4.見えなかった真実

 季節は冬を迎えようとしている。
 環は、だんだんと人の目を気にせずに清めをするようになった。帽子もマスクも使わない。それが逆に人々の目には不思議に映らなくなり、環にとっては、人の好奇の目よりも穢れを祓うことの方が大切になっていた。
 幸いというか、たまの姿は人には見えないし、清めのために出てくる榊も見えない。だから、人にはストレッチか何かをしているようにしか見えないのかも知れない。
 環に全て話してしまったたまは、気が楽になったのか、とても気丈でまっすぐな本来の性分を出すようになった。
 環は日曜日でも日の出とともにたたき起こされるし、宿題を放って趣味のハンドメイドを楽しんでいると叱られる。
「楽しいことだけをするんちゃうの! せなあかんことが先! 私が環くらいの歳にはもう働いてたんよ、いつまでも子どもでいてどうするの!」
 とにかくうるさい。環はこのうっとうしさだけはちょっと勘弁してもらいたかった。
「あのなあ、たま。言い方よ。私、手伝ってる人。あなた、お願いしている人」
「あんた、それいっつも言うけど、そやからゆうて生きることはちゃんとせなあかん! あんたに大事なことをお願いしている以上、あんたがいろいろと具合悪くなったら大変や! この季節は特に体に気をつけんと、宿題ためて徹夜とか話にならん!」
 環はムッとして黙り込んだ。図星過ぎて腹が立つ。
「もーーー! うるさいうるさい! わかってる! でもな、私かて疲れたら気持ちをリフレッシュさせたいし、何よりプライベートを守りたい!」
 環が反論すると、たまはぽかんとして首を傾げた。
「りふれっしゅ? ぷらいべえと? それ何?」
 ああ、そうか、と、環は脱力して机に突っ伏した。説明するのも面倒くさい。
「……宿題します。ごめんなさい」
 環がそう言うと、たまは、よろしい、と深く頷いた。
 こういう時、たまは見事に環の邪魔をせず気配を消してじっとしている。フィギュアになりきっているつもりかと思うほどだ。
 ところが、この日は違った。少し経った頃、突然たまが大声を出した。
「環! 大変や!」
「ななななな、な、なに……」
「命様がお呼びになってる! 神社へ行くで!」
 環は思わず時計を見た。午後9時を回っている。
「え、今から……」
 前にもこんな展開があったような、と、環は思った。
 たまはさっさと玄関を目指して飛ぶし、環は足音を立てないようにしてそっと家を出、神社へ向かって走った。先に着いたたまは、拝殿の前で手に持つ勾玉を高く掲げ揚げ2度拝礼し、命様に到着したことを知らせた。
 環も隣に正座し、命様が現れるのを待った。
 程なく、命様は初めて現れた時と同じように、階段に座した格好で現れた。
「やあ、たま、環。こうして会うのは久しぶりだね」
 ほんまによ。と、環は心の中で悪態をついた。神様だけれど、たった1人捕まえるのにどれだけ日にちをかけているのか、2学期ほとんど祓い清めに費やした。
「いやあ、ははは。ごめんよ捕まえるのが遅くなって。待たせて申し訳なかった」
 命様は苦笑してそう言った。だが、すぐにその視線はたまの方へ向けられた。
「たま、会えるかい?」
 恐らく、たまが名をさぶろうと教えてくれたその人のことだろう。
 見ると、たまは少し困惑気味だったが、少し間を置いてこっくりと頷いた。それを見て、命様は優しく頷くと、「これへ」と誰かに声をかけた。
 夜の神社の木々の間、闇の中から、数柱の神々に囲まれてその者は姿を現した。
 環は驚いた。何という大きさ! 以前たまに背丈は人の2倍くらいあると聞いていたが、恐らく2メートルは余裕で超えている。が、それに圧倒される間もなく、環は思わず仰け反った。
 電光石火とはこのことか、たまが手に持つ勾玉でその者の脳天を突き刺す勢いで殴りつけた。
「何やってんのよあんたはーっ!」
 涙でぐしょぐしょになりながら、たまは渾身の力を込めて絶叫した。
「まあまあ、ちょっと話を聞いておくれ」
 間に割って入ったのは命様だった。
「ちゃんと理由があるんだよ」
 命様に言われて、たまは、鼻息が荒いまま少し下がった。
「心配させたんか。すまんかった」
 彼、さぶろうは、力なく話し始めた。
 黄泉国で、さぶろうは穏やかに過ごしていた。誰に危害を加えることもない、体が大きいというだけの普通の黄泉国の人間として。
 が、ある日、新しく黄泉国に入ってきた人間たちの会話を耳にして不安になった。話の内容は嫁への感謝。記念日というものがあり、その日に贈り物をするのだと。
 さぶろうが生きていた時代、日にちというものはなかった。太陽の傾き加減が時節を教えてくれていた。ゆえに、記念日など何かわからない。でも、嫁に感謝するということが気持ちに引っかかった。
「たま、お前はわしの嫁になった。でもそれは、わしが千田をメチャクチャにしたからや。お前は嫁入り先も決まっとった。千田を守るために全て捨ててわしのところに来た。仕方なく嫁に来たんやし、心はわしに向いてない。お前はわしを怨んでる。やから、お前を見るのは辛かった。できるだけ幸せにしてやりたいと思った。何べんも帰れとも言うた。けど、お前は帰らんと最後までわしのところで生きた。
 わしは、お前にちゃんと言うてない。好きやったんや。始めは姿に惚れたけど、お前のその気丈夫なところが何とも言えん、好きやった。わしのところに嫁に来てくれたことも、ほんまに嬉しかったんや。けど、言えんかった。何か感謝をせなあかんと思った。そやから、贈り物をしたいと思った。お前が一番喜ぶ物は何やろて、ずっと考えてた。できたら、お前がわしのところに来た新嘗祭の頃までには何とかしたかったんや。お前が喜ぶん違うかて思うもんを思いついた。けど、それを見つけるのはものすごい大変やと思った。早くから神々にこの世に出られる手続きをお願いしていたんやけど、なかなか許してもらえんかった。待ってる暇はないと思て……」
 そう言って、さぶろうがたまに差し出した物は。
 たまはそれを見ると、くしゃくしゃに顔を歪めて嗚咽し始めた。
「アホやなあ。何を言うてるん。確かに始めはあんたに腹を立ててたよ。でも、あんたの怒りもわかってた。帰れ、帰れて言われても帰らんかったんは、あんたのことが好きやったからや。全く、子どものままの幼い心で、素直すぎて純粋すぎて、こんな人に会ったことなかった。言うたことは守るし、何でもしてくれる力持ちで、ものすごう頼りになって、私はあんたが1番好きになったんや。ごめんな。私がちゃんと言わんかったからや。あんたこそ、村に冷たいあしらいされて私が疎ましかったんかと思ってた」
 そう言うと、たまはさぶろうの頬にすがりつき、小さな手でその頬を撫で始めた。
 すぐにたまは気絶するように力をなくして下に落ちていく。慌ててさぶろうが手ですくい取ろうとしたが、命様がそれを止め、自分の手にたまを受け止めた。
「今のおまえにたまは触れられぬ。その穢れた体を元に戻さねば。自分がしたことをちゃんと反省しなさい。たまに気持ちを伝えたかった心は評価するが、やり方が違う。黄泉国の神々に罰を軽くしてもらえるよう頼んであげるから、向こうに戻ったら今度こそ2人でちゃんと話し合いなさい。思い違いが生んだわだかまりを、ちゃんと取り除きなさい」
 その声は厳しかったが、環は思いやりが込められていると感じた。命様もきっと、さぶろうの気持ちがわかっている。
 たまとさぶろうは、すぐに黄泉国に帰ることになった。
 たまは命様に力をもらい、環のところまで来ると、ずっと持っていた勾玉を環の手に置いた。
「環、私からのお礼や。私の一番の自信作。自分で持っててもしょうがないで、いっぱいお世話になった環にあげる。きっと環を守ってくれる。大事にしてくれると嬉しい」
 にっこりとして、たまはそう言った。
「お別れなん? また会える?」
 唐突に訪れた別れの時に、環は動揺を隠せない。
「もう会えないやろね。さぶろうがまた脱走したらわからんけど」
 そう言って、たまはコロコロと笑った。
「環、元気で」
「うん」
「ありがとうね」
「私こそ。いろんなこと教えてもろた」
「ふふ」
 たまは命様の方へふわりと飛んだ。
「すまなかったね、環」
 命様はそう言って、環に微笑みかけた。
「いえ、なかなかない経験できましたし。これはこれで結構楽しかったです」
 命様は楽しそうに笑った。
「環、できればこの2人が黄泉国でよい時を過ごせるように祈ってくれると嬉しいよ。もう君の手に榊が現れることはないが、穢れはこの世に垢のように現れ出てくる。祈ることでそれは祓われる。吾らはこの世の全てを見ている。人が慣習としてであれ吾らを呼べば、吾らは離れることはない。環、栄え幸わえ」
 命様は、たまにさらに強い力を与えた。すると、小さなたまは一気に大人の女性に成り変わり、光るような美しい本来の姿になった。
 その名を馳せたという美しい娘、玉姫。
 環は眩そうにその姿を見た。小さなたまとは全く違う。高貴で気高く美しい。近寄りがたささえ感じるほどの美しさだ。
「たま、きれい」
「ありがとう、環」
 たおやかに手を振り、たまは命様とともにゆっくりと姿を消していく。同じように、さぶろうとさぶろうを囲んでいた神々も。
「あ、待って、待って! 贈り物って何だったの!?」
 環が慌てて問いかけると、霞んでいきながらたまは笑って答えた。
「砥石よ」

古橋 童子
この作品の作者

古橋 童子

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