「懇願」

 「懇願」



「リアル壁ドンとか初めて見たわー。あれ双子のチャラい方じゃない?」

真紀が指さす方には、一回の空き教室。
そこには、彼方と、彼方に抑え込まれている百合がいた。

「アイツ…百合ちゃんに何やってんだ…!」

二人を見て驚いた表情をする将悟に、真紀は不思議そうな顔をする。

「百合ちゃんって…亮太が好きなあの百合ちゃん?」

「そうだ。詳しくは言えないけど、あの二人を会わせちゃダメなんだよ!」

そう言って、将悟は走り出す。
あの事件の日と同じように、校舎の玄関の方へ。

何故あの二人が、あの時と同じ場所にいるのか。
何故百合が彼方に抑え込まれているのか。
またあの時と、同じことになってしまうのではないか。

このままでは、いけない。
早く百合を助け出さなければ、と逸る気持ちで走る。

「なんかよくわかんないけど、
 あの百合ちゃんって子を、あのチャラ男から引き剥がせばいいわけ?」

横を見れば、真紀が将悟の走りについてきていた。
状況がよく飲み込めない風な顔をして、首を傾げて真紀が将悟の横を走る。

「あ、ああ…。」

少し息切れしながら将悟が答えると、真紀は息一つ切らせず、
涼し顔をして頷いた。

「おっけー。わかった。」

そう言って、真紀は加速する。
将悟を軽々追い抜いて、振り返ることもなく全力疾走で校舎の方へ。

「真紀ちゃん…足早すぎ…。」

真紀は亮太と同じく体育会系だ。
バスケ部のマネージャーだったが、運動神経もよく、足も速い。
息を切らしながら必死で将悟が走っても、真紀の背中はもう遠くなっていた。






「本当に日向のことが好きなら、絶対に日向を裏切らないで。
 何があっても、日向の味方でいてあげて。日向を、支えてあげて。」

切なげな瞳を向けて、肩を震わせる目の前の少年は、とても脆く、儚く見えた。
きっと彼も日向のことが好きなのだ。
不器用でも、大事に思っているのだ。

「どうして私に…そんなことを言うんですか?」

揺れる彼方の瞳を覗き込み、百合は静かな声で問う。
彼方は俯いたまま、自嘲気味の笑みを浮かべ、自分の拳をぎゅっと握る。

「…僕には、それができないからだよ。
 でも、日向は誰かを必要としてる。日向は寂しがりなんだ。
 このままじゃ、日向が壊れてしまう。」

日向が壊れてしまう。それはどういうことだろう。
彼方は、何を心配しているのだろう。何を憂いているのだろう。
どうしてこんなに苦しそうに、顔を歪めるのだろう。

「…どういう、意味ですか?」

彼方は唇を噛みしめ、顔を上げる。
恨めしそうな、悔しそうな、そんな顔を百合に向ける。

「そのまんまの意味だよ。本当は君になんか、頼みたくないけど…。」

そう早口で小さく呟いた彼方は、百合の手を取って、詰め寄る。
真剣な瞳で、真っ直ぐ百合を見据えて、ハッキリと、乞うように呟いた。

「ねえ、日向を助けてあげてよ。」

彼方の縋るような切ない表情に、百合は戸惑う。

「助けるって…」


百合の言葉を遮って、ふいに、乱暴に扉が開く。
二人が驚いて教室の扉の方を見ると、
短いふわふわの髪を揺らして、少女が教室に入ってきた。

「はーい、ちょっとしつれーい!」

その少女は飄々とした口調で、少し早足で真っ直ぐ百合の方へ近付く。
そして、ポカンと口を開ける百合の手首を強引に掴んだ。

「え?え、あの…」

「いいから、大人しくついてきて。」

戸惑う百合に、真紀は有無を言わせず、教室の外へと腕を引っ張る。
百合は手を引かれるまま、真紀に引きずられるように廊下へと促される。
彼方は、真紀の背中を見て、小さくため息を吐いた。

「また君か…。正義のヒーローみたいだね。
 でもまだ、僕との話終わってないんだけど?」

おどけたように、肩を竦めて微笑む彼方。
先程までの切なそうな表情を、笑顔の仮面で隠す。
真紀は視線だけを彼方に向けて、吐き捨てるように言う。

「お生憎様。そんな大したもんじゃないわよ。
 それに、そっちの都合なんて、私には関係ないわ。」

そして足早に百合と共に、廊下へと消えていく。

力強い手に引かれるまま、教室を出る間際に百合が振り返ると、
彼方は苦しそうな顔をして、手で胸を押さえて、俯いていた。


百合は手を掴まれたまま、無言で廊下を歩く。
自分の手を掴むこの少女は上級生だろうか、見たことがない顔だ。
どうしてあの場所から自分を連れ出したのだろう。
どうしてこの人は自分の手を引くのだろう。
この人と彼方は、知り合いなのだろうか。

「あ、あのっ…」

百合は疑問をぶつけようと口を開く。
しかし、その言葉は真紀の声に遮られた。

「あ、将悟おっそーい!」

廊下の曲がり角を曲がると、息を切らせた将悟が姿を見せた。
フラフラとした足取りで、二人の傍まで小走りで近づく。

「真紀ちゃん…ホント足早すぎ…。」

「もうこっちは任務完了よー。」

息を切らした将悟とは違い、真紀は涼しい顔をして、答える。
二人の前まで来て、足を止めた将悟は膝に手をついて、肩で息をしていた。

将悟が自分を助けるように、この少女に指示してくれたのだろうか。
どこか遠くから、自分を助けるために走って駆け付けてくれたのだろうか。

「中村先輩…。」

「変なこと、されてないか?」

自分を見た将悟は、息を整えながら、百合の顔を窺う。

「はい、大丈夫です。ちょっと、お話をしていただけです…。」

「よかった…。」

その言葉に、将悟は安心した様子で笑う。
真紀はその様子を見て、百合の手を離し、面白くなさそうな顔をする。

「アンタさー、お姫様じゃないんだから、
 守られるだけとか、情けないと思わないの?」

呆れた様子で、真紀は百合を見つめる。
身長が高い真紀に、見つめられるというより、見下ろされているようだ。

「すみません…。
 でも違うんです!本当にお話をしていただけなんです!」

「でもさっき、アイツに抑え込まれてたろ?」

二人はきっと、彼方が何かしようと、何かしたと、思い込んでいる。
けれど、そうじゃない。
あの人は、自分に何かを伝えたかったのだ。
その何かをすべて聞けたわけではないけれど、
きっと、とても大事な話だったのだ。

「あれは…そうですけど…。
 でも本当に変なことされてたわけじゃなくって…その…。」

口ごもる百合。
あの教室で話していた内容は、言わない方がいいような気がしていた。
わざわざ二人きりで話せる場所を選んで、
自分にあんな顔を見せた彼方のことを、悪くは言えなかった。

ハッキリと言わない百合を横目で見て、真紀は大きなため息を吐く。
そして、両手をパンと叩き、二人の注目を集める。

「ま、もういーじゃない。任務しゅーりょー!ほら帰ろー?」

そう言って、二人の間を割って、玄関のある方へ足を進める真紀。

言い辛いことを察して、助けてくれたのだろうか。
窓から差し込む夕日に照らされる、自分より大人な背中は、とても綺麗だった。

―今、何時くらいだろう。

百合は、ポケットに手を突っ込み、あるはずのモノがないことに気付く。

「あっ…私、さっきの教室に携帯落としてきちゃった…。」

そうだ、携帯電話はあの教室で、彼方に手を掴まれた時に落としてしまった。
教室を出る時は、真紀に引きずられることに戸惑って、
すっかり忘れてしまっていたのだ。

百合が先程の教室へと戻ろうとすると、将悟が制止する。

「俺が取ってくるよ。二人とも、玄関で待ってろ。」

「でも…」

「君に何かあったら、亮太も、日向も悲しむだろ?」

諭すように見つめる将悟の目に、百合は何も言えなくなった。
亮太も日向も心配する。そう言われたら、黙って従うしかない。
今だって、自分のために将悟も真紀も巻き込んでしまったのだから。
百合は大人しく頷く。

「私もいこーか?」

そう言って、真紀は首を傾げる。
けれど、将悟は首を振った。

「いや、真紀ちゃんは百合ちゃんと一緒にいて。」

「おっけー。」

軽い返事を返して、真紀は玄関の方へと百合を誘う。
将悟はその背中を見送り、彼方がいる教室へと足を進めた。



夕日が差し込む時刻。
この辺りは体育館からも、グラウンドからも離れていて、
部活動をする生徒の声も遠く、静かだった。

将悟は教室の扉の前にきて、中を見渡してみると、
教室の隅にしゃがみ込んで、膝を抱えて、不安定な呼吸をしている彼方がいた。
過呼吸に耐えているのだろうか。
苦しそうに顔を歪めて、胸に手を当てていた。

「おい、大丈夫か…?」

その声に、彼方は膝を抱えたまま、視線だけ向けて、低く唸る。

「なんだ…中村君か…。」

将悟は彼方に駆け寄って、視線を落とすと、
彼方の傍には見慣れた薬のシートが落ちていた。
これは、彼女が飲んでいた薬と、同じものだ。

「お前…。これ、結構強い薬なんじゃねーの?」

将悟はその薬を拾い上げて、シートに記載されている薬の名前を確認する。
まだ半分ほど残っている薬を見ると、真ん中に切れ目のある、白い楕円形だった。
これは、抗不安薬だ。
精神安定剤の一種、不安や発作を和らげる薬。

「中村君には関係ないでしょ。」

薬を見つめる将悟を見て、彼方は力ない手で将悟からその薬を奪い返す。

「これ飲んでるの、日向は知ってるのか?」

「日向には言わないで。」

「言わないでって…アイツ、知らないのかよ。」

「言ったところで…どうにもならないよ。ただ、心配させるだけだ。」

俯いたまま、心臓を押さえて、薬を握りしめて、
不安定な呼吸交じりに、彼方は冷たく呟く。

「でも…」

「うるさいなあ…中村君には関係ない!
 そろそろ行ってくれないかなあ?こんな姿…人に見られたくないんだけど。」

額に汗を浮かべて、苦しそうに背中を丸めて、胸を押さえる彼方。
苛立ちが見えるその声も、過呼吸に耐えるせいか弱弱しい。

そんなことを言われても、
将悟はここで苦しそうに呼吸を荒げる彼方を、一人にはしておけなかった。
苦しいはずなのに人を拒む、そんな姿が彼女に似ていたからだ。
ここで見捨てたら、また間違えてしまいそうで、怖かった。

将悟は彼方の隣にしゃがみ込み、
苦しそうに呼吸を荒げる彼方の背中をさする。
あの日、日向がしていたように。

「ちょっと…触らないで…!」

背中に触れる将悟の手を振り払おうとする彼方。
それでも、将悟は彼方の背中をさすることを、やめなかった。

「うるせえ。治まるまで傍にいてやるから。
 …だから、あんまり抱え込むなよ。」

「なに…それ…。」



徐々に彼方の呼吸が落ち着いてくる。
その様子を見て、将悟は安心してため息を吐く。

「なんで…こんなことするの…?」

呼吸が落ち着いた彼方は、将悟から目を背け、窓の方を見つめていた。
過呼吸を起こして、ひどい状態になった後に、顔が合わせづらいのだろう。
恥ずかしさや、情けなさで、こちらを向けない。
そんなところも、彼女と一緒だと思った。

「さあ、なんでだろーな。」

逆光に眩む彼方に背中を見つめながら、床に胡坐をかいて答える。
彼女に似ていたから、なんて、言えるはずもない。

「中村君はさ、最近日向と仲良いみたいだけど、
 …日向のこと、裏切らないでね。」

そう呟く彼方の表情は見えない。
自分に背を向け、窓を見つめたままの静かな声は、
どこか憂いを含んでいるようだ。

「お前こそ、最近アイツと距離取っているように見えるけど?」

「……。」

無言のまま、何も言わない彼方に、変な違和感を感じる。
彼方も彼女と同じで、一人で抱え込んでいるのではないか。
一人で、消えてしまうのではないか、という不安に苛まれる。

「お前さ、死にたいとか、自殺しようとか…思ってないよな?」

自分に背を向ける彼方のその背中が、少し揺れた様な気がした。

「…中村君には何の関係もないよね。」

否定も肯定もしない。
それは、肯定しているのと同じなのではないか。
夕日に眩むその背中が、何故かとても小さく見えた。

「日向、お前のことすごい大事にしてるの、わかってるよな?」

「……。」

答えたくないのか、口を噤む彼方。
そんな背中を見て、将悟は大きなため息を吐く。

「いきなり目の前から大事な奴がいなくなったら、わけわかんなくなってさ、
 そんな現実受け入れられなくて、いろんなとこ探し回るんだ。
 でもどこにもいなくてさ、…まあ当たり前なんだけど。
 それでも、急にひょっこり出てくるんじゃないかって思ってさ、
 探せずにはいられなくて、やっぱり探し続けるんだ。
 きっと、たぶん、一生。
 …いないはずの人間の幻影に、囚われるんだ。」

ゆっくりと、たどたどしい将悟の言葉に、彼方はゆっくりと振り返る。

「何それ。まるで中村君がそうみたいな言い方…」

彼方はそう言いながら、将悟の方を向くと、意外な顔が見えて言葉が詰まる。
将悟は切なそうな表情で、遠くを見つめていた。



「お前も日向のこと大事なら、馬鹿な真似するんじゃねーぞ。」


麻丸。
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