◆ 取引

 六人がランダンの村に辿り着いたのは、夜も更けた頃だった。家々の明かりはまばらで、ほとんどの村人が寝静まっていることを示していた。
 村には一軒しか宿はなかったが、田舎と言って差し支えない地方の為か宿泊客はなく、遅い時間ではあったが広い部屋を二つ取ることができた。

 タヤクに抱えられたまま眠りについていたキーナは、そのまま女性陣が泊まる部屋のベッドへと寝かされる。この宿は一階が酒場兼食堂となっていたので、残りの面々は遅い夕食を取りに降りていく。

 地元の野菜や丹精込めて育てられた牛の肉などに舌鼓を打っていた五人ではあったが、しかし知らぬ間に疲労が溜まっていたのだろう、全員がすぐに睡魔に襲われ、早々に部屋へと引き返し、キーナと同じように深い眠りについたのであった。


――そうして全員が寝静まった深夜。


 窓から降る月明かりを眺めながら、キーナはぼんやりとベッドに腰掛けていた。薄い肩には厚手のカーディガンが掛かっている。

「眠ってしまったのね……」

 些かぼうっとする頭を振りながら呟く。すうっと息を吸い込めば、冷たい空気が喉を通り過ぎていき、思わず咳き込んだ。造りは古いがしつらいは悪くない部屋を見回すと、ミカノとミナミもすぐ傍で寝息を立てていた。

 地竜を倒した後からの記憶が曖昧であり、タヤクやミカノと何かを話したような気もしたのだが、結局キーナは思い出すことを諦めた。忘れたということは大したことではないのだろう、と気持ちを切り替える。

 ふとキーナの視界に、寝ている間に剥いだのであろう、掛布団をとっちらかして寝ているミナミの姿が映り、苦笑する。板床を鳴らさぬようにゆっくりと傍に寄り、そっと布団をかけ直してやった。

「う……ん……」

 布団をかけてやったことで温かくなったのだろう、ミナミの口元が幸せそうに緩み、キーナも優しげな眼差しでそれを見つめていた。
 年の離れた妹が出来たようで、彼女なりにミナミを大切にしているのだ。

 すぐ隣のベッドでは、同じように布団に包まったミカノの寝言が聞こえていた。

「……っ」

 暖房などない安宿は夜の空気に冷え切っていて、つい先ほど眠りから目を覚ましたばかりのキーナは、細い体をぶるりと震わせる。自分に宛がわれた一番窓に近いベッドへ再び潜り込むも、もう眠れそうにない。
 結局またベッドに上体を起こした状態で座り込み、気が付くと、昼間に倒した地竜のことを考えていた。

 語り笛というものであの野盗が呼んだのは間違いないだろう。
 けれど――

「野盗程度が竜族を使役できるものなのかしら……」

 静かな部屋にキーナの声が沈む。口に出した方が考えがまとまるかと思っての行動であったが、あまり変わりがないように感じた。

「ケイヤの言う通りなら、あの笛には暗号とかが封じられるそうだけれど……召喚魔法の一端でも封じてあったのかしら」

 頬にそのほっそりとした手を添えて小首を傾げる。

 召喚魔法とは、召喚主と召喚対象との間で契約が結ばれて成立する魔法のことである。精霊や幻獣との契約が一般的であるが、契約の内容や方法はさまざまである。

 一方で、人語を解さない動物や理性のない魔物など、召喚対象との意志の疎通が不可能な場合、召喚主の力――魔力や精神力が召喚対象を上回っていれば、強制的に召喚・使役ができるという点もある。

 キーナは“地竜を召喚する魔法”があの笛に込められていたのではないか、と推測したのだ。けれども同時に疑問点も浮かび上がる。

 野盗たちはケイヤと戦った際、魔法の類は一切使わなかったのだ。

 キーナも彼らの魔力を探ったものの、どれも大した持ち主ではなかった。それこそ、地竜を屈服させ召喚対象として扱うなど、到底無理だと思っている。

 ならば彼らとは別に“地竜を召喚できる魔法”を笛に込めた何者かがいたのだろうか。
 それとも――

「“鳥籠”の誰かが彼らに接触して、あの笛を渡した……?」

 自分の呟きに、ふるりと首を振る。けれどもキーナ自身、それが一番しっくりくる答えのような気がしてならないのだ。
 逃げ出した自分たちを何年も探し続けているのだとしたら、事前に何らかの手立てを講じていたのかもしれない。
 ましてやあの屋敷があった森は“鳥籠”からそう遠くない場所にあったのだ。“鳥籠”周辺に念入りに手を打っていてもおかしくはない。

「――考えすぎならいいけれど」

 はぁ、と溜息が漏れる。
 終わったことをいつまでも考えるのが自身の悪い癖だとは自覚していたが、少しでも時間が空くとなにかしらを考え込んでしまうのだ。

 自覚している反面、その癖を改める気は更々なかったが。

「少しでも気になることは明確にしておかないと……」

 あの五人の誰も、死なせないように。

 誰よりも何よりも周りに目を光らせ、警戒し、真っ先に行動が出来るように決めていたのだ。

「……――?」

 ふと、窓の外がにわかに明るくなる。
 陽の光の様な明るく力強いものではなく、どこかぼんやりと、ゆらゆらとほのかに見え、光源が幾つもあるようだった。

 時間を確認しても、時計はまだ深夜の三時を示したばかりである。村の人々が活動するにはかなり早い時間だ。

「なにかしら……?」

 疑問に思いながらカーテンを開き眼下を覗き込むと、村人の間から「おぉ」というざわめきが生まれた。宿をぐるりと取り囲むように集まった村人たちは、手に手に松明を握り締めている。それが明りの正体のようだ。
 よくよく見れば働き盛りの男性の顔しか見当たらず、女性や子供、年寄りは一人もいない。


――背筋がぞくりと粟立った。


「お前さんは食事を摂らなかったのか……」


 窓の外を伺っていたキーナの背後から声がかけられる。
 驚いて振り向くと、そこには小柄な老人と、それにつき従う二人の体格のいい男性がいた。その手元ではランプが煌煌と明かりを生み出している。

 油断なくじっと三人の男を見つめながら、キーナも口を開き静かに答えた。

「寝ていたから……食べそこなったわ」
「惜しいことを」

 あごに生えた白ひげを片手でいじりながら、老人はにやりと笑う。

「天国へ行き損ねたのぅ」
「っ?!」

 背筋がぞわぞわとざわつく。
 視界の端に老人たちを捉えながら、いまだ眠っているミカノとミナミの様子を伺う。二人は先ほどと変わらず安定した寝息を立てていたが、老人の言葉で覚えた不安は、キーナの中から消えなかった。

「毒を、盛ったの?」
「さて。ただの眠り薬じゃ」
「……」
「寝息を立てているだろう? 人殺しなんて恐ろしくて、わしらには出来んよ」

 ほっほ、と好々爺然笑うその老人に、ひどく不快な印象を抱く。
 警戒を強め自然と胸のあたりに両手を持ってくるキーナのことなど気にもせず、老人は彼女へと一歩近づく。その間にも、外の明かりはどんどん強くなっている気がした。

「さて。ものは相談だが……お嬢さん、ちょいと売られてくれんかね?」

 突然の話の振りに、キーナは驚くしかなかった。しかし彼女の表情の変化は老人には分からなかったらしく、

「ふん、動ぜんか」

 と、不愉快そうに鼻を鳴らす。眉間に皺を寄せたまま、老人は先を続けた。

「お前さんたちの誰でもいい“誰か”を欲しいと言う方がいての。言葉通り、誰でもよかったんだが、たまたまお嬢さんが目を覚ましていた。なら交渉せにゃならんのう、というわけでな」
「誰が、私たちを欲しいというの?」
「それは言えん」

 にやにやと粘っこい笑みを浮かべながら自身の髭を撫でる老人を、精一杯睨み付ける。

 自分の問いに答える気はさらさらないのだろうと感じたキーナは、別の質問を老人にぶつけてみることにした。それも、彼女が気にかけていることの一つであった。

「……私が行かなかったら?」
「そりゃ残念じゃが、お嬢さんには眠って頂いて、別のお仲間を差し出すしかないわなぁ」

 あっさりと答える老人の言葉に不快感が募る。自分が優位だと信じて疑っていないのだろう、しわしわの手がキーナの頬に触れ、目で眠っている二人を指し示す。


 吐き気がした。


 眠らせたミカノとミナミ、それから恐らく別室で同じく眠らされているケイヤたちを盾に脅されているのだ。外に集まっている村人たちも、この老人に従っているのだろう。

 素直に応じたくはないが、それでも五人のことを考えれば頷くしかない。

「いいわ、連れていって」

 そう言った瞬間。



「――誰が行っていいと言った?」



 大きな手が、キーナの視界を遮った。

「え……?」

 濡れた感覚。
 頬を何かが撫でるように通ったのを、キーナは一瞬、自分が泣いているのかと錯覚した。

「ケイ、ヤ……?」
「待たせた」

 聞きなれた低い声に安堵し、そして困惑する。


――だって、あなたも夕食をここで……


「――腕を刺して、眠気を飛ばしたか」

 老人の言葉に耳を疑った。
 けれど、ケイヤの体から、視界を遮る手からは、鉄錆の匂いがするなにかが流れていて。

「この程度なら問題はない」

 キーナの目を塞いでいた手が、退かされる。振り向けば、剣を携え月を窓越しに背負って立つケイヤの姿が。
 右腕には、痛々しいほどの傷ができていた。

「行かせはしない。ミナミが泣く。ミカノが切れる。」

 マサアもタヤクもだ。

 そう言って、ケイヤは彼女からぴたりとくっついて離れず、その姿は全身で盾になっているようだった。
 
じっと黙って見ていた老人だったが、片眉をぴくりと跳ねさせ、不機嫌そうに口を開く。その声音は先ほどまでキーナと話していたような調子ではなく、低音でやや強張ったものだった。

「おんしら二人とも切り捨てて、四人から別に選別してもいい」
「それもさせない」

 きっぱりと言い放つケイヤに、ぐぬ、と押し殺した声を洩らす。
 宿を取り囲む人の輪はさらに厚くなり、老人たちの後ろにもどかどかと人が集まってきていた。


――このままではケイヤは村の人たちを切り殺してしまう
――そんなのは嫌


 そう思ったキーナは、自身の視界を遮るように前に出たケイヤの背を見ながら、決断した。それがケイヤを悲しませることになる決断だとしても。

 キーナは彼と老人の前に再び立ち、顔を上げて告げる。胸の前で強く握られた手は、震えていた。

「いいわ、連れて行って」
「キーナ」

 静かだけれども、少し硬くなった声で名前を呼ばれる。
 それでもどうしても、彼女には譲れないことであった。

 ケイヤを振り返ることなく、出来るだけ淡々と言い聞かせる。
 振り向いてしまえば、決心が揺らいでしまいそうだから。

「いいから、ね? ……お願いだから、傷つけないで」


自分も、他人も。
傷つけては欲しくない。


 まっすぐ老人たちの元へと歩んでいくキーナに、ケイヤはもう、何も言わなかった。


◆ ◆ ◆


――頬を叩かれる感触でマサアは目を覚ました。


 なぜだか胸元が濡れていて気持ち悪い。ぐっしょりと重いその感覚は、彼を微睡みの淵から一気に引きずり上げた。

「な……っ、ってぇ、頭が……」

 頭が割れるように痛い。
 マサアは知る由もないが、眠り薬の影響だろう。

 しかし、そんな痛みも、自分に跨って胸倉を掴むケイヤの姿に吹き飛んだ。

「ケ」
「やっと……起きたか……」

 ひゅうひゅうと、浅く呼吸を繰り返す彼の右手からは、おびただしいほどの血が零れ落ちていた。すでに黒く乾いた血の跡も紛れており、よく見るとその全身が大小の傷に塗れている。

 マサアは茫然と、それらを見ていた。

「キーナが、連れていかれた……」
「?!」
「早く、行け」

 段々と弱まる呼吸音。かなりの出血なのだろう、暗い部屋の中でも分かるほど、ケイヤの顔色は蒼褪めている。

 ひゅっ、と自分の喉が鳴ったのを、マサアは確かに聞いた。
 それは、怒りであった。

「誰が、やった」
「……?」

 マサアの金色の眼が、ぎらりと暗く揺らぐ。

「お前の治療もしなきゃ。どうして、お前ほどの腕があってこんな……」
「あいつが、傷つけるな、と、言ったから」


 だから。


 そのまま、ケイヤはマサアへ覆いかぶさるように倒れ伏せた。血が足りなくなり、気を失ったようだった。

「……」

 ケイヤの体を優しく支えて、自分のベッドに横たえる。先程から、血の匂いが鼻をついて離れない。窓を開けると、小さな村にしては多くの人が外に集まっていた。なぜか全員男である。

 彼らは窓から見下ろしてくるマサアに気が付くと、ぎょっとしたように目を見開き、あるいは息を呑んで顔を蒼褪めさせていた。

「っひぃ!」
「か、勘弁してくれっ!」

 うつ伏せになって倒れている者と、なぜか命乞いをする者の姿と。
 マサアの眼には、全てが暗く重く映り、そして理解した。


 彼らがケイヤを傷つけ、キーナを連れ去った。


 村人たちの傍には鍬や鋤などの農具が転がっており、所々に赤い点々があった。倒れている者達には大した外傷は見当たらず、それぞれ鳩尾や後頭部、顎を叩かれて気絶している。
 恐らく「傷つけるな」というキーナの言葉を、ケイヤは忠実に実行したのであろう。

「ケイヤ。もうちょっと我慢しといて」

 誓うように、マサアは言う。

「キーナの居場所、すぐに確認するから」

 祈るように、マサアは言う。


 隣のベッドを足で蹴り揚げひっくり返してタヤクを叩き起こし、すぐさま窓からひらりと飛び降りる。


「――おれの幼馴染みたちに、なにをしてくれた」


 何もかもを凍てつかせるようなマサアの視線に、男達は「ひぃっ」と情けない声を上げるしかなかった。

伽世
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伽世

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