「秘密を匿う」
「秘密を匿う」
木曜日の朝。
百合に彼方を探すことを許してもらって五日目。
日向はいつものように百合を駅まで迎えに行き、一緒に登校していた。
ここ数日の成果はゼロ。
誠も電話で話したこと以上のことは知らないらしいし、昨日は京子にも会えなかった。
自分が思いつく手掛かりはこの二人だけだ。
誠からこれ以上の情報を聞き出すことは難しいし、もし京子に会えたとしても、しらばっくれられたら、他に手掛かりは無くなる。
自分に上手く聞きだせるのだろうか。
京子は一筋縄ではいかないだろう。
駆け引きなんて苦手だ。でも、普通に聞いたら濁されてしまう気がした。
「ひーくん、ちょっと元気ないですね。彼方さんの手掛かり、まだ見つからないんですか?」
百合は、大きな瞳で自分の顔を覗きこんでくる。
「いや…うーん。見つからないって言うか、彼方のこと知ってそうな子に会えなくて…。」
「あれ?誠さんに聞いたんじゃないんですか?」
「誠さんは、今の彼方の居場所わからないって。でも、彼方の居場所知ってそうな子教えてくれた。」
「知ってそうな子って…女の子ですか?」
百合は、訝しげに瞳を細めた。
「うん。…ああ、別に変な関係じゃないから。」
日向は、慌てて弁解する。
百合は、悪戯っぽくふっと笑った。
まるで、自分の反応を楽しんでいるみたいだ。
「わかってますよ。それで、会えないって、その人が遠くに住んでるとかですか?」
「ううん、そういうわけじゃなくて…。ああ、百合は会ったことなかったっけ。
竹内さんっていうんだけど、同じバイト先の子でさ、学校も同じなんだけど、先週からバイトも学校も休んでるみたいで…。
昨日、虎丸と家行ったんだけど、留守だったんだ。」
「ふぅん。…でも、体調崩して休んでるだけなら、家にいるはずですよね?
もしかしたら、ひーくんが探してることに気付いて、彼方さんと何処かに逃げたとか?」
「わからない。たまたま留守だっただけかもしれないし…。」
日向は溜息を吐いた。
本当に留守だったのだろうか。
よく考えれば、自分が家を訪れても、京子が扉を開けるわけがない。
そこに彼方を隠しているなら、尚更だ。
「でも、その話聞いてると、なんだか駆け落ちしたみたいですね。」
「駆け落ち?」
「その人、彼方さんの恋人じゃないんですか?」
「…ああ、それはよくわからない。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないし…。」
「曖昧な言い方ですね。」
「だって、竹内さんは、彼方のことなんて知らないって言い張るんだ。
でも、俺、前に二人が一緒に歩いてるとこ見たし…、どうなんだろうな、って思って。」
「完全にクロじゃないですか。でも、どうしてその人は、知らないなんて嘘を吐いたんだろう。」
「多分、彼方がそう言うように、竹内さんに言ったんじゃないかな。俺に見つかりたくないから。」
「そうなのかなあ…。」
考えるように、百合は首を傾げて、うーんと唸る。
「本当に見つけてほしくないんですかね?」
「え?」
「だって、あの人は、ひーくんに異常なくらい執着してたじゃないですか。
もしかしたら、本当は帰ってきたいけど、合わせる顔がないだけかもしれませんよ。」
「うーん、そうかなあ…。」
「そうですよ、きっと。だから、元気出してください。」
そう言って、百合は微笑んだ。
成果がないことに落ち込んでいたのだけれど、百合の優しい笑顔を見て、わずかに心が綻んだ。
いつだってそうだ、百合は自分を元気づけてくれる。
しかし、百合はよく彼方を探すことを許してくれたものだ。
―あんなことがあった後なのに。
百合の心の傷は、完全に癒えたわけじゃないと思う。
それでも、百合は自分の家族を探すことを許してくれた。
しかし、彼方が帰ってきたとき、百合はどんな顔をするのだろう。
もし自分が百合の立場だったとしたら、複雑だと思う。
自分にとっては大切な家族。しかし、百合にしてみれば、忘れられない傷を植え付けられた張本人なのだから。
それでも、百合は「早く見つかるといいですね。」と、自分を応援してくれる。
本当にこの小さな彼女は強いと思う。
いつだって自分は、百合の優しさと強さに甘えていた。
その日の昼休み。
いつものように屋上に集まり、将悟や亮太と一緒に昼食を食べた。もちろん、百合も一緒だ。
別に約束をしているわけでもなく、こうやって四人自然に集まるのが日常だった。
少し前までは、この場所は自分と彼方だけの隠れ家だったのに。
自分の家庭事情、彼方がいなくなったことを、亮太は知らない。
だから日向は、皆の前では、なるべくいつも通りでいようと努めた。
しかし、聡い百合や将悟には、彼方の捜索が芳しくないことはバレていた。
百合は今朝のように毎日捜索の進捗状況を聞き、心配したり応援してくれるし、将悟も亮太がいない場所で自分を気にかけてくれる。
亮太だけを仲間はずれにしているわけではないが、この話は自分たちだけの小さな世界に留めておきたかった。
下手に話を大きくしたくない。それが、彼方のためでもあると思った。
十二月の屋上は、さすがに寒い。
すぐ傍の海から吹き付ける潮風が、今日は一層冷たく感じる。
雨が降っていないだけマシだが、空はどんよりとした鈍色の曇り空。
自分たち以外に、人影はなかった。
弁当を食べ終え、四人は談笑していた。
亮太が調子に乗り、将悟が呆れながらそれを咎め、百合が少しキツイ言葉で亮太をいじる。
自分はそれを聞いて、頷いたり、相槌を打ったりする。
すっかり、彼方のいない『いつも通り』の光景だった。
「ねえねえ、ひーくん。」
「ん?なに?」
百合は、傍らに置いていた紙袋から小さな包みを出して、自分に差し出した。
「いつもお弁当作ってもらってるから、お礼にクッキー焼いてきたんです。」
「クッキー?」
包みを開けると、可愛らしいウサギの形のクッキーが入っていた。
こんがり小麦色に焼けて、美味しそうだ。甘い香りが辺りに広がる。
「すごい。これ、百合が作ったの?」
「えへへ。早起きして頑張っちゃいました。」
はにかむように百合は微笑む。
「えー!?手作りクッキー!?いいないいなー!」
亮太は、大きな体を揺らして羨ましがる。
「もー。そう言うと思って、坂野先輩と中村先輩の分も用意してきましたよ。」
仕方ないなあ、と言うように、百合は肩を竦めた。
「マジで!?やったー!」
「俺らには気を遣わなくていいのに…。」
亮太は大袈裟に喜び、将悟は少し申し訳なさそうな顔を作る。
身長も、見た目も、中身も、対照的な二人だ。
「はい、こっちが坂野先輩の分で、こっちが中村先輩の分。」
そう言って、百合は紙袋の中から二つの包みを取り出した。
「サンキュー!百合ちゃん!!」
亮太は嬉しそうにその包みを受け取り、少し乱雑に開封した。
中から出てきたのは、真っ黒なクッキーだった。完全に焦げている。
「百合ちゃん…俺のこと嫌いだろ?」
「あら、そんなことありませんよ。ていうか、副産物をあげるだけ有難いって思ってください!」
「いや、これ副産物っていうか、明らかに…。」
失敗作だろ…そう言いたそうにしながら、亮太は真っ黒なクッキーを摘まんで肩を落とす。
将悟も、恐る恐る包みを開ける。中身は、少し茶色がかったクッキーだった。
ココアクッキーにも見えるが、おそらくは少し焼きすぎたのだろう。でも、食べられなくはなさそうだ。
「なんていうか…。すごく百合ちゃんっぽいな…。」
将悟はウサギの耳が折れたクッキーを摘まむ。
「どういう意味ですか?」
「いや、ブレないっていうか、なんっつーか…。」
「日向が一番って感じ?」
亮太が、横から口を挟む。
「ああ、そう、それ。」
将悟は、納得したように頷いた。
「あら、当たり前じゃないですか。ひーくんだけが私の特別ですもん!」
ねー、と同意を求めるように、百合は可愛らしく肩目を瞑ってウインクをした。
「ちょっと、百合、恥ずかいって…。」
「なんだよ照れんなよ!羨ましいぞ、おい!」
笑いながら、亮太が茶々を入れてきた。
将悟も、百合も、クスクスと笑っている。
いつも百合は、人前で平気で恥ずかしいことを言う。
まるで、自分の反応を楽しんでいるかのようだ。
特別、なんて言われるのは嬉しいけれど、なんだか照れくさい。
日向は、そんな気持ちを誤魔化すように頬を掻いた。
百合から貰ったクッキーを、指で摘まんでみる。
型抜きで綺麗に形成されたウサギの形。
百合は自分のことを猫だとか犬だとか言うが、百合はウサギみたいだと思った。
小さな体と、ウサギの耳のように長く靡く綺麗な髪。
元気に跳ねる姿や、ちょこんと自分に寄り添う姿は小動物のようだ。
クッキーから香る、バターと、バニラエッセンスの甘い匂い。
ふと、日向は気付いた。
昨日京子の家に行ったとき、バニラのような甘い香りがしたのだ。
そして、その香りを自分は嗅いだことがある。
そう、あれは確か、夏休みに帰ってきた彼方が漂わせていた香りだった。
―間違いない。昨日彼方は、あの場所にいたんだ。
「ひーくん?どうしたんですか。」
ふと顔を挙げれば、百合が不安そうに自分を見つめていた。
「いや、なんでもない。美味しそうだなあって思ってさ。」
慌てて日向は、取り繕って微笑みを作った。
疑惑が確信に変わっていく。
昨日は留守だったんじゃない。居留守だったんだ。
彼方は、自分に見つかることを恐れているのだ。
それでも、自分は彼方を探すことを諦める気はない。
必ず彼方を探し出して、そして、ちゃんと話をするんだ。
以前のように、仲のいい兄弟に戻るために―。
「あーあ。せっかく晴れてるのに。」
京子は、カーテンを摘まんで外を眺める。
午後になって、久しぶりに晴れ間が見えた。
洗濯物を干すのに、ちょうどいい天気だ。
しかし、それは許されないのだろう。
背後から彼方が近付いてきて、静かにカーテンを閉じた。
「お日様の下で洗濯物干したら、気持ちいいですよ?」
そう言っても、彼方は黙ったままだった。
ここのところ、洗濯物は全部部屋干しだ。
雨が続いていたと言うこともあるが、彼方がカーテンも窓も開けさせてはくれないのだ。
その彼方も、ベランダではなく、キッチンの換気扇の下で煙草を吸うようになった。
外に出ることもなければ、窓を開けることもない。
一日中、二人は暗い部屋の中で過ごしていた。
部屋の中は、少しカビ臭い。
毎日の部屋干しと、もうずっと換気をしていないせいもあるのだろう。
ずっとジメジメした部屋に篭っていると、キノコでも生えてきそうだ。
こっちまで気が滅入ってしまう。
「せっかく晴れてるんだから、どこか行きませんか?」
彼方は無言で首を振る。
そして、自分の腕を掴んで、ベッドへと引っ張った。
彼方はベッドの上で膝を抱え、まるで身を隠すように頭まですっぽりと布団を被る。
京子はベッドの淵に腰掛け、そんな彼方に寄り添った。
彼方の衝撃的な告白から一日。
テレビを見せようとしなかったり、携帯電話を触らせようとしなかったことにも納得がいく。
外に出ることを許さなかったり、遠くで救急車やサイレンが鳴り響くたびに、肩を震わせていたことにも。
自分は、犯罪者を匿っているんだ。
あの後、彼方は躊躇いながらも、全てを語ってくれた。
実の母親を、海に突き落として殺したということを―。
彼方が狼狽し、疲弊しているのは、罪悪感からだろう。
京子は、何と声を掛けたらいいか、わからなかった。
代わりに彼方の体を抱きしめ、その小さく震える体を包み込んだ。
「あ、そうだ。水族館行きません?彼方さん、イルカ好きでしょう?
それとも、思い切って遠出して、動物園行きますか?ずっと行きたがってたじゃないですか。
ああ、寒くなってきたから、温泉でもいいですよ。」
そうわざと明るく振る舞ってみても、彼方は何の反応もしない。
もう長い間、彼方の笑顔を見ていない気がする。
以前は、何が楽しいのか、常にニコニコと微笑みを浮かべていたのに。
彼方が喜びそうなことを言ってみても、笑顔を見せるどころか、暗く沈みこんだままだった。
私がこの人を守ってあげなくちゃ。救ってあげなくちゃ。
絶対にこの人を独りになんてしない。
そんな思いが、京子の中で渦巻いていた。
本当に、自分はどうしてしまったのだろう。
以前の自分なら、こんなめんどくさい男と一緒にいるなんて考えられない。
それでも、今は彼方から離れられなくなってしまった。
結局、自分は、彼方に絆され、彼方を愛しているのだ。
「ねえ、僕のこと捨ててもいいよ。」
ポツリと、彼方が小さく呟いた。
「馬鹿なこと言わないでください。」
「いいんだよ…。いらないって言ってよ…。そしたら、僕は一人で死ねるから…。」
人殺しを告白してからの彼方は、頻繁に「死にたい」、「死ぬ」という言葉を口にするようになった。
人を殺したという重圧に、耐えられなくなっているのだろう。
このままだと、この人は死んでしまいそうな気がしていた。
だからこそ、京子は彼方をほおってはおけなかった。
「そんなことばっかり言わないでくださいよ。
貴方のことを、独りにしないって言ったじゃないですか。」
そう言って、京子は布団越しに彼方を抱きしめる。
「大丈夫。私が傍にいるから。彼方さんのことを守るから。
死ぬとか、死にたいとか、そんな寂しいこと言わないでくださいよ。」
彼方は、抱えた膝に顔を押し付けて黙っている。
ほどなくして、また嗚咽が聞こえてきた。
傍にいよう。
傍にいて、この人を支えよう。
そう京子は、思っていた―。