか弟が兄のフリしたらわかるか?」

「…そりゃ見た目が全然違うんだからわかるだろ。
 俺がアイツらを間違えるわけねーじゃん!」

「外見一緒だろ。…絶対わかんねえだろ。」

「だからわかるってば!」

堂々と胸を張る。
将悟には判別はつかないが、亮太の野生の感は相当なものなのだろう。

亮太は違うと言うが、見た目はそっくりだ。
少し話せば雰囲気でなんとなくどちらかわかるが、
黙っていれば本当にどちらかわからない。

「でもそれってさ、彼女もちゃんとわかってんの?」

密かな疑問。
一年生の女子なんてほとんど接点などないだろう。
クラスメイトの自分でもわからないのだから、
ちゃんとその女子が見分けられるはずもないのに。

「あー。まあ、大丈夫だろー。
 百合ちゃん、一途に日向のこと追っかけてたし。」

―百合ちゃん―それが日向の彼女。亮太の失恋相手だろう。
亮太は少し切なそうに頬杖をつく。本当に表情がコロコロとよく変わる。
愁いを帯びたその表情は、夕日に照らされてより一層哀愁が漂っていた。

「…そんな顔するくらいなら先に告っとけばよかったのに。」

「ばーか。好きな女の子が幸せならそれでいいんだよ。」

精一杯の強がり。
頬杖の内側では唇を噛んでいるようにも見えた。








学校帰りに日向は一人で近所のスーパーに来ていた。
彼方は飼育委員の仕事で遅くなる。
先に夕飯の買い出しを済ませてしまおうと思いながら横をチラッと見る。

―いつも隣に彼方がいるのに、今日はその隣が空いていて変な気分だ。

そんなことを考えながら、ジャガイモをカゴに入れる。

‐今日はカレーにしよう。‐

「高橋くん?」

カレーの材料を次々にカゴに入れていると、ふいに後ろから声をかけられる。
細身の体と大きな目、肩まである髪の毛を後ろで一つにまとめた少女。
同じクラスの矢野千秋だ。確か彼方と同じ飼育委員だったはず。
彼女も制服のまま、夕飯の買い出しに来たようだった。

「日向君?彼方君?どっち?」

千秋は良くも悪くも裏表がなく、思ったことをすぐ口にする。
目の前にいる自分がどちらかわからないようだった。

‐いつものことだ。‐

首を傾げ、くりくりとした大きな瞳がこちらを見つめる。
二人の名前を呼んだのは彼女なりの配慮だろう。

「…日向だけど。」

いつも通り素っ気なく返す。
彼方がいないと落ち着かない。

「あーそっかあ!珍しいね、一人なんて。」

辺りを見渡しながら千秋は言う。
彼方がいないか確認したのだろう。

「別に。彼方が飼育委員の仕事があるからって。」

「え?」

千秋は驚いたような顔をした。
―おかしいな。
と考えるように首を傾げたまま手のひらを頬に添えるようにして語りだす。

「私飼育小屋行ってから来たけど…彼方君いなかったよ?
 今日は5組の工藤くんの当番だもん。」

―隣のクラスの谷内君の代わりに仕事しなきゃだから、先帰っててよ。―

辻褄が合わない。
彼方は日向に嘘を吐いたのだろうか。

「じゃあ何か別の用事でもあったんだろ。」

「ふーん。そういうこともあるんだね。」

「別に…。いつも一緒にいるわけじゃないし。」

「えー?いつも一緒にいるじゃないー。」

できるだけ、いつも通り素っ気なく。
しかし内心、日向は動揺していた。

彼方が日向に隠し事をしたことはなかった。
自分に言えないようなことをしているのだろうか。
だとしたら何だ?
日向に隠さなければならないことなんて思いつかない。

‐彼方にも隠し事の一つや二つくらいあってもおかしくはないよな…。‐

そう自分に言い聞かせる。
そうするしか、今は何もできなかった。





―何か悪い予感がする。




麻丸。
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麻丸。

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