◆ マサアとキーナ

 一方、マサアとキーナは二人でとぼとぼと街道を歩いていた。

 タヤクとミナミを気にしつつ歩いていた二人だったのだが、気が付くと、ケイヤとミカノの姿が見えなくなっていたのだ。慌てて先を急いで駆けたものの、どこまで行っても二人の姿は見当たらなかった。

「気が付かないうちに抜いてしまったのかしら……?」

 不安そうにキーナが呟くも、二人して前を行くケイヤ達を抜かしたことに気が付かないなんてことはないはずだ、とマサアが反論し、仕方なく先に進むことにしたのだ。

 彼女もそう口にしたものの、一本道を歩いているのに抜かしたことが分からないなどということはないとは分かっている。いつの間にか消えてしまった二人のことが気になり過ぎて、口をついて出てしまったのだ。

 しかし。

「……行っても行っても道だなぁ」
「そうね……」

 少しも変わらない風景と並んで歩き続け、はや二時間弱。二人の表情には仲間を見失ったことからくる不安と、それによる疲れが滲んでいた。

 特にキーナは体力が人の半分もないので、疲労の色も濃い。もともと陶器のように白い顔色は、いまは蒼褪めてさえ見える。
 マサアが時折気にして足を止めたりもしたが、彼女は曖昧に笑って返すだけで、立ち止まることはなかった。



――つっても、もうダメだよなぁ……



 イシヤの街を出立してから連日の野宿も響いている彼女を、マサアは気遣わしげに見やる。長年傍に居続けたマサアだからこそ、彼女がどれほど無理をして、どれほど我慢をしているのかも分かっているつもりだ。

 キーナは自分のことに関しては無頓着で後回しにする傾向がある為、常にマサアやケイヤが目を光らせている部分もある。

「なぁ、キーナ。やっぱり休もう」
「でも……」
「うん、ダメだ。もう歩かせない」

 言って、彼女の手を取りずんずんと道を逸れて、草が生い茂っていた場所に強引に座らせてしまった。森を背に座り込むことになるが、足を踏み入れるわけではないのだから構わないだろうと判断したのだ。
 大木から伸びる太い枝は日差しを適度に防ぎ、腰を下ろした緑はとても柔らかかった。

「タヤク達はどのくらい時間かかるか分からないし、ケイヤ達は前にいるのか後ろにいるのかも分かんないんだ。おれたちだけが闇雲に急いでもしょうがないよ」

 隣に座りながらそう言うマサアの顔を見つめ、少し困ったように微笑んで頷く。こうなったら彼は絶対譲らないことを、彼女もまた分かっていた。
 マサアが本当に自分を心配して気遣ってくれていることを知っているから、キーナもそれに甘えることが出来るのだ。

 座っていると風が頬を撫ぜていく感触が心地良く、汗ばんだ背中がひやりとした。足がじんわり熱くなるのを感じ、思った以上に疲れていたことが分かる。

 ふぅ、と小さくため息をつくキーナを、マサアはにこにこと見つめる。その視線がむず痒く感じた。

「どうしたの、マサア」
「ん? いや、なんかキーナと二人になるのも久しぶりだなぁ、って。前はあんだけ一緒にいたのにな」
「そうね」

 二人の脳裏に思い起こされるのは、“鳥籠”よりももっと古い記憶。
 こぢんまりとした、廃教会を利用したわずかな集まりの孤児院時代。

 最初はマサアだった。
 ケイヤが入って、キーナが住んで。

「あの頃はケイヤもキーナも可愛かったよなぁ。おれにもうべったりでさ。ちょー嬉しかったぁ」
「あれは……その……」

 珍しく恥ずかしそうに頬を染める彼女に、やはりにこにこと優しく笑いかける。彼の方が二十センチ以上も背が高いのだが、座ってしまえばあまりその差はない。

 長い脚を街道に投げ出して座るマサアの髪が太陽の光と混ざって、キーナの眼には本物の陽の色に見えて眩しかった。

「最初は大変だったけどな。ケイヤは人見知りが酷過ぎて、他人の体温が気持ち悪くて吐いちゃうし」
「そうだったらしいわね」

 ケイヤより後に入った彼女はその辺のことをよく知らなかった。彼女が会った時はもう、いまのケイヤと変わらなかったからだ。

 人に触れられるのが嫌で、人の温かさが嫌いで、誰も彼もを拒んでいたケイヤ。そんな彼の心をマサアだけがどうして、どうやって開いたのかは、キーナにも分からない。



――でも、マサアだから出来たのよね、きっと



 隣に座る、あどけない顔で笑う青年の顔をじっと見つめる。
 普段は子供のように無邪気なマサアだが、その反面、実は人の心の機微にかなり聡く、それとは分からないように人と人との関係や場の空気を上手くまとめることに長けていた。

 ケイヤだけではなく、キーナも彼に救われた一人である。

「キーナはキーナで、近付く人がみーんな怖くてわんわん泣いて、ケイヤを困らせたよな」
「そう、だったかしら」
「そうだよー」

 笑うマサアにつられて、ぎこちない微笑みを返す。
 いまでこそあまり泣きはしないが、昔は本当によく泣いたものだったと、自身でも思い返す。



――何もかもが怖くて、マサアやケイヤがいないと部屋の外にも出られなかった



 その当時のことを思い返して、ぎゅっと唇を結ぶ。

 人が怖かったのだ。
 なにがどう、と問われても、彼女自身も答えようがない。けれどもそれはケイヤのように“人が怖い”という部分よりも、“人に拒絶されることが怖い”ということのほうが強かった。

 顔を俯かせて黙ってしまったキーナの髪を優しく手で梳いてやりながら、

「それが今じゃ二人とも、なっかなかつれなくなっちゃって」

 よよ、とマサアが泣くフリをすれば、彼女もまた顔を上げてくすりと笑った。キーナのこの、控えめな笑顔が大好きだった。

「そんなこと言っていると、ミナミが泣いてしまうわよ?」
「んー、それなんだよなぁ」
「え?」

 思わぬところで反応されたことに、キーナはきょとんと目を丸くし首を傾げた。彼は宙を睨むように唇を尖らせ、うーんと唸り声を上げる。

「ミナミはさ、おれがキーナやミカノと話してると、どうしてむくれちゃうんだろ?」
「……え?」

 どうやら本当に分からないらしく、腕を組んでうんうんと本格的に考え始めていた。その様子をぽかんと眺めていたキーナだったが、はっと我に返り「えぇと」と声をかける。しかしその声音も未だ戸惑ったように揺らいでいた。

「分からないの? 本当に?」
「うん」
「……ミナミのこと、好きなのよね?」
「あったり前だろ! 大好きだよ!」

 少女のことでも思い出しているのか、マサアの表情はこれ以上ないほど幸せそうに蕩けていた。彼のこんなにだらしない顔などついぞ見たことがない。
 そんな風に誰かを好きになる余裕がマサアに見られたことで、キーナの口元も自然と緩んでいく。

 “鳥籠”でもそうだが、それ以前、孤児院時代から彼に庇ってもらい大事にしてもらっていたキーナにとっては、心底嬉しいことであった。

 自分やケイヤを大事に守ってくれるのはありがたい、けれども、マサア自身がそれによって擦り減ったりしてしまわないか、それが心配だったのだ。

「――そう。それなら、ミナミがタヤクやケイヤと話しをしていたら、ムカムカしない?」
「しない」

 きっぱりとマサアは言い切る。その眼は真っ直ぐにキーナを見つめ、少しの揺らぎもなかった。

「だってケイヤは良い奴だし、タヤクにはミカノがいるし。なんでムカムカしなきゃいけないの?」



――なんだか誰かさんがくしゃみをしそうな台詞があったわね



 そう思いつつ、ひとまず頭の片隅にそれは置いておくことにし、キーナはまじまじとその眼を見つめ返した。

 どうやら今のところ、マサアの中には“嫉妬”というものが存在しないらしい。馴れ親しんだ者だからこその懸念も少しはあるはずなのだが、彼の中にはそんなもの、欠けらも見当たらなかった。



――これは、ミナミが不安になるわけだわ……



 内心で深い溜息をつく。

「取り敢えず」
「ん?」

 ぺちんっ、と隣に並ぶ頭を叩いた。痛くも何ともないそれに、マサアは大きい瞳をさらに丸くしてキーナを伺う。彼女はそのまま、彼の柔らかな髪を撫でながら言った。

「ミナミを大事にしてあげて?」

 それは滅多にないキーナからの“お願い”で、大事にしてるよなぁ、と思いながらも素直に頷いた。それを見て、キーナはにこりと笑う。マサアは彼女が笑ってくれたことが嬉しくてにっこり笑い返す。

 そよそよとなびいていた風も肌に冷たく感じるようになり、自分達が思った以上に長く休んでいたことに気付く。
 どちらが先に立ち上がっただろうか。夕暮れに染まりつつある街道を、二人はまた歩きだす。


 仲の良い兄妹のように、並んだ影法師は長く、長く――

伽世
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伽世

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