◆ 両想い

◆ ◆ ◆


 規則正しい呼吸の音がする。
 その音を聞いているとすごく落ち着いてきて、ミナミはもう一度眠りに落ちようと……――

「したらだめだってば!!」

 がばっ、と布団を剥いで飛び起きる。結わえていないふわふわとした桃色の髪が、自分の頬を掠めた。

「……って……え?」

 はっ、と短く息を吐き出し、ドキドキとうるさい胸を両手でぎゅっと押さえつける。そうしてようやく落ち着いた時、自分が今しがた剥いだものの正体に気が付いた。


――布団?


 寝ている合間にかいたのであろう汗が背筋を濡らす。額を湿らせ頬に流れたそれをぐいと拳で拭った。
 薄暗い部屋の隅、そこに用意されているベッドの上にミナミは寝かされていたのだった。

 ふと横を見れば厚いカーテンが引かれた窓があり、そのせいで外からの光が入っていなかった。唯一の光源である常夜燈も、消えそうにちらちらと揺らいでいる。
 ぼんやりとした頭で考え、ようやくここが自分たちの借りた宿だということに気が付いた。

 とりあえずカーテンを開けようとベッドから這い出すと、意外と冷えた空気に体が晒され、ふるりと身を震わせた。
 自分の格好も、見たことのないワンピース。足首まである長さの真っ白なそれは清潔に洗濯されていて、恐らくこの宿屋の寝巻か何かなのだろうと考える。もしかしたら、ミカノやキーナが買ってきてくれた服なのかもしれない。

 ふと見ると掛け布団の上に薄いカーディガンが広げて置いてあったので、それを肩に引っ掛けて窓に近寄る。床は毛足の長い絨毯が敷いてあったので、裸足でも冷たくなかった。柔らかな踏み心地が気持ちいい。

「わぁ……」

 カーテンを開けると、夜の町は想像よりも明るかった。占いの町は夜にこそ動きだす。そんな印象をミナミは抱く。
 蝋燭やランプの淡い光がちらちらとそこかしこで揺らめいて、集まる人々は堂々と、そしてこそこそと動いている。その矛盾こそ、この街の本来の姿なのかもしれない。

「……」

 夜の砂漠はとても寒いので、部屋の暖気を逃がさない為のカーテンかと思っていたが、これらの光を遮るためにもこの厚さが必要だったのだろう。


――砂漠……


 その単語が思い浮かんだとたん、ミナミの脳内に凄まじい数の画が浮かび上がった。バラバラと猛烈な勢いで本のページを捲るように、それは次々と変わっていき、最後に思い出したのは――

「マサアっ!!」

 弾かれたように室内を振り返る。今まで何をしていてなぜここにいるのか、ミナミはようやく思い出した。その表情は酷く強張り、蒼褪めてさえいる。


――砂漠で腕輪を解放して、意識がなかった私をリイセさんのナイフから庇って……


 宿に戻ってきているのは、誰かが自分を運んできてくれたからだろう。
 では、その誰かとは誰なのか。

 ミナミの心臓は駆け足のごとくばくばくと早鳴りを続ける。焦る心とは裏腹に、彼女の耳は先ほどからずっと、とある音を捉え続けていた。

「……どこ!?」

 部屋の中には自分の寝ていたベッドが一つだけ。一人部屋なのだから他に寝る場所はないはずなのだが、寝息はまだ続いている。
 暗い部屋の中を忙しなく見回し、そして……見つけた。

 入口の横にある、ソファの上。
 大きな体を横たわらせて、マサアが眠っていた。
 ぐうぐうと大きないびきをかきながら。

「ふ、ぅ……っ」

 ミナミは、へにゃりと笑うしかできなかった。
 大きなアメジストの様な瞳には涙が玉のように浮かび上がり、唇はぶるぶると震えてしまう。胸元できつく握りしめていた両手は、安堵からか、ゆるりと解けた。

 彼を起こさないようにそっとソファに近付き、その顔を覗き込む。頬や額にはガーゼと包帯が、首筋には絆創膏が幾つか貼られていた。手足や腕にも包帯が巻かれていて、足首には添え木を当てられている。
 キーナがわざと回復をしなかったのだとミナミは見当をつけた。

 廃屋で暮らしていた時にタヤクが骨折をしたことがあり、そのとき、全てを癒そうとするミナミをキーナが止めたのだ。
 人間には自然治癒という力が備わっていて、魔法で何でもかんでも回復するとその力がだんだん弱まっていく。だから、命に関わるような大きな怪我だけは治して、そうでないものは自然治癒に任せるべきだ、と言い聞かされていたのだ。

「……分かるけど、痛そうなのは嫌なのよね」

 マサアの怪我の一つ一つを丹念に見て、呟く。

 暗い部屋の中でも、マサアの陽色の髪は穏やかな色を保っていた。
 ほっとする温かな色。
 その短い髪は触れるとちくちくと肌を刺したが、気持ちよかった。


――頬に口づける。


「大好き、マサア。生きててくれて、ありがとう」


◆ ◆ ◆


 どのくらいそうしていたのだろうか。

 ミナミがマサアの髪を愛おしむように撫でていると、彼の眼がうっすらと開いた。数度瞬きを繰り返し、段々と焦点が合ってくる。

 そうしていると、暗い部屋の中で自分を見つめている桃色の髪の少女に気が付いた。

「ミナミ……」
「まだ寝てていいのに。夜だよ?」

 寝ぼけ眼で「うん」と小さく返事し、かけてあった薄い布団を頭からかぶって。

「っミナミ?!」

 がばぁっ! と、先ほどのミナミと同じように勢いよく起き上った。
 布団の上を這い出し彼女に近付き、膝立ちになってミナミの細い両肩を掴んで揺さぶる。大きく丸い瞳は、いまにも泣き出しそうであった。

「起きたのミナミ?! けが、怪我は痛くないか? 跡残ってないか? 喉でも乾いて目が覚めたのか?」
「マサアってば」

 いっぺんにしゃべり始めるマサアに向かい、「しーっ」と言いながら人差し指を口元で立てる。しかしその唇は、くすぐったそうに笑みの形を象っていた。

「もう、夜って言ったでしょ? 他にもお客さんいるんだろうし、大声出したらだめじゃない」
「あ、う……ごめん。でも」

 言葉と同時に、すぃっ、と軽く横抱きに抱えあげられ、「きゃっ」と小さく悲鳴が漏れた。そのまま今まで眠っていたベッドへと連れていかれ、横たえられる。

 突然抱えられたミナミの頬は暗がりでもわかるほど真っ赤に染め上がっていたが、マサアはいたって平然としたものだった。
 恥ずかしさと嬉しさで頭が爆発しそうなミナミであったが、添え木をしていた彼の足のことが気になってはいたものの、当の本人は痛くもなんともないかのように動いている。

 先ほどまでとは逆に、ベッドにミナミが横たわり、その端にマサアが腰かけ、彼女の頭をあやすように撫でていた。普段は櫛を通して二つにきちんと結わえて整えられている髪も、いまは柔らかなくせ毛がふわふわとベッドに広がっている。

 彼の大きく温かな手に撫でられるのが、ミナミは大好きだった。

「風邪ひいちゃうし、傷に触るから横になってなよ」
「うん。マサアも」
「おれはもうたくさん寝たよ」

 にっこり笑ってミナミの小さな手を握る。
 ミナミの肩にかけてあったカーディガンは、いまはマサアの肩に移っている。濃いサーモンピンクのそれは、とても似合うとは言えなかった。

「今日は大変だったな、ミナミ」
「うん。ね、リイセさんはどうしたの?」

 そう彼女が訊ねると、マサアは少し不快そうに眉を顰めた。いつもにこにこ、穏やかに人と接するマサアには珍しい表情。その仏頂面のまま、ミナミが意識を失っている間のことをぽつぽつと話し始めた。

 女神の記憶によってミナミが暴走していたこと。
 より厳密に言えば、腕輪に封じられていた女神の力の片鱗が噴出していたということ。
 それから当初の目的通り、リイセが現れたこと。

 マサアの怪我の一因となった無数のナイフも、リイセが放ったものだと自ら話してくれた。それ自体はリイセも話してくれたので驚きはしなかったが。
 何故そんなことをしたのかまでは「分からない」と言われたが、もしかしたら彼も知らないのでは、とミナミは思うことにした。

 そして。

「それから、あの人は帰った。ハイネと一緒に」
「え? そうなの?」

 それはミナミの中では意外なことであった。

 リイセはどちらかというと意志が強い方だと思っていたので、ハイネについていく姿が少々想像しにくかったのだ。

 それはマサアも同じような印象を持っていたらしく、

「あぁ。なんかあの人ぼーっとしててな。ハイネが声をかけたらあっさりついていったよ」

 そう腑に落ちないような表情で言った。

「そうなんだ……」
「キーナはおれらの回復で体力も気力もすっからかん。ケイヤが部屋の見張りに立って寝てるよ。おれのことはあらかたミナミが回復してくれたらしいし」

 ありがとな、と笑いかけてくるマサアに照れくさくなり、口元を布団で隠した。上目遣いで見上げてくる少女が愛おしくて、マサアの表情もまたふにゃりと柔らかく崩れる。

「ミカノとタヤクも、それぞれの部屋で寝てる。みんなの体力が戻るまではここに留まるって」
「ほんとっ!?」

予想もしていなかった一言に思わず大きい声をだして、口をふさぐ。


――今度こそ、恋占いをするチャンスだわっ!!


 うふふ、と声を出して笑うミナミを、マサアはにこにこと見つめる。

「一緒に探そうな」
「え?」

 一瞬、なんのことか分からずミナミは呆ける。
 そんな彼女を、マサアは相変わらず穏やかな声で、柔らかな目で見つめる。

「一緒に、探そう。まだ見てないとこ、まだ知らないこと。生きてるんだから、たくさん見て回ろう」
「!!」

 それは、ミナミがマサアに願った思い。
 マサアはしっかりと、受け止めてくれていた。

 嬉しさで涙が溢れてくる。


――大好き マサア
――愛してる


 ミナミはマサアに抱きつき、彼もまた、優しく抱きしめ返してくれる。お互いの体温を感じられることが、こんなにも幸せだと思いもしなかった。


――あの、慈愛の女神もこんな気持ちだったのだろうか


 “フィル”が大好きすぎて、どうしようもなくて。
 だから力を与えて。

 ミナミは腕輪の力を解放して女神の想いを垣間見た時から、ずっと考えていた。

 あんな荒々しい力では、大好きな人も簡単に傷つけてしまう。
 “愛してる”は、こんなにもきれいで、こんなにもすてきで、だからこそ恐ろしくて。


 こっそりと覗いた“女神の記憶”。
 それは、荒々しく猛るほどの“嫉妬と愛情の激情”。

 ミナミにはその気持ちをどう受け取ればいいのか、いまだに分からない。
 それでも彼女は思う。

 自分がマサアを想うように、女神も“フィル”を純粋に愛していたのではないだろうか。少なくとも、最初は。

「さぁ、もう一回寝よう。朝はまだ遠いよ」
「うん」

 穏やかな声につられるように、再び強い眠気がミナミを襲う。うん、と返事が出来たのかも分かっていなかった。
 二人で一つのベッドに寝転がる。暖かいマサアの腕に抱きしめられたまま、ぽんぽんと背中を優しく叩かれて、うとうとと瞼が重く下がってきた。


――また今度、考えてみよう


目を覚ました時に、変わらず太陽の色が目に映ることを夢見て。

伽世
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伽世

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