◆ 苛立ち

 そうこうしているうちにもロウはどんどん高く舞い上がっていき、ミカノがいよいよ険しい目で彼を睨みつける。

 空中から降り下りる声は先ほどまでと変わらず丁寧だったものの、やはりどこか固く冷たい。

「今回お話をしようと思ったのは、一応、あなた達に期待しているからです。だからこそとっておきの情報もいまから差し上げます」
「とっておきの情報?」

 小首を傾げて問い返すミカノにもにっこり笑い返していたが、その底は読めず、ただただ暗い感情が眠っているようにしかケイヤには見えない。

「えぇ。あなたたちが女神の残した法具を探しているであろうことは見当がついています。そのうちの一つが、レズウェル大陸のどこかに封じられていますよ」
「――それさぁ、気になってたのよね」

 今の今まで黙っていたミカノの口が開かれる。

「法具を手にして破壊神の神殿へ臨む、ってーのは聞いてたわよ。けどさぁ、法具なんてそうぽんぽんとあるようなものじゃないでしょ? だったら今までの“花嫁”たちはどうしていたのよ」

 ミカノの疑問はケイヤも気になっていたところであった。

 破壊神を封じた女神の結界に生身では立ち入ることさえ出来ないから、女神の残した法具が必要になるのだと言われている。しかし、封印が解けるたびに毎度毎度そう用意出来るものでもないと考えていたのだ。

 “花嫁”と女神は一つになり、そのまま封印を施されてしまう。

 法具にどこまでの効果があるかは分からないが、少なくとも“騎士”が封印を施した“花嫁”を祠に設置するのだから、装備者だけでなく周囲にもいくらかの影響は及ぼすのであろう。逆に、“騎士”が法具を装備するのかもしれない。



――しかしその“騎士”も破壊神の封印に使われてしまうというのであれば……



 ミカノがロウを睨みつけている間、再び思考の海に沈みかけていたケイヤであったが、少年の高い声に意識を呼び戻される。

「ちゃんと渡してましたよ。みなさんに同じものを」
「同じものを……どうやって」
「言ったでしょう、三人の“騎士”のうち二人は予備だと。封印に使われなかった男たちがそれを回収して僕らに返しに来るんですよ」

 そう言ったロウは、この上なく嬉しそうに笑った。にんまりと、口の両端を吊り上げて。


「――口封じは毎回させて頂きましたけれどね」


 ロウの言葉にミカノの目がぎらりと鈍く瞬いた。

 烈火の如く飛び出した彼女はその手にした槍を渾身の力を持ってロウに叩きつける。バシッ! と鈍く重い音がしたがその一撃はロウに当たらず、彼の手が作り出した魔力障壁に阻まれていた。

「?!」

 しかし、ミカノの一撃は彼にダメージを与えることを狙ったものではなく、空中から引きずり落とすための攻撃であった。
 その目論見は成功し、彼女の放った重い一撃の威力を殺せなかったロウは、そのまま地面へと力尽くで落とされる。どしんっ、と体が地面に落ちる音が響いた。
 ぐぅっ、という呻きとともに口から息を吐きだす。

 その目の前には、仁王立ちで見下げるミカノの姿が。

「なんで? なんでイチイチ口封じなんかする理由があるワケ?」

 ミカノの瞳はまるで煮詰めたような色濃い緑色を一層昏くし、静かな怒りを湛えていた。その彼女の目をまともにみたロウは一瞬びくりと身を竦ませたが、己の反応に羞恥を示し、彼女をぎっ、と睨み返した。

「言ったでしょう、人は醜いって……あちこちで法具のことを吹聴される恐れもあります。人間と言うのはなにかと自身を大きく見せたいようですから。破壊神の封印に関して色々バラされて、法具を狙う馬鹿者が出る可能性もありましたからね」

 そうロウが言えば、

「利用するだけ利用しといて、はいお疲れさん! って始末するアンタらのがよっぽど醜いと思うケド。大体さぁ、人の意思を無視してあんなトコに閉じ込めて人柱にする、ってーことからして気に食わないのよねー」

 彼に負けじとミカノも畳み掛けるように言葉を放つ。舌戦で彼女に勝てる気がしないというのはタヤクの言だが、いま目の前にしてケイヤも同様のことを思った。



――理屈云々ではなく、気迫負けしそうだ……



 ロウもそれは同じだったようで、わずかに怯んだがすぐに睨み返す。見開かれた瞳は怒りで爛々と輝いていた。

 その様子を黙って観察しながら、ケイヤはロウの中身がうまく掴めないでいた。ローウェンというこの少年は、ハイネとシアという“人間”とともに行動しておきながら、必要以上にその“人間”を見下す節がある。

「大嫌いな人間に頼るだけで、あんたらその他の種族は引き籠ってご褒美チラつかせるだけとか、楽な仕事してるわよねー」
「――黙れっ!!」

 叫びにも似たロウの声が森にこだました。

「黙れ黙れ黙れっ! お前ら人間が女神を誑かして破壊神が産まれたんだ! お前ら人間の欲汚さのせいだろう!?」
「女神を、誑かす?」

 先ほどまでの余裕を持った言葉遣いはどこへ行ったのか、ロウは感情のまま、子供のようにただまくしたてる。その変貌ぶりも気にはなったが、ケイヤには彼の言葉の意味が分からなかった。

 破壊神は空の果て、もしくは底知れぬ地中から生まれ出でたものではなかったのか。そう問うと、ロウは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「君たちはアレを信じていたの? あんなもの、人間が自分たちに都合の悪いものを消すために創り上げた物語さ」
「なに?」
「一柱の女神が人間の男に惚れてしまったのが本当の始まり。人の男に恋焦がれてしまった女神が、自分の力を男に分け与えた。その力を男が制御出来ずに暴走して変貌したのが覇王、つまりは破壊神なんだよ」

 立ち上がりながら紡ぐ彼の言葉にケイヤは眉を潜め、ミカノの視線は鋭くなった。

「それは事実なのか?」
「汚い人間のように僕は嘘をつかないよ。どんなテを使ったのかは知らないけれど、女神を誑かして力を手に入れたような人間とは違う」

 蔑んだ、冷ややかな目でケイヤとミカノとを見つめる。

 幼い頃、それこそ“鳥籠”にいる時も聞いたことのある三柱物語の“真実”。
 俄かには信じ難い話ではあるが、ロウの自信に溢れた姿を見る限り、簡単には否定出来なかった。

 口を噤んだままロウの真意を探るケイヤを脇目に、ミカノが一歩前へ出て挑むように口を開く。態度とは裏腹に、その表情は若干の呆れが含まれていた。

「あのねぇ、女神が勝手にその人に惚れちゃったんでしょ? のぼせ上がった頭のままその人に力を与えたわけでしょ? じゃあ、その人もただの被害者じゃない。元凶はその女神とやらじゃない」
「なっ!?」

 ミカノのその言葉にロウが絶句する。まさかこの世界を創造した神を否定する言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。

 ロウは知らない。
 ミカノもケイヤも、神など信じないし頼りもしないのだということを。



――そんなものがいるのなら、“俺はあの時あの人を助けられた”



 ミカノの言葉に一瞬だけ昔のことを思い出しかけたケイヤだったが、すぐに目の前のやり取りに意識を戻す。真っ直ぐに敵を見据えるミカノと、羞恥とも怒りとも知れない感情によって震える手を握りしめるロウ。

「あたしだって嫌いな人間はいっぱいいるけど、死んでほしくない人だって片手くらいはいるんだから。そんな風に人間の命をぽこぽこ使われたらあんた」
「う……うるさいっ! もういい、あんたたちは要らないっ!」
「あっ! こら待てってーの! こっちの話はまだっ」

 瞬時に消えさるロウと入れ替わるように、巨大な土人形――ゴーレムが二人の眼前に出現した。カレアナンの兵士よろしく、あの少年が召喚したのだろうと推測する。

「あんのくそガキッ! 今度会ったらおもっきしはっ倒してやる!」
「お前ならやりかねんな」

 地団太を踏みながら文句を言い続けるミカノに適当に相槌を打ちつつ、ケイヤは手にした剣を改めて握り直す。
 目の前の敵から視線を動かさないまま、「とりあえず」と呟くと、

「ゴーレムぶっ壊さなくっちゃねっ!」

 と、楽しげにミカノが答えたのであった。

伽世
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