「広がる空」

 「広がる空。」


久しぶりの学校。
周りの生徒はすっかり衣替えをして、
学ランを脱いで半袖シャツに変わっていた。
日向はいつも通り長袖に学ランのままだった。

一人で学校に来るのは、初めてかもしれない。
いつも彼方と一緒だったせいか、どうしようもない孤独感に苛まれた。

家から学校まで数十分の距離。
彼方から逃げるように飛び出した家は、何故かとても遠くに感じた。
灼けるような夏の太陽に日向は目を細める。





どうしていつもうまくいかないんだろう。

傷付けるつもりなんて、なかったのに。
戸惑わせるつもりなんて、なかったのに。
困らせるつもりなんて、なかったのに。

どうしてどうして
うまくいかないのだろう。

―この口は、誰かをひどく傷つけるから。

言葉を閉ざして、ただ黙って従えばいいのか。
それで誰が救われるというのか。
自分も彼方も、それじゃ救われない。
いや、救えない。

疑問から出た不安は重くのしかかる。

それを口に出さずにはいられなかった。
でも、口に出すべきではなかった。


―いつまでも好きでいてくれる保障なんてねーだろ!?

まるで痴話喧嘩だな、と日向は思う。
そんなことを言うつもりなんて、なかったのに。

必死で彼方に縋りついている自分が、ひどく滑稽に思えた。





教室の扉を開ける。
彼方がいないせいか、いつもの教室とは別世界のように見えた。

朝から楽しそうに友人と談笑する人間。
もうすぐ始まるテストに向けて勉強をする人間。
眠そうに机に伏せっている人間。

いつも通りのはずなのに、何故だかとても殺風景に見える。
振り返ってみても、彼方はいない。

少し心細い足取りで自分の席に向かう。
ふと、教科書とにらめっこをしている亮太と目が合った。

「…日向!おはよ!」

いつも通りの明るい太陽のような笑顔。
まるで人懐っこい犬のような、亮太の笑顔。

「…おはよう。」

「あれ?彼方は?」

日向が少し戸惑いながら挨拶を返すと、亮太は教室中を見渡して
いつも日向と一緒にいるはずの彼方が、いないことに気付く。

「…家にいる。」

「この前のこと気にして…。」

そう言いかけた亮太はハッとして、
大げさに両手を左右に降り、誤魔化すように笑った。

「いや!なんでもない!
 それよりもう夏だぞ?学ラン暑くねー?」

「別に。暑くない。」

「ええー!嘘だろー!?俺なんてこんなに汗だくなのに!ほら!ほら!!」

亮太は額から脇から首筋から、汗が滴っていた。

暑くないというのは、嘘だ。
しかし日向は体の痣を、傷を、見られるわけにはいかない。
長袖シャツだけだと、汗で透ける可能性があるため
夏でも基本的に学ランを羽織る。
日向は気軽に肌を見せられる人間を、少し羨ましいと思う。

これでもかというくらい、亮太はふざけながら汗で湿ったシャツを見せてくる。
その席の隣では将悟が黙ってイヤホンで音楽を聴いている。
日向は騒がしい亮太を適当にあしらう。


何事もなかったように話しかけてくれる亮太に、日向は少し救われた。



いつも通りの日常。
いつも通りの風景。

ただひとつ違うのは、彼方がそこにいない。





授業中も夏の暑さと戦いながら、日向は彼方のことを考えていた。



そして昼休み。

「なあなあ!久しぶりに一緒に飯くおーぜ!」

亮太がいつも通りの大型犬のような懐っこさで、日向を誘う。

「いいけど…俺、購買でパン買ってくる。」

「日向が購買行くとか珍しいなー!俺もいくー!」

購買を利用するのも初めてかもしれない。
日向は逃げるように家を出てきてしまったため、
弁当を持ってきてなかった。
いつもは彼方とお揃いの弁当なのに。



いつも通りの屋上の片隅での昼食。
隣を見れば、いるのは彼方ではなく、亮太だった。

彼方がいないだけなのに、ただ、それだけなのに、
いつも通りのはずなのに、なにもかもがいつもと違った。

無意識に、絆創膏で隠した首の傷に、触れてみる。
触れたところで、どうにもならないのだけれど。



「…やっぱ彼方となんかあったんだろ?」

「え…?」

上の空の様子の日向に気付いて、亮太が声をかける。
しかし、亮太は少し考えるように視線をそらして、いつもの笑顔を作る。

「言いたくないなら、言わなくていいけどな。」

亮太はこの間、図書室で日向と揉めたことを、気にしているのだろう。
それ以上は何も言ってこない。
ただ何か言いたそうに、まじまじと日向を見つめていた。

きっと亮太も心配してくれているのだろう。

亮太になら、言ってもいいだろうか。
相談しても引かれないだろうか。
まだ絡まったままの思考をゆっくり解いて、日向は静かに話し出す。

「昨日、中村に言われたことを彼方に話した。」

「…。…そ、それで?」

亮太は驚いたような顔で、口をポカンと開けていた。
日向があまり自分のことを話そうとしないから、意外だったのだろう。

「彼方は俺たちのこと、おかしくないって。普通だって言ってた。」

日向は目を伏せ、たどたどしく、拙い言葉を繋ぐ。

「俺は…彼方とずっと一緒だったから、今までも、これからも、
 一緒にいることがおかしいなんて、 思ったこともなかった。」

亮太はただ黙って頷きながら、日向の話に耳を傾ける。

「でも…中村に言われて、わからなくなった。
 普通じゃない。おかしいって。そんなこと言われても…。
 彼方と離れるなんて、考えたこともなかった…。」

いつもより饒舌に、しかし、ぎこちなく、話す日向。
ペットボトルのお茶を握る手に、少し力が入っているようだった。

「今日だって、彼方がいないだけで、なんか俺…変なんだ。
 いないのはわかってるのに、隣見たり、振り返ってみたり、
 さっきだって購買でパン買う時も、メロンパン見て彼方を思い出したり…。」

おぼつかない言葉を吐き出して、
日向はゆっくりと息を大きく吐き、亮太に向き直る。

「なあ、お前は俺たちのこと、…どう思う?」

「どう…って…。」

日向は少し不安そうな瞳で、亮太を見つめた。
突然のことに、言葉が出てこない亮太は、少し考えた後、口を開いた。

「…双子って言ってもさ、同い年なだけで、ただの兄弟だろ?
 幼稚園とか小学校、中学校、高校なんて一緒になるのは当たり前じゃん?
 学校でも一緒だし、家帰っても一緒だし、自然と仲良くなるのはわかるんだ。
 彼方も日向といる時はいつもより柔らかく笑うし、
 日向も…気付いてないかもしれないけど、彼方と話す時だけは声が優しい。
 そうやってお互いに、その関係に満足しているなら、俺は別にいいと思う。」

予想外の言葉に、日向は少し安堵した。
亮太も、二人の関係を否定するような気がしていたから。
空を仰いで、亮太は続ける。

「でもさ、俺も…昨日、将悟に言われて将来のこと考えてみた。
 きっと…夏の大会が終わって、部活引退して、ない頭で必死で勉強すんの。
 で、とりあえず地元の大学行って、友達も今よりずっと増えて、やりたいこと探して、
 バイトして車の免許とか取っちゃったりして、それで同じ大学のやつらと旅行したりしてさ。
 そのころには彼女もできちゃったりして、必死で勉強して、就活して。
 就職したら、忙しくてなかなか彼女にも会えないようになっちゃって、
 寂しくなってみたり、彼女と喧嘩したり、仲直りして、それで結婚してさ。
 子供は三人くらいがいいかなあ。二人男で一人が女の子。
 男は俺に似て騒がしくてちょっとおバカでさ、女の子は可愛くて仕方がないと思うわけ。
 そこまで裕福じゃなくてもいいから、美人じゃなくても優しい嫁と、可愛い子供に囲まれて過ごす。
 そんなありきたりな未来がいいな、なんて思ったんだ。」

日向の方を見て、いつもの豪快な笑みを見せる亮太。
亮太の語る将来は、とてもありふれたもので、とても特別なものなんかじゃない。
でも何故か、日向は羨ましく感じた。

「…そういう未来をさ、日向も考えられるか?」

亮太は少し言い辛そうに、目を背けた。

亮太もしっかり考えている。
じゃあ自分は?
自分の描いていた未来は、彼方と一緒にいること。
ただ、それだけだった。
大学だとか、就職だとか、結婚だとか、子供だとか。
全部、全部、考えていなかった。
いや、考えられなかった。

「俺は…。」

口ごもる日向。

「ま、今すぐ決めるもんじゃないよな。ゆっくり考えればいいさ。」

亮太はまたくるりと表情を変え、いつもの明るい顔になる。
本当にコロコロと顔が忙しい男だ。

日向はどうすることが正解なのかは、わかっていた。
しかし、それを行動に移すなんて、したくはなかった。
考えるように伏し目がちになる。

そんな日向を見て亮太は少し悩んで、そして決意したように口を開く。

「また余計なこと聞いて怒らせたらごめん。
 …でも、一つだけ…聞いていいか?」

相当図書室でのことを引きずっているのだろう。
遠慮がちに亮太が日向に問う。

「…何だ?」

「それ、そういう意味でつけられたのか?」

亮太は日向の首元の絆創膏を指さす。

「…わからない。最近…彼方の考えていることが、わからなくなった。
 昔は何も言わなくても、なんとなく…わかってたのに。」

首元の絆創膏を手の平で覆い、絞り出すように話す日向。
そんな日向を見て、亮太は小さくため息を吐き、立ち上がる。
言い辛いのか、日向に背を向け、語りだす。

「お前らさー、お互いがお互いに大事なんだなーって凄い見ててわかんの。
 でもそれは…恋とか愛とかじゃなくて、ただの依存なんじゃねーの?
 一緒にいすぎて、それがごっちゃになってるだけなんじゃないか?
 今はそのままでもいいかもしれないけど、
 いつかどっちかに彼女ができた時に、傷つくことになる。」

痛いほどの正論が、また日向に刺さる。
なんとなく、わかってたつもりだった。
気付かないフリをしていた。

口を閉ざした日向に、クルリと亮太が振り返った。

「…将悟はそういうことを言いたかったんだよ。
 あいつ…見た目は怖そうだし、口は悪いけど、いい奴なんだ。
 二人のことも心配してる。悪く思わないでやってくれな。」

振り向いた亮太は、少し困ったような笑顔だった。

こんなにも亮太は自分のことを心配してくれている。
あまりいい印象のなかった将悟も、心配…しているのだろうか。
その優しさが、嬉しいと感じる。
反面、何も自分で決められない自分の情けなさに、悔しくもなった。

「俺はお前らの友達だから、否定もしないし、なんでも相談乗るぞ!
 言いたくないことなら、言わなくてもいいけど、
 言って楽になることだってあるし。
 …だから、あんまり一人で悩むなよ。」

夏の太陽に負けないくらいの、眩しい亮太の笑顔。
日向は、こんな世界知らなかった。
いつも通りの、二人だけで完結していた世界とは、違う。




自分に向けられる、眩しいほどの笑顔や、暖かい手に、
日向はほんの少しだけ、救われた。

麻丸。
この作品の作者

麻丸。

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141580761930680","category":["cat0002","cat0004","cat0008"],"title":"\u300c\u30c0\u30ea\u30a2\u306e\u5e78\u798f\u300d","copy":"\u89aa\u304b\u3089\u66b4\u529b\u3092\u53d7\u3051\u308b\u53cc\u5b50\u306e\u65e5\u5411\u3068\u5f7c\u65b9\u3002\n\u305d\u3057\u3066\u305d\u306e\u5468\u308a\u306e\u4eba\u9593\u95a2\u4fc2\u3092\u5fc3\u6e29\u304b\u304f\u304a\u898b\u5b88\u308a\u304f\u3060\u3055\u3044\u3002\n\u72ed\u3044\u4e16\u754c\u306b\u751f\u304d\u308b\u5c11\u5e74\u305f\u3061\u306e\u6210\u9577\u3092\u63cf\u304f\u9752\u6625\u5c0f\u8aac\u3067\u3059\u3002","color":"tomato"}