「エピローグ ①」


 「エピローグ ①」



懐かしい匂いに、皺ひとつない綺麗なYシャツ。
久し振りに制服に袖を通すと、なんだか不思議な気分になった。

「ねえ、変じゃないかな?」

「ん、似合ってるよ。」

「なんか…ちょっと恥ずかしいな。」

「何言ってるんだよ。半年前まで毎日着てただろ?」

「そうだけどさあ…。」

そう言いながら、彼方は鏡の前でくるりと一周回ってみる。
以前より袖が短くなった気がする。肩のあたりも少し窮屈だ。
腰回りはそんなに変わっていないように思うが、裾もやっぱり少し短かった。

制服って、こんなに小さかったっけ。
そう思いながら、再び鏡に視線を戻す。
着慣れたスーツ姿とは違い、鏡に映る自分は少し幼く見えた。

「背、やっぱり伸びてる。」

「え、そう?」

「うん。ほら。」

そう言って、日向は鏡の前へとやってきて、猫背の背中をピンと伸ばす。
彼方も同じように姿勢を正して日向の隣に並ぶと、目線の高さの違いに驚いた。

「ホントだ…。自分じゃ全然気付かなかったよ。日向が縮んだんじゃない?」

冗談っぽく言うと、日向は少しだけムッとした表情を作った。

「そんなわけないだろ。彼方が伸びたんだよ。」

「えー、なんか実感ないなあ。前は同じくらいだったのにね。」

「俺だってすぐ追いつくよ。彼方が伸びたなら、俺だって伸びるはずだし。」

「双子だから?」

「双子だから。」

そう言って、二人で笑い合う。
なんてことはない日常の朝の風景。
昨日の気恥ずかしさや照れはすっかりなくなり、たった一晩で以前の二人の関係を取り戻し

ていた。
言葉を介さなくてもわかりあえる。
こういうところは長年一緒に過ごしてきた双子だなあ、と彼方は思った。

「それより、そろそろ行かなくていいのか?竹内さんの家に寄ってから学校行くんだろ?」

時計に目を向けると、八時前になっていた。

「うん。あ、もうこんな時間だ!急がなきゃ。
 僕、京子ちゃんの家に財布も携帯も置きっぱなしなんだよ。」

「遅刻するなよ。サボるのも禁止だからな。
 あ、弁当!せっかく作ったんだから、忘れるなよ。」

そう保護者のようなことを言いながら、日向は慌ただしくキッチンへと消えていく。
そして戻ってきた日向は、手作りの弁当を彼方に差し出した。

「ありがとう。嬉しいなあ、久々の日向のお弁当だ。」

そう言うと、日向は少し照れくさそうに頬を掻いた。
日向がほとんど眠らずに弁当の支度をしていたのを知っている。
その中身が、自分の好物だらけだということも。
そんな日向の優しさに、心が暖かくなったような気がした。

「日向もそろそろ出ないといけない時間じゃないの?
 あの子を迎えに行ってから学校行くんでしょ?」

「俺は布団干してから出るよ。今日は天気もいいし、夜にはふかふかになってると思うし。



「布団?」

「埃っぽい布団は嫌だろ?」

「ああ、僕のか。」

「お前なあ…。自分で言っておいて…。」

「いやだなあ。ちゃんと覚えてるよ。」

昨日の夜、いや今日の早朝。日向と離れずに決別することを決めた。
日向の傍にいながら、少しずつ日向離れするのだ。
一緒にいながら、二人はこれから別々の道を進むのだ。
お互いに大人になるための準備期間。

手始めに、今日の夜からは同じベッドで眠ることを止める。

「なあ、彼方。お前がいいなら、俺…まだ同じベッドでも…。」

「だーめ。そんなこと言ってたら、いつまでだっても自立できないでしょ。」

「…そうか。」

諭すように言うと、日向は明らかに残念そうに肩を落とした。
しぶしぶではあるが、日向も納得しているのだろう。
それでも、多少の不安と寂しさは自分にもわかる。

「まあでも、僕寝相悪いからさ、いつの間にか日向のベッド入っちゃうかもね。
 蹴落とすのだけはやめてよ?落ちたら痛いから。」

「しないよ、そんなこと。お前じゃあるまいし。
 ていうか、いくら寝相悪くてもベッド入ってくるなんてないだろ。」

「わかんないよ?いつもの癖で…ってこともあるかもしれないし。
 その時は、狭いかもしれないけど我慢してね。」

そんな話をしていると、いつの間にか遅刻ギリギリになっていた。
急いで京子のアパートへと向かい、インターフォンを押すとすぐに扉が開いた。

「彼方さん…。」

扉を開けた京子は、昨夜と同じパジャマ姿のままだった。
全く眠っていないのか、目の下には薄らを隈ができている。

「京子ちゃん、迎えに来たよ。一緒に学校行こう。」

そう言うと、珍しく京子が飛びつくように抱き付いてきた。
彼方は勢いで少し後ずさる。
それでもしっかり京子を受け止めて、背中に両手を回した。

「全く貴方は…心配ばっかりかけて…。」

「…ごめんね。もう大丈夫だから。」

京子は顔を上げ、甘えるように上目で見つめてきた。

「ねえ、学校なんてサボっちゃいましょうよ。」

「ダメだよ。今日からちゃんと学校行く、って日向と約束したんだ。」

「…やっぱり、私より日向さんですか。」

京子は少し不満そうな顔になり、拗ねるように唇を尖らせる。
珍しく嫉妬している姿は普段の京子とは違い、とても可愛らしく見えた。
彼方は京子をギュッと抱きしめ、耳元で優しく囁く。

「何言ってるの。日向のことは大好きだけど、愛してるのは京子ちゃんだけだよ。
 そんな可愛い顔して拗ねないの。ね?機嫌直してよ。」

そう言うと、京子の耳が真っ赤に染まったのがわかった。

「ば、バッカじゃないんですか!
 こういう時だけ『好き』だとか『愛してる』とか…!
 …もー馬鹿!馬鹿!ホントに馬鹿!」

京子は真っ赤な顔を上げて悪態を吐く。いつもの照れ隠しだ。
そんな京子がなんだかおかしくなって、彼方はくすくすと笑ってしまう。
すると、また京子は怒ったような拗ねたような顔をするのだ。
そして、フン、と拗ねるように自分の腕からするりと抜けて、そのまま部屋の方へ歩き出し

てしまった。

「京子ちゃん、学校はー?」

「今支度します!」






教室の扉に手を掛けて、彼方は一つ大きな深呼吸をした。

日向は先に到着しているだろうか。
五か月ぶりの教室。もう自分のことなんて、誰も覚えていないんじゃないかという不安を覚

える。
今更教室に現れて、白い目で見られるんじゃないか、とさえも。

緊張する。なんだか心臓がドキドキして嫌な感じだ。
この感覚は嫌でもわかってる。過呼吸の発作が出る前と同じだ。
頓服薬でも飲んでおけばよかった。
呼吸も荒くなってきている気がする。
やっぱりもう帰りたいな。

そう思っていると、ふいに後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、そこには日向が立っていた。

「遅刻はしなかったみたいだな。」

「日向…。」

「どうした?そんなんところで突っ立って。教室入らないのか?」

「だって…なんか入り辛くて…。」

「大丈夫。みんなお前を待ってるよ。」

そう言って、日向は微笑み、扉に手を掛けた。
ああ、まだ心の準備ができていないのに。
自分が重くて開けられなかった扉を、日向は軽々と開く。
懐かしい景色が飛び込んでくるのと同時に、彼方はなんだか眩しいような気がして、無意識に目を細めた。

扉が開くと、雑談をしていた生徒たちが一瞬静かになった。
皆の視線が自分に集まる。
その視線が怖くて、彼方は俯いた。
今更クラスメイトに合わせる顔なんてない。
逃げ出してしまおうか。そう思った時、一気に教室内が騒がしくなった。

「あれ、彼方君?」

「ホントだ、彼方だ!」

息が詰まるような沈黙はたったの一瞬で、一斉にクラスメイト達が自分に駆け寄ってきた。

「彼方君、おかえり!」

「おかえり!みんな心配してたんだぞ。」

「久し振りだね~。もう体は良くなった?」

笑顔で群がるクラスメイト。
自分が思っていた反応とは真逆の反応で、彼方は戸惑いを隠せなかった。

「え?えっと…おかえりって…そんな…。」

わけもわからず日向の方を見ると、日向は一つ瞬きをした。
「大丈夫、上手く言っておいたから。」そう目で訴えている気がした。
日向の優しさと、クラスメイトの温もりに涙が出そうになった。
それをギリギリで堪えて、彼方は精一杯の笑顔を作った。

「みんな、ただいま。」

麻丸。
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麻丸。

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