「ドッペルゲンガーの罪過」
「ドッペルゲンガーの罪過」
‐ねえねえ、日向は大人になったら何になりたい?‐
‐僕はね、ずっと日向の傍にいれれば、それで幸せだよ。‐
‐それだけで、幸せなんだよ。‐
進路調査票。
二人は何も記入せず、白紙のままだった。
大学、専門学校、就職。
自分たちの選べる自由なんて、それほどないことを知っていたからだ。
明るい未来なんて約束されていない。
二人が見ている世界は、驚くくらいに狭いものだった。
結局日向は4日間も寝込んだ。
彼方も日向の看病のため、一緒に休み続けていた。
金曜日にはようやく熱も下がり体調も良くなって登校できた。
久しぶりにクラスに入ると、席で腕を組み、
難しそうに何かを考えている亮太と目が合う。
「あっ…。」
亮太が何か言いかけて、目をそらす。
いつもならうるさいくらいの声で懐いてくるのに。
日向はそのまま亮太の目の前に自分の席についた。
気まずい。
ものすごく背中から視線を感じる。
しかし声をかけてこようとはしない。
日向は、自分がいきなり感情的になってしまったことを、
少しばかり反省していた。
亮太は悪くない。ただ空気が読めないだけで、何も悪くないのだ。
‐やっぱり、自分から謝らないと。‐
覚悟を決め、日向は後ろの席に振り返る。
目が合った亮太は、驚いたような顔をしていた。
「…亮太、」
「ねえねえ!日向!」
日向の声は、彼方に掻き消された。
クラスメイトと談笑していたはずの彼方が、日向のところへやってくる。
「今日から購買のところの自販機に期間限定の当たり付きコーラが入ったんだって!
今から買いに行こうよ!」
「いや、そんなの昼休みでもいいだろ…。」
日向のそんな声をよそに、彼方は強引に日向の手を引く。
廊下へと消える二人を、亮太は少し寂しそうに無言で見送った。
結局一日中休み時間のたびに彼方が日向の傍から離れず、
亮太と一言も言葉を交わすことはなかった。
そして放課後。
いつものように図書室に来た百合は驚いた。
カウンターには見慣れた顔が二つ並んでいた。
‐え?日向先輩が、二人…?‐
亮太が前に話していたことを思い出した。
‐あーアイツ双子なんだよ。‐
一人は本を読み、もう一人はその様子を頬杖をついて静かに微笑んで見ていた。
‐本を読んでるのが日向先輩…よね。隣の人が双子の弟の彼方…先輩?‐
二人の顔はそっくりすぎて、百合には判別がつかない。
しかし、よく見ていると仕草や話し方が全然違うことに気付く。
‐そういえば坂野先輩が前に言ってたな。‐
‐アイツらは双子でも、ちゃんとした別々の人間だよ。‐
百合はいつものように静かに図書室の椅子に座り、
先週日向が読んでいた本を開く。
同じ本を読めば、日向のことが、わかったような気持ちになれるから。
「…今日飼育委員は?」
本から視線を離さないで日向は言う。
「隣のクラスの谷内くんに代わってもらっちゃった。
日向はまだ病み上がりなんだから、僕がちゃんと見てないと。」
彼方は手で口元を隠し、ふふっと柔らかく笑う。
その仕草はまるで女子のようだ。
「もう熱も下がったし、大丈夫だ。」
昔から彼方は心配性だ。
何かあるたびに日向の傍を離れなくなる。
「…日向を一人にしたら、心配だから。」
少し寂しそうに笑う彼方に、日向はため息を吐いた。
「それは俺のセリフだ。」
結局この日は亮太は図書室に来なかった。
毎週毎週何の理由もないのに日向の様子を窺いに来るのに。
ずっと彼方が隣にいたせいで謝れてもいない。
授業中も、後ろから痛いほどの視線を感じていた。
このまま亮太も、離れていくのだろうか。
そんなことを考えているうちに、下校時刻の鐘が鳴る。
図書室に残っていた生徒たちは帰り支度を始める。
いつものように百合がカウンターに来た。
「あの…っ。貸し出しお願いします。」
凛とした声のあどけない少女。
少し緊張した様子だったが、日向が顔を上げれば柔らかな笑顔になる。
「ああ、新田だな。」
「はいっ。あの…この前の本も凄く、面白かったです。」
「そうか。…よかったな。」
その様子を、彼方はただ黙って見ていた。
日向がこうやって他人を世間話をするのは珍しい。
百合が荷物をまとめて図書室を出るのを確認して、彼方は聞いた。
「ねえ、今の子、何?」
日向は鞄に荷物を詰めながら答える。
「一年の新田。なんか毎週俺の読んでた本借りていくんだ。」
「ふーん…」
‐それって絶対、日向のことが好きなんじゃん。‐
面白くない。
彼女も日向を奪うつもりだ。
「あ、ごめん!僕、教室に忘れ物しちゃった!
すぐ戻ってくるからここで待ってて!」
できるだけ自然に、わざとらしい演技をする。
彼方は慌てたそぶりを見せ、日向の返事を待たずに廊下へ駆け出した。
「あ、おい俺も…」
すでに彼方の背中は見えなかった。
日向は一人、図書室に取り残されてしまった。
鞄は置いたままだからすぐ戻ってくるだろう。
そう思い、日向は再びカウンターの椅子に腰かけた。
彼方は走る。3年生の教室がある3階へではなく、玄関のある方へ。
そして、先程の少女を見つけた。
「新田っ!」
少女を呼び止める。
そして息を整え、もう一つの自分を作る。
「…話がある。」
百合が長い黒髪を靡かせ、振り向く。
「なんですか…?」
百合は驚いた様子だった。
図書室以外で喋ることはなかったからだ。
「なんで毎週俺の読んでいた本を借りていくんだ?」
真っ直ぐに自分を見つめる瞳。
ここで誤魔化しても、バレている気がした。
百合は正直に言ってしまおうと決意した。
「…日向先輩と同じ本を読めば、日向先輩のことがわかると思ったからです。」
‐やっぱり、この子…。‐
彼方の中に黒い感情が渦巻く。
それでも、日向のようにポーカーフェイスを崩さない。
「それは…俺のこと、好きなのか?」
「…それは…っ」
顔を赤くして口ごもる百合。
‐…日向のことが、好きなんだ…。‐
彼方は心がカラカラに乾いていくような気がした。
それでも、日向らしく。
大丈夫だ。一番近くで日向を見てきた自分にはできる。
あと一押し。
「俺は…新田のこと…好き、だけどな。」
クールに。大事なことはゆっくり、少し恥ずかしそうに素っ気なく。
そうだ日向ならきっとこうする。こう言う。
「ほ、本当…ですか…っ?私…っ、私も…ずっと…。」
途切れ途切れの期待交じりの声。
百合は口元を手で覆い、感激のあまり瞳から涙が滲む。
そんな百合にそっと近づき、腕の中に閉じ込める。
そして優しく頭を撫でてやる。完璧だ。
-…何がずっとだよ。たかが二ヶ月だろ…。-
ずっと隣で日向を見てきた自分とは違う。
こんな薄っぺらい恋心で、日向を奪われるのは耐えられない。
この女を日向に近づけさせない。
「ああ。だから、付き合ってほしい。」
百合は静かに頷いた。
‐ほら、この子も、ただの馬鹿なんだ。‐
彼方は心の中で目の前の少女を、嘲笑った。