「変わらない朝、変わる朝」

 「変わらない朝、変わる朝」


月曜日の朝。
亮太は、少し憂鬱な気持ちで、図書室の扉を開ける。
誰もいない、真夏の閉め切った図書室は、蒸し暑い空気が充満していた。

亮太は鞄を机に置き、窓を開ける。
海の方向から来る潮風が、カーテンを揺らし、頬を優しく撫でた。
窓の淵に肘をつき、外の景色を眺めてみる。

雲一つない、清々しいほどの青空が、どこまでも広がる。
遠くの方には、空との境界線が曖昧になった海が見えた。

金曜日の宣言通り、百合は日向に告白をしたのだろうか。
告白したとして、日向は何と答えたのだろうか。
そして何故、自分も百合に気持ちを伝えてしまったのだろう。

本当は自分の気持ちなんて、伝えるつもりはなかった。
困らせたくない、というのは体のいい言い訳で、ただ勇気がなかった。
百合の気持ちが、日向に向いていることを知っているからこそ、怖かった。

それでも、真っ直ぐに、フラれることすら恐れずに、
日向を想い、向き合う決意のある百合に、感化された。

けれど、告白してしまったのは、完全に間違いだと思う。
今まで通りに接してほしいだなんて、そんなこと、絶対にできないのに。
虫がよすぎるし、図々しい。

「あー…馬鹿だな。俺。」

結局、今、こうして後悔してしまっている。
もしかしたら、百合はもう、月曜の朝の図書室には、来ないかもしれない。

もともと、今日は約束なんてしていない。
あの事件の日から、月曜の朝に、百合が現れることはなかった。
金曜日の朝も、百合から手紙を貰ったから、ここに来ただけだ。

自分の告白を聞いた後なら、尚更来ないかもしれない。

―これからも…私の相談のってくださいね。

口では、ああ言っても、こんな自分には会い辛いだろう。
それも、百合の気持ちを知っているのに告白をした
大馬鹿野郎になんて、会いたくもないのかもしれない。

自分はネガティブな人間ではない。
どちらかと言えば、ポジティブだと思う。
悩みなんて、今までほとんどなかった。
小さな悩みがあったとしても、大抵どうにかなってきた。

考えるだけ無駄だ。なるようになる。きっと、どうにかなる。
それが自分のモットーだった。

でも、今回ばかりは、どうにかなる、なんてことはないだろう。
どうにもならないだろう。

きっとそうだ。
自分は間違えたのだ。
味方のふりをして、裏切ってしまったのだ。
「恋愛相談」という名目で傍に置いてくれていたのに、
その関係を、見事にぶち壊したのは自分だ。

いっそ、気持ちなんて伝えない方がマシだった。
「相談相手」という立場で良かったのに。
告白なんてしなければよかった。
そしたら、いつものように笑い合えていたのに。


大きなため息を一つ吐く。


「…来るわけ、ねーじゃん。」

それでも、心のどこかで百合が来ることを、期待してしまっている自分もいる。


「誰が来るわけないんですか?」

ふいに、凛とした、優しい声。
その声に振り返ると、百合が、開けっ放しだった図書室の扉の前にいた。

「え…百合ちゃん!?」

来るはずがないと思っていた亮太は、驚き、
口をポカンと大きく開けて、信じられないという表情になる。

「何をそんなに驚いているんですか。」

百合は呆れた顔をしながら、図書室の中に入ってくる。
先週と同じく、長い髪を後ろで一つに束ねていた。

「…来ないかと思った。」

亮太は平静を取り戻し、静かな声で言う。
なんとなく、目を合わすのが気まずくて、視線を逸らしてしまう。

「なんでですか?私、これからも相談のってくださいね、って言ったじゃないですか。」

亮太が元気がないのを察したのか、百合は優しく優しく言う。
その真っ直ぐな目と、明るい笑顔が亮太を見つめる。

「だって、俺…あんなこと言った後だし…。」

「今まで通り接してほしい、って言ったのも坂野先輩じゃないですか。
 まあ、私はそんなこと言われなくても、そうしますけどね。」

百合は強気な瞳で笑いながら、鞄を机の上に置いて、椅子に座る。
どこまでも肝が据わっている少女だ。

「ホント、百合ちゃんすげーわ。」

亮太は窓の淵に腰かけ、ため息を吐く。
なんとなく、まだ、近寄りづらい。

「あら、私がこんなんだから、好きになったんじゃないんですか?」

長い前髪を髪を耳にかけ、意地悪そうに笑う。
子猫のような大きな瞳を細め、首をかしげる。
その仕草に、目を奪われた。

「…そんな顔、しないでくださいよ。」

「え…あ!ご、ごめん!」

自分は、どんな顔をしていたのか。
今まで通りに接してくれる百合に、どんな視線を向けていたのか。

百合は日向のことが好きだ。
それを知っているからこそ、諦めなければいけない。
頭では納得したつもりで、気持ちがまだ追いついてはいない。
まだ自分は、百合のことが好きだ。
早く、諦めなければ。

亮太は目を伏せて、膝の上で手を組む。

「そういえばさ…告白、したの?」

「しましたよ。」

そう言って百合はニッコリと笑う。

―ああ、この顔はもしかして。

清々しいほどの笑顔は、恋の成就を意味しているのだろうか。
思えば、朝からニコニコと、機嫌がいい気がした。
亮太は、返事を聞くのが怖くて、膝の上で組んだ手が少し震えた。

そんな亮太を見て、百合は小さく息を吐いて、また、笑う。

「フラれちゃいましたけどね。」

「え…。」

変わらない笑顔のまま、百合は強気な瞳で続ける。

「まあでも、一回フラれたくらいで、諦めませんけどね。」

清々しいほどの、満足げな笑顔。

百合は強い人間だ。
臆することなく、物怖じすることもなく、ただ一途に、真っ直ぐだ。
亮太は、その強さが羨ましいと思う。

「むしろ、フラれたからこそ、もう何も怖くないっていうか。
 今度は、もっともっと自分からアピールしていきます。
 日向先輩に好きになってもらうために!」

胸を張って、堂々とそう言える百合が、眩しい。
諦めることを拒んでいる自分とは、大違いだ。

「…百合ちゃんは、強いな。」

無意識に口から出た言葉。

「何言ってるんですか。」

百合は再び呆れた様な顔を向ける。

「強くなんかないですよ。
 フラれるとわかってても、いざフラれたらそりゃショックでしたし、
 日向先輩を困らせたくないから、必死に泣くの堪えていましたよ。
 困らせたくないとか言いながら、自分の気持ちを突き通そうとするあたり、
 ホント、図太くて自分勝手なだけですよ。」

人差し指を立て、その指を宙に遊ばせながら、百合は目を伏せて言う。
その仕草は、まるで指揮をするように、滑らかに指が踊る。

「私は、強いんじゃなくて、ワガママで、諦めが悪いだけです。」

そう言って、指を止めて遠くを見る百合。
その姿は、愁いを帯びていて、とても儚く見えた。

笑顔の百合も、少し困ったような表情も、呆れた顔も、
遠くを見つめる瞳も、白く細い指も、風に靡く長い黒髪も、
亮太は全部好きだった。
百合の全てが、好きだった。

「じゃあさ、俺も…そんなワガママで、諦めが悪い男だったら…どうする?」

その言葉に、百合は少し驚いたような顔をして、再び強気に笑う。

「それは、坂野先輩次第なんじゃないですか?」










シャワーを終え、リビングに戻ると、彼方はすでに家にはいなかった。
制服も鞄も見当たらないため、彼方は先に学校へ行ったのだろう。

彼方が自分を置いていくなんてこと、今まで一度もなかったのに。
何も言わずに、一人で行ってしまった。

朝食の時だってそうだ。
自分には何も言わずに、バイトをするだとか、
専門学校にいくだとか、ブリーダーになるだとか。
一人で自分の人生を決め始めている。

それが日向ににとって、とても悲しく、寂しくて、
彼方が、自分が知らないどこか遠くへ行ってしまうように感じた。

最近の彼方が自分に向ける視線は無機質で、言葉も冷たい。

あれほど縋りついてきたのに。
あれほど一緒にいたのに。

苦しくて、苦しくて、仕方がなかった。

彼方がいい方向へ、変わっていっているのは、わかっている。
けれど、何一つ変えられない自分が、もどかしく、悔しかった。

結局自分は、彼方を守っているつもりで、本当は彼方に守られていたのだ。
変わっていく環境に、一人取り残されてしまいそうだ。

彼方に自分が必要ないのなら、必要とされないのなら、
いっそ、消えてしまいたいとさえ、思った。

そんなことを言うのは、いつも彼方の方で、
自分はそれを必死に繋ぎとめてきた。
けれど、今の彼方は、自分を繋ぎとめては、くれないのだろう。


学校に向かう足取りが重い。
もちろん、夏の暑さや、日差しのせいもあるが、彼方の顔を見たくなかった。
自分のことを必要としない彼方の顔を見るのが、怖かった。

大きくため息を吐きながら、海沿いの道をトボトボと歩く。
ゆっくりと縮まっていく学校までの距離が、さらに日向を憂鬱にさせる。
小さな商店街へと続く細い道の前を歩いていると、
ふいに、後ろから声を掛けられる。

「あ~!日向君おはよ~!」

明るい声とゆるい口調。矢野千秋だ。
千秋は商店街からの細い道を、肩まで伸びた髪を靡かせて、日向のもとへ走ってくる。
そして、歩幅を合わせるように、日向の隣を歩く。

「珍しいね~。一人?」

千秋は少し上がった息を押さえて、日向の顔を覗くように、首を傾げて問う。

「…ああ。」

千秋は辺りを見回して、いつもはいるはずの彼方がいないことに気付く。

「彼方君は?今日も休みなの?」

「…いや、先に学校行ったんじゃないか。」

素っ気ない日向の返事に動じることなく、
いつものようにマイペースに言葉を続ける千秋。

「そっかあ~。寝坊したから置いていかれちゃったとか?」

「そんなんじゃ、ないけど…。」

歯切れの悪い返事と、少し元気のない日向の様子に、
千秋は困ったような顔をして、話題を変える。

「そういえばさ、テストどうだった~?」

「別に、普通。全部平均くらい。」

素っ気なくても、ちゃんと返事を返してくれる日向に、千秋は嬉しそうな顔をする。

「そうなんだ~。すごいね~。
 私、数学苦手だからさ~、数学だけ追試なんだあ~。」

千秋は喋り方も行動も、のんびりおっとりしている。
語尾伸ばしの、ゆるい口調が特徴的だ。
そして、思ったことをすぐ口に出して、表情をコロコロと変える。
年齢に似つかわしくない、子供っぽいところがある。

以前は学校であまり話すことはなく、近所のスーパーでたまに会うくらいだったが、
最近、頻繁に話しかけてくるようになった。

学校での席は、日向の斜め前。
単純に、席が近いから話しかけてくるだけだろう、と日向は思った。
しかし、何故素っ気ない自分に、臆することなく、話しかけ続けるのだろう。
自分は、彼方のように愛想がいいわけでも、よく喋るわけでもない。
それでも、楽しそうに声をかけてくる矢野千秋は、不思議な人間だ。

「もうすぐ夏休みだね~。日向君は何か予定とかあるの~?」

「別に、いつも通り。何もない。」

夏休みといっても、特にすることなんて、何もない。
これといった趣味もなければ、旅行などに行くお金もない。
炊事、洗濯、掃除をして、テレビでも見ながらダラダラ過ごす。
毎年毎年、変わり映えもせずに、ただ平凡に毎日を過ごすだけだ。

―まるで普通の主婦みたいな生活だな。

そう思っても、家事は日向がやらなければならないし、
他にやることなんて、何一つない。
彼方はバイトをする、など言い出したけれど、
それも本当かどうかは、まだわからない。
自分を遠ざけるための嘘だったらいいのに、とさえ思ってしまう。

どんどん彼方と過ごす時間が、減っていく。
いつまでこのままで、いられるのだろうか。
もう、このままでは、いられないのだろうか。

そんなことを無言で考えていると、千秋が少し遠慮がちに、口を開く。

「あのね、もしよかったら、月末に学校の近くの神社で、大きなお祭りがあるの。
 彼方君とか、亮太君とか、将悟君も誘ってみんなで行こうよ。
 …高校最後だし、思い出、作りたいじゃない?」

言い辛いのか、恥ずかしそうに下を向いて、もじもじと指を遊ばせる。
そして、上目づかいで日向の返事を窺う。

「…考えとく。」



その言葉に、千秋はまた嬉しそうに笑った。

麻丸。
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麻丸。

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