「探る視線」

 「探る視線」



「やっぱりコンニャクっすかね。コンニャク。」

「いや…それはやめた方がいいと思うけど。」

「え?なんでっすか?定番じゃないっすか。」

「絶対に『食べ物を粗末にするな』って、うるさい人が出てくるでしょ。それに、いろんな人が触ったコンニャクとか食べたくないじゃない。」

「あー、それはそうっすね。でも洗ったら大丈夫じゃないんすか?」

「えー。私は絶対やだ。男子だけで食べてよ。」

穏やかな日差しが降り注ぐ金曜日の夕方。
学校を終えた京子と虎丸は、来週末に迫った学園祭の相談をしていた。
もちろん場所はカフェ・プレーゴの厨房。
客足もまばらな店内ではすることもなく、いつものように厨房に集まって話をしていた。

「何の話してるの?コンニャク?」

二人の会話が気になったのか、奥でデミグラスソースの仕込みをしていた日向が声を掛けてきた。
虎丸はカウンターテーブルに手を付いて身を乗り出し、厨房の奥の日向に顔を向ける。

「学園祭の話っすよ!俺のクラスと竹内さんのクラスの合同で、お化け屋敷するんす!それの相談してたんす!」

「お化け屋敷…?」

「高橋さんも彼女さんと来てくださいね!二階の多目的ホールでやるんで!暗幕とか使って結構本格的なんすよ!」

「いや…俺は遠慮しとく。」

「なんでっすか!お化け屋敷と言えばカップルっしょ!」

日向の声のトーンが低くなったことに、京子は気付いた。
ああ、そういえば、日向はお化けや幽霊が嫌いだと、彼方が言っていた。

「そうですよ。せっかくだから二人で来てくださいよ。」

京子も日向の方を向いて、言う。
彼方には「あんまり日向を虐めないでよ」と言われたが、いつもクールに澄ましている日向がどんなふうに怯え、怖がるのかを見てみたいという気持もあった。

「いや…俺もクラス離れられないかもしれないしさ。」

相変わらず日向は苦い顔をする。
どうやら、本当にお化け屋敷が怖いらしい。
たかが、高校の学園祭レベルなのに、どんなお化け屋敷を想像しているのだろう。
そんなに嫌な顔をされると、逆にこっちは楽しくなってしまう。
京子の中に悪戯心が芽生えた。

「休憩時間くらいはあるでしょう。それに、学園祭は楽しまないと損ですよ。」

「そうっすそうっす!学園祭デートは大事っすよ!高校生活最後の学園祭なんすから!」

何も知らない虎丸が、同調してくれる。

「いや…うん。時間があったらな。」

日向は苦笑いをして、曖昧な返事を返した。
その返事は、行く気がないと言っているようなものだ。
当日、無理矢理にでも虎丸に日向を引っ張ってきてもらおうと京子は思った。
虎丸の誘いなら、日向は断れないだろう。

「高橋さんのクラスって、たこ焼き屋でしたっけ?」

「ああ、うん。普通のたこ焼きと、あと明太子とかチーズとか…まあ、いろんな種類用意する予定なんだ。」

「へーすごいっすね!明太子とか食べてみたいっす!」

「ホットケーキミックスとチョコでお菓子みたいなのも作るよ。」

チョコ、という言葉に京子は反応した。

「え、甘いのもあるんですか?」

日向は少し意外そうな顔をして、自分を見た。

「竹内さん、甘いの好きなの?」

「ええ、まあ。…大好きです。」

「じゃあ、俺がいる時に来てくれたら、サービスするよ。」

そう言って、日向はふっと笑った。

「いる時に来てくれたら…って。それ、休憩時間あるってことですよね?」

「あ。」

日向は手で口元を覆って、視線を泳がせる。
口を滑らせたのだろう。相変わらず嘘を吐くのが下手な人だ。

「まーたお前らは仕事サボって!」

奥の事務室から梨本店長が出てきた。
口ではそう言うが、口元には笑みが浮かんでいる。
暇な時にこの三人で、こうやって話しているのは日常の光景なのだ。
この時間は店が暇で仕事ことがないのも、梨本店長はわかっている。

「暇なら誰か買い出し行ってくれ。そこのスーパーで玉葱と卵な。高橋、あとなんか足りないものあるか?」

「えーっと…。」

そう言われた日向は、冷蔵庫の中身を確認する。

「ヨーグルトが足りなくなりそうです。あと、パセリもちょっと不安かな。」

梨本は手元に持っていたメモ用紙にメモをして、虎丸を指さした。

「よーし、虎丸。行って来い!」

「ええー俺っすか?」

「お前しかいないだろう。高橋は仕込みがあるし、竹内さんは女子だから重いもの持たせられないだろ?」

「へーい。」

虎丸は少し不満そうにしながらも、素直に買い出しへ出掛けて行った。
梨本も事務室に戻り、京子と日向は二人っきりになった。
虎丸がいなくなると静かだ。日向と二人で話をすることは少ない。
虎丸がいれば、潤滑剤のように会話を自然に進めてくれるのだが、日向と二人きりだと何を話していいかわからない。

京子の胸の内には、彼方のことを日向には絶対に悟られてはいけないという思いがある。
だからこそ、余計なことを話してはいけないと、口を滑らせてはいけないと、日向と話すのが慎重になる。
最近は、日向が彼方のことをしつこく聞いてくることはない。
けれど、たまに不自然な視線を自分に向けるのだ。
お前は、全部知っているのではないかという、疑いの視線を。

「…彼氏とは、毎日会ってるの?」

デミグラスソースを煮込みながら、日向が声を掛けてきた。
まただ。自然を装っているが、またあの疑いの眼差しを向けている。

「…まあ、ほぼ毎日。」

答えないのも不自然だと思い、京子は当たり障りない返事をする。

「そうなんだ。一緒に住んでるとか?」

「いえ、私は一人暮らしですよ。」

日向は静かに自分を見つめた後、目を伏せた。

「…そっか。」

それ以上、二人に会話はなかった。
虎丸が戻ってくるまで、気まずい沈黙が続いた。


高校生の三人は、バイトの上り時間も一緒だった。
空が真っ暗に染まる二十二時まで。
更衣室は男女別に用意されていて、京子は女子更衣室で一人っきりで着替えた。
着替えて外に出ると、既に帰り支度を済ませた虎丸と日向が待っていた。

「あれ?珍しいっすね。竹内さん、そういうの付けるんすか。」

虎丸の視線の先にあったのは、自分の学生鞄に付けられているペンギンのストラップだった。
昨日彼方に買ってもらった、初めてのお揃いの品。

「貰い物よ。仕方ないから付けてるだけ。」

「彼氏っすか~?熱いっすね~。」

虎丸は、茶化したように笑う。

「もう、からかわないでよ。」

いつも黒や紺など、地味な色合いの服装を好んでいた日向だが、今日は珍しく真っ赤なマフラーをしていた。
確かに最近寒くなってはきたが、まだマフラーをつけるには早いだろう。
しかも、そんなに派手なマフラーなんて。

「高橋さんこそ、珍しいですね。そのマフラー。」

そう言うと、日向は顔を上げて自分を見つめてきた。
また、あの不自然な視線だ。探るような疑うような、そんな視線。

「彼女さんからの誕生日プレゼントらしいっすよ!羨ましいっすよねえ~。」

そんな日向の様子には気付かず、虎丸はいつもの口調で言う。

「だから、彼女じゃないってば。」

「え?じゃあ誰からっすか?」

「えっと…その…。」

そう言って、日向は言い澱む。

「別にいいだろ、その話は。遅くならないうちに帰ろう。」

そう無理矢理話を切り上げるように日向に言われ、三人は帰路に着いた。
家が反対方向の日向とは店の前で別れ、帰り道は虎丸と二人っきりだった。

「誰からのプレゼントなんすかねー。」

暗い夜道を歩きながら、虎丸は言う。

「さあ?別にそんなことどうだっていいじゃない。」

「えー。でも気になるっすよー。」

それは京子も同じだった。
彼女からのプレゼントじゃない。
じゃあ誰からなんだ?ここで言えない人間なのか?まさか―
そこまで考えたところで、京子は頭を振った。
そんなはずない。彼方なわけがない。
だって、彼方は、もう日向には逢えないと言っていた。

途中で虎丸と別れ、京子は一人になった。
送ってもらうほどの距離でもないし、田舎のこの時間は誰も歩いていない。
家に帰るまで、誰一人としてすれ違わなかった。

「ただいまー…。」

玄関の扉を開けてから気が付いた。
この時間に、誰もいるわけない。
「ただいま」と言うことに慣れ過ぎて、無意識に言ってしまったのだ。
静かな暗い部屋から返事が返ってくるはずがない。
彼方は、もう仕事で街へ戻ってしまったのだから。

家に帰って誰もいないと言うのは、案外寂しいものだ。
自分は、彼方がいる生活に慣れ過ぎてしまったのだろうか。
以前は一人なんて当たり前だと思っていたのに。
真っ暗な部屋が、やけに広く感じた。


それから数日後。
相変わらず、彼方はほぼ毎日自分の部屋を訪れる。
まるで自分の家のようにソファーに寝転がっていたり、ベッドで寝息をたてていたり。
いつも自分のためにケーキを用意して、嬉しそうな笑顔で迎えてくれるのだ。

最近は、自分の手料理を、残さず食べてくれるようになった。
以前は一口二口だけで「ごちそうさま。」と箸を置いていたのに、最近の彼方はよく食べる。
自分がキッチンで料理をしていると、ニコニコと嬉しそうな顔をして、「なんだか新婚さんみたいだね。」と、おどけて笑ってみせたりもした。

彼方の休みは不定期で、平日が多い。
事前に言ってくれればいいのだけれど、いつも当日になって「今日休みなんだ。」と言う。
こっちにも夕食の準備やバイトの予定があるのに、何度言ってもそれを直そうとはしない。
意外と彼方は、メールや連絡はマメじゃないのだ。
ほぼ毎日会っているが、メールはほとんどしないし、用事があれば電話が多い。
メールボックスには、彼方からのメールは数えるほどしかなかった。

その日、家に帰ると静かだった。
また勝手に人のベッドで眠っているのかと思い、京子はなるべく静かに部屋の扉を開けた。

彼方はテーブルに俯せて眠っていた。
テーブルの上には、開きっぱなしのノートパソコン。
京子が高校入学祝に、兄に買ってもらったものだ。
買ってもらったはいいけれど、最近はほとんど使うことがなかった。

別に見られて困るものは入っていないけれど、パソコンを使うなら一言くらい言ってくれてもいいのに。
一体彼方は、何の調べものをしていたんだ。
画面は真っ暗だけれど、電源ランプはついている。
長時間放置して、スリープモードになったのだろう。

京子はマウスを僅かに動かして、スリープモードを解除した。
画面に映し出されたのは、旅行会社のホームページだった。
様々な温泉宿がリスト化されている。
検索欄には「個室露天風呂付き」の項目にチェックが入れられていた。

なんだか嫌な予感がするな。
そう思っていると、すやすやと寝息をたてていた彼方が、急に大きなくしゃみをした。
同時に、彼方の瞳が薄らと開く。

「…あれ?京子ちゃん帰ってたの?起こしてくれたらよかったのに。」

眠そうな目を擦りながら彼方が言う。

「うー。なんか寒気する。」

そう言って、彼方は自らの体を温めるように両腕をさすった。
どのくらいここで眠っていたのだろうか。
最近はすっかり寒くなってきたのだから、毛布も被らずにうたた寝なんて、風邪をひいてしまう。
彼方は背中を丸くして、寒そうに震えていた。

「こんなところで寝てるからですよ。風邪ひいたんじゃないですか?」

「平気だよ。そんなに柔じゃないもん。…はくしゅん!」

強がりながらも、彼方は連続で二度くしゃみをした。

「ほら、言わんこっちゃない。」

京子はソファーに置きっぱなしだったブランケットを彼方の肩にかけてやる。

「ありがと。」

彼方はブランケットを両手で掴んで丸くなった。
細かく足を動かして貧乏ゆすりをしているのは、きっと寒いせいだろう。

「で?勝手にパソコン使って何調べてたんですか?」

「え?ああ…見ちゃった?」

彼方はパソコンへ視線を映し、画面が映っているのを確認する。
そして、パソコンの本体ごと画面を京子の方に向けた。

「あのね、京子ちゃんと温泉旅行行きたいな、って思ってさ。」

そう言った彼方の顔は、子供のように輝いていた。
先程見た画面に目を通し、京子は大きな溜息を吐く。

「温泉って、いつ行くんですか?」

「早い方がいいなあ。来週でも再来週でも。できれば僕が休みの時に。学校休んでさ。」

「せめて冬休みとかにしてくださいよ。私だって、お兄ちゃんに学校行かせてもらってる立場なんだし、そんな理由で学校を休むわけにはいきません。」

「ダメだよ。冬休みはいつも通り、優樹さんのマンションに帰らないと。
 京子ちゃんに彼氏ができたんじゃないか、って優樹さん疑うでしょ?」

二人が付き合っていることは、誰にも言ってない。
誰かに言う理由もないし、言う人もいない。
優樹に内緒にしているのは、なんとなくお互いに気まずかったからだ。

「そんなの、友達と遊びに行くって言っておけばいいじゃないですか。
 それに、お兄ちゃんはそんなこと気にしませんよ。」

「あのね、京子ちゃんが思っている以上に、優樹さんは京子ちゃんのこと大事にしてるんだから。」

彼方は、呆れたような顔をした。
そして、大袈裟に肩を竦める。

「それに、京子ちゃんと付き合ってるってバレたら、ちょ~気まずいじゃん。
 優樹さんと一緒に暮らしてる僕の立場考えてよ。絶対いじられるし、しつこく絡まれるだろうし。」

「それは貴方が上手く誤魔化してくださいよ。とにかく、学校サボるのは無理ですからね!この前のは特別だったんですよ。」

「ええー。京子ちゃん、お願い!お願い!」

彼方は両手を合わせて頭を下げる。
甘えるような上目で自分を見つめて、可愛らしくおねだりのポーズだ。
じっと自分を見つめるその瞳に負けそうになりながらも、京子は溜息を吐きだした。

「まったく…。どうして、突然そんなこと言いだしたんですか?」

彼方は合わせた手を離して、肩を落とした。
そして、目を伏せてポツリと呟く。

「…今のうちに、たくさん思い出を作りたいんだ。」

「え?」

「京子ちゃんと、思い出をたくさん作りたい。」

「…思い出なんて、いつでも作れるでしょう。」

彼方は静かに首を振った。

「先のことなんて、わかんないじゃない。」

そう言って、彼方は悲しそうに笑った。
長い腕が伸びてくる。京子は彼方に抱きしめられた。
彼方の少し冷えた細い体は、小刻みに震えていた。

「もっと、恋人らしいことしたいんだ。」

そう耳元で囁かれた言葉は、切ない響きを持っていた。

麻丸。
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麻丸。

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