「幸せな時間」
「幸せな時間」
あのまま眠り続けて、起きたのは日が沈んた後だった。
目が覚めたら、百合はにっこり微笑んで、髪を撫でてくれた。
眠っている間も、ずっと手を握ってくれていた。
その体温がやけに安心して、いつもよりぐっすりと眠れたと思う。
そのまま百合も泊まると聞いて、少し驚いたものの、
まだ一緒にいられることが、嬉しかった。
亮太や真紀も来ていると聞いて、少し驚いた。
けれど隠しきれない痣や傷に、将悟は気を使てくれて、
部屋の中で二人きりで、食事を摂った。
「亮太や真紀ちゃんには、
『日向が風邪ひいて寝込んでるから邪魔するなよ』
って言っといたから、口裏合わせろよ」
と、将悟は言っていた。
久しぶりに食べる食事に、少し胃もたれしたものの、
その味は、やけに優しかった。
百合も同じ部屋で寝ると言い出し、将悟は布団をもう一組持ってきてくれた。
その時の将悟の表情は、少しニヤついていたのを覚えている。
食事を終えて、シャワーを浴びて、布団に入る。
将悟に借りた服は少し小さくて、袖が少しだけ短かった。
それでも、将悟は長袖のシャツを用意してくれた。
袖から覗く傷や火傷の痕に、百合は少し悲しそうな顔をしたが、
すぐに取り繕って笑って、その傷を撫でてくれた。
二人で眠るということが恥ずかしくて、布団は少し離して敷いた。
少し距離が離れた布団の中で向かい合い、他愛のない話をした。
百合は終始ニコニコとしていて、その柔らかい顔が愛しかった。
百合から少し離れた布団に横たわると、空いた手が少し寂しい。
あれほど焦がれた百合の体温が、恋しくなる。
もっと百合に触れたい。
百合の体温が欲しい。
日向は布団で顔の半分ほどを隠して、百合に窺うように小さく呟いた。
「…百合、こっち…こないか?」
自分から誘うようなことを言うのは、少し恥ずかしい。
布団をギュッと握りしめ、照れで目を逸らす。
日向の言葉に、百合は驚いたように、口をポカンを開けた。
「え…?ええっ!?」
百合は顔を真っ赤にして、声を上げる。
何か勘違いをされている気がする。
下心がないと言えば嘘になるが、百合に触れたいだけだ。
どうこうしようなんて気は、さらさらない。
「あ、いや、変なこと、しないから…。」
勘違いしたことが、恥ずかしいのだろう。
日向が慌てて否定すると、百合は布団で顔を隠す。
そして布団から目だけを少し覗かせて、日向を窺うように見ていた。
そんな姿が、堪らなく愛おしい。
「…百合、おいで。」
日向はそう言って、布団を捲って、両手を広げる。
日向の優しい声に、百合はゆっくりと自分の布団を捲って、
少し躊躇いながら、日向の布団に潜り込んだ。
狭い布団の中、二人の距離は自然と近くなる。
すっぽりと、百合は日向の腕の中に閉じ込められた。
「なんか…ドキドキしますね。」
そう言って、百合も日向の背中に手を回す。
百合は恥ずかしさからか、いつもより少しだけ口数が少なかった。
手を繋いだり、抱きしめたりするのは、今まで何度もした。
けれど、同じ布団の中で抱きしめ合うのは、
何故かいつもと違う気がして、百合は少し緊張しているようだった。
「…そうだな。」
そう言った日向の鼓動は、少し早いような気がした。
ドクドクと伝わる鼓動が、日向も緊張しているということを教えてくれる。
「日向先輩の心臓、ドキドキしてる…。」
百合の温かい体温に、ドキドキすると同時に、ひどく落ち着く。
緊張で、少し肩の力が入っている百合が、愛おしく思う。
「うん…。」
自分は、この小さな少女に助けられてばかりだ。
いつも辛い時に、笑顔をくれる。
優しい手を、差し伸べてくれる。
優しい体温で、いつも自分を満たしてくれる。
なにもかも、自分は百合にもらってばかりだ。
こんな自分にできることなんて、たかが知れているけれど、
自分だって、百合を守りたい。
大切に、したい。
日向は躊躇いがちに、百合に声を掛ける。
「あのさ、百合…。」
静かな日向の声に、抱きしめた細い体が、少し震えた気がした。
「なんですか…?」
日向の胸に顔を埋めたまま、百合は遠慮がちに問う。
日向はギュッと、百合を強く抱きしめ、耳元で囁く。
「…好き…だよ。」
初めて口にした言葉。
その言葉は、緊張と恥ずかしさで、震えた。
こんなことを言うのは、ガラじゃないことはわかっている。
でも、ちゃんと言葉で伝えたいと思った。
もう二度と、百合が不安にならないように。
こんな自分の傍にいてくれるように、願いを込めて。
百合は日向の言った言葉に驚いて、口をポカンと開けて日向を見上げる。
そして瞳を潤ませて、百合は日向を一層強く抱きしめた。
「私も大好きです…っ!」
百合の抱きしめる手は、少し震えていた。
初めて伝えた自分の気持ちに、百合は喜んでくれただろうか。
百合は、自分のために、泣いてくれた。
自分のために、心を痛めてくれる。
もう二度と手放したくない。
大切にしたいと思った。
「…情けない姿ばかりみせて、ごめん。
でも、百合のこと、ちゃんと大事にしたい。」
噛み締めるように、日向はゆっくりと呟く。
その言葉に、百合は顔を上げた。
「日向先輩…。」
瞳を潤ませたまま、日向を見つめる百合。
日向は百合の真っ直ぐな眼差しが、好きだった。
少し開いた口が、やけになめまかしくて、日向は百合を抱き寄せる。
「百合…。」
辛くなるほど百合を見つめて、切ない吐息を洩らす。
そのまま、日向は百合に口づけた。
触れるだけの短いキス。
唇が離れると、百合は驚いたように、自分の唇を指でなぞった。
いつも手を繋いだり、抱きしめたり、キスをしたのは百合からなのに、
いざ自分がキスをされると、顔を真っ赤にして驚いたり、戸惑ったりする。
それが堪らなく可愛らしくて、自然と笑みが零れる。
「…なんか、ズルいです。」
そう言って、百合は恥じらうように、目を逸らす。
そして、百合は真っ赤な顔のまま、日向の頬に手を添える。
逸らした目を瞑って、百合は日向に、キスをした。
二度目のキスは少し長くて、止めた息が苦しかった。
緊張しているのか、ギュッと目を瞑る百合が愛らしくて、
日向はそっと、百合の頭を撫でる。
日向の手で、百合の力みが解れた気がした。
そのまま、何度も何度も、キスをした。
唇が離れるたび、互いを強く抱きしめ、また唇を奪う。
まるでお互いを求めるように、貪るように、
角度を変えて、何度も何度も、優しく唇を重ねた。
長いキスの後、唇が離れると、どちらともなく、はにかんで笑った。
そのまま、手を繋いで、指を絡めて、狭い布団に横たわる。
日向の腕を枕代わりにして、百合はぴったりと、日向に身をくっつける。
日向も百合に腕枕をしながら、百合をギュッと抱き寄せる。
「でも…ちょっと妬けちゃうな。」
日向の首筋の噛み跡を指でなぞって、百合はポツリと呟く。
浮気ではない、彼方につけてもらったものだと言っても、
百合からしたら嫉妬するのも頷ける。
それに、彼方はもう自分の傍にはいないし、
自分は彼方のものではなく、百合のものでありたい。
日向は少し考えるそぶりを見せ、百合の耳元で小さく囁いた。
「…百合も、つけてくれる?」
それは少し、甘えるような声だった。
「え?でも…」
熱を持った瞳で、日向は百合を見つめる。
「百合なら…いいよ。」
日向は繋いだ手を解いて、片手で器用にシャツのボタンを上から少しだけ、外す。
露わになった日向の首元や肩口には、彼方がつけた噛み跡が、鮮明に残っていた。
「全部、塗り替えて…。」
切ない吐息が混じった言葉。
日向は襟元を掴んで、百合に見えるように、白い肌を曝け出す。
「日向先輩…。」
百合は、日向の首筋から肩口に残る噛み跡を、すっと、指でなぞる。
この噛み跡に、日向も少しは救われていたのだろうか。
「誰かのものだ」と、形がない言葉だけじゃなく、
形のある「何か」がないと、不安になるのだろうか、と百合は考える。
「あのさ…。」
噛み跡をなぞる百合の手に自分の手を添えて、
日向は躊躇いがちに、口を開く。
「なんですか?」
百合が首を傾げて聞けば、日向は少し恥ずかしそうに、眼を逸らす。
「…いや、やっぱりなんでもない。」
口元を手で覆って、日向は顔を背ける。
「えーっ?気になるじゃないですか!
言いかけたなら、最後まで言ってください!」
百合は日向を食い入るように見つめる。
「…痛くして。」
日向は顔を背けたまま、ボソッと小さな声で呟いた。
「…え?」
日向が恥ずかしそうに洩らした言葉に、百合は耳を疑う。
自分でも恥ずかしいことを言ったことをわかっているのか、
背けた日向の顔は、耳まで赤かった。
「痛い方が…愛されてるって、思うから…。」
躊躇うように、ゆっくりと日向は言葉を紡ぐ。
自分でも普通じゃないことを言っているのは、わかっている。
けれど、愛されていると、実感がほしかった。
愛していると、痛みで伝えてほしかった。
「日向先輩…マゾなんですか?」
百合は考えるように首を傾げて、日向に問う。
「…そんなんじゃない。」
「だって、痛いの好きなんでしょう?」
「…もういい。忘れて…。」
そう言って、日向は真っ赤になった顔を、布団で隠してしまう。
そんな日向の恥ずかしがりで、照れ屋なところも、百合は好きだった。
「日向先輩、隠れないでくださいよー。」
百合は顔を隠す日向の布団を引っ張る。
そして、百合は日向を組み敷くように、日向に覆いかぶさる。
恥ずかしそうな顔をした日向と目が合うと、
百合は柔らかく微笑んで、日向にキスを落とした。
唇が離れると、百合は日向の首筋に顔を埋める。
百合の唇が首筋を這う。
痛みに身構えて、日向はギュッと目を瞑る。
けれど、痛みなんてなかった。
「…?」
日向がうっすらと目を開けると、百合は噛み跡に優しいキスをして、
歯を立てることなく、噛み跡が残る日向の首筋を、少しキツく吸う。
そして唇が離れると、百合は日向を見つめて、ニッコリと微笑んだ。
「愛されるって、痛いことじゃないんですよ。」
日向は首筋に手を這わす。
けれど、新しい傷跡なんて、なかった。
日向が不思議そうな顔をしていると、
百合は口づけた場所を愛おしそうになぞって、はにかんだ。
「えへへ。キスマークつけちゃいました。」
痛みや傷なんてないけれど、百合の唇が触れた部分が、熱くなる気がした。
百合はいつだって、優しい愛情をくれる。
その優しさが、少し怖くもあり、やっぱり嬉しかった。
「…もっとつけて。」
甘えるように、日向は百合を見つめる。
百合は嬉しそうに微笑んで、再び日向の首筋に顔を埋めた。
百合は日向の首筋にキスをしたり、舌を這わせたり、キツく吸ったり。
愛おしそうに、優しく、何度も口づけた。
痛みはなくとも、百合の愛情に満たされた。
百合の唇が首筋を這う感触が、堪らなく気持ちよかった。
「なんかそれ、変な気分になる…。」
小さく日向は呟く。
くすぐったいというか、ゾクゾクするというか、
言葉にするのは難しいけれど、なんだか扇情的だ。
元々聡い百合は察したのか、顔を上げ、日向を見つめて、静かに呟いた。
「…いいですよ?変なコトしても。」
意地悪そうな笑みで、首を傾げる。
その笑顔は、さながら小悪魔のようだった。
「馬鹿。…大事にしたいって、言っただろ。」
そう言って、日向は百合の頭を優しく撫でた。
「ふふっ。いーっぱい甘えても、いいんですよ?」
髪を撫でられて、百合は幸せそうに笑う。
日向はそんな百合を強く抱きしめて、少し照れたように言う。
「…もう寝るぞ。」
百合のことを、幸せにしたいと思った。
与えられた分より多く、幸せを返したい。
大好きな百合の笑顔を、守りたい。
薄い襖越しに、ひそめた声。
「ちょっと…覗き見なんて、趣味悪いわよ。」
「真紀ちゃんだって、気になるくせに。」
「私は…その…亮太が覗きに行こうとか言うから…。」
「人のそういうコトってなんか面白いよね~。」
「って、誠さんまで!?」
「…何やってんだ?お前ら。」
「うわっ!?将悟まで覗きにきたのか!?」
「ちっげーよ。…お前ら、あんまり茶化してやるなよ。」
「将君だって、気になってきたくせに~。」
「ちがいますよ、話声が聞こえたから来ただけですよ!
ホラ、お前らも部屋戻れって。」
「ちぇー。」
「つっまんないのー。」