「狭い箱庭」

 「狭い箱庭」

けたたましい目覚まし時計の音で目が覚めた。
彼方は目覚まし時計を止め、隣で寝息をたてる日向を見つめる。
そして再び布団に身を沈めて日向の手を握り、目を閉じる。
今はこの静寂だけが彼方の癒しだった。
怠惰に任せ、惰眠を貪る。
手の平から伝わる体温が、心地よかった。



「彼方!彼方!起きろ。遅刻だ!」

日向の声とその手に揺すられて目を覚ます。
薄く瞼を開け、その指先に自分の指先を絡めて引き寄せる。

「…やーだ。」

「おい、彼方…。」

日向は困惑しながら布団に戻される。
彼方は眠そうな、甘えた様な瞳を日向に向ける。

「起きないと…。」

「だーめ。日向は僕と一緒にいるの。」

力強い腕。
裏腹に、子供のように駄々をこねる彼方。
日向は絡められた指で手の自由が利かないため、
上体だけを起こして彼方に向き合う。

「でも、学校行かないと…。」

「日向は僕だけがいればいい。…そうでしょ?」

「…え?」

逃げられないように日向の手首を掴む。
光が宿っていない瞳が、日向を離さない。
そんな彼方に、日向は少しの恐怖を感じた。

「どうし…」

跳ねのけようとした腕は、びくともしない。

「僕だけいればいいでしょ?」

日向の言葉を遮り、
そのまま覆いかぶさるように彼方は日向を組み敷く。

「他の人間なんて、いらないでしょ?」

「彼方…なにして…。」

「ねえ。キス、しようよ。」

手首を握る手に、より一層の力が加わる。
同じ体のはずなのに、自分とは全然違う力に日向は戦慄した。
自分だけしか映していないような瞳に、抵抗ができなかった。

「…は?何言って…」

その声は、彼方の唇に塞がれた。

生暖かく、柔らかい感触。
顔を背けようとしても、彼方は離さない。

呼吸が、できない。
薄くなる酸素に、生理的な涙が滲む。
必死に抵抗するも、酸欠で腕の力が抜ける。

長いような、短いようなキス。

しばらくして唇が離れる。

荒い息。潤んだ瞳。
だらしなく開いた唇からは、わずかに涎が垂れていた。
そんなことも構わず、日向の肺は酸素を求めることに夢中だった。

「はぁっ…はぁっ…。」

そんな日向を見下ろし、彼方は切なそうな顔をする。

「僕、日向のこと、好きだよ。」

肩で息をする日向を、真っ直ぐに見つめて囁く。

「お前…っ。なにして…っ。」

息も絶え絶えに、潤んだ瞳で彼方を睨む。
反抗的な日向の瞳に、彼方は少し悲しそうな顔になる。

「日向じゃなきゃ、ダメなんだよ。僕には日向しかいないんだよ…。」

そう言いながら彼方は日向の首元に顔を埋める。

瞬間、

「…っ!?」

日向の首筋に鋭い痛みが走る。
彼方の鋭い歯が、日向の白い首筋に食い込む。

「ちょっ…!痛い!痛いっ…から!やめろ…って!」

白い首筋からは、血が滲み出ていた。
その血を愛おしそうに、彼方が丁寧に舐めとる。
肌を這う彼方の熱い舌は、くすぐったいような、ゾクゾクするような不思議な感触だった。

「…っ!いい加減にしろっ!」

日向は手足をバタつかせ、必死で抵抗を試みる。
しかし、彼方の強い力にビクともしない。

「もう…。ちょっと黙って。」

顔を上げた彼方は、凍り付くような冷たい目をしていた。
そして再びキスで唇を塞がれる。

今度は触れるだけの短いキス。
少し、血の味がした。

「…日向が悪いんだよ。日向は僕だけを見てて。」

「なんで…こんなこと…っ。」

そのまま、また日向の首元に顔を埋める。
彼方の舌が傷口に触れるたび、言い知れぬ恐怖を覚えた。

「誰にも…奪われたくない。」

耳元で囁く彼方の切ない声。
纏わりつくようなその言葉が、怖い。

「お前…っ!おかしいぞ!こんなことして…っ」

言いかけた言葉が止まる。

―この口は、ひどく誰かを傷つけるから。

昔の記憶が蘇る。
抵抗すれば、この口を開けば、誰かが傷つく。
だから感情を、言葉を、閉ざしていた。

彼方の苦しそうな泣きそうな瞳に、日向は何も言えなくなる。

「ねぇ…。日向は、僕がいないと生きていけないよね…?」

組み敷かれる日向の顔に、首筋に、生暖かい水滴が落ちる。
痛々しいほど切ない表情で、彼方は涙をこぼす。

「彼方…?」

「日向は僕のものなんだよ…。好きなんだ…。離れていかないで…。」

その真っ直ぐな自分に向けられる依存心が、余計に心を抉る。

こんなことが許されるわけがない。
いくら双子と言えど、この屈折しきった関係は認められるわけがない。
それでも小刻みに震える日向の手首を強く握る彼方の腕が、
真っ直ぐに日向を見つめる涙で揺れる瞳が、
生暖かい舌の感触が残る傷口が、日向を捕らえて逃がさない。



日向は、抵抗をやめた。









火曜日。
今にも雨が降ってきそうな、重々しく暗い雲が空を覆っている。
昼休みになっても日向と彼方は学校に現れなかった。

「で?昨日あの後どうだった?」

将悟は焼きそばパンの袋を開けながら、亮太に問いかける。

「どう、って…ちゃんと家まで送ってったけど。」

コロッケパンを咥えながら亮太は答える。
机の上にはアンパンやピザパンやメロンパンなど、
購買で買ったと思われるパンが大量に並べられていた。
亮太は昔からとにかく食べる量が多い。

「は?それだけ?」

将悟は小さく口をポカンと開け、亮太の方を見る。

「それだけって…あんなことがあった後だろ…。」

コロッケパンを咥えて、ピザパンの袋を開けながら器用に話す。
しかし机の上にパンのカスがたくさん散らばっている。

「あんなことがあった後だからこそ、告白しとけばよかったのに。」

そんな様子を横目に、将悟は小さく焼きそばパンを一口齧る。
唇や頬にコロッケパンのソースや衣をつけた亮太は、俯きながら呟く。

「そんな弱みに付け込むみたいな真似したくねえし…。」

将悟は呆れたようにため息を吐く。

「ただのビビり野郎だな。」

「うるせえ。」

この男は変なところで真面目である。
空気が読めなく、破天荒なくせに卑怯なことを嫌う。



重々しい空を見つめながら、亮太は目の前の空白の席の日向を思った。




麻丸。
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麻丸。

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