「かけがえのない存在」

 「かけがえのない存在」



眩しいフラッシュと、カメラのシャッター音で目が覚めた。
京子が薄らと瞳を開けると、彼方がカメラを構えて自分の顔を覗きこんでいた。
ファインダー越しに目が合ったのか、彼方はギクリとした表情でカメラから顔を離した。

「…何してるんですか。」

寝起きの喉は乾燥していて、少し掠れた声が出た。
最悪の目覚めだ。何をしているんだ、彼方は。

「もう七時だし、起こしてあげようと思ったんだよ。」

彼方は取り繕って、ニッコリと笑う。

下手な言い訳だ。自分はシャッター音で目が覚めたのだから、言い逃れできないだろうに。
低血圧の自分は、頭がぼーっとして働かないし、彼方は自分の寝顔なんかを撮るし、朝から気分は最悪だ。
寝起きの瞼は重たいし、無意識に眉間に皺が寄る。
どうして週の初めの月曜日の朝から、こんなにイライラするのだろう。
京子は声に苛立ちを含ませて、彼方に言った。

「写真撮ってましたよね?」

「撮ってない撮ってない。」

彼方は首を振って否定する。
じゃあ、どうして大事そうにカメラを両手で抱えているんだ。
京子は、訝しげに彼方を見つめた。

「嘘吐かないでください。」

「撮ってないって。写真撮ろうとしたら、京子ちゃん起きちゃったし。」

尚も彼方は否定する。
白々しい言い訳を並べて、平静を装ってニッコリと微笑む。
そんな嘘で誤魔化されるわけないじゃないか。

「じゃあ、ちょっとカメラ見せてください。」

「えっ…ダメだよ。」

そう言って、彼方はカメラを背中で隠す。
自分にカメラを見せられない理由は、そのカメラの中に自分の寝顔が収めてあるからだろう。

「な、何も撮ってないよ?」

彼方のバレバレな嘘に、京子は大きな溜息を吐いた。

何も撮っていないわけないじゃないか。
どうして彼方は、自分の寝顔なんて撮ったんだ。
しかも、自分が寝ている間になんて、狡い。卑怯だ。
大体、寝顔なんてマヌケで可愛くないし、そんな顔、残してほしくない。
自分の寝顔の写真を何度も彼方が見ると思うと、恥ずかしくて仕方がない。

「…その写真、全部消してください。」

身を起こしながら、京子は言う。

「だから、何も撮ってないって。」

「じゃあ私が見ても、構いませんよね?」

京子は腕を伸ばして、カメラを掴もうとする。
けれど、彼方も取られるものかと言わんばかりに、カメラを持った手を後ろへ伸ばす。
リーチの差があるから、なかなかカメラまで手が届かない。

「なんで逃げるんですか。」

「いや、ほら、大事なものだからさ。」

カメラを巡っての攻防戦だ。
京子が腕を伸ばすと、彼方もカメラを遠ざける。
身を乗り出してみても、彼方は仰け反って距離を取る。
そうこうしているうちに、京子はバランスを崩して彼方の胸に傾れ込んだ。

「はい、残念でした。」

そう言って、彼方は自分を抱きしめる。
目当てのカメラは、ベッドの遠くの方へ置かれていた。
京子の体は、彼方の両腕でガッチリを固定されていて、逃げ出せそうにもない。

「京子ちゃん、朝から積極的だねえ。自分から僕の胸に飛び込んで来るなんて、ビックリしちゃった。」

彼方は嬉しそうに微笑む。

抱きしめれば機嫌が直るとでも思っているのか。
空気が読めないと言うか、わざと空気を読まないと言うか。
彼方のそういうところに、なんだかムカつく。
京子は彼方に抱きしめられたまま、小さく呟いた。

「…怒りますよ。」

「えー、怒らないでよー。」

彼方の指が、京子の髪を梳く。
やけに優しい指先が、心地いい。
だけど、こんなことで機嫌が直るものか。
京子は、唇を尖らせた。

「京子ちゃんって、意外に寝起き悪いよね。ちょっと怖いんだけど。」

「そう思うなら、大人しくカメラを渡してください。」

「やだよ。それより、早く準備しないと遅刻するよ?」

彼方に言われて壁掛け時計を見ると、七時十五分を超えていた。

「もうこんな時間!」

京子は慌ててベッドから飛び降りた。
早くシャワーを浴びて着替えないと。

京子はバタバタとシャワールームへ駆け込む。

カメラを買ってから、彼方はカメラにご執心だ。
食事を食べる時も、テレビを見る時も、カメラを両手で弄んで離さない。
そのカメラはずっと自分に向けられていて、気を抜いたらいつでもシャッターを切ろうとする。

自分なんかを撮って、何が楽しいのか。
そもそも彼方はどうしてカメラを始めようと思ったのだろう。
「思い出が作りたい」それなら別に、携帯電話のカメラでもよかったはずだ。
わざわざ高いカメラを買う必要なんてない。

そして彼方は、撮った写真を確認するとき、切なそうな顔をするのだ。
小さく笑みを浮かべて、カメラのディスプレイをじっと見つめる。
目に焼き付けるように、ずっと、ずっとその画面を見つめる。
写真より、ここにいる自分を見たらいいのに。
思い出を残したいだなんて。

彼方は変わった。
自分が想いを告げてから、優しく笑うようになった。
嘘の微笑みなんかじゃない、無邪気な微笑み。
けれど、最近精神状態も落ち着いてるし、いい変化なのかもしれない。

一時期の彼方は情緒不安定だった。
けれど、今の微笑みを見る限り、今は心配なさそうだ。
日向のことを、振りきれたのだろうか。
日向よりも、自分を愛してくれているのだろうか。

日向と自分、どちらが好きかなんて、怖くて聞けなかった。
自分が彼方の恋人であると同時に、日向は彼方にとってかけがえのない存在だ。
それを天秤に掛けるなんて、できるわけない。
でも、自分だって、彼方にとってのかけがえのない存在でありたかった。

京子はシャワーを終えて、髪を乾かして、制服に着替えた。
長袖の白いセーラー服に、紺のセーター。
衣替えを迎えたけれど、この服装では朝夜はもう肌寒い。
ゆっくりと冬の気配が近付いている。
もう二ヶ月もないうちに、今年は終わるのだ。

「ねえ、京子ちゃん。制服姿も撮らせてよ。」

着替えて部屋に戻ると、彼方はカメラを構えて待っていた。
時計を見ると、もう八時前。

「急いでるので帰ってからにしてください。」

時間がないから、京子は素っ気なくなる。
遅刻ギリギリなんだ、仕方ない。

「えー。今日何時に帰ってくるの?」

「今日はえーと…あ、しばらく帰ってくるの遅くなるかも。」

「なんで?」

彼方は可愛らしくコテンと首を傾げる。
いつも見せるこの仕草は、彼方の癖なのだろう。

「今週から学園祭の準備があるんですよ。私実行委員だし。」

学園祭。毎年十月の終わりにある、学校最大のイベントと言ってもいいだろう。
生徒が模擬店やステージを主催して、生徒だけでなく、保護者や地域の住人も遊びに来ることができる、ちょっとしたお祭りだ。
自分は去年も学園祭の実行委員をしたのだが、今年もクラスの推薦で実行委員になってしまった。
実行委員なんて面倒事は、大体部活をしていない生徒に回されるのだ。

「あー、もうそんな時期なんだ。京子ちゃんのクラスは何するの?」

「隣のクラスと合同で、お化け屋敷です。」

「へえ、面白そう。」

そう言って、彼方は微笑んだ。
怖がりで臆病なくせに、面白そうだなんて。

「彼方さん、そういうの苦手なんじゃないですか?」

京子は鏡を見て髪を整えながら、聞く。

「ううん、僕は好きだよ。そういうの苦手なのは日向の方。」

「へえ、なんか意外ですね」

「そう?日向ったら面白いんだよ。
 夏のホラー番組のCMとかあるじゃない?あれですらダメなの。
 CM流れた瞬間にテレビ消すんだよ。その後『別に怖くない』って顔してるんだけど、僕が物音たてるたびにビクってなるし。
 まあ、あんまりからかいすぎると、怒って口聞いてくれなくなるんだけどね。」

彼方は思い出したようにクスクスと笑う。
鏡越しに、彼方のおかしそうな笑顔が見えた。
京子もお化けを怖がる日向を想像して、笑ってしまう。
意外だ。いつもクールに澄ましている日向が、怖がりだなんて。

「じゃあ、ぜひ日向さんに、うちのクラスのお化け屋敷体験してもらわないといけませんね。」

「ちょっと、あんまり日向をいじめないでよ。」

二人は顔を見合わせて、笑い合う。
こんな何でもない時間が、幸せだった。
彼方の笑顔で、京子は満たされていた。

「ねえ、学園祭…僕も行きたいなあ。」

ふいに、彼方がポツリと呟く。

「…駄目に決まってるでしょう。日向さんに見つかったらどうするんです?」

「日向に見つからないようにしたらいいでしょ?三年の教室には近寄らないしさ。」

日向に見つからないようにだなんて、無理だ。
当日は学校中に生徒が溢れかえるのだから、どこで日向に見つかるかわからない
リスクが大きすぎる。

「駄目です。彼方さん、学校で有名人なのを自覚してください。」

「じゃあ、サングラスと帽子とマスクして行く。」

「それ完全に不審者じゃないですか。それに、声でバレるでしょう。」

「えー。僕も学生生活最後の学園祭行きたいー。」

駄々をこねる子供のように、彼方は頬を膨らませた。

「もう学校行ってないくせに。」

「だからだよ。だから学園祭くらい行きたいじゃない。」

「駄目なものは駄目です。全部バレて困るのは貴方なんですよ。お兄ちゃんにも迷惑かかるかもしれないし。」

「えー。」

彼方は不満そうな顔をして、肩を落とした。
ここで日向に見つかっては、今までのことが全て水の泡になってしまう。
少し可哀想だと思うが、彼方のためだ。

けれど、肩を落としてしょんぼりとしている彼方を見ると、心が痛んだ。
本当はこの人も、普通の学生でありたかったに決まっている。
後戻りできないようになったのは自業自得だとしても、やっぱり少し未練が残っているのだろう。
勉強もほどほどに友達と馬鹿騒ぎするような、何の変哲も無い普通の高校生に戻りたくて仕方がないのだろう。

彼方は、何もかも間違えすぎた。
間違えすぎて、後戻りできなくなってしまったんだ。
きっと、今の生活が彼方が本当に望んだものじゃないということに、京子は薄々気付いていた。
彼方の周りには、普通の高校生のように笑い合える友達すら、いないのだ。
必死に大人のフリをして、大人の世界に紛れ込んでいるだけなのだ。
不器用で、寂しくて、可哀想な人。

この人を、自分は救えるのだろうか。
どうしたら彼方は楽になれるのだろうか。
救ってあげたい。この人の孤独を、癒してあげたい。

「…学園祭は駄目ですけど、今度遊園地くらいなら付き合いますよ。」

鏡に向き直り、京子はボソッと小さな声で呟く。

「ホント?」

鏡越しの彼方は、意外そうに目をパチパチ瞬かせた。

「ええ。学園祭とは違いますけど、お祭り気分くらい味わえるんじゃないですか。」

京子は髪を整えるフリをしながら言う。
なんだか、自分から誘うような言葉を言うのは、照れくさい。

「いいの?」

「ええ。行きたいところ、決めといてください。」

自分は彼方に甘くなったと思う。
しょんぼりとした顔なんて、見たくない。
彼方には、笑っていてほしいのだ。
自分が彼方を笑わせられる、唯一になりたい。

「あのね、僕、遊園地行ったことないんだ。」

鏡越しに、彼方の顔に笑顔が戻ったのが見えた。

「動物園も水族館も行ったことないんだ。全部一緒に行ってくれる?」

「よくばりですね。…一日じゃ回れないから、順番ですよ。」

「やったあ。」

彼方は子供のように嬉しそうに頬を緩めて笑った。
さっきまでのしょんぼりした表情が、嘘みたいだ。
けれど、京子はこの無邪気な笑顔が見たかったのだ。

「約束だよ?絶対絶対約束だからね?」

「はいはい。わかってますよ。」

彼方が笑うと、自分も嬉しい。
自分にとって彼方は、既にかけがえのない存在だった。

麻丸。
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