「日向の幸せ」

 「日向の幸せ」



九月は半ばに差し掛かり、夏の日差しは少しずつ緩やかになってきた。
着込んだ学ランはまだ暑いけれど、幾分かはマシになった。
相変わらず、彼方の行方はわからない。
誰に聞いても連絡先は知らないというし、「むしろ、携帯持ってたの?」と驚かれた。
それもそうか。携帯電話を持ち出したのは、夏休みに入る少し前だったから。

何一つ手掛かりが掴めず、日向は半ば諦めかけていた。
だって、彼方は自分の傍にいることを望んでいない。
あの手紙にも、一人で生きていけると書いてあった。
彼方を探し出して、無理やり連れ戻すのは、正しいことなのだろうか。
このまま自分が、彼方がいないまま普通に生活していくことが、彼方の望みなんじゃないのか。
手紙には「幸せになって」と書かれていた。
自分の幸せは、百合がいることだ。

百合と付き合ってから、二ヶ月が経とうとしていた。
付き合って気付いたのは、百合は意外と嫉妬深いということ。
今は、学校から駅へ百合を送る途中。
ご機嫌斜めのお姫様は、頬を膨らませて拗ねていた。

「ねえ、まだ怒ってる?」

「ふーんだ。日向先輩なんて、もう知りません。」

そう言って、百合はわかりやすくそっぽを向く。
しっかりと手は繋いでいるが、日向の顔を見ようとはしない。

「だから、本当に何もないってば。ちょっと話しかけられただけだから。」

百合が機嫌を損ねている理由は、昼休みに購買の前で日向が下級生の女子に話しかけられていたところを、百合が目撃したからだった。
もちろん、傍には亮太や将悟もいたし、数人の女子に一方的に話しかけられただけだ。
いつものように、しどろもどろになりながら、将悟に助けてもらって話を切り上げたが、百合は気に入らないらしい。

「日向先輩だって、楽しそうだったじゃないですか!」

今度は唇を尖らせて、百合は訝しげに日向を見る。

「そんなわけないだろ?俺、ああいうの苦手だから、いっつも将悟に助けてもらってるんだから。」

女子の前では苦笑いしてただけだし、百合が言うように楽しそうだったわけではない。
そもそも女子と話すのは苦手だし、自分が望んだわけではない。
向こうが勝手に話しかけてくるだけだ。

「いっつも?いっつもってなんですか!?いっつも女の子に囲まれてるんですか!?」

うっかり。失言だったようだ。
百合の怒りを治めるどころか、火に油を注いでしまったようだ。
百合は日向にグイッと詰め寄る。

「え…あ…。えっと…その…」

上手く言い訳をしないといけないのに、上手い言葉が見つからなくて日向は口ごもってしまう。
日向が言い訳を諦めて押し黙ると、百合は怒った顔のまま、日向に向き直った。

「日向先輩、こっち見てください。」

百合は背伸びをして、日向の頬に手を添えて、日向と視線を合わせる。
身長差で、自分が百合を見下ろしているのに、怒った表情のせいか、なんだか百合に気圧されてしまう。
女の子に怒られたことなんてないから、どうしたらいいか、わからない。
怒気を含んだ真っ直ぐな視線が、逃げ出してしまいたいほど恐ろしく見える。

「正直に答えてください。いっつも、女の子に囲まれてるんですか?」

百合の視線に、思わず後退りしてしまう。
すぐバレる嘘を吐くくらいなら、正直に言った方がいいだろう。
けれど、正直に言っても、百合が怒るのは目に見えてる。
どうしよう。どうすれば上手く誤魔化せるだろうか。

日向は少し考えて、躊躇いがちに口を開いた。

「えっと…あの…。…たまに?」

百合は俯いて、大きく溜息を吐いた。

「…もういいです!知らないです!明日から迎えに来なくていいです!」

そう叫ぶように言って、百合は一人で駅の方へと駆けだす。
いつかと同じ光景。あの日、足が竦んで追いかけられなかった背中。
離したくなかった手。見たくなかった涙。
悔やんでも悔やみきれない、後悔の日々。

日向は、無意識にその背中を追いかけた。
もう二度と、繰り返したくはなかった。

「ちょ…待って、百合!」

すぐに追いついて、少し強引に、手首を掴んで引き止めた。
振り返った百合の瞳は、涙で濡れていた。

「あ…。」

一気に罪悪感が押し寄せる。
あの日と同じだ。
百合の涙は、痛いくらい心に突き刺さる。

「…最近バイトばっかりで、日向先輩全然構ってくれないし…学校でも、全然話しかけてくれないし…他の女の子と話してる方が、楽しそうに見えたし…。
 私だって…もっと日向先輩と一緒にいたいです…。もっと構ってくださいよ…。」

ポロポロと涙を零しながら、百合は呟く。
そういえば、最近毎日バイトばかりで、百合とゆっくり過ごす時間がなかった。
自分は朝と放課後だけでも会えればいいと思っていたが、百合はそうじゃなかったみたいだ。
自分のことだけで、いっぱいいっぱいになっていた。
百合を悲しませたくなかったのに。寂しい思いを、させたくなかったのに。

「ごめん。ごめん…百合。」

そう言って、日向は百合を抱きしめる。
誰に見られるかもわからない道の真ん中。
体裁なんて、気にしてられなかった。

「本当にごめん。あの子たちとは、本当に何もないんだ。向こうから話しかけてきただけだから。」

百合の細い肩を抱いて、耳元でそっと囁く。
その肩は、微かに震えていた。
百合の髪から、シャンプーの甘い匂いが仄かに香る。
少し汗ばんだ百合の肌は、温かかった。

「…ホントですか?」

百合は、日向の胸に顔を埋めたまま小さく呟く。

「うん。…俺が、浮気するように見える?」

日向がそう言うと、百合はおずおずと顔を上げて、小さく首を振った。
目が真っ赤になっている。赤い目の兎みたいだ。

「今日…はバイトで無理だけど、土曜日なら休みだし、二人で何処か行こう。
 久しぶりに、外でデートしよう。」

そう言いながら、日向はポケットからハンカチを取り出して、百合の涙を拭う。
百合はされるがまま、恥ずかしそうに鼻を啜った。

「デート、ですか?」

百合はまだほんのり赤い目で、日向を見上げる。
その瞳は、少し嬉しそうに、煌めいていた。

「うん。何処行きたい?何処でも、百合の行きたいところへ行こう。」

思えば、デートらしいデートなんて、夏祭りくらいしかなかった。
いつも二人っきりで自分の家で過ごしていた。
自分はそれで良かったけれど、百合はもっと恋人らしいことをしたいだろう。
普通の恋人みたいに、外で手を繋いでデートするのも、たまにはいいか。
ちょうど金曜日はバイトの給料日だし、少しくらい、いつもと違う贅沢をしよう。

「じゃあじゃあ、えっと…映画行きましょう!
 映画館で映画見て、一緒にカフェでランチして、それから手を繋いでウィンドウショッピングしたいです!」

すっかり泣き止んだ百合は、嬉しそうにデートプランを考える。
映画館は、こんな田舎にはない。
少し遠くの街か、電車では行き辛い郊外にしかない。
それなら、思い切って少し遠出するのもいいかもしれない。

「映画なら、街の方行ってみる?街の方なら、いろんなお店もあるし。」

「はい!遠出なんて、楽しみだなあ~!」

ウキウキした様子で、百合は微笑む。
よかった。百合の機嫌は、直ったみたいだ。
百合が笑うと、自分も嬉しくなる。
百合の笑顔が、何よりも大好きだった。

「俺もちょうど、街の電気屋さんで買いたいものあったんだ。」

「買いたいもの?」

「うん。えっと、名前忘れちゃったんだけど…こう、クルクルするやつ。」

日向は、手を捻って何かを巻くような仕草をしてみせる。
けれど、意味が伝わらないらしく、百合は不思議そうに首を傾げる。

「クルクル?」

「えーっと、女の子が髪の毛巻くときに使うアレ…なんだっけ。」

「コテ?ヘアアイロンですか?」

「ああ、それかも。練習用に一個買っとこうかな、って思って。百合の髪で練習させてくれる?」

美容師になると決めたからには、今から少しでも練習しておきたい。
学費を溜めるために、普通の学生よりは一、二年は遅れてしまうから、その間がもどかしい。
カットや染毛の練習はできなくても、せめてセットはくらいはできるようになっておきたい。
早く一人前になって、自分で生活できるようになるために。
いつか、百合と一緒に暮らせるようになるために。
ずっと一緒にいられるために。

「美容師になる練習ですか?日向先輩、真面目ですね。まだ、随分先なのに。」

百合はおかしそうにクスクスと笑う。

「いいですよ。私でいっぱい練習してください。」

そう言って、百合は嬉しそうに微笑む。

「ありがと。」

つられて日向も微笑んだ。

この笑顔を、ずっと見ていたい。
これから先も、将来も、ずっと。
百合が隣にいてくれるなら、それだけで自分は幸せだ。
彼方が望むように、きっと自分は幸せになれる。
百合と共に生きること。それが、自分の幸せだ。






誠は、自分の目の前でギターを弾く将悟を見つめていた。

おかしい。
日向が将悟におかしなメールを送ってから、一週間が経った。
そろそろ彼方を探し出そうとしてもいい頃なのに、将悟に動きはないし、あれ以来、日向の話も聞かない。
お節介の将悟が、日向のことをほっとけるわけがないのに、何の行動もないらしく、驚くくらい毎日がいつも通りだ。
朝はちゃんと学校に行って、夕方くらいに帰ってくる。
帰ってきてからは、いつも通り猫達を観客にギターを弾いていた。
変わったところは、ない。

自分はというと、朝は将悟と共に起き、将悟と将悟の祖母と朝食を食べて、将悟を学校へ見送る。
そして、将悟が学校に行っている間はすることもなく、祖母の畑仕事を手伝っていた。
元々、将悟の祖母とは仲がいいし、力仕事なら得意だし、泊めてもらっている礼だ。
夜は将悟と居間で過ごし、些細な変化がないかと目を凝らせた。

「ねえ、将君。日向君からのメール、どうなったの?」

痺れを切らして、口を開く。
もしかしたら、将悟が隠しているだけかもしれない。
水面下では、彼方を探そうとしているのかもしれない。

「どうって…。どうもこうもないですよ。向こうは、何も言ってこないし。」

ギターを弾く手を止めて、将悟は平然と答えた。

まあ、日向は言わないだろうな。
彼は、あまり悩みを人に言うタイプではないと思う。
限界ギリギリまで、一人で抱え込むタイプだろう。

警戒させないように、誠は微笑む。

「へえ。将君からも、何も聞かなかったの?」

「…まあ。」

将悟は少し言い辛そうに、目を逸らして答えた。
珍しい。いつもは頼んでもいない世話を、焼こうとするくせに。

「らしくないね。いつもはお節介するのに。」

わざとらしく、クスクスと笑う。
将悟に自分の企みがバレないように、いつも通りを心掛ける。
けれど、茶化して笑う自分に、将悟はむっとした表情をした。

「俺だって気になりますよ。でも…」

言い淀んで、将悟は一度口を結ぶ。

「でも?」

誠は、首を傾げて聞き返す。
将悟は、少し躊躇いながら口を開いた。

「もし…もし、前に誠さんと話したことが本当なら、俺じゃ何もできないじゃないですか。どうしようもないじゃないですか。」

「だから、黙ってたの?」

「…はい。」

黙っていたことに、罪悪感はあるのか。
将悟は肩をとして、小さくなった。

「ふぅん。少しは、考えるようになったんだね。」

―そんなんじゃ、計画丸潰れだし、困るんだけど。

誠は心の中で、大きな溜息を吐いた。
将悟なら、上手く踊らされてくれると思ったのに。
思い違いだったようだ。

それから、しばらく沈黙が続いた。
将悟は慣れた手つきでギターを掻き鳴らすし、自分は猫達と遊びながら思案に耽っていた。

やっぱり、こうなったら日向を揺さぶるしかないか。
自分が怪しまれない、最善の方法は何だろう。

「ねえ、久しぶりに日向君に会いたいな。今度連れてきてよ。」

とりあえず、もう一度、自然に日向とコンタクトを取ることが必要だ。
そして、さり気なく日向に、彼方がいなくなったことを吐かせればいい。

「日向に?」

将悟は、少し驚いたような顔をした。
ギターを弾く手が止まる。

「いいですけど…アイツ、ほとんど毎日バイトで忙しいんですよ。」

「え?日向君、バイトしてるんだ。」

「なんか、夏休みくらいから、学校の近くのカフェでバイト始めたみたいです。」

「将君の学校の近くって、プレーゴ?」

「ああ、多分。そんな名前だったと思います。」

カフェ・プレーゴ。
そこは確か、京子がバイトをしている店だ。
京子は、日向とも繋がっているということか。
やっぱり彼方と京子は共犯だ。
彼方が高校生だったことを知らないなんて、言わせない。

「へえ、そうなんだ。俺ね、そこに知り合い働いてるんだ。今度一緒に行こうよ。」

「誠さん、こっちに知り合いいるんですか?」

「俺は、意外と顔広いからね!」

そう言って、誠は微笑む。

なんて都合がいいのだろう。
自分が日向と知り合いだと京子にわからせれば、京子はどんな顔をするだろう。
日向と彼方は双子なだけあって、よく似ている。
他人の空似なんて言えないほどに。知らないフリをするなんて、無理だ。
素直に吐いてくれるだろうか。それとも、白を切り通すだろうか。
京子がどんな行動に出るか見物だ。

「っていうか、マコトさん、いつまでうちにいるつもりですか?
 もう二週間くらい経ちますよ。そろそろ優樹さんと仲直りした方がいいんじゃないですか?」

将悟は、再びギターを爪弾きながら呟く。
将悟の家に転がり込んで二週間。そろそろ迷惑だろうか。

「やっぱり迷惑だった?でも、もうちょっといたら駄目?」

誠はいつも通りの「みんなのお兄ちゃん」の笑顔で、可愛らしく首を傾げて見せる。
将悟は、少し呆れたような表情だった。

「別に、迷惑とか思ってないですけど、時間が経つと、どんどん戻りづらくなりますよ。」

「うーん。だって、優樹君ったら、ぜーんぜん謝ってこないんだもん。俺悪くないのにさー。」

「当事者はみんなそう言いますよ。
 どっちが悪かったにしろ、どっちも悪かったとしても、ちゃんと謝って仲直りすれば、それでいいじゃないですか。」

「えー。将君、先生みたいなこと言わないでよー。」

誠は、わざとらしく唇を尖らせた。
本当に将悟は、どこまでもお節介だ。いつも、教科書通りの言葉ばかり言う。
謝って済むとか、大人の世界はそんな簡単なものじゃないのに。
まあ、でも、優樹と喧嘩した理由を、言う気はないけれど。

「こーんな広い家に、おばーちゃんと二人暮らしなんて、寂しいじゃない。
 俺がいたら賑やかでしょ?それに、おばーちゃんの畑も毎日手伝ってるんだからね!
 おばーちゃんったら、『将君は全然手伝ってくれないから、誠君がいて助かるわあ』なんて言ってたよ!」

いつも通り、おどけてみせる。
将悟に警戒されないように、いつもの自分を演じる。
毎日畑を手伝っているのも事実だし、将悟の祖母に感謝されているのも本当だ。
どうにか丸め込んで、もう少しここに置いてもらおう。

彼方の問題が解決するまで―。

麻丸。
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麻丸。

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