「夜の太陽」

 「夜の太陽」



「とりあえず、さっきすまなかったな。あんまりにも彼方に似てるから、勘違いしちまって。」

「いえ、慣れているので…。」

十七時にバイトを終えた日向は、店内の奥の席で優樹と向き合っていた。
突然店に現れた優樹と名乗る人物は、自分が探していた京子の兄だと言う。
京子の兄と言うことは、彼方が働いていた店の店長。
今の自分よりも、彼方をよく知る人物のはずだ。

話によると、二人は連絡の取れない京子を心配し、会いに来たのだと言う。
しかし、何度インターフォンを鳴らしても京子が出なかったため、合鍵を使って中に入ったところ、京子と彼方が姿を消していた。
手掛かりを探すためにパソコンの履歴を見ると、温泉宿で埋め尽くされていて、二人は旅行に出かけていると推理したようだ。

誠は、自分がバイトをしている間に、いつの間にか姿を消していた。
誠がいてくれたら自分は話しやすいが、どうやら優樹が二人で話がしたいと言って追っ払ったらしい。
初対面の相手とふたりっきりだなんて、少しだけ気まずい。

相手は自分より十も歳の離れた大人の男だ。
しかも、ボーイズバーだとか言う得体のしれない店の店長。
正直言って、日向はひどく緊張していた。

「で、俺もお前に聞きたいことがあるけど、お前も俺に聞きたいことがあるんだろ?言ってみろよ。先に答えてやるよ。」

目の前の優樹は、人のよさそうな笑みを浮かべる。
言葉こそ少し乱暴だが、どうやら悪い人ではなさそうだ。

「えっと…彼方のことで…。」

そこまで言って、日向は悩んだ。
聞きたいことは山ほどあるはずなのに、何を優樹に聞けばいいのかわからない。
自分はどこから話せばいいのかわからないし、優樹はどこまで知っているのだろう。
逡巡していると、優樹は不思議そうに首を傾げた。

「なんだ、そんなに言い辛いような話か?」

「いや…そういうわけじゃないんですけど…。」

「おいおい、そんな困った顔するなよ。まるで俺が虐めてるみたいだろ?」

そう優樹はおかしそうに笑って、煙草に火を点けた。
火種の先から紫煙がモクモクと宙を舞う。
日向は無意識に自分の腕に残る火傷の痕を、服の上からそっと擦った。

紫煙はユラユラと揺らめきながら広がり、消えていく。
煙草特有の嫌な臭い。なんだか目が乾燥してシパシパする。
その煙を吸い込んで、日向はゲホゲホと咳き込んだ。

「あ、すまん。消すか?」

「いえ、大丈夫です。少し風邪気味なだけなんで…。」

そうは言ってみたが、空調の風で煙は全部日向の方へと向かう。
慣れない煙草の香りで、少し頭が痛くなってきた。
それに、百合の看病でなんとか熱は下がったが、まだ体はだるい。

優樹は迷った表情を見せた後、もう一口煙草を吸ってから灰皿で揉み消した。
どうやら、気を遣わせてしまったようだ。

「すみません…。」

「いや、いーよ。でも、お前は吸わねえんだな。」

「未成年なんで。」

そう言うと、優樹は意外そうな表情を見せた。

「へえ、真面目なんだな。彼方は吸うのに。」

「え?」

「ああ、お前は知らないのか。アイツが煙草吸い始めたの、夏くらいだったからな。」

「彼方、煙草吸うんですか。」

「ああ。酒も結構飲むぞ?俺より断然強いし、最近は日本酒にハマってるみたいだったな。」

「…そうなんですか。」

知らなかった。
そういえば、酒の匂いを漂わせて帰ってきたことが一度あったっけ。
自分の知らないところで、彼方はどんどん変わっていく。
優樹の話す彼方は、まるで自分の知らない人間のようだった。
日向は無意識にうつむき加減になる。

「そんなに落ち込むなよ。えーと、じゃあ、俺の方から質問していいか?」

「…どうぞ。」

「彼方、お前のところに帰ってきてないのか?」

日向は小さく頷く。

「今まで一度も?」

「一度だけ七月に。その後、自分がいないときに二回荷物を置きに来たみたいです。」

「そうか…。」

優樹は目を伏せて、何かを考えるような顔になった。

「アイツさ、自分には行くところも帰る家もないって俺に言ったんだよ。お前のところ、そんなに親と仲悪いのか?」

「仲が悪いっていうか…。父は、昔からいません。母も…ほとんど帰ってきません。実際、彼方と二人暮らしみたいなものです。」

「じゃあなんだ、彼方とお前が喧嘩したってことか?」

「喧嘩とか、そんなんじゃないんですけど…。」

そう言いかけて、日向は口を噤んだ。

ただの喧嘩ならよかった。
喧嘩なら、いつものようにすぐ仲直りできるはずだった。
これは、そんなに簡単な問題じゃない。

それでも自分は、彼方にもう一度帰ってきてほしかった。
だからこうして優樹と話しているわけだけれども、肝心なところで自分はまた言葉を紡げない。
どう言葉にするべきなのかもわからないし、考えたって声にならない。

でも、それじゃ駄目なんだ。
ちゃんと自分の気持ちを言葉にしないと、また彼方を失ってしまう。
日向は唇を噛んで、必死に言葉を探した。

「喧嘩じゃないんですけど…。たぶん、彼方は俺にもう会いたくないって思ってて…。
 でも俺は、彼方に帰ってきてほしくて…。それが彼方にとっていいことかはわからないけど…。
 言っても戻ってきてくれないかもしれないけど…。でも…やっぱり…。」

たどたどしく纏まりのない不器用な言葉。
こんな拙い言葉じゃ、彼方どころか優樹にさえ伝わらないかもしれない。
それでも、もう自分の思っていることや、感情を隠すのはやめたんだ。

わかりにくい自分の話を、優樹は頷きながら聞いてくれた。
そして、自分が喋り終えた後に、ふっと優しく微笑んだ。

「じゃあ、お前は、彼方に帰ってきてほしいんだな?」

「はい。勝手なこと言ってるのはわかってるんですけど…。」

「何言ってんだ。家族は一緒に暮らすのが一番だろ。彼方見つけたら伝えといてやるよ。だから、もうそんな不安そうな顔するな。」

そう言って、優樹は日向の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
まるで大型犬でも可愛がるかのように豪快に、少し乱暴に。

「ちょ、あの…痛いです。」

「ああ、すまん。」

優樹は手を離し、悪びれる様子もなく「つい、うっかり。」と言って笑った。
日向は乱れた髪を手櫛で直しつつ、呼吸を整える。
なんだか緊張して、どっと疲れた。

思えば、今まで自分の想いを人に伝えることなんてなかった。
彼方がいなくなるまでは、ずっと人との関わりを避けて生きてきたからだ。
自分はずっと何も言わずに、彼方の陰に隠れてばかり。
誰かと話すのは、いつも彼方の役割だった。

自分の意見を言うということは、こんなに緊張するものなのか。
こういうことを、彼方はずっとやってきたのか。
彼方は社交的で、明るく、人見知りもしない。
そんなところが、自分とは全然違っていて、純粋に凄いと思っていた。
憧れに似た感情があったのだと思う。

「あの、彼方がいなくなったのって、いつですか。」

「一週間くらい前だな。…ちょっと待ってくれよ。」

そう言って、優樹は携帯電話を取り出して確認する。

「先週の…木曜からだな。もう九日か。いなくなったっていっても、しばらく休みたいっていうメール寄越して帰ってきてないだけだ。
 部屋もそのままだったし、失踪したわけじゃないと思うんだが…。」

間違いない。母親が海で溺れて病院に運ばれた日だ。
いや、彼方が母親を海に落として殺そうとした日。
あれから彼方は、自分から、優樹から、そして世間から逃げ回っていると言うのか。

「竹内さん…いや、京子さんが彼方と一緒にいるっていう証拠はあるんですか?」

「京子のアパートに彼方の服とか携帯が置いてあったから、たぶん間違いないだろう。てかさ、あいつら、付き合ってたのか?」

優樹は、ズイっと身を乗り出す。

「いや…それはわからないですけど…。」

「本当か?京子とはバイト一緒だろ?なんかそれっぽいこと言ってなかったか?」

「いや…ホントに…その…。」

「アイツ、俺には何も言わないんだぜ?水臭いったらありゃしない。家族なんだから、一言くらい言ってくれてもいいのによ。なあ、そう思うだろ?」

「はあ…。」

日向は苦笑いになる。
どうやら優樹は、京子のことになると目の色が変わるらしい。
京子のことを心配する姿は、兄と言うより父親に近いようにも思えた。

「その旅行が終わったら、二人は帰ってきますかね…?」

「なんとも言えねえなあ。でも、今は信じて待つしかねえだろ。」

京子のことが何かわかれば優樹へ、彼方の手掛かりが掴めたら自分へ連絡を、と約束して、結局、その日は優樹と連絡先を交換することにした。
日向はポケットから携帯電話を取り出し、慣れない操作で赤外線通信の画面を開こうとするが、なかなかうまくいかない。
自分のアドレス帳には、学校のごく一部の親しい友人と、バイト先の連絡先しか入っていないのだ。
操作が不慣れなのも当然だ。登録された連絡先は、両手で数えられるくらいしかないなのだから。

「あれ?おい、それ…。」

突然、優樹は驚いたように声を上げた。

「え?」

日向は、意味がわからずに首を傾げる。
優樹は日向が手に持った携帯電話を指さした。

「それ。ケータイ。彼方に貰ったのか?」

「あ、もしかして、これ…優樹さんが?」

「ああ。俺が彼方に与えたものだ。彼方が二つほしいって言ったのは、こういうことだったのか。どおりで赤い方しか使ってるところ見ないわけだ。」

優樹は納得したように頷く。
自分が手に持った白いスマートフォン。
いつだったか、彼方が自分に与えたものだ。

「あの…返した方がいいですか…?」

「いや、いい。料金は彼方がちゃんと払ってるみたいだし、お前も携帯ないと大変だろ。
 それに、携帯持っててくれないと、京子が帰ってきたときに俺に連絡できないだろ?」

優樹の好意で、携帯はそのまま持っていてもいいということになった。
それからお互いの連絡先を交換して、この日はお開きになった。

「日向!」

店の外に出て、帰ろうとすると優樹に呼び止められた。
名前を呼ばれたことに驚いて、日向は振り返る。

「なんかあったら、俺を頼ってくれよ。彼方のにーちゃんってことは、お前も俺の息子同然だからな。」

そう言って、優樹は誇らしげに胸を張った。

「息子…?」

「ああ。俺は『みんなのおとーさん』だからな。お前も家族みたいなもんだ。」

「はあ…。」

全然話は掴めないが、日向はとりあえず頷いておくことにした。

息子、お父さん、家族。
優樹は『家族』という言葉をよく口にする。
どうして家族に執着するのだろう。
京子に対する心配の仕方も、兄のそれとは少し違う気がする。

「あ、そうだ。」

思い出したように、優樹は口を開く。

「彼方はお前のこと、嫌いになったわけじゃないと思うぞ。」

「どうして…そう思うんですか。」

「だってアイツ…いつだったかな。酔って寝てる時に、お前の名前呟いてたんだぜ?
 あの時は、てっきり女の名前かと思ったんだけどなー。まさか双子の兄ちゃんとは。」

そう言って、優樹は可笑しそうに笑う。

そんなことがあったのか。
彼方は一体、どんな夢を見たのだろう。
夢の中の自分は、彼方にどんな言葉をかけたのだろう。
その時の彼方は、どんな顔をしていたのだろう。

「寝言にまで出てくるくらいだ。だから、そんな暗い顔すんなよ。絶対大丈夫だから。」

優樹は日向の背中をバシバシと叩く。
元気づけているつもりだろうが、あまりの力の強さに日向はよろけてフラついた。

「ああ、すまん。しっかし、彼方もお前もヒョロいなー。」

「これくらいが普通ですよ…。」

「そうか?ちょっとガリガリすぎねえか?もっと食って、筋肉付けねーとだめだろ?男の子なんだから。」

優樹も自分と大して変わらない体格をしていると思ったが、日向は口には出さなかった。

しかし、優樹がこんなにも明るく優しい人だとは思わなかった。
夜の仕事をしていると言っていたから、怖い人かと思ったが、そうではないみたいだ。
水商売というものの偏見を改めないと、と日向は思った。

気遣いで、世話焼きで、少し言葉は乱暴だがお節介な優樹。
この人の元にいた彼方は、幸せだったのだろうか。
自分の元にいた時よりも、自由に生きていられたのだろうか。

そう思うと、胸がチクリ痛んだ。

麻丸。
この作品の作者

麻丸。

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141580761930680","category":["cat0002","cat0004","cat0008"],"title":"\u300c\u30c0\u30ea\u30a2\u306e\u5e78\u798f\u300d","copy":"\u89aa\u304b\u3089\u66b4\u529b\u3092\u53d7\u3051\u308b\u53cc\u5b50\u306e\u65e5\u5411\u3068\u5f7c\u65b9\u3002\n\u305d\u3057\u3066\u305d\u306e\u5468\u308a\u306e\u4eba\u9593\u95a2\u4fc2\u3092\u5fc3\u6e29\u304b\u304f\u304a\u898b\u5b88\u308a\u304f\u3060\u3055\u3044\u3002\n\u72ed\u3044\u4e16\u754c\u306b\u751f\u304d\u308b\u5c11\u5e74\u305f\u3061\u306e\u6210\u9577\u3092\u63cf\u304f\u9752\u6625\u5c0f\u8aac\u3067\u3059\u3002","color":"tomato"}