「恋心のパラドックス」

 「恋心のパラドックス」

月曜日の朝は早起きだ。
部活の朝練があるわけでもない。
委員長の仕事があるわけでもない。
しかし、毎週月曜日の朝に会う約束をしている子がいる。

5月のキラキラ輝く太陽に目を薄め、眠たい目を擦り、亮太は学校へ向かった。

朝の図書室は人が少ない。
朝から図書室に行く人間など、よっぽどの物好きくらいだ。
だからこそ、ちょっとした特別感を味わえる。

静かな廊下を抜け、図書室の扉を開けるとそこには一人の少女がいた。

「百合ちゃんおはよ!待った?」

図書室の中央で静かに本を読んでいた少女が顔を上げる。
立ち上がり亮太に軽く会釈をした。

「あ、坂野先輩。おはようございます。今来たところです。」

彼女は新田百合。
毎週金曜日に図書室に通う1年生。
凛とした声と幼い顔つきが印象的な文学少女だ。

何故亮太が彼女と毎週月曜日に約束しているのかというと、
二人は付き合っているわけではない。
特別親しかったわけでもない。

「で?どうだった?先週は日向と喋れた?」

亮太は慣れた様子で机に鞄を置き、椅子に腰かける。
それにつられて百合も向かいに座る。

「全然です。話しかけようとしても、日向先輩なんだか遠くを見ているような気がして…。」

百合は首を左右に振り、ため息交じりに手ごたえがないことを伝える。

「え?アイツいつも本読んでるだろ。」
「違います!…んーと、そうなんですけど…なんていうか…うーん…。」

どうやら言葉が思いつかないようだ。
百合はあーでもないこーでもないと身振り手振りを添えて口ごもる。

「日向先輩と同じ本を読んだら何か日向先輩のこと知れるかな、って思ったんですけど…。」

机の上には日向が先週読んでいた本が置かれていた。
百合は顎に手を添え、考えるようなしぐさを見せる。

「なんか、日向先輩の読んでいる本って、暗いお話が多いんですよね。
 バッドエンドも多いし。主人公が報われない話が多いんです。
 誰にも救いがない物語ばかりというか…。」

「まーアイツはクールだからなー。」

-難しい話はわからん-
というように亮太は空返事をする。

「もーっ!坂野先輩!日向先輩の好みの女性のタイプとか聞けました?」

百合は亮太がちゃんと話を聞いていないことに頬を膨らませ、
拗ねたように軽く机をトントンと叩き亮太を責めたてる。
こういう仕草をすると、本当に子供のようだ。

「いやー、無理無理!アイツ何聞いても何言っても
 -興味ない-とか-俺には彼方が-とか言うんだもん!お手上げ!」

亮太はありったけの難しい顔をして、文字通りお手上げのポーズをする。

「彼方…?」
「あーアイツ双子なんだよ。双子の弟の方が彼方。
 どうやらアイツらはブラコン気質があるな!うん。」

一人で腕を組み納得したような仕草をする亮太。
百合は日向が双子だということを知らなかったらしい。

「弟さんの方も日向先輩みたいな感じなんですか?」

「いや、全然。どっちかっていうと真逆!
 日向は無口で不愛想だけど意外と優しくて、彼方の世話ばっかり焼いてる。
 彼方は社交的で明るい。ああ、動物も好きだな。飼育委員だし。」

身長は彼方の方が少しだけ高いしー、声は日向の方が低いな。
と、亮太は思いつく限りの二人の特徴を挙げる。

「なんだか不思議な感じですね。
 双子って見た目も性格もそっくりになるものだと思ってました。」
「それはクローンとかドッペルゲンガーだろ。
 アイツらは双子でも、ちゃんとした別々の人間だよ。」

亮太は呆れたように続ける。

「双子って二人で一つ、なんてことはなくて、
 普通の兄弟と何も変わらなくて、 ちゃんと個々に意思も持ってるし、
 好みや性格だって違って当たり前だ。
 でも周囲は双子というだけでセットで認識するから、
 俺らにはわからないけど、アイツらにしかない葛藤もあるじゃないか。」

「なんか…坂野先輩にしては珍しく知的ですね。」

頬杖を突き、ドヤ顔で語る亮太。
意外そうに口を開ける百合。

「ま、昔漫画で読んだ知識だけどな!」

「漫画ですか…。」

「俺は難しい小説とか読めないからな!眠くなるし!ワハハッ!」

豪快に笑う亮太を見て、百合は小さなため息をつく。

「なんか坂野先輩に相談しても無意味な気がしてきた…。」

「えー?そんなことなんだろー。でもさ、もう勇気だして直接日向に
 -好きです!友達から始めてください-
 って言っちゃったら?案外いけるかもよ?」
「そ、そんな勇気ないから、
 坂野先輩に間を取り持ってもらおうとしてるんじゃないですかー!」

百合は赤くなる顔を手で覆い、恥ずかしそうに俯く。
そう、百合は日向に恋をしているらしい。

「っていうか!坂野先輩、日向先輩の連絡先知らないって本当に友達なんですか!?」

「いや、アイツ、携帯自体持ってないんだって。
 必要ない、とか言っちゃって自宅の電話しか知らねーもん。」



毎週月曜日の早朝、百合の恋愛相談を聞くのが亮太の日課になっていた。
始まりは気まぐれで、なんとなく-面白そう-と思ったからだ。
毎週金曜日の放課後、日向に熱い視線を送る百合に気づき、
次の日に廊下で声をかけたのだ。
最初は百合も警戒したものの、亮太の犬のような懐き方で、
今ではこうして他愛のない話や相談にならない相談をする関係になった。

「とりあえず私は毎週図書室に通って、
 日向先輩に名前と顔を覚えてもらうところからなんです!」

毎週金曜日の図書室。
日向と沈黙を共有する時間。
それが百合の一番の楽しみだった。






そして金曜日の放課後。

いつものように、日向は本を読みながら図書委員の作業をする。
いつものように、亮太がバスケ部のユニフォーム姿で文字通り邪魔をしに来る。
いつものように、百合は日向が読んでいる本を遠目からチェックする。

それは驚くぐらい代わり映えのない日常だった。

下校時刻の鐘がなる。
それを合図に図書室に残っている生徒は帰り支度を始める。
日向も読んでいた本を閉じて、荷物をまとめる。

「あの、貸し出しお願いします。」

その声に日向が顔を上げる。
いつもの少女だ。
黒髪にあどけない顔。凛とした声に小さな体。
この少女はいつも日向が先週読んでいた本を借りていく。
毎週毎週本を借りていく生徒も少ないため、
日向はこの少女の名前を、もう聞かなくとも覚えていた。

「ああ…。1年3組の新田だな。」

貸し出しノートに記入する。

「はいっ。」

その少女は、いつもより柔らかく、可憐に微笑んだ気がした。






下校時刻を告げる鐘が鳴る。
彼方は飼育小屋の中でしゃがみこみ、兎を撫でながらため息をつく。

-日向、遅いなあ-

日向と彼方はいつも一緒。どんな時でも傍にいた。
だからこそ、今隣に日向がいないのが、心細い。
会えない時間が、とても長く感じる。

「あの…高橋先輩っ!」

見覚えがある少女が、飼育小屋の外から彼方を呼んだ。
彼女は同じ飼育委員の2年生。
何度か委員会の会議で顔を見たことがある。

「ああ…どうしたの…?」

彼方は軽く微笑むと、兎から手を離し、飼育小屋の外に出る。

「ちょっと…高橋先輩にお話が、あって…。」

そう口ごもり、少女は辺りを見渡す。
下校時間も過ぎたのだから、辺りには誰もいない。

「うん。何かな?」
「えっと…その…」

少女は俯き、彼方の顔を見ようとしない。
というより見れないのだろう。
長い沈黙の後、少女は自分のスカートの裾をギュッと掴み、
消え入りそうな声を絞り出す。

「私…高橋先輩のことが…好きです!私と付き合ってくだ」
「ごめん。」

少女が言い終える前にピシャリと冷たく突き放すような声で言う。
少女は何が起きたかわからないような、泣きそうな、そんな複雑な顔をした。
彼方は軽く息を吐き、今度は優しい言葉で続ける。

「気持ちは嬉しいけど、君とは付き合えない。
 本当にごめんね?」

困ったように微笑む彼方に、
少女は涙を堪えるような瞳で、静かに言葉を紡ぐ。

「他に…好きな人がいるんですか…?」
「うん。」
「誰…ですか…?」

徐々に少女の瞳に涙が溢れてくる。
ここで優しくして変な期待を持たせてはいけない。

「んー内緒。」

彼方は人差し指を自分の唇に添え、意地悪そうな顔で微笑んだ。
少女は「ごめんなさい。」と小声で呟いて、
涙で溢れる瞳で両手で覆い、グラウンドの方へと駆けて行ってしまった。

その姿を見送ると、彼方は大きなため息をつき、その場にしゃがみ込む。

-ああ、面倒だな-

「相変わらずモテるな。」

その声に振り返ると、日向が校舎の陰から姿を現した。
彼方は嬉しそうに立ち上がる。

「見てたの?」
「ああ。出ていきづらい雰囲気だったからな。」

呆れる日向をよそに、彼方はウサギ小屋の鍵を閉める。

「全然いいのにー。」
「馬鹿。さっきの子に悪いだろう。」

彼方はモテる。
しかし誰とも付き合おうとはしない。

「関係ないよー。どうせフることに変わりはないし。」

それが当然であることのように言う。

「付き合いたかったら、付き合えばいいだろう。」

「えー?作らないよ。彼女なんて。僕は日向がいればそれでいいの。
 日向だけでいいの。日向もそうでしょ?」

繰り返される合言葉。

-お互いがいればそれでいい-

彼方は社交的だが、自分の深いところへは絶対に他人を入れようとしない。
上辺だけの付き合いだからこそ、彼方は他人に優しくする。
それでも、その上辺の枠を超えて踏み込んでくる人間には、冷たく拒絶する。
当たり障りなく、可もなく不可もなくそれが彼方の他人との関わり方だった。

-食えない男だ-

「…まあな。俺も、今は彼方がいればいい。」

その言葉に彼方は、心底嬉しそうな顔をする。
彼方の依存心は、たまに常軌を逸していると思う。

「じゃあさ、お互い高校卒業するまでに彼女ができなかったら、
 付き合っちゃおうか?」
「馬鹿。男同士だろ。」

冗談めかして笑うその姿は、さながら悪魔のようだ、と日向は思う。
彼方だって、可愛くて優しい彼女との未来を望んでいるはずだ。
大体付き合ったとして、今の現状から何が変わるのか。
いつも一緒にいて、一緒に学校に行って、一緒に食事をして、一緒に寝る。
今まで通りの関係と変わらないだろう。
高校を卒業するまでもう1年もないと言うのに。

夕日が二人の影を伸ばす。
細長く伸びた影は、二人には大きすぎるような気がした。

麻丸。
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麻丸。

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