「聞きたくなかった言葉」

 「聞きたくなかった言葉」



学園祭当日は、とにかく忙しい。
実行委員の仕事として学園祭の見回りをしなくてはならないし、自分のクラスの手伝いもしなければならない。
グラウンドの様子も見に行ったり、体育館のステージの進捗をチェックしたり。
そして、各クラスの出し物に不備がないかをチェックして回る。

三年生は受験勉強のために、二学期から委員会活動をしなくてもいいので、実質二年の実行委員が学園祭を取り仕切っていた。
京子も、その一人だ。
実行委員と言う面倒事を押し付けられ、朝から学校中を飛び回っていた。
色々な場所へ顔を出さなくてはならなくて、とても学園祭を楽しむ余裕なんてなかった。

落ち着いたのは、昼を過ぎてからだ。
他のクラスの実行委員に交代してもらい、やっと休憩時間になった。
京子は休憩ついでに自分のクラスの様子でも見に行こうと、二階の多目的ホールを目指した。

グラウンドに比べて、校舎内の人は少ない。
やっぱり目玉の模擬店はグラウンドに集中しているからだろうか。
二階への階段を上ってみても、人は疎らだった。
昼時ともあって、みんな食事に出掛けているのだろう。

お化け屋敷の入り口には、虎丸が退屈そうに受付係として待機していた。

「あ、竹内さん!おかえりなさいっす。」

「どう?客入りは。」

「まあまあっすね。グラウンドほど賑やかじゃないっすけど、さっきまでは結構賑わってたんすよ。」

帳簿を見ながら、虎丸は言う。

「あ、そうだ。さっき高橋さんが差し入れ持ってきてくれたんすよ。はい、これ。竹内さんの分。」

そう言って渡してきたのは、たこ焼きのようなものだった。
たこ焼きのようなものと表現したのは、たこ焼きに似ているけれど、明らかにたこ焼きじゃない見た目をしていたからだ。
たこ焼きのように丸い形をしているが、ソースや鰹節はかかっていない。
代わりに、チョコレートのような色のソースがかかっていた。
それに、なんだか甘い香りがする。

「なにこれ?」

「なんか、カステラみたいなお菓子だって言ってたっすよ。
 『竹内さん甘いの好きって言ってたから』って。さすが高橋さんっすよね!」

「ふぅん。」

一つ口に含んでみると、確かに甘い。
チョコレートソースにホットケーキのようなふわふわした生地。中にはマシュマロも入っている。
さすが日向だ。たこ焼きをこんなに美味しいお菓子にアレンジできるなんて、センスがある。

「高橋さん、お化け屋敷入っていったの?」

「いいえ。他に寄る場所有るから、ってすぐ行っちゃったっすよ。」

「なーんだ。高橋さんの怖がってるところ、ちょっと見たかったのに。」

ガッカリしながら、京子はたこ焼きに似たお菓子を口にいれた。

「いやいや、さすがに学園祭のお化け屋敷を怖がる人なんていないっしょ。」

ふいに騒がしい笑い声が聞こえ、お化け屋敷の出口を見ると、四人の少年達が出てきた。
見たことがない制服だ。他校の生徒だろう。
その少年たちは、お化け屋敷を怖がっていると言うよりは、稚拙な作りを楽しんでいるようだった。
結構手を掛けたつもりだったけれど、学園祭レベルのお化け屋敷なんてこんなものか。

「みんなあんな感じっすよ。」

そう言って、虎丸は苦笑する。

「あ。そういえば、さっき変な人が来てたんすよ。」

「変な人?」

「男の人なんすけどね、なんか狐のお面被ってて、顔はわからなかったんすけど、『京子ちゃんいますか?』って。」

「狐のお面…?」

なんだか嫌な予感がした。
自分を「京子ちゃん」と呼ぶ人間は限られている。
しかも、お面なんかで顔を隠す必要がある人間なんて、一人しかいない。

「その人、どこ行ったの?」

そう聞くと、虎丸は首を振った。

「いや、わかんないっす。まだ学校の中で、竹内さんのこと探してるんじゃないっすか?」

「そう…。」

京子は多目的ホールを後にし、その人物を探すことにした。
虎丸が言った変な人は、きっと彼方だ。それ以外にありえない。
学園祭に来ないと言っていたのに、何をやっているんだ、あの男は。

人気のない廊下を進み、京子は携帯電話を手にした。
校内を歩き回って探すより、電話をかけた方が早いだろう。
そう思って通話ボタンを押そうとしたとき、何者かに肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、

「やあ、京子ちゃん。」

そこには、笑みを浮かべた誠が立っていた。

「誠さん…?どうして…。」

意外な人物に、京子は一瞬頭が真っ白になった。
どうしてここに誠がいるんだ。自分を探していたのは、誠だったのか。

「どうして、だなんて。用がないと学園祭来ちゃいけないわけ?
 それとも、俺が学校に来ると困ることでもあるのかな~?」

笑みを浮かべてはいるが、その目は鋭く光っていた。
まるで、獲物を射るような瞳だ。
京子は、背筋がゾクリと寒くなったのを感じた。

「なんて、冗談。ここの学校に友達がいるから遊びに来ただけだよ。」

お道化るように、誠は肩を竦めて笑う。
両手には何も持っていない。もちろん、顔にお面を被っているわけでもない。
虎丸に自分の居場所を聞いたのは、やっぱり誠ではない。

「…一人で来たんですか?」

「うーん。まあ、そういうことになるのかな。
 さっきまで友達と一緒だったんだけどさ、クラスの仕事があるって言って行っちゃったんだ。
 一人で残されても退屈だし、この学校意外と広くて迷子になりそうなんだよね~。
 ねえ、よかったら京子ちゃんが案内してよ。」

相変わらず饒舌な男だ。
無駄に明るい間延びした声で、ペラペラと言葉を紡ぐ。

「いえ、私も仕事がありますから。」

「ふぅん。そっか。それは残念だな。」

「じゃあ、これで…。」

平常心を装って、早く誠の前から去ろうと思った。
誠は知っている。だからこそ、ここで自分がボロを出してはいけない。隠し通さないと。
しかし背を向けた時、誠は小さく呟いた。

「たこ焼き屋。」

その言葉に、まるで固まってしまったかのように足が動かなくなった。

「グラウンドのところのたこ焼きや行ったらさー、そっくりな子がいたんだよねえ。」

「…なんのことですか。」

「…まあ、その彼とは友達のつもりなんだけどさ。一回京子ちゃんのバイト先にも会いに行ったんだよねえ。
 その時さ、京子ちゃんもいたでしょ?ちゃんと見てたんだよ。」

「誰の…ことですか。」

自分でも白々しいと思う。
けれど、認めるわけにはいかなかった。

「日向君。京子ちゃんと同じ高校の三年生。彼方君の、双子のお兄さんでしょ。」

誠の低い声が、静かな廊下に響く。
京子は、振り向けなかった。
ただでさえ白々しいのに、表情まで隠せる自信がない。
むしろ、もう何も隠せない。誠は全てを知っている。
京子は、ギュッと唇を噛んだ。

「まあ、日向君のことはどうでもいいんだよ。問題なのは、彼方君の方。
 京子ちゃんは彼方君が高校生だって知ってて、優樹くんに紹介したんでしょ?
 それがマズいことだって、わかってる?」

京子は、何も言えなかった。
誠の言っていることは、全部正しい。
自分たちが隠していたかったことを、綺麗に全部暴いていく。

「なんとか言いなよ。知らなかった、なんて言えるわけないだろ。」

誠の言葉には、少し苛立ちが混じってるようだった。
その証拠に、口調がいつもより厳しくなっている。

「そういうつもりじゃ…なかったんです。」

情けないほど震えた声が出た。
どんな弁明も思いつかない。何を言ったって無駄だ。
言い逃れなんてできないことをわかっていながら、他に言葉が出てこなかった。

背中越しに、誠が溜息を吐く音が聞こえた。
苛立ちを落ち着かせようとしているのだろうか。

「てかさー、京子ちゃんと彼方君ってどういう関係なの?ただの学校の先輩後輩じゃないよね?
 まさかアイツが彼氏?付き合ってるの?やめときなよ、あんな奴。碌でもない男じゃん。」

急に軽い口調になり、誠は茶化すように言う。
この男は何がしたのだろう。秘密を知っていて、自分をどうしようというのだろう。
せめて、彼方の不利にならないように答えないと。

京子も静かに息を吐き、気持ちを落ち着けようと努力した。

「…付き合っていません。」

「ふーん。そうなんだ。」

やけにあっさりと誠は納得した。
そして、「じゃあ、この話京子ちゃんにしても問題ないね。」と、鼻で笑うように言った。

「アイツさ、隠れて枕営業してんの。
 常習犯だよ。毎日違う女と寝てる。ちなみに、それで一ヶ月で二百万も稼いだんだってさ。
 どんだけヤッてんのって感じだよねえ。あーあ、若いって怖い。」

「えっ…。」

京子は言葉を失った。

「しかもさ、それをアイツに言ったら、『京子ちゃんだけには言わないで』なんて言うんだよ。
 おかしいねえ?優樹君に、じゃなくて、京子ちゃんに、なんてさ。」

誠は、可笑しそうにクスクスと笑う。
京子は、この男が何を言っているのかが、一瞬理解できなかった。
だって彼方は、自分と付き合っているのだから。

「付き合ってないのなら、なーんの問題もない話だよねえ?」

尚も茶化して笑う誠に、苛立ちが湧いてきた。
そんな話をして、人の神経を逆撫でして、一体どういうつもりなんだ。

「…何が言いたいんですか?」

「あれれ、怒っちゃった?」

「そんなことを私に話して、何がしたいんですか?私にどうさせたいんですか?」

誠の方を振り返って、京子は苛立ちのままに言い放った。
静かな校舎内に声が反響して、余計に大きく響いて聞こえた。
睨むように真っ直ぐに誠を見つめると、誠は浮かべた笑みを消して、真顔になった。
いつもヘラヘラと笑っているこの男の真顔を見るのは、初めてだ。
垂れ目が、どこか冷徹さを感じさせる。

「俺の望みは一つだけだよ。アイツに店を辞めさせてほしい。」

「そんなこと、自分で言えばいいじゃないですか。」

「優樹君から、アイツには手を出すなって言われてんの。
 優樹君はアイツが未成年だってことも、高校生だってことも、知っていてアイツを雇ってるんだよ。
 しかもアイツは優樹君のお気に入りで、辞めさせる気なんて全くないんだ。
 挙句の果てには、この俺に『嫌ならお前が辞めろ』なんて言うんだぜ?
 十年近くずっと優樹君を支えてきた、この俺に。ホント、意味わからねえ。
 優樹君のこと一番わかってあげられるのは、俺以外に有り得ないのに!」

苛立った様子で、誠は乱暴に頭を掻く。
たくさんのピアスと、長い銀髪が揺れた。

「とにかく、京子ちゃんから辞めるように言ってくんない?
 アイツに話しても、生意気に辞める気ないって言うんだ。
 京子ちゃんから言ってもらえれば、気持ちも変わるかもしれないでしょ?」

「どうして、そこまで彼方さんを辞めさせたいんですか?」

真っ直ぐと誠を見据えると、誠は不貞腐れたような、バツが悪いような顔をした。

「…気に入らないからだよ。アイツの全部が気に入らない。
 アイツがくる前までは、俺が優樹君の右腕だったんだ。
 俺の居場所を奪ったアイツが許せない。アイツさえいなければ…。」

「それは、つまり…嫉妬、ですか?」

その言葉に、誠は目を瞠った。
そして、もう一度髪をクシャリと掻いた。

「…そう思ってくれても構わないよ。」






通いなれた校舎、無駄に広いグラウンド、自分のお気に入りの兎小屋。
それらは、何一つとして変わっていなかった。
三ヵ月前と同じまま。まるで、時間なんて経っていないみたいだ。
いや、自分だけがこの日常から取り残されたのだ。
自分がいなくても世界は回る。まさに、その通りだと思った。

三ヵ月前と違うのは、今日は学校内がとても賑やかなことだ。
ハロウィンと重なった学園祭。周りには仮装をした生徒も歩いている。
魔女や吸血鬼、包帯をぐるぐる巻きにした生徒はミイラだろうか。
チャイナドレスやナース服といった、ハロウィンに関係のないコスチュームの生徒もいる。
そのせいか、お面で顔を隠していても誰も不審がらない。
学園祭が偶然ハロウィンの日で、本当に都合がよかった。

彼方は懐かしい景色を、首から下げたカメラで一つ一つ写真に残していく。
久しぶりに訪れた場所。もう二度と来ることない場所だ。
そう思うと、大した思い出がない学校でも、なんだか切ない気持ちになった。

この学校で作った思い出は、なんだっけ。
いざ思い返してみると、なかなか思い出せないものだ。
そういえば、京子と初めて会ったのは、中庭の花壇の前だった。
その時は、確か赤と白のダリアという花が咲いていた気がする。
二度目に見た時は、白いダリアは枯れかかっていた。
今はもう、赤いダリアすらも見当たらなかった。枯れてしまったのだろう。

初めて会った時の京子は、警戒心剥き出しで、なかなか気難しそうな女だと思った。
あの頃の自分は、適当に京子を手玉に取って、都合よく動かすことしか考えていなかった。
平気で嘘を吐き、色を使い、京子に呆れられ、傷付けた。
今思うと、自分でも最低なことをしていたと思う。

けれど、京子と過ごしているうちに、色々な京子の内面を知った。

素っ気ないのは、素直になれないから。
冷たいようで、実はすごく優しくて世話焼き。
口に出すことと思っていることは、大体真逆。
体は細いのに意外に大食いで、甘いものが好き。
甘いものを食べている時の京子は、子供のように幸せそうな顔をする。
酒はそれほど強くなくて、酔うと別人のように甘えてくる。
翌日、酔っていた時のことを思い出して、一人で羞恥に悶えている姿はすごく可愛い。
そのことを茶化したりすると、顔を真っ赤にして容赦なく頭を叩いてくるから、酔っていた時の話は次の日に持ち越さない。

京子と付き合ってから、ほんの少しだけれど、体の調子はいい。
未だに大量の抗不安薬や向精神薬などを飲んではいるけれど、過呼吸の発作は起きなくなった。
以前は睡眠薬を大量に摂取してもロクに眠れなかったのに、最近は割とぐっすり眠れている。
食事だって、以前はほとんど喉を通らなかったのに、今は三食きちんと食べられるようになった。

思っている以上に、京子の影響は大きいのだ。
京子といると安心する。穏やかで優しい時間が流れている気がするのだ。
最初は、日向の代わりだなんて思っていたけれど、今の自分は京子を愛している。
誰の代わりでもない。京子は自分にとって唯一で、特別だった。

できるなら、このまま最後の時まで京子と共にいたいと思った―。

麻丸。
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麻丸。

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