「それぞれの夜」

 「それぞれの夜」




静かな部屋の中、彼方は京子の隣に座って、俯いていた。
両手で顔を覆って、まだ止まらない涙を隠す。
あんなことをした手前、彼方は京子の顔を見ることができなかった。

突きつけられた正論すぎる正論に、何も言い返すことができなかった。
間違ったことをしているのは、痛いほど自分でわかっている。
けれどそうする以外に、自分を保つ方法がなかった。

彼方が落ち着くのを待って、京子は温かいカフェオレを淹れてくれた。

「ずっと一緒にいれると思ってた。二人だけで、ずっと、永遠に。
 でも、日向がそれを望んでないってわかって、…怖くなった。」

彼方は、ポツリ、ポツリ、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
京子は、ただ黙って、彼方の話を聞いていた。

ああ、自分はどうして京子に、こんな話をしているのだろう。
きっと、薬のせいだ。
薬のせいで、頭がぼーっとして、判断能力が低下しているんだ。
じゃなきゃ、京子にこんなことを言うはずがない。
そうじゃなきゃ、こんな情けないこと、言えるわけがない。

「でも、日向のことが好きだから、
 日向の幸せを願わないといけないって、そう思ったんだ。
 そう思いこまないと、辛くて死んでしまいそうだった。」

そう言いながら、彼方は手で涙を拭って、顔を上げる。
京子は、黙って正面を見つめたまま、
そっと、彼方にティッシュを差し出す。

疑うこともなく、自分は日向が好きだ。
そんなこと、他人には言えなくても、
京子になら、言ってもいいような気がした。
自分と似たような想いをしている、京子になら。
蔑まず、否定せず、理解してくれると、そう思った。

「…だから、ちゃんと言ったよ。『彼女作りなよ』って。
 進路だって、『一緒じゃなくて、日向の好きなことしなよ』って。
 そう言って、日向を突き放した。冷たくした。」

彼方はたどたどしい言葉を並べながら、
彼方は京子が差し出したティッシュを受け取る。
そして少し乱暴に涙を拭って、彼方は小さく息を吐いた。

「そうしないと、日向は優しいから、きっと僕の手を取ってくれる。
 きっと一人で悩みながら、僕の傍にいてくれる。
 でもそれじゃダメなんだ。僕じゃ日向は…幸せになれないんだ。」

彼方は自嘲的な笑みを浮かべて、ティッシュをギュッと握りしめる。
その笑顔は、痛々しかった。

日向の優しさに縋るのは、いけないことだって、わかってた。
自分が日向を好きな気持ちと、日向が自分に想う気持ちは、多分全然違うものだ。
それは充分にわかっていた。
日向に無理矢理キスをしたあの夜に、嫌というほど思い知らされたんだ。
日向の恐怖に怯えたような顔が、頭から離れなかった。

「本当は、日向のことを好きになっちゃいけないって、わかってた。
 ずっと一緒にいられないことも、わかってたんだ。」

拳をきつく握って、辛い想いを乗せた声を絞り出す。

あの日に戻りたいなんて、言えるわけがない。
散々変わってしまった現実に、後戻りなんて許されない。
変わることを望んだんだ。
変えることを選んだんだ。
全てを変えてしまったのは、自分自身だ。

「でも、好きなんだ。本当に本当に、日向のことが好きなんだ。
 一緒じゃなきゃ駄目なんだ…。日向じゃなきゃ…駄目なんだ…。」

自分が心を開けるのも、落ち着くのも、日向しかいない。
自分には、日向以外に愛せる人間なんていない。
日向しか、いない。

「どうしたら…日向の一番でいられたの…?」

縋るような、弱弱しい声。
その、あまりにも痛々しい彼方の姿に、黙っていた京子は、静かに口を開く。

「別に一番じゃなくても、傍にいられたら、それでいいじゃないですか。」

迷いのない、真っ直ぐな声。
京子も自分と同じような気持ちだと思っていたのに、
彼女は、自分と全く違う選択をしたのか。

好きだから、相手にも好きになってほしい。
ずっと傍にいてほしい。
でも、それができないから、日向から離れた彼方。

好きだけど、相手にも気持ちを伝えない。
いつか離れてしまうことをわかっていても、
今は何も言わずに、傍にいる選択をした京子。

「…京子ちゃんは、強いね。でも、僕はもう…そんなことできない。」

彼方は苦しそうに顔を歪めて、小さく、吐き捨てるように呟く。

「もう…戻れないんだ。
 きっと、もう…日向は、手も繋いでくれない。」

俯いて、震える声を洩らす彼方。

好きだから、突き放す。
突き放すくせに、触れたいなんて、馬鹿げていると思う。
けれど、誰かの体温がないと生きていけないという、弱い人。

小さくため息を吐いて、京子は目を逸らしたまま、彼方の手をそっと握る。

「私で良ければ、手ぐらいなら繋いであげますよ。」

京子の手に、彼方は驚いたように一瞬目を見開いた。
そして何も言えないまま、すぐにまた俯く。
けれど、手を離すことはなかった。

「…なんで、京子ちゃん…そんなに男前なの…。」

そんな彼方の言葉に、京子は少しむくれて、握った彼方の手に爪を立てる。

「痛いよ…。」






将悟の計らいで、亮太と真紀は同じ部屋で眠ることになった。
日向と百合のことが気になって、真紀や誠と共に、こっそりと抜け出して、
二人の部屋の前で息を殺してみても、部屋の中は驚くほど静かだった。
すぐに将悟に見つかって、部屋に戻されたけれど、
二人は仲直りできたのか、風邪で寝込んでいる日向は大丈夫なのか、
亮太は色々気になって眠れなかった。

「日向と百合ちゃん、もう寝たのかな。」

広い和室に布団を二組敷いて、二人は背中合わせで横になっていた。
真紀とは幼馴染で、家族とも仲が良く、小さい頃はよく、
互いの家を行き来して泊まったり、一緒に眠ったりもした。
けれども、高校生にもなって一緒に寝るなんて久しぶりすぎて、
少し亮太は、緊張していた。

「さあ?隠れていちゃこらしてるのかもよ?」

そう答えると、真紀は小さく欠伸を洩らす。
そして、枕を抱きしめて、俯せになる。
俯せで眠るのは、昔からの真紀の癖だ。

「てか、なんで真紀ちゃんと一緒の部屋なんだよー。
 百合ちゃんとがよかったー!」

そう言いながら亮太は、体をごろんと捻って、
仰向けになって、長い両腕を頭の上で伸ばす。
日向と百合が同じ部屋で眠ると聞いて、亮太は驚きもあり、羨ましくもあった。

日向には、夏祭りに見かけて以来、会うこともなかった。
将悟は「風邪で寝込んでるから」と言い、日向に会わせてはくれなかったし、
どうして日向が将悟の家に泊まってるのか、と聞いても、
「色々あって」としか、将悟は答えなかった。
それで「ずーるーいー」と駄々をこねて、自分たちも泊めてもらったのだ。
おかげで誠という、将悟のバンド仲間と仲良くなった。
誠はよく喋って、面白くて、優しい人だった。

「アンタ…よくそんなこと言えるわね…。」

真紀は呆れたようにため息を吐く。

「いや、冗談だけど。」

当然、あの二人の関係を邪魔したいわけではない。
けれど、どうせならみんなでワイワイと盛り上がりたかった。
百合だけは、日向の部屋に入れてもらえたようだけれど、
そのまま百合は、日向の部屋から出てこなかった。
夕食の時も、日向も百合も顔を見せなかった。
今頃百合は、日向と一緒に眠っているのだろう。

「あの子のこと、諦めたんじゃなかったの?」

真紀は顔だけを亮太に向けて、呆れた顔を見せる。

「…諦めたよ。」

亮太は天井を見つめたまま、小さく呟いた。

「その割には、相変わらず百合ちゃん、百合ちゃん、って言ってるじゃないの。」

訝しげに、真紀は言う。
確かに諦めたと言いながら、百合の名前をよく呟くのは自覚していた。
恋心はもうないとしても、何故か目で追ってしまうし、
無意識に「今何をしているのだろう」とか、
「日向とは上手くいってるのか」なんて、考えてしまう。

「…百合ちゃんってさ、日向のことで嬉しそうに笑ったり、
 どうしようって困ったり、落ち込んでしょんぼりしたりするの。
 それがホントに可愛くてさ。
 …俺は、そんな百合ちゃんが、好きだったんだ。」

好きだった。
百合のことが、確かに好きだった。
けれど、自分が好きなのは、日向のことを考えて一喜一憂する百合だった。

「でも告白して、フラれたんでしょー?」

真紀は布団の上で頬杖をつきながら、機嫌が悪そうに言う。
真紀が百合の話題を出すと不機嫌になる理由を、亮太は知らない。
情けなくくすぶっている自分が、みっともないとでも思われている。
それくらいにしか、思っていなかった。

「まあな。でも、わかってたよ。
 俺じゃあ、あんな顔してくれないんだろうなーってさ。」

天井を見つめたまま、亮太は考える。

嬉しそうな顔、困った顔、しょんぼりと肩を落とす姿。
日向にしか、百合にあんな表情は、させられない。
自分には、強気な笑顔しか向けてくれないのは、わかってた。

「そういえば、真紀ちゃんは好きな人、いないの?」

いつも自分の話ばかりで、真紀の恋愛事情なんて、聞いたことがない。
真紀からも何も言わないし、他の友人からも聞いたことがなかった。

亮太の言葉に、真紀は少し考えるように口を噤んだ。
そして、数秒の沈黙の後、真紀は顔を赤らめて、枕に顔を埋める。

「…いるわよ。」

枕越しの、くぐもった声で、小さく呟く。
消え入りそうなほど、小さな声。
その言葉に、亮太は驚いた。

「えっ!?…誰?」

亮太は体をガバッと起こして、真紀を見つめる。
表情は見えないが、頬が赤く染まっているような気がした。

「…ずっと、一緒にいる人。」

知らなかった。
真紀に好きな人がいる話なんて、聞いたことがなかった。
亮太は冴えない頭で、必死に考える。
真紀の、ずっと一緒にいる、好きな人。

「もしかして…」

真紀はギュッと、目を瞑る。
心臓が止まりそうだ。
いくら亮太でも、これだけ言えば、きっと、わかってしまう。

「菊池!?」

「はあ!?なんでそうなるのよ!」

余りにも見当違いな答えに、真紀は顔を上げて、反射的にツッコミを入れてしまう。
真紀の素早いツッコミに、亮太は「へ?」と言いたそうなマヌケ面で、首を傾げる。

「だって、菊池と真紀ちゃん同じクラスだし、部活の時も仲良く喋ってたじゃん!」

真紀と同じクラスの菊池慶介。
亮太や真紀と同じバスケ部で、スポーツだけでもなく、成績もいい。
高校からの同級生で、話している姿は、とても仲良さそうに見えた。

「それは…まあそうだけど、別に菊池のことは、なんとも思ってないわよ。」

真紀はため息を吐いて、肩を落とす。
亮太は察しが悪い。
そんなこと、昔から知っているはずなのに、
気付いてもらえることを期待した自分が、馬鹿みたいだと、真紀は思う。

「アイツも、結構イケメンだと思うけどなあ。」

口を尖らせて、面白くなさそうに、亮太は呟く。

「…まあ、私の好きな人は、イケメン…ではないかもね。」

真紀は口元に手を添えて、考えるように言葉を紡ぐ。

「マヌケで、お馬鹿で、空気が読めなくて、もうなんか…全てにおいて残念な人よ。」

そう言って、真紀は鼻で笑う。
目の前の本人は、不思議そうに首を傾げた。

「…そんな奴のどこがいいんだ?」

そんな亮太のマヌケ面が面白くて、一層真紀は微笑んだ。

「さあね。自分でもよくわかんないわ。」

わざとらしく肩を竦める真紀に、亮太は意味がわからないまま、呟いた。

「ふーん。まあ、そんなもんか。」






みんなが寝静まった夜。
将悟と誠は、将悟の部屋で布団を並べて、背中合わせで横になっていた。
本当は誠には別の部屋を用意していたのだが、日向と百合、亮太と真紀という部屋割にしたら、
「えー?じゃあ俺も将君とがいいー。」と言われ、仕方なく一緒に寝ることになった。
楽器やアンプがたくさん並ぶ部屋は、布団を二組敷くのには少し狭かった。

「ねえ、将君。」

静かな部屋で、誠が囁く声が聞こえる。

「…なんですか?」

将悟は誠に背を向けたまま、静かな声で答える。

「日向君と百合ちゃん、羨ましいと思ってる?」

恋人関係のことを言っているのだろうか。
彼女を亡くした自分を、気にしているのだろうか。

「…アイツらが幸せそうなら、それでいいんじゃないですか。」

二人が羨ましいとか、妬ましいとか、そういうことは思わない。
ただ、なんでここに彼女がいないのだろうと、そう思うことはある。
悲しいとか、辛いとか、苦しいとか、そんなものじゃない。
ただ、どうして、なんで、という、どうしようもない虚無感に襲われるだけだ。

「あのさ、…もう、忘れてもいいんじゃないの?」

躊躇いがちに、誠は呟く。
いつもお喋りな誠が、こんなにも控えめなのは珍しい。
きっと、自分に気を使っているのだろう。

「忘れようと思って忘れられるものなら、とっくに忘れてますよ。」

誠の方を振り返らずに、将悟は静かな声を洩らす。

簡単に忘れられるほど、安い想いじゃない。
自分にとっては、忘れられない大事な記憶だ。
それに、彼女のことを、忘れたくはなかった。

「もう二年だよ?…もっと楽な生き方した方がいいんじゃない?」

窺うような誠の声。
その言葉に、将悟の布団を握る手に、力が籠る。

わかってる。
こんな自分が惨めで、情けなくて、みっともないのは、痛いほどわかっている。
けれど自分は、誠のように器用には生きれない。
彼女のことを忘れて、他の誰かを愛するなんて、できない。

「…それができたら、苦労しませんよ。」



そう言って、将悟は目を瞑った。

麻丸。
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