「きみがたいせつ」

 「きみがたいせつ」



「貴方が…好きだからに、決まってるじゃないですか!」

京子は、精一杯の気持ちを口にした。

心臓がバクバクする。
気を抜いたら、涙が溢れてしまいそうだ。
それでも、目を逸らすものか。
伝われ。ちゃんと伝われ、自分の気持ち。
この人の心へ、届け。

けれど、彼方は辛そうに目を逸らした。

「…いや…無理しなくていいから。
 京子ちゃんは…優樹さんのことが好きだって、ちゃんとわかってるし…。
 それに、『好き』なんて…僕が言わせたようなものじゃん…。」

自信無さげに、彼方は拙く言葉を紡ぐ。

「いいんだよ、別に。優樹さんのことが好きなまんまでも…いいんだ。」

京子は唇を噛んだ。

「だから、違うって言ってるでしょう!」

「違わないでしょ?京子ちゃんは、優樹さんが好きなんだ。」

吐き捨てるように、彼方は言う。

どうして伝わらないんだ。
もどかしい。どんな言葉なら、彼方に伝わるんだ。
一言で気持ちが伝わる魔法の言葉はないのだろうか。

『好き』?『愛している』?
いや、ダメだ。そんな言葉じゃ、彼方に伝わらない。
その言葉は、今まで彼方がいろんな女たちに吐いてきた薄っぺらい言葉だ。
何の意味も持たない、ただの言葉だ。この言葉じゃダメだ。

でも自分は不器用だから、それ以上の言葉が浮かばない。
恥ずかしい愛のセリフなんて、言えない。
じゃあ、どうすれば―。

京子は覚悟を決めたように、奥歯を噛み締めた。
自分の頬を撫でる彼方の手を、包み込む。

「京子ちゃん…?」

彼方は、不思議そうに首を傾げる。

「ほら、わかります?熱いんですよ。貴方のせいで、こんなに熱くなっちゃうんです!」

激しい鼓動は、自分自身でもわかるくらいだった。
彼方の声、手の平、体温。全てが自分を高揚させる。
頬も、手も、体中が、触れた指先から、炎を纏ったように体が熱くなる。

そして、彼方の手を取り、自分の胸に押し当てる。

彼方は戸惑って、手を引っ込めようとする。
でも、させるものか。ちゃんと伝えてやる。
恥ずかしがるのは、後でいい。

「ほら、ドキドキしてるんですよ。
 貴方といると、心臓が苦しくて仕方がない!
 貴方が好きだから、こんなにドキドキしちゃうんですよ…!
 お兄ちゃんじゃ、こんなんにならないんですよ!貴方だけなんです…っ!」

彼方は、驚いたように口をポカンと開けた。

「好きなんですよ…。貴方が、好きなんです。これじゃ、伝わりませんか…?」

ポロポロと、涙が零れる。
これは、悲しい涙じゃない。辛い涙なんかじゃない。
愛しさが、涙となって溢れる。

「京子ちゃん…。」

彼方は自分を抱きしめたまま、胸に顔を埋めた。
そして、自分の体温と、鼓動を、確かめるように目を瞑った。

「…本当だね。…すごく、ドキドキしてる。熱い…ね。」

傷んだ茶髪が皮膚を掠めて、くすぐったい。
彼方の体温に触れると、一層心臓が激しく脈打つ。
けれど、その体温が自分の心を落ち着けるのも事実だった。

「ねえ…本当に、僕でいいの…?」

小さな声で、彼方は呟く。
しっかりと自分の胸元に顔を押し付けていて、その表情は見えない。

「…貴方じゃないと、駄目なんですよ。」

そう言って、京子は彼方の短い髪の毛を撫でる。

「…そっか。」

鼻を啜る音が聞こえる。
生暖かいものが、胸元に落ちた。

「…好き。京子ちゃんが、好き。」

彼方は、涙声で言った。
ああ、やっと通じ合えた。やっと伝わった。
やっと二人は、本当の恋人になれた。
お互いの体を抱きしめて、噛み締めるように、泣いた。



「ふふっ。僕、あんなに情熱的な告白は初めてだったなあ。」

さっきまでの涙が嘘みたいに、彼方はご機嫌な様子で自分の髪を梳く。
指先で髪を遊ばせて、満足そうに笑う。

「…忘れてください。」

自分は、恥ずかしさで消えてしまいたくなった。
今は、彼方の胸に隠れていたい。
真っ赤になった顔も、潤んだ瞳も、見られたくない。
自分は天邪鬼で、プライドが高くて、不器用な人間なんだ。

「忘れないよー。ああ、京子ちゃん可愛かったなー。ねえ、そろそろ顔上げてよ。」

「…嫌です。」

せめて、顔の火照りがなくなるまで。瞳が乾くまで。
こんな顔を、彼方に見せられない。

「そっかあ。じゃあ、まだしばらくこのままだね。」

そう言って、彼方は自分をギュッと抱きしめる。
規則的なリズムを刻む彼方の心臓の音が、心地いい。
このまま、彼方に抱かれたまま、微睡んでしまいそうだ。
温かい。優しい体温。
寂しい人。けれど、暖かい人。

「京子ちゃんはさ、僕が夜の仕事してるの、嫌じゃない?」

自分の髪を梳きながら、彼方は言う。
彼方は自分の髪が好きみたいだ。
ペットを可愛がるように、指先でクルクルと自分の短い黒髪を遊ばせる。

「別に…なんとも思いませんけど。」

「普通は、嫌がるものじゃないの?」

「だって、お兄ちゃんもおんなじことしてるし。」

夜の仕事。ボーイズバー。
兄が店を始めた時には誤解したけれど、兄は自分にこう言った。

―店員が全員男で、楽しく馬鹿騒ぎするだけの普通のバーだよ。
 別にホストじゃねえし、変なことはしてないって。
 媚びは売るけど、色は使わねえ。客の飲み相手になるだけの健全なバーだ。

実際に、カウンター越しに酒を作ったり、一緒に酒を飲みながら接客するだけだという。
それくらいなら、何も心配する必要はない。
まあ、自分以外の女に媚を売っているのは、面白くないけれど。
それも仕事なら、自分がどうこう言ったって仕方がない。

「止めてくれないんだ。」

「止めてほしいんですか?」

「うーん、どうだろ。」

そう言って、彼方は困ったように首を傾げて笑う。

「辞めたところで、どうやって生活するんです?」

「収入がないと困るよねえ。あ、いっそ京子ちゃんのヒモになろうかな。」

「馬鹿言わないでください。」

「やっぱり駄目かあ。」

「当たり前です。」

冗談めかして笑い合う。
けれど、彼方は軽く言うが、仕事のことをどう思っているのだろう。
暗に、辞めたいと言っているようにも聞こえる。
辞めたいなら辞めてしまえばいいし、止める道理もない。
けれど、彼方がそうしないのは、その仕事以外で生きていく術がないのだろう。

「…お兄ちゃんと、上手くいってないんですか?」

彼方の胸に顔を埋めたまま、京子はポツリと零す。

「え?どうして?」

「最近、私のところばっかり来てるから…家に居辛いのかな、って思って。」

「そんなことないよ。優樹さんは優しいし。まあ…怒られた時は怖かったけど。
 でも、大丈夫。僕が京子ちゃんに会いたいから来てるだけ。優樹さんとも、仲良くやってるよ。」

そう言って、彼方は自分の髪を撫でる。
まるで、自分が慰められているみたいだ。

「なら、いいんですけど…。
 毎日来てくれるのは嬉しいんですけど、彼方さんが辛くないかな、って思って。」

片道二時間近く。快速なんてない、各駅停車のローカル路線。
往復すると四時間近くも電車に揺られることになる。
そんな遠い距離を毎日通うなんて、彼方にも負担が大きいだろう。

「ふふっ、僕は平気だよ。でも、ごめんね。昨日会いに来れなくて。…大丈夫だった?」

「別に、一日くらい会えなくても…平気ですよ。」

これは、嘘。ただの強がりだ。
少しだけ、寂しかった。
なんて、言ってやらないけれど。

「そうじゃなくって…誠さんに何か言われた?」

「え?どうして誠さん?」

意味がわからずに、京子は涙で赤い目のまま、顔を上げる。
彼方は、不思議そうな顔で自分を見つめていた。

「誠さんに会ってないの?」

どうして、誠の話が出てくるんだ。

「ええ。昨日は学校が終わったら、すぐにバイト行きましたし。」

「そっか。…なら、いいんだ。」

少し腑に落ちないような表情で、彼方は首を振った。
何か、あったのだろうか。

最近の誠の様子は、おかしい。
優樹の店で無断欠勤を続けていたり、自分のバイト先に現れたり、日向と談笑したり。
誠の目的はわからないが、不吉な予感がする。
誠が日向に彼方の居場所や仕事を伝えていたって、おかしくない。
自分と彼方の関係を伝えていたって、おかしくない。

そうだ、すっかり忘れていた。
昨日、日向だって自分に疑いを向けてきた。
きっと、日向に秘密を洩らしたのは誠だ。

「そういえば…昨日、日向さんが、変なこと言ってたんですけど…。」

京子は、躊躇いがちに切り出した。

「変なこと?」

「お母さんが、事故に遭ったって。」

その言葉に、彼方の表情は険しくなる。

「…死んだの?」

冷たい、低い声。
彼方の顔から、笑みは消えていた。

「入院してるって言ってたから…生きてるんじゃないんですか?」

「…そっか。」

彼方は目を伏せ、気持ちを落ち着けるように、小さく息を吐く。
そして、真っ直ぐな瞳で京子を見つめて言った。

「その話、さり気なくもっと日向から聞き出してよ。
 あと、日向の様子が変じゃないかとか、怪我してないかとか、注意深く見てて。」

「…でも、下手したら日向さんに、私と彼方さんの関係が勘繰られちゃいますよ。
 ただでさえ、誠さんが日向さんに何か吹き込んだかもしれないのに…。
 日向さん、みんなには誤魔化したのに、私にだけお母さんのこと話してくれたんですよ?変でしょう?」

日向から情報を聞き出すなんて、リスクが大きすぎる。
ただでさえ、日向は自分を疑っているのに。
余計な詮索なんて、自らクロだと言っているようなものだ。

「最悪、バレたって構わない。…僕らの母さんがどんな人かは、言ったでしょ?」

彼方の目は真剣だった。

「…日向は、僕が守らなきゃ。」

そう言って、悲しい笑顔を見せた。






学校から帰って、将悟は庭の花の世話をしていた。

花壇には、サルビアとアスターが綺麗に咲いていた。
赤、青、白、ピンク。派手な花弁が華やかに広い庭を彩る。
もうすぐコスモスも咲きそうだ。

誠には「似合わない趣味だ」と言われるけれど、自分は顔に似合わず花が好きなのだから、仕方がない。
学校の美化委員は夏休み前で終わったが、今でも自分で植えた花をたまに眺めに行く。
自分の家の庭でも、春夏秋冬、いつでもいろんな花が咲くように、時期を調整して、種類を調整して、手を掛けて花を育てていた。
この広くて寂しい家が、少しでも賑やかになるように。

自分が中学に上がった時から、祖母と二人暮らしになった。
父親は仕事の都合でドイツへ転勤になってしまったし、母親も父親に付いていった。
自分も一緒に行こうと思えば行けたけれど、いつも戻って来れるかもわからない、言葉も違う異国に行くのは、躊躇われた。
その頃、歳の離れた兄は、東京で一人暮らしをして大学へ通っていたし、そのまま大学を卒業して東京で就職した。
だから、もう長い間、祖母と二人きりだった。

忙しい家族が全員集まるのは、正月くらい。
最初は静かな家が寂しいと思ったけれど、慣れとは怖いもので、すっかりこの生活が染み付いた。
可愛い猫も三匹いるし、ギターも弾き放題。庭だって自分の好きなように彩れる。
何の不自由もない。自由気ままな生活。

それに、今は誠もいるから、いつもより賑やかだ。
誠が自分の家に来て、もうすぐ一ヶ月。
どうやら、まだ優樹と仲直りできないらしい。

一ヶ月も仕事をせずに、生活は大丈夫なのかと疑問に思う。
けれど、誠がいると音楽の話や、好きなバンドの話を毎日できるので、それはそれで楽しい。
曲作りの相談もできるし、他愛のない誠の話は面白い。
たまに、誠のマシンガントークが煩わしく感じる時はあるけれど。
なんだかんだ言って、誠との相性はいいと思う。

自分が学校へ行っている間は、祖母の畑の手伝いをしているらしい。
祖母はすっかり誠を自分の孫のように可愛がり、誠もまた、自分の祖母のように無邪気に接していた。
誠が家に来てから、祖母の笑顔が多くなった。
やっぱり祖母も、自分と二人暮らしでは寂しかったのだと思う。
そういう意味では、誠に感謝だ。

けれど、疑念がある。

―彼方君じゃないよ。

あの言葉は、彼方を知っている人間しか言えない言葉だ。
確信は持てない。けれど、誠は彼方のことを知っている。…気がする。
そう思って、何度も何度も誠に問い質した。
けれど、誠はいつも冗談めかして笑って、「知らないよ」と軽くあしらう。
誤魔化されて、それ以上、問い詰められなくなる。
誠は、本当のことを自分には言ってはくれない。

でも、誠が彼方を知っていたとして、二人はどういう関係なのだろう。
彼方は自分と違ってバンドをやっているわけでもないし、楽器を弾いているわけでもない。

そんなことを考えていると、ふいに玄関の方から声が聞こえた。
誠の声だ。誰かと話しているのだろうか。
将悟は身を潜めて、声のする方を覗く。

玄関先で誠は一人で煙草を吸っていた。
耳元にスマートフォンを押し当てている。
どうやら、誰かと電話をしているらしい。

「だから、それは無理だって言ってんだろ。絶対に無理。
 ていうか、なんでアイツにだけ甘いわけ?意味わかんないんだけど。」

いつもの緩んだ表情とは違う、険し顔。
口調だって、柔らかいものではなく、少し厳しさがあるものだった。
不穏な空気だ。あんな誠、見たことない。

将悟は身を潜めて、耳を澄ます。
誠はこちらには気付かず、電話口の相手に文句を言っていた。
一体誰と電話をしているのだろう。

「優樹君さあ、そればっかりじゃん。そういうところが気に入らない。
 ていうか、そう思うんなら、夜仕事なんてさせなきゃいいじゃん。
 とっととクビにして、追い出した方がマシでしょ。」

そう言って、苛立った様子で、紫煙を吐き出す。
電話の相手は優樹だろうか。

「とにかく、彼方君が仕事辞めるまで、俺は戻るつもりないから。」

その言葉で、将悟の疑問は確信に変わった。

麻丸。
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