「かりそめの夢」

 「かりそめの夢」




夏の暑さが照り付ける、季節は夏。八月を迎えていた。

祭りの日の夜から、日向と百合は手を繋ぐことが日常になった。
抱きしめて、体温を分け合うことも多くなった。
そして、日向の家で二人きりで過ごすようになった。

日向の家は、祭りの日に聞かされたとおり、誰もいなかった。
日向一人には広すぎる家で、何をするわけでもなく、
二人きりで他愛のない話をして、一緒に料理を作って食事をしたり、テレビを見たりして過ごした。

日向は器用で、料理が上手かった。
百合は普段それほど料理をするわけでもなく、慣れない作業に、不器用ながらも日向を手伝った。
不器用な包丁捌きに、日向に笑われながら、必死で皮を向いた野菜の不格好さに、首を傾げながら。

日向は優しかった。
言葉は少ないけれど、自分の嫌がることは絶対にしない。
得意の料理で、百合の好きなものを作って、喜ばせてくれた。
「普段はあまり作らない」と言いながら、お菓子だって作ってくれた。
器用にスポンジから焼いたイチゴの乗った可愛らしいショートケーキ。
作っている姿を想像すると、似合わなさに少し笑えてしまうが、百合は嬉しかった。

そして、手を繋いだり、抱きしめあったりした。

日向は意外と寂しがりだ。
何も言わないけれど、寂しそうに、自分の手をじっと見つめる。
それが手を繋ぎたい合図。
自分の顔を窺うように見つめ、少し腕を広げて、首をかしげる。
それが抱きしめたい合図だ。

―おっきな子供みたい。

自分から触れたいとは言わない。
自分から触れることもしないが、触れたいと目でアピールしてくる。
それを汲み取って、百合から手を繋ぐ。抱きしめる。
そして、体温が触れると、日向は安心したような顔をする。

百合の好きな日向は、綺麗で、繊細で、寂しがりで、脆く、弱い人。

いつも日向は、自分の肩口に顔を埋めて、温もりを貪るように、強く強く抱きしめる。
その姿が、まるで捨てられた子供のようで、百合は嬉しい反面、切なさが込み上げた。
だからガラス細工を扱うように、優しく、そっと、触れる。
日向を傷つけないように、日向を壊さないように。

日向と過ごす日常は、幸せだ。
好きな日向と、朝から晩まで一緒にいられる。
口数は少なくても、自分を喜ばせようともしてくれる。
今まではあまり見れなかった、小さく笑う、そんな姿を見せてくる。


けれど百合は気付いていた。
祭りの夜、日向を抱きしめた時に、見えてしまった。
日向の首筋から覗く、不自然な絆創膏と、
服の隙間から見えた、赤い噛み跡。
誰が、付けたのだろうか。

日向は浮気をするような人間ではない、と思う。
けれど、生々しいその傷は、新しく鮮明なもので、百合は不安を拭いきれないでいた。
噛み跡があるということは、体の関係があるということなのだろうか。
自分は手を繋いだり、抱きしめ合ったりはするけれど、キスやそれ以上のことは、何もないのに。

感情表現が不器用な人だ、浮気なんてできるはずがない。
けれど、日向は寂しがりだから、考えたくはないけれど、
もしかしたら、他の女性と関係を持っているのかもしれない。
そんなことを考えてしまう。

外出らしい外出は、ほとんどしなかった。
毎日日向が駅まで百合を迎えに来る。
そして、たまに食材を買いに、一緒にスーパーに行く。
夜になれば、日向が駅まで送ってくれる。

ほとんどを、この閉鎖的な日向の家で過ごした。
まるで、誰にも見られないように。
見られたくないのだろうか。
見られて困る相手が、いるのだろうか。

そう言えば、日向から「好き」という言葉を、聞いたことはない。
自分が「私のこと、好きですか?」と聞けば、
「うん」や「ああ」とは答えてくれるが、
「好き」という言葉を、言ってはくれなかった。

疑いたくはないはずなのに、鮮明な傷跡が百合を戸惑わせる。
それを隠すように、日向は季節に見合わない、肌を隠すような服しか着ない。
学校の時も、夏でも学ランを着ていたのは、噛み跡を隠すためだったのだろうか。
なんとなく、何故肌を見せないのか、その噛み跡は何なのか、
それは、聞いてはいけないような気がしていた。

聞けば日向を戸惑わせる、困らせる、そんな気がしていた。
やっと笑ってくれるようになったのに、日向の笑顔を奪いたくはなかった。

弱く脆い日向を、守りたかった。
彼方に言われたからではない。
百合は日向の笑顔を、守りたかった。


手を繋ぎながら、駅から日向の家の近くのスーパーへ向かう。

「百合の手は小さいな。」

自分の手をしっかりと握って、ふいに、日向が感慨深そうに呟く。
まるで大事なものを守るように、日向の手は温かく、力強かった。

「そうですか?普通だと思いますけど。」

人と手を比べることなんてないし、
男性と比べれば、女性である自分の手が小さいことは、当たり前のことだ。

「…そうか。」

日向はそう言って、少し切なげに微笑んだ。
そんな日向の表情に、百合は変な違和感を感じる。

最近日向は、自分に微笑んでくれるようになった。
照れ屋で恥ずかしがりの日向は、
大きく声を上げて笑うことなんてないけれど、静かに優しく微笑んでくれる。
そんな日向の笑顔が、好きだったはずなのに。
今の笑顔は、なんだか違う気がする。

「今日はお昼、何食べたい?」

少し考えるように首を傾げる百合を見て、日向は優しい声で問う。
日向も少し首を傾げて、百合に視線を合わせる。
そんな仕草が、さり気ないけれど、日向の優しいところだと思う。

「んー、何がいいですかねー。日向先輩なんでも作れちゃうしなー。」

唇に指を添えて、百合は嬉しそうに微笑む。
そんな百合の可愛らしい仕草に、日向も嬉しくなる。

「『なんでも』は作れないけど、ネットでレシピ調べたら大丈夫だろ。」

「さすが日向先輩ですね!」

「百合はもうちょっと、料理できるようにならないとな。」

「もーっ。日向先輩、意地悪です。」

そう言って、二人で仲良く笑い合う。
そんな、なんでもない平凡な時間が、幸せだった。






二人で仲良く手を繋ぎながら、スーパーで買い物をする。
今日の昼食のメニューに悩んでみたり、新商品を見つけて、はしゃぎながら。

「日向君!」

ふいに、遠くから日向を呼ぶ女性の声が聞こえる。
振り返ると、日向と同い年ぐらいの女性が、嬉しそうな笑顔で駆けてきた。

「矢野…。」

どうやら日向の知り合いみたいだ。
しかし、日向は少し驚いた顔をして、その矢野と呼ばれた女性から目を逸らす。
千秋はそんな日向を見て、不思議そうな顔をして首を傾げる。
そして、日向が百合と手を繋いでいることに気付いたようで、
千秋は一瞬だけ百合を見たあと、少し悲しそうな顔をして小さく呟いた。

「…彼女?」

「ああ…。」

日向は目を逸らしたまま、気まずそうに答える。

この人は、日向の何なのだろうか。
日向を見つけて嬉しそうに駆け寄ってきた。
自分が手を繋いでいることに気付き、悲しそうな顔をした。

もしかして、日向の体に噛み跡を付けたのは、この女性なのだろうか。

「そっか…。あのね、夏祭り、楽しみにしてたんだよ。
 日向君が白色が好きって言ってたから、白い浴衣を買ったんだけどね…。
 デートだったなら、仕方ないか…。」

そう言って、千秋はしょんぼりと肩を落とす。

百合が、日向と二人きりで行きたいと言った夏祭り。
先約は、この女性とだったのか。
クラスメイトと行くのでは、なかったのか。

「…ごめん。」

日向は申し訳なさそうに、謝る。
そんな日向の顔を見て、千秋は取り繕うように、慌てて笑顔を見せる。

「ううん、いいの。…また学校でね!それじゃあ。」

そう言って、足早に千秋はその場を後にする。
居た堪れなくなって、この場に居辛かったのだろう。

日向は千秋の約束を断って、自分と夏祭りを過ごしてくれた。
けれど、千秋も日向のことが好きなのではないか。

だから、日向を見つけて嬉しそうにかけてきて、
自分と手を繋いでいることに気付いて、悲しそうな顔をしたのではないか。
もしかしたら、彼女が日向の浮気相手なのではないのだろうか。
だから日向も、気まずそうな顔をしたのではないのだろうか。
疑いたくはない。けれど、疑ってしまう。

日向は千秋が過ぎ去った後、ホッとしたような顔をした。
その表情には、どんな意味があるのか。


そのまま買い物を済ませ、スーパーを出た。
しかし、百合の頭の中には、漠然とした不安が渦巻いていた。

手を繋いで、日向の家へと帰る途中、
拭いきれぬ不安に、百合は立ち止まった。
立ち止まった百合に手を引かれ、日向も立ち止まる。
そして、少し戸惑うように、静かに百合の顔を窺うように覗く。

「…どうした?」

心配そうに、日向は少し屈んで、百合と目線を合わせて、首を傾げる。
覗き込んだ百合の表情は、暗かった。

「さっきの…誰ですか?」

百合は少し黙った後、ポツリと小さな声を洩らす。
先程の女性のことが、気になって仕方がなかった。
ちゃんと日向の口から、「彼女とは何もない」と、言ってほしかった。
 
「同じクラスの女子だよ。」

日向は少し困った顔をして、答える。

「でも、すごく仲良さそうでした…。」

そう言いながら、百合は真っ直ぐ日向を見つめる。
ちゃんと自分の目を見て、ハッキリと言ってほしかった。
自分の不安や疑いがなくなるように、ちゃんと答えてほしかった。

「それは…クラスメイトだから…。」

日向は少し言い辛そうに、口ごもる。
その様子が、さらに百合の疑いを膨らます。

「あの人も…日向先輩のことが…好きなんじゃないんですか…?」

その言葉に、日向は動揺したように、目を背ける。

「…そんなんじゃ、…ない。」

目を背けたのは、何かやましいことがあるのではないか。
どうして日向は困った顔をして、目を背けたのか。
疑いたくない。疑いたくないのに、不安が込み上げる。

「じゃあどうして…っ!」

感情的に、荒くなる声を飲み込む。
疑いたくない。日向を責めたいわけじゃない。
けれど、今は冷静に話をすることが、できなかった。

「…っ。今日は、もう…帰ります…っ!」

そう言って、百合は日向と繋いだ手を、そっと解く。
離した手には、日向の優しい温もりが、
骨っぽいゴツゴツとした繊細な手の感触が、纏わりつくように残っていた。

「百合?」

日向は離された手に、百合のいつもと違う様子に、戸惑うような顔を向けた。
そして百合は、日向の家の方角ではない、駅の方へと駆け出そうとする。
日向は百合を引き止めようと、百合の手首を掴んだ。

「百合!ちょっと待て…!」

掴まれた手に、振り返った百合の瞳には、涙が溜まっていた。

「離してください!」

百合は瞳いっぱいに涙を溜めて、日向の手を振り払う。
それでも日向は、百合を落ち着けようと、肩を掴んで真っ直ぐに百合を見つめる。

「百合…どうしたんだ…?」

優しく宥めるような声で、日向は百合に向き合う。
けれど、目を背けた百合の瞳から、涙が一粒零れた。

「…私の髪は綺麗だとか…私の手は小さいだとか…
 それって…それって、誰と比べてるんですか…?
 日向先輩の彼女は、私じゃないですか…!?」

ポロポロと、涙を零しながら百合は呟く。
その言葉に、日向は何も言えなくなった。
百合に「彼方に重ねている」だなんて、言えるはずもなかった。
そんなことを言ってしまったら、全てが終わってしまうような気がした。

なにか言わなければならないのに、日向は何も言えなかった。
ただ黙って、百合を見つめることしかできなかった。

黙ったままの日向を見て、百合は少し辛そうな顔をした。
そして、涙を手で乱暴に拭って、俯いた。

「…もういいです。」

そう小さく呟いて、百合は日向に背を向ける。
そのまま、駅の方へと駆けだしてしまった。

「百合…!」

追いかけなければいけないのに、日向の足は動かなかった。
百合の辛そうな顔を見て、動けなくなった。

大事にしようと思ったのに。
大切にしようと思ったのに。
百合は振り返りもせずに、泣きながら自分の手を振り払って、行ってしまった。

嫌われないように、好かれようと、必死で努力したのに。
百合のことを愛そうと、そして百合に愛されていようと、必死だったのに。




百合が繋いでくれない手は、ひんやりと冷たい気がした。



麻丸。
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麻丸。

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