・第七章・『眩惑の照明の下で真実の告白を』

【―真実のチェックゲート―ウィングフィールズ空港全面封鎖事件】―デカート通信―
 近日、繁華街ヒルサイドで発生した俗に言う『デジタルマスカレード通り魔事件』から彗星の如く出現した重犯罪者・エス。彼の存在が絶大な影響力を放ち、連日に及ぶ犯行が世情を騒擾とさせている事は最早論を待たない。そして昨日、叉も彼の累犯と推測される大規模な事件が発生した。
 事件発生地は、国際的拠点として日夜多数の航空便が行き交うウィングフィールズ空港。この国際空港内部で、厳重に保護されるべき搭乗客達の個人情報が詳らかに露出され、遂には空港内全体が突如として閉鎖されたと言う。
 居合わせた空港利用客達や各関係者達からの証言を収集すると、事の顛末は以下の様だ。まず、本来政府管理下の基で厳重に秘匿されて然るべき個人情報の逐一が、どうした事か空港中心部のロビーに設置されている巨大ディスプレイから次々と映写され始めた。個人情報は、電子鑑札上記録されている本人の国籍番号、住所、連絡先、出身地、生年月日、血液型、家族形態、職業等多岐に渡るが、何より個々の素顔迄が大胆に露出されてしまった為に一様の騒動へ発展したと言う事だ。
 メインロビーの巨大ディスプレイに検閲用の個人情報が流出する事等は接続システム上有り得ない為、空港職員の一部は直感的にエス一派の犯行に由るものと察知していた。しかしその周知を促そうかと職員が逡巡する内、空港内部の環境装置迄もが誤作動を引き起こし、場内の酸素を除去し始めた事で混乱は極点に達したと言う。
そして群集が無酸素状態からの窒息死を恐怖する中、一人の男性客が貨物から大量の酸素スプレー缶を発見。その男性からの呼び掛けを引鉄に誰もが我を忘れ、酸素スプレー缶を強奪し合う惨状が呈された。
 環境装置が正常に復旧した後、空港内全体の封鎖も自動的に解除され事態は数時間後に収拾を見せた。しかし間も無くして被害者達からウィングフィールズ空港本部への抗議が殺到し、関係者達は対応に東奔西走しているとの事だ。そして専門技術者達の検査後、映像流出や環境装置の誤作動は機械類の不具合、操作ミスでは無いと
判断された。痕跡は見事に消されているが、一連の事件は矢張り外部犯に由るサイバーテロの線が濃厚の様である。個人情報の漏洩に関する不始末、一時的な機能麻痺に由るダイヤの混乱等から、空港側が被害者各位へ賠償する総計は巨額に昇ると言う。
 空港内各所に設置されている監視カメラの映像から事件の一部始終を視聴した犯罪心理研究家シャイア・ハワードは、今回に於ける事件の本質をこの様に考察して述べた。

『―犯人達は空港を巨大な実験場へと変化せしめた。エスと思わしき一派に由る一連の犯行は、そのどれもが象徴的で示唆に富んでいる。エス一個人に於ける初犯は通り魔として発作的、衝動的な傾向を帯びているが、その動機は社会全体へ問題提起する反体制思想が根底に脈付いているのだ。
次にヘッドギアの充電端末ネットワークをシステムダウンさせる、ヘッドギア生産工場を爆破する、と累犯されて行くが、これ等の犯行は効率的にヘッドギアの機能性、生産性を阻害しつつ、何よりも民衆を丸裸にしようと仕向ける意図こそが伺える。
彼等は警察の捜査活動を撹乱するのみの目的では無く、ヘッドギアを一種の支配的象徴と捉え反目しているのだ。彼等がヘッドギアと言う社会性の中枢を唾棄し執拗に破壊工作を仕掛け続ける行動原理は、政府や市井へ警世を齎そうとする価値観に基づいていると定義付けて良いだろう。彼等の主張とは言わずもがな、市民が匿名性に覆われた社会構造から脱却し、本人が自己責任を背負い生きるべきと言う個人主義思想―。彼等は政府直轄に由る個人性の保護や防犯を、過剰な拘束と解釈し叛意を唱える。故にエス一派の犯行は基本的にヘッドギアと言う機構の一点に収束され、何者かへの直接的危害は加えていない。そして、これ等の考察を顕著に表象しているのが今回の空港襲撃事件では無いだろうか。
空港と言う現場自体は、無論ヘッドギアの機能性や生産性に関わる機構では無い。しかし、入国審査や税関等の検閲システム……。これ等のチェックゲートは<自己証明>を披瀝する、或る種では最も個人性に依拠する現場なのだ。
―ヘッドギアを着脱し個人認証を受ける際に、重視されるのは個人の素顔だろうか、ヘッドギア内部のデジタル情報だろうか……?
エス一派は、チェックゲート時に個人の素顔を晒す通過工程へ着目し、機構上の弱点として犯行に利用した。叉、上記の様なアイデンティティクライシスと言うべき命題にも内省的思索を廻らせ、犯行へ象徴的な意味合いを内包させたに違いない。更に個人情報を不特定多数へ流布する事で、情報保護は政府ですら万全を確約出来るものでは無いと言う事も犯人達は立証せしめた。
そして極め付けは施設内全体を封鎖し無酸素状態へ仕立て上げる事で、利用客達の反応を観察し、誘導した事にある……。出所不明の酸素スプレー缶は大量に用意されていたと言う。尚且つ環境装置の誤作動も一定時間後にはあっさりと解除された為、矢張り犯人達には他者へ肉体的な危害を与える意図は無かったと判断出来るのだが……。
死が迫り来る緊急事態を前に、人々はどの様な反応を示すのか。ヘッドギアを打ち棄てれば生き延びられる可能性もある特異な状況で、各人はどの様な選択を取るか……? 事件現場では当然居合わせた利用客達が血相を変え酸素スプレー缶の争奪を繰り広げた訳だが、
注目すべきは、躊躇無くヘッドギアを脱却した者と逡巡し続けた者達とで二分されたと言う事実だろう。
エス自身も各様の観察と誘導を果たしたかったのだろうが、その空港内を巨大な<実験場>に変えた目論見はまんまと成功したと言わざるを得ない。極限下でも受動的な反応しか出来ず、後手に廻り続けた者達は少数では無かった。
―そう、ここで各人の反応と行動とが試され、導かれていたのだ……。
緊急事態ならば法律的にも自衛として認められて然るべき行為すら、既成観念に縛られ身動きが取れない……。利用客達が無事だった事実に政府は胸を撫で下ろすだろうが、その反面、禁忌を破った者達への法的処置を公的に議論する必要性に迫られている。現状、彼等は二律背反とも言えるこの問題に苦慮している事だろう。そして、ヘッドギアを脱却する事に最後まで躊躇していた者達は精神の奥深くへ問い掛けられ、自問自答の只中を彷徨っているのではないだろうか? 万能と盲信し切っていたヘッドギア及び政府の社会的庇護も、緊急下では寧ろ障害に過ぎなかったと言う厳然たる事実に衝撃を受けて……。
―果たして、ヘッドギアの存在とは自身の根本へ迄支配的に根付いた肉付きの仮面なのか? エスの表立った一連の犯行はこの様に一面的で単純な仕業では無く、どこか象徴的で教唆的な意味合いが内包されているのだ。
エスは我々一般市民の既成観念や帰属意識に異議を唱え続ける。例え近日中に主犯である彼の逮捕が成功したとしても、その影響力の余波は若年層を中心に波及し続ける事は想像に難くない。何の疑念も無く政府の恩恵を享受していた我々も、各人が社会の成立を見直し自身の回答を提示する、そんな必要性を要求されているのだ……』



―…………―。

 麗らかな陽射しが降り注ぐ日和……。人工的に整備された植樹の中で息を潜めつつ、僕はこの社説の切り抜きを読み終えると丁寧に折り畳み胸ポケットへと仕舞った。
現在、僕とシドは二人、テレビ局『ボーステラング』の裏口付近で人目を忍ぶ様にひっそりと潜伏している。高層中心部の展望室が印象的な球体のオブジェとしても設えられている硬質な建造の下。一帯は広大な海浜の間近で開発された地域だけに開放感で満ちており、時折吹き付ける清爽な潮風が心地良く鼻腔を擽る……。
この放送局は一般視聴者とのコミュニケーションを活発にする為に施設内の見学が可能となっていて、各放送番組のグッズショップ、カフェテリア、スタンプラリー、視聴者観覧等のイベントが随時展開されていた。ここでは日夜膨大な観光客達が大挙する様に押し寄せ、無論警備体制も敷かれている。そんな衆目に付き易い名所へと、何故僕達は態々赴いたのか……?
……僕達の目的は、アポイントメント無しに番組へ生出演する事……。そう、謂わばスタジオジャックを敢行する為に危険を承知でここ迄赴いたのだ……。以前クラブの地下で潜伏していた際に、政府管理下の裏サイトへと侵入し入手した機密情報。その枢密を、テレビ放送を利用し大々的に世間へと発信する為に……。
 僕自身の犯行の数々に象徴的且つ風刺的な意味合いが内包されている事を、鋭敏な感性を持つ一部の者達は感じ取り言及して始めている。僕の存在、行為、そしてヘッドギアの存在意義その物に迄、是非曲直の論争が活発化した現状……。状勢が変移し時代が緊迫の極点に達し始めた今こそ、愈々市井へと問題提起の最たる材料を提示する瞬間なのだ……!
 通り魔事件以降、既に僕の外貌はネット上で知れ渡っている事だろう。しかし正規のメディアを通じて主体的に自身を露出し様とする試みは、矢張り未体験故えの緊張感が走る。何由り生放送の番組をスタジオジャックすると言う事は、市井から警察全体へ自身の居場所を高らかに宣伝する事と同義なのだから……。

 茂みの中で息衝きながらカード式ホログラフィ映像装置を取り出し電源を入れると、ボーステラングの建築構造全体図が立体化された。テレビ局等の公的放送機関はテロリストの占拠を想定し、敢えて迷路の様な複雑な内部構造で建造されている物だ。しかしシドがハッキングし入手したテレビ局内構造全体図を基にすれば、施設内への侵入経路を事前に計画立てられる……。
武器数点を全身に携帯し準備の整った事が確認された所で、僕とシドは自然と視線を交錯させ合図を取った。無言の内にどちらから共無く頷き合いながら、決然とした調子でシドは意気を挙げる。
「さあ、いよいよ革命の瞬間だぜ―!」



              *


  
 鈍重な車輪の音、地面を走る際の不規則な振動……。僕は現在、大型な掃除用具箱の底で息を潜め、揺られる様に運搬されている……。運び手は制服を調達し掃除人に擬態したシドだ。
矢張り侵入の際、第一の難関は検問所の通行規制だろう。門前の個人認証端末装置の他に不測の事態を想定して立ちはだかる警備員や、隣接される事務所に常駐している職員達……。
これ等の個人認証や監視を如何にして潜り抜けるか……? 僕達には有無を言わさぬ強行突破を謀る覚悟もあるが、無益な流血を極力回避したいと言う良心も人並みには持ち合わせている。
何由り、各種武器は調達して来たものの局内の人間達を威嚇し目的地で在るスタジオ迄を目指すには、内在する関係者達の人口、建築規模等が余りに巨大過ぎた。なるべくならば、スタジオジャックを決行する迄は人目を凌ぐ様に侵入するべきなのだ。
 潜入に際して、シドは事前に掃除人としての偽造IDを取得している。ヘッドギア自体を有しない僕は現状の様に、貨物の中にでも潜伏する他は手段が無かった。
何とか個人認証や監視の眼を欺く事が可能だとは思うのだが……。
 僕は数々の掃除用具の山下に埋もれ、閉所の暗闇と加重とに押し潰されそうな息苦しさを堪えていた。際限無く脈打つ鼓動が検問に立つ警備員達へ迄漏れ聴こえはしないか、と愚にも付かぬ想念に囚われつつ、計画が端緒から頓挫する事が無い様にと僕は懸命に祈り続ける。
 愈々通用門の入り口に近付くと、立ちはだかる警備員の応対と個人認証端末の作動音が微かに耳朶へ忍び込んで来た……。
「クリーニング会社の方ですね……。ご苦労様です、どうぞお通りを」
 当初の危惧は杞憂に過ぎなかったか偽造IDは警備員や自動認証を見事に騙し果せ、無事に通過する事が出来た……! 台車の中、貨物へ紛れ込んだ僕にもテレビ局内部への潜入に成功した事が肌で実感され、一旦胸を撫で下ろす心持ちになる。頭上からも、一先ずの安心感と達成感の為か一息を吐くシドの仕草が感じ取れた。
その後の足取りは、無難に局内の通路を進行している様子だった。業界関係者達が行き交う人波は流れているものの、一介の掃除人に注視する者も居ないのだろう。
 この侭首尾良く目的地のスタジオ内部へと辿り着いてくれ……。早鐘の様に鳴る鼓動を抑えながら、僕は渇きを癒す様にゆっくりと唾を飲み込み唇を舐めた。局内を行く潜入は丸で終焉の無い行進の様で、永遠かの様な曖昧な時間感覚に捕らわれる。ささやかに輻輳し耳朶を打つものは業界関係者達の忙しない足音、番組制作や放映時に関する仕事上での会話。切迫した状況下で落ち着く筈も無いのだが、何故か不可思議にも穏やかな昼間の電車内でまどろむ様な、そんな緩やかな午後のひと時に似ている気がした……。
 どれだけの距離を進行したのだろうか、不意に台車の進行が停止する。……そして、業務用エレベーターの前に着いた、と思わしき一時の静寂が感じ取れた。
……もう直ぐ。もう直ぐで無事に辿り着ける筈だ……。昇降するエレベータが微細な駆動音を立て当階へ到着した際には、現場と不似合いに軽快なチャイム音を立て停止した。重厚な鉄扉が自動的に開かれ行く音が漏れ聴こえ、僕が潜伏した台車を何事も無いかの様に振る舞い運搬するシドの気配を感じる。
台車内からも密室の様な閉塞感のある空気に一変した事が肌で感じ取られ、漸くエレベーターへ乗り込めた事を実感出来た。ここ迄来れば、最早目的地で在る生放送スタジオへと邁進するのみだ……!
 束の間、第三者の存在しない密室空間に入り込めた事で、僕達はどちらから共無く安堵の一息を搗こうとした……。
……だが、その刹那だった。
『ビーッ!!』
 安堵し掛けた瞬間、僕は我が耳を疑った。しかしこの生理的に切迫を煽られる様な機械音は、紛れもなく周囲への警告を示している。丁度エレベーター内へと乗り上げた僕達を見咎めるかの様に、頭上から物々しい警報が鳴り響いたのだ! 爛れた色の警告ランプが回転し始めたのだろう、真っ赤に室内を照射する光が台車内迄へも射し込まれて来る。途端に僕の脳内は真っ白な思考停止状態に陥り、手足が萎縮する様な驚愕に貫かれた。
 何等かの防犯システムに引っ掛かってしまったのか!? 冷厳な警告音は際限無くその音量を高め続け已む事が無い。不意に、警告ランプに染め上げられる自身の地肌が恰も鮮血に塗れている様な錯覚を覚えた……。
 積載荷重の警告ブザーか? 偽装目的として籠へ放り込んだ掃除用具の他、搭乗者は僕とシドのたった二人分にも関わらず……!?
シドも明らかに凍り付き考えあぐねている様子だ。これは単なる機械の誤作動なのか? それとも、僕達の様な不法侵入者を感知した為の警告音なのか? もしも前者の様に機械の誤報であれば、この現場から離脱する事で却って周囲から懐疑的な視線を向けられるかもしれない。寧ろ一般の掃除夫ならば自分自身に何の後ろ暗さも持ち合わせる事は無い。誤作動と思われる警報を一刻も早く停止させようと、率先して関係者を呼び寄せる様にすら働き掛けるのが自然な反応ではないか。
 偽造IDと制服で正面門の警備員や自動認証装置は通過出来たのだ。単なる機械上の不具合ならば、敢えてここに留まる事で駆け付けた警備員達の確認を受け、あくまで善良で誠実な一般掃除夫と言う擬態で押し通す事も可能な筈だ。但し後者の様に何等かの理由で防犯システムから察知されている場合、エレベーターの様な密室で退路を塞がれる事は致命的な失策にも成り得る……!
 事前に確認したホログラフィ地図に由れば、局内の構造からして目的地は未だ遠距離に位置しているらしい。この現場からエレベーターで上昇せず階段を使用するならば、それだけで手間が掛かり時間を消耗してしまう。加えて現状では道行く先々で脱兎の如く逃走に必死な姿、掃除夫に取って無関係なフロアで場違いな格好を晒す等、不審さを助長させる結果にも繋がりかねない。新たな人的視線、不確定要素は増すばかりだ。無論、エレベーターと言う密室で取り囲まれれば元も子も無いのは確かだが……。
 僕達は進退窮まっていた。躊躇せずこの現場を離脱するべきか否か……? 往くか、退くか、決断は瞬時に下さなければならない。僕は潜伏している事を気取られない様に、慎重にそっと籠の隙間から外界を伺い見る。幸いにも行き交う業界関係者達は、訝しげにこちらを一瞥しながらも無言で通り過ぎて行く様子だ。彼等からすれば、矢張り機械の誤作動や何等かの手違いで一介の掃除夫が困惑し、立ち往生させられている様に見受けられるのだろう。誰にでも起こり得る些細な不運、雑談の端に上ったとしても翌日には忘れ去られる様な他愛も無い出来事、と……。天井から大音量で警報が鳴らされたとしても、日常的光景の範疇に収まる。彼等はシドを見て、些細な恥を掻く現場に偶然突き当たってしまった凡庸な掃除夫と思い込んでいるだろう。
 しかし思案する内に、鳶色の制服に身を包んだ如何にも頑強そうな体格をした一団が通路を小走りで駆け寄って来た。
彼等が警備員である事は一目瞭然だ。僕はその様子を受け咄嗟に
籠の奥深くへと頭を引っ込め潜り直す。途端、心拍数が上昇したかの様に僕達の内心へ緊張の一糸が走る。潜伏する台車の中で僕は全身に脂汗を掻きながら意識を必死に研ぎ澄まし、周囲の動向を敏感に感じ取る事へ集中し始めていた。 
 相手に気取られてはならないと肝を据えたのか、乗場側で佇みながらシドは平静を装い機先を制した。声音は、寧ろ平生以上に快活な調子ですらある。
「クリーニング会社の者なんだが……、積載過重の判断で警報が鳴っているのかい?」
 しかしシドの明朗さとは裏腹に、警備員の声調は冷静沈着そのものだった。
「いえ、設備異常が発生した場合に私達が出動する事になっているのですが……。これはおそらく、荷重検知システムの作動に拠るものではありませんね。考えられる要因としては、当社独自の赤外線透過装置、温度監視システムに拠る物です。エレベーター内の監視カメラネットワークで実映像の他、不審な動向を検知する画像解析技術とサーモグラフィ装置を複合させ稼動していまして……。解析・検知技術を用い監視映像の動的な変化を検出しています。 不審な動きがエレベーター内で発生した場合、動的状態の判定値が高くなり警告アナウンスを発する仕組みなのです」
 シドは芝居掛ける事も無く、反射的に怪訝な声を挙げた。
「そんな馬鹿な、俺がエレベーターへ乗り込んで直ぐに警報が鳴り出したんだぜ? 機械に特定される様な異質な身動きなんてする暇も無い」
 その通りだった。只単に台車を乗り込ませたシド、籠の中で些細な身動ぎも抑える様に息を潜めていた僕に、解析へ引っ掛かる様な所作が見受けられた筈は無いのだが……。
気色ばむシドを前に、警備員達は平静を崩さない。
「であれば、同社のサーモグラフィ画像解析に拠って不穏な熱源や何等かの形状を感知したと言う可能性が高いですね……。
こちらは当社エレベーター内に於ける人物の有無を判定する技術でして……。基準となる無人状態の内部映像に何等かの形状が出現した場合、データベースが前後の輝度値分布を一旦比較します。そこで抽出された変化領域の面積が一定値以上であり、形状が人型に近ければ監視システムが自動的に人物が存在している、と見做す仕組みになっているのです。
このサーモグラフィには人間に近い体温、人型と思わしき熱源の形態を成す物は鞄や箱等も通過し、自動的に検知する技術を導入しています。以前、番組放映に使用された動物が紛れ込み騒ぎを起こした事もあったので、勿論万能な技術と言う訳では無いのですが……。
そして、当局は内部で従事する人口や建築規模が巨大なものです。その為、これ等の機構の他に入退室時に於ける記録管理システムも連携させていまして、出入り口で記録された入局者数は常時正確に監視データベースで数値化し記録しているのです。                                                    
 何かの手違いか誤作動だとは思うのですが、現在入退室管理データベースの情報では定員以上の人間がテレビ局内部に存在している可能性が提示され、サーモグラフィからは貴方以外の何等かの熱源が透過されています……」
 関係者以外の侵入や所有物を規制する為のシステム……! 局内の構造は事前に解析していたが、防犯システムはエレベーター内に迄徹底されている程厳戒だったのか……!!
手持ちの通信端末が指し示す時刻は12時10分。当然生放送は既に開始されている。本来ならば1時と言う番組終了時刻の10数分前には到着する手筈だった。ここで仮に警備員達と格闘を起こせば更に大幅な遅れを取る事にも成り得る。その上、防犯技術の高度なエレベーターならば震動が強度へ至った場合、現場がオートロックされるか昇降中に最も近い階で緊急停止してしまうだろう。
 彼等を扉から排斥するか拘束するかにしても、何等かの形で計画が頓挫させられる可能性が高い……。ここ迄来れば、最早手練手管を弄するよりも単純で愚直な前進……、強行突破しか方法が無い。警備員達から疑念を向けられ硬直してしまう程の焦燥を覚えたが、今ではそれ等の恐怖を通り越し、超然とした決意すら湧き上がって来た。

 コツ……。
 シドが合図する様に、台車の下部をそっと弾く様に蹴り付けた事を背後で感じ取った。ここからは対話を介さない以心伝心の行動だ。
 1……。
「おいおい心配性だな。別に掃除用具以外に物騒な物なんて何も入っていない筈なんだが……」
 2……。
「不審人物が爆発物を設置しないとも限りませんからね。クリーニング会社の方に身に覚えが無くても、例えば知らぬ内に何者かから危険物を忍び込まされていた、と言う可能性も有り得ない事では無いので……」
 3……!
「念の為なんですがボディチェックの他、台車の中を検めさせて欲しいのですが、宜しいですか……?」
 僕は跳び上がる様に台車の覆いを撥ね上げ上半身を露出させた。その刹那、現場の中心に立つ警備員の虚を突き彼の鼻面をヘッドギア越しに拳で掠め上げる。
不意の襲撃を受けた事で、見るからに精悍な警備員も背後へ仰け反る様に倒れ掛け、反射的に後方の一団は彼の背中を受け止めようと両手を差し出す。警備員達も警戒意識を鋭敏にさせてはいたのだろうが、僕の唐突な出現と一撃に面食らい一瞬の硬直を見せた様子だった。
 その間隙を狙い、僕は懐に忍ばせていた筒状の武骨な金属物へ抜かりなく手を掛ける。掃除用具が山積する台車の中で足元は不安定な侭だった。しかし全身のバランスを崩しながらも僕は一切意に介さず、その筒状をした固形物の安全ピンを取り出し様に引き抜く。極度の興奮状態故か、時間の経過がコマ送りの様に緩慢に過ぎ、途切れ途切れに瞬いているかの様な錯覚を覚える光景の中……。掌に収まりつつもずっしりと重量を持ち無味乾燥な配色がされたそれを、僕は内心の叫びを吐き出す様な衝動と重ね合わせ横手で放擲した。
 そして次の瞬間、エレベーターホール周辺一帯が轟音と閃光で眩く包まれた。後方へ凭れ掛けた中心格の警備員を始めとして、当意即妙に閃光を防御したシド以外の全員が想像外の衝撃を受けがっくりと地面へ膝を突く。僕自身も閃光と音響の余波を回避する様に身を屈め防御していたが、徐々に周囲の余韻も鎮まり細めていた視界が開かれ出した。
鼓膜で反響していた轟音や眩めく視界が通常時へ馴染む様に回復し始めると、周囲一帯では既に気絶し倒れ臥した者達が散見される。叉、声無き悲鳴を挙げながら、眩んだ眼窩を押さえ付けたいばかりに両目の部位をヘッドギア上から宛がって煩悶している者達も……。
……雷光と轟音の正体は、シドお得意の閃光弾だ。頽れる警備員達を余所目に、台車を置き捨てて僕達は俄かに走り出した。ボーステラング内中央アトリウム一帯が眩さに包まれた事で、警備員以外に居合わせた者達も漸く異状を察知し色めき立つ。呆然と立ち尽くす通行人を縫う様に、時に突き飛ばす様にして僕達は猛然と疾駆した。
 全速で流れ行く視界の片隅にはテレビ内で見掛ける有名人も入り混じっている様子だったが、緊急事態であると言う理由以前に、僕には何の感慨も湧かなかった。前方の別路に設置された『民間人立入り禁止区域』と表示されるロープ標識をハードル跳び競技の如く盛大に乗り越え、僕達は目的地である生放送スタジオへと直走る。
 そうだ、枢密を世界へと発信する機運は正しく今、今この瞬間を於いて他に無い……!

 

              *

                     

 そして僕達は鋼鉄の扉を蹴破る様に突貫した。場内の人間達は、テレビスタッフ、出演者、観覧客共に未だ僕達の存在を感知していない。舞台横手の暗幕や極彩色をした書き割りの下、僕達は一旦周囲全体を見渡した。天井で複雑な格子状に入り組んだ機器類から点在するスポットライト。その眩い照明の下、四辺から多角的に舞台上を映写する複数のカメラマン達。和気藹々と笑劇を繰り広げる国民的人気タレント達と、そしてその滑稽なやり取りに一人余さず魅了されている観覧客達……。先程逃走する中で一部の芸能人達を見掛けた際には別段興味も湧かなかったものだが、広大なスタジオ内は生放送特有の緊張感と熱気を孕み、闖入者である僕達をたじろがせる程の風格に満ちていた。
 長年に渡り昼間のチャンネルを席捲して来た国民的生放送番組、『ラフィン?』……。当時から通俗に馴染めず浮世離れしていた僕でさえ、日常生活の中でこの娯楽番組を横目に入れた事ぐらいは有る。この番組の知名度と信望は絶大なもので、レギュラー出演を獲得した芸能人達は不動の地位が約束されていると評しても過言では無い。つい先日迄一介の学生に過ぎなかった自分が、華美に彩られた看板番組の前へ躍り出る事には為るとは、想像だにしていなかった……。極く短期間の内に激変して行った出来事の記憶達が、綯交ぜに脳裏と内奥を去来する。僕が今から発表する事実と声明は、巨万の視聴者へどの様に受け取られるのだろうか……?
 僕が自己を獲得しようと決起した後の犯行の数々は、賛否両論を伴いながら様々な影響を及ぼした。無色から有色の存在へ成り変わる為の自己表現と、社会への問題提起……。テレビ放送を利用する今、これ等一連の告白は愈々以って最終段階に迫っている。
そこで僕が不安に囚われるとすれば、警察の追跡等では無い。仮に検挙されたとしても、その後の刑罰等は既に覚悟の上の事だ。
 真の恐怖とは、抱いた大志を半ばで挫かれる事……。問題は、民意へと問い掛ける前に妨害されてしまう事そのものなのだ。描いた目的を達せられたら僕は逮捕も獄死も厭いはしない。
自身の実存を賭けた生死の戦いは、声明は、果たして人々の心に迄届くだろうか……? 一息を搗くと、僕とシドはどちらから共無く視線を交わし志気を高揚させた。そして旺然と踏み出すと、進行を憮然と見遣っていた裏方や業界関係者達を押し退ける様に行進し始めた。背後から強引に突付かれた者達は反射的に振り返るが、僕の容貌を視界へ入れた途端、誰もが一様に声無き悲鳴を挙げ硬直するばかりだ。シドは機先を制する様に周辺の警備員へ銃口を向け、最も警戒すべき敵の動向を封じた。僕達は番組内のセットを裏手からも廻らず、無遠慮に壇上へ侵入して行こうとする。
 和気藹々とした雰囲気に満ちた番組の進行中、突如眼前を横切った人影に会話を遮られ、舞台上の出演者達は呆気に取られた。何者かの闖入は番組内で意図されたハプニングでは無い。不慮の事態に、出演者のみならず会場全体が声を喪った。
そして次の瞬間、頭部にヘッドギアを装着せず素顔を露出した侭の僕を見て取り、堰を切った様に場内は狂騒に包まれる。
 ―ヘッドギアを着脱している者、即ち世情を騒擾とさせている張本人、エス……! 耳を劈く様な叫声が反響し始める中、間近に迫られた出演者達は身の危険を悟ったのか全員が申し合わせた様に反射的な後退りを見せた。複数のカメラマン達は思わずファインダーから視線を外し、壇上の光景を呆然と立ち尽くしながら見遣っている。
恐怖感に駆られ座席から身を翻した観覧客達も散見されるが、場内から脱しようと一斉に通用口へ大挙して行く為に、却って門前は一際の混雑を呈していた。出演者達は動揺の気色を隠せず押し黙った侭だ。僕は舞台中央へ毅然と立ち、周囲の混乱を鎮静させる為に最大限の大声で一喝した。
「諸君! 御静聴願おうっ!!」 
 すると、丸で時間が静止した錯覚を覚えるかの様に先程迄の狂騒が止み、場内は静寂に包まれた……。そして僕は、誰とも無い中継カメラへと事前の牽制を掛ける。この突然の闖入者を前にして、中継スタジオ側も困惑の渦中にいる事だろう。
 現在のテレビ局とは不測の事態が起こった際、即座に編集対応可能な様にと数秒から数分間遅れで生放送を放映するディレイシステムを導入しているのが一般的だ。しかし今現在、場内でシドの銃口は四方へ慎重に向けられ威嚇が怠われる事は無い。一触即発の事態だと言う事は現場に立ち会っていない者達でも明白。僕達の声明を事前に放送中断する事は人身にも関わる、と危険性は十分に印象付けられた筈だ……。
「局内のスタッフ達に告ぐ。現在、ご覧の様に業界関係者、一般観客共に人質として我々が確保した。これから我々の政見放送へと番組内容を変更させて頂くが、程度の多少に関わらず妨害行為を働いた場合には断固として処置を行う。もし何等かの方法で我々の進行を阻害した場合、この現場に居合わせる人質達の安全は保障しない……。くれぐれも、ディレイシステムを作動させ放送中断や編集作業を行わない様に……!」
 粛然とした場内で中継カメラ及び場内全員の関心が一身に集中され始めた事を肌で実感し、頃合いと見計らった僕は訥々と告白の口火を切り始めた。
「ご存知の通り、僕は現在世間を騒然とさせている逃亡犯、エスだ……!
この素顔を見れば解る通り、現在の状況は番組内で仕込まれた演出等では無い。この局内、番組は僕達がジャックした。
……脅迫する様で恐縮だが、この隣に立つ仲間は銃器も所持している。もしこれからの演説を妨害する者が現れれば、容赦無くその銃口が向けられるので事前にご了承を。勿論、進行を阻害さえしなければこちらから積極的に危害を加える事はしないと約束しよう……。
だから皆、心して聴いて欲しい。今回、何故僕は敢えて素顔や所在を晒し、捕獲される危険迄も犯して生放送を妨害するのかっ!?
僕は逃亡生活の中で、政府が隠蔽している或る陰謀の一端を垣間見たからなんだよ……。
しかし、もし政府が極秘管理している機密情報をネット上から個人的に発信しても、個人の妄言や捏造として一般読者や政府からも処理されてしまうのがオチだろう……。現在の言論統制が敷かれている政治状況下では、暴露文書を公開した所で政府監視サーバー側から即座に削除されてしまう事態も充分想定出来る……。だからこそ僕は、自身の素顔を敢えて再度世間へ晒し真実を告白しようと、生放送のテレビ番組と言う媒体を利用するに思い至った。
さて、今、君達一人一人が頭部に被っている国家からの庇護……。この政府管掌のヘッドギアは、現在では欠くべからざる必需品として万民が恩恵に与っている……。更にGPS測位とヘッドギア装着者の主観映像は連携され、多角的な社会監察は既に前提的な現実と化している訳だ……。
報道されている様に、僕はそんな何もかもをヘッドギアへ依存し個人性が剥奪された社会へ著しい疑問や不満を覚えていた。そして、その鬱積していた憤懣は或る日爆発し、独りで叛意を起こすに至ったのだ……。僕は単純に、たった一人ではどこ迄出来るかは解らないが最後まで世間へのアジテーションを行おうと、信念を持ち立ち回っていた。
 しかし、市民や警察の眼から逃れようと某所へ潜伏している時期の事だ……。只ヘッドギアと言う支配的象徴や社会構造へ反抗するだけでは終わらない、世間一般へ隠蔽されていた真実へ突き当たってしまったのさ。
逃亡生活を送り社会機構を調べ上げる内に直面した、何より僕が告発すべきだと戦慄した事実はここからなんだ……! いいか? 心して聴いてくれ…!

―政府は、市民へ電子監察以上の洗脳統治を謀ろうとしている……!!

 僕がインダーウェルトセインで衝動的に通り魔へと走った事件があるが……。その犯行当時の僕の主観映像はネット上で可及的に氾濫した。そこで事件の過熱から興味を持ち犯行映像を反復する様に
視聴していた者達の中から、一種の催眠状態に陥り、自分自身が行為を犯したと錯覚した者達が続出したらしい……。追体験の果てに遂には僕と言う重罪者と同一化し始め、自分自身がエスと云う存在だと妄信し始めたんだ……。
 僕の犯行を端緒とした今回の事例は偶発的な結果だが、政府はこの様な催眠現象の軍事利用を潜行させている。
 奴等は平穏に生活を営んでいる市民一人一人のヘッドギア電脳へと意図的に介入し、映像等を利用して情報操作からマインドコントロール迄を実現しようとしているのだ……!
 政府は対人恐怖症、引篭もりを救済する名目の下、ヘッドギアを普及させ万民を24時間体制の監視、管理下へ置く事に成功した。このヘッドギア電脳の機能を電子監察以外に悪用し、例えばヘッドギア内部の電極から装着者の脳波を測定させ、常時心身の変化を数値化し記録する事で個人の動向や心理状態を更に把握する。そこでサブリミナルメッセージ的に政府の意向に則った情報を本人の生活の中へ定期的に挿入し、暗示効果を働き掛ける。叉、虚偽の映像音声を重ねるか、もしくは逆に不都合な情報や事象のみ主観視点から削除し、不可視、不可聴状態を造り上げる……。
 日夜、実生活の中で無意識の内に潜在意識や深層心理に干渉され、誘導されているとしたら……。時に個人の主観すら歪曲されているとすれば、僕達は架空の非現実世界へ住まわされているのと同じ事になる……。
 この様に政府は一連の機能と高度技術を融合させる事で民意を把握するのみならず、人々の思考や情動迄も共有化し均質化させ、遂には支配しようとしているんだ……!!
 想い出して欲しい。君達の昨日迄の過去の体験や記憶……。それは本当に実感を伴う実体験か? 昨日と云う平凡な一日も人生の大いなる節目も、自恣に由るものか、真に実在した時間と断言出来るか如何か? ヘッドギアの恩恵を享受する限り、記憶とは記録であり、電脳へと蓄積されて行く……。唯一無二の人生を、自身の胸へ刻み込む事無くデジタルデータに全て委ねてしまう、それで本当に満足なのか!?
 自我や体験は客観的事実で構成される物でも、何者かに記録管理され共有化される物でも無い。この政府に由る一連の統治計画は、既に実用段階迄間近に迫っているのだ……。
 今、ここに居る観客達よ、テレビカメラの向こう側に居る不特定多数の視聴者よ、君達は政府の独善的支配に屈従し続けるのかっ!?
 立て! 今こそ蜂起する時なのだ!! 仮面を脱ぎ捨て、自己を獲得する為にっ……!!」


              *

 
「これは人心を撹乱する為の捏造された情報だと公的見解を発表するんだっ!!」
 ロイトフは腹立ち紛れに、署内の調度品を手当たり次第壁へ叩き付け喚き散らし続けていた。その狂乱振りに圧倒され、直轄の部下達も一様に彼の粗暴な振る舞いを傍観し続ける。
(エスが政府最高機密迄をも入手し、テレビジャックを敢行するとは……!!)
 一連のテロ犯罪でも極め付けの所業に、政府及び上層幹部達の立場は愈々以って崖際へ追い込まれた。テレビジャックの一件で既に質疑や抗議の連絡は署内へ殺到し回線はパンク寸前だ。本来当然の事ながら、エスが暴露した洗脳統治計画と言う陰謀は緘口令が徹底されていた。何より実質的にはマスコミも政府の支配下に在り、メディアを通して誘導的に政府の正当化を図る事も可能な筈だった。
 しかし、稀世の英雄と声価を受けるエスの中でも、最も大胆な犯行と声明……。仮にそれがプロパガンダだったとしても、彼の熱狂的支持者達は直ちに盲信した事だろう……。
 今後、一貫してテレビジャック時の告発内容はテロリスト・エスの妄言であり、事実無根と断言する事は容易い。但し、だからこそ反論する側も一般大衆への隠蔽工作では無いと言う確固たる証拠を提示しなければならない。『在る』物を証憑として提示する事は最上の説得力を有するが、元来無形の事象を証明する事は困難だ……。現状では最早釈明も通るまい……。
 市民に由る政府への反感、不審感は上昇する一方だ。人権保護と社会管理を名目に政府機関が実効していたものは、市民の自意志や感情迄も制御する様な抑圧支配であり、失策であると……。今や安全神話が崩壊し、最早国家は転覆し掛けている。体制や役員の一新を迫られる程の革命時期が到来し始めたのだ。一介の繊細な学生が
起こしたヒステリーは、短期間の内に情報戦をも巧みに織り込んで社会を激動の中に引き込んでいる。
―ロイトフは未だ対面し得ないエスへ、宿怨と呼べる因縁すら感じ激昂に駆られていた。自身の権威や社会的信用は失墜し、最早挽回の余地も無い。今後騒乱が収束したとしても更迭は免れないだろう。
(それならば、それならばせめて……。諸悪の根源であるエスだけでも道連れにしたい……!)
 ロイトフは決然と肩をいからせ、衆目の中心へと躍り出た。
「……この侭私の将来が潰されるとしても、エスの首だけは殺って身を退きたい……! それが、長年世界に冠たる電脳都市インダーウェルトセインの治世を司って来た私の最後の矜持だ……! 既に見通しの無い戦いだが、皆、協力してくれるか……!?」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
 一同は神妙な様相で頷いた。政府統治計画はロイトフの独断によるものでは無く、彼も叉組織構造に絡め取られた被害者の一人に過ぎないと言う一面もある。何より頭目たるロイトフの器量、手腕は本物であり、誰もが全幅の信頼と憧憬とを抱いていたものだった。最早首脳達の退陣は予期される結果だろうが、曲がりなりにも警察へ身を置く者達として、エスにだけは一矢報いたい……。介する一同の気概は全員一致していた。
 ふとその時、元ハッカー犯罪者であるサニーが全員の中心へと躍起な調子で歩み出る。
「僕に任せて欲しい。先程の一件でも、奴等は自身のIDを病院内で保育されていた新生児のID番号に紐付けてGPS捕捉を混乱させた。人員は割かれ、その際のタイムロスにも付け込まれ現状の様なテレビジャックや逃走を許している……。
 奴等がヘッドギアの機能を逆手に取ってテロを実行するのなら、こちらは更にその上手を行き逆利用する迄さ。僕も出し抜かれてばかりで、これ以上黙ってられないからね」



             *



 切り裂かれた風が背後へ流れて行く。生番組をジャックし政府の陰謀を世間へ告発すると言う目的を果たした僕達は、テレビ局から首尾良く脱出し用意して置いた大型バイクで目下逃走中だ―。
……疾走する中で視界が狭まり、風景が塗り重ねられた絵具の様に、曖昧に暈けて行く……。それ程の高速運転中、僕は振り落とされない様にシドの背中へ必死でしがみ付いていた。
 しかし恐怖感よりも、車体から身体へと伝わり来る振動が本能的な高揚を募らせ鼓動を際限無く高鳴らせて行く……。そしてシドへ腕を廻し密着する事で、長年感じ取る事の無かった他人の体温を感じ取る。他者への関心や、自他と言う実在の希薄さ……。生きながら実存が不確か、と言う虚無性が根底に淀んだこの現代社会で、閉塞を打ち破る手段は只こんな風に他人の脈打つ生命を直に体感する事ではないか? 難解な理屈も哲学も要らない、仲間との肌での触れ合い……。たったそれだけの事なのかも知れない、と僕の胸中で
ふっと雑感が湧いた。
 たった今、僕が世界へと向けて吐き出した衝動と相俟って二輪の加速とシドの脈動が、過去から纏わり付いていた自己嫌悪や虚無感、社会への不信感等……。そんなあらゆる鬱屈を全て洗い流してくれる様な気がした。
……僕達のテロ計画も愈々最終局面へと到達し始めた。市井へ政府の枢要を暴露した事で社会はどの様な変動を提示するか? 僕達の行為や主張にどれだけの意義が在るか、どれだけの共感者を生むか……。ふと、一過性の自家中毒に潰えるか、と内心の不安が渦巻く。
 僕の声は街へ届くのか?
 僕の声は街へ届くのか……?
 様々な切なる想いが去来する中、不意に黙々と運転していたシドが言葉に為らない叫声を挙げた。逃走経路を進行するだけでも精一杯の為に運転中は終始無言だったのだが、彼は突如として独りでに慌しくハンドルを切ろうとした。
―僕は何事かと眼を剥く。その刹那、急停止に由る怒声の様な機械の駆動音と、路面を走るタイヤが挙げる悲鳴の様な擦過音とが身を震わす程に鼓膜を劈いた。瞬間、慣性を失い僕達二人は車体から前方へと放り出される。
 アドレナリンの分泌からか、時間の感覚が一瞬の様にも永遠の様にも感じられた。先程迄の自分自身の視界や感性等とは遊離した様な、前後不覚の不可思議な浮遊感……。
別人の視界を通す様な、素人の簡素なビデオ撮影画面を通す様なコマ送りの主観映像。火花の瞬きの様な一瞬と、走馬燈が廻る様な永遠との同居の中で、周囲の風景が反転する。
そこで自身が放物線を描く様に宙を舞っていると把握したのも束の間、僕達の全身は舗装されたコンクリートの路面へと強かに叩き付けられた。


             *


……激痛が火を帯びた蛇の様に全身を這いずり始め、思わず苦悶に呻き意識が覚醒させられる。瞼が開かれると、視界全体が藹々と棚引く茜雲の夕焼けで覆われている事へ気付き不意に驚いた。丸で目覚めた瞬間、夢と現実の居場所や状況を混同してしまったかの様な違和感。しかし、次第に僕は記憶の糸口を掴み、論理的思索を紡ぎだして行く……。
―そうだ、僕達はバイクから転倒したんだ……。咄嗟の受身を取る余裕も無かった刹那の中、路面で全身を強打し暫くの間呼吸や意識すら奪われた。しかし性急な状況だったとは言え、前方に障害も無い状態でシドが不注意を引き起こすだろうか……? シドや、バイクはどうなってしまったんだ……?
 倒れ臥す中、横目で状況を確認すると視界には矢張り僕と同様に路上で突っ伏し意識を失っているシドの姿、そして横倒しになったバイクとが見て取れた。シドは丸で眠り就いたかの様に失神している。特に目立った外傷は見当たらない様だが、早く近寄って容態を確認したい……。その目と鼻の先には路面を擦過し横臥した車体が、エンジンを空吹かせ当て所も無く車輪を廻し続けている……。
 僕は苦痛で呻きつつも、一足早く徐々に立ち上がり始めた。事故に陥った事で追跡の手が速まる、と言った懸念は希薄だった。何由りもシドの安否こそが最優先だ。そして僕は恐る恐る彼に近寄り、横たわった身体を軽く揺すりながら悄然と呼び掛ける。
 事故現場はまだ無人の状況だった。バイクが復旧出来るかは兎も角、逃げ果せる事は充分に可能な筈だ。シドの意識が直ぐに回復しないのなら、それこそ引き摺ってでもこの現場から離脱すれば……。
 そんな思案の合間、か弱い途絶え掛けた呻き声が漏れ聴こえて来た……。
「シド! 大丈夫か!?」
 彼が息を吹き返し始めた事に思わず僕は驚喜の声を挙げる。彼も暫くの間、昏倒から現実の意識へと帰還する為に彷徨っているかの様だった。
「うう……。そうか、いや、大丈夫だ。皮肉な話しだが、これに守られたらしい……」
 息も絶え絶えの様子だが、気丈にもシドは自身の頭部を指差す。そうか、確かに皮肉な話しだが、装着していたヘッドギアの強度で頭部は保護されていたのか……。
僕達に取ってヘッドギアから恩恵を浴する事は一種屈辱的な事柄でもあり、単純に無事を喜べない複雑な胸中から来る沈黙が流れた。しかし、そもそも先程に於ける事故の具体的原因は何だったのか?        最も当然な質問を失念していた僕へ、シドは歯噛みする様な調子で説明し始めた。
「クソッタレ……! さっきは済まなかったが、ハンドルを制御出来なかったのは訳があるんだ……!!
 今迄自分自身のID番号を逆用して、映像や他人のID、居場所を摩り替えて敵を撹乱したりして来たよな? 悔しいが、そのお株を奪われたらしい……。
 運転中、視界が突然ブラックアウトしたんだ。前方の主観映像が真っ暗に陥って、車体の操作を誤ってしまった……。そこで停まり切れず俺達は派手にバイクから吹っ飛ばされちまったって訳だ……。
とうとう俺のIDや現在位置が政府にGPS捕捉され介入されてしまったらしいな。ここから先は、ヘッドギアを逆手に取った戦法も難しい様だ。まあどちらにせよ、もうこいつは使い物にもならない様子だけどな……」
 シドが指差す通り、彼の頭部を包むヘッドギアは転倒に由る強烈な衝撃で片側が半壊していた。コーティングされていた表層部が所々破損し、機械内部が剥き出しに露出され痛々しい様相を呈している程だ。最早機能を使用する事も儘ならないのは一目瞭然だった。
「しかしな、これで丁度良かったのかも知れない、ここが潮時なのかも知れないぜ……。矢張り、主張や覚悟を貫き通して世界へ表現するには、もうこいつの存在は邪魔だしな。ヘッドギアの機能を利用する事も、もうここで金輪際封印するんだ……」
 どこか達観しかたの様に、シドは逡巡無く頭部に手を掛けると、あっさりとヘッドギアを脱ぎ捨てた。その一連の仕草は丸で起き抜けに衣服を取り替えるかの様な自然さを伴う、呆気無い程の軽快さだった。
 余りの気易さに呆然としている僕へ、初めてその素顔を晒した彼は人懐っこい笑みを浮かべる。そして、敢えておどける様な調子で恭しく口を開いた。
「……初めまして。そう、やっと出逢えたな」
 彼は自嘲気味に挨拶を述べた。僕は自身以外に、敢えてヘッドギアを脱ぎ捨て素顔を露出した人間と初めて対峙した。どこか未体験に近い不思議な感慨が湧く。
美醜の観念が培われていない現代人の僕達だが、シドの外貌は想像以上に端正なものと感じられた。そして、言い知れない万感が込み上げて、僕達はどちらから共無く二人で破顔し、顎を外す様に大笑をし始めた。夕闇から覗く光に、シドの笑顔が茜色に差し染まる……。

―ふとその時、一頻り笑い挙げた僕達の背後からひっそりと接近する第三者の影が視界を覆った。瞬時に振り返る。
 すると、如何にも精悍な体躯の男が一人毅然と立ち尽くしている……!
 その折り目正しい制服や背筋の通った佇まいからして、明らかに政府直属の人間である事が見て取れた。
 咄嗟に僕達は後退して身構える。転倒の影響で手負いの身だが、シドは警戒する視線を一定させた侭で自身の全身をさり気無く弄っていた。所持している武器類が周囲へ吹き飛んでいないか、携帯された状態の侭であれば故障が無く使用可能かどうか、抜かりなく確認しているのだろう。
……しかし油断を怠らず対峙した僕達を前に、何故か相手は両手を中空に掲げ立ち止まった。
 ふと、相互の動静が停止する……。この何者かは、武装及び敵意が無い事を意思表示して来たのか? ……僕達は攻撃意識と言うよりも、訝しむ顔色で彼を見据えた。
「御覧の様に俺は政府の者だが、この通りあんた達と事を構えるつもりは無い……」
 僕達は横目で相互に目配せし、警戒意識を保ちながら彼が継ぐ二の句を待った。何かの罠かも知れないが、眼前の相手からは一本気な気骨が伝わり、心根の卑しさの様なものが雰囲気として漂わない事を僕達二人が共に感じ取っていた。
……暫しの間周囲が静寂に包まれ、僕達が攻撃態勢へ入らない事を確認した彼は、訥々とその口火を切り始める。
「ヘッドギア生産工場や病院では世話になったな……。病室でやっと出会えるかと思ったが、まさか自分達のIDを新生児の番号に摩り替えるとは想像もしなかったよ。散々あんた達を探し回り、漸くここでご対面出来たと言う訳だ。本来なら、俺は職務上あんた達を拘束する為に今直ぐにでも飛び掛るべきなんだろうが……。
 しかし正直に告白すると、心が狭間で揺らいでいるんだ。あんた達の声明や行動を見聞きする事で、果たして体制側に属する自分が正しいのかどうかを、な……」
 叉も肩透かしを喰った様な心持ちで僕達は目配せし合う。生産工場や病院での犯行を現段階で見知っていると言う事は、矢張り彼は警察の人間と言う事に相違無い筈なのだが……。
 眼前に対峙する仇敵は、何を言わんとしているのか。
「……俺は正直、世間の一部勢力の様にあんた達へ心情が傾き掛けているんだ。今迄何の疑問も抱かず政府役人である事を聖職として誇りに想い、忠実に職務を遂行して来たつもりだったが……。
この世界が虚飾に覆われた悪平等を生み、我々は仮初めの平和の中で圧政を受けているのか、如何か……。
 だから、答えを見極めさせて欲しいんだ。あんた達の抵抗を最後迄見届ける事で……」
 暫しの無言の後、シドは放心した面持ちでこう問い掛けた。
「つまり、取り敢えずこの場は見逃してくれるってのか……?」
 青年役人は黙して語らない。ここで僕達へ寝返らない迄も、電網監視下に置かれている以上、既に彼の立場も危険へ陥りつつある筈だ。シドの様な共感者の先例は在るものの、僕達は体制側に属する人間の内面に迄影響を与える事が出来たと言って良いのだろうか……。どこか誇らしい気持ちを得た僕達は、ふっと敵意を喪失し肩の力を抜いて微笑を交わす。
 青年役人は僕達と意志の疎通が図れ信用を得られたと悟り、一旦の安堵を見せた様子だった。
……しかしだからこそ本題に入れると踏んだのか、次の合間には一際に不安気な気色を浮かべ、切迫した忠告を挙げ始めた。
「今では、市街の各所であんた達の声明に触発された者達が暴動を起こし始めている……! 政府は事態の収拾を付ける為に、今夜から機動隊を総動員して武力鎮圧へ乗り出すだろう……。そして、何より完全な解決を果たす為にあらゆる手段を駆使し、草の根を分けてでもあんた達を捜索しようと躍起になっている筈だ。
 そう、さっきバイクで転倒したんだろうが、あんた達の運転を妨害した者は明らかにうちの班に所属する元ハッカーの仕業だ……。今ではGPS測位からも逃れられるだろうが、事故を起こし信号が消失した情報を受け、この地点を目指し警察が急行して来ているだろう。
 ここからが正念場だぜ、生命の危険も覚悟しなければならない様な、な……」
 青年役人は、僕達の行く末を案じるかの様に気遣いを露わにしている。精悍で武骨な印象を受ける男だが、対称的なその繊細な優しさにはどこか好感が抱けた。
「まあ、危険と言うなら、今僕達と会話している君自身も既に含まれているんだろうがね……」
 僕は彼が何も不服を言わず、僕達の趨勢のみを心配している事に厚意を覚え敢えて軽口めいた言い方をする。そう、彼はまだヘッドギアを常備している。僕達の今後を邪魔しない為にも自身への糾弾から逃れる為にも、彼は直ぐにこの現場から去り追手から目を眩ませる必要がある……。彼は未だ完全な反体制側へ宗旨替えし切っていなくとも、既に自己責任を背負う様な状況へは片足を突っ込んでいるのだ……。
 
―ああ。恐怖と昂揚の入り混じる身震いが止まらない。僕達は革命の最終段階へ突入する間近なのだ……。
そして僕は去り際に、気骨ある反体制予備軍の士へ或る言伝を申し出た。
「答えを見極めたいと言うのなら、一つ手紙を政府へ届けてくれないか? 仮面舞踏会の終幕を飾る為に記した、僕達からの招待状をね……」



              *

OSAMU
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OSAMU

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