5 平方の松岡さん

 翌日、龍神様は言われるまま平方にやってきたものの、どうしたものかと思案しておりました。
「そうだ。平方なら、平方天満宮に寄ってみよ。あそこの道真さん確か犬飼ってたし。」
この平方天満宮に伝わる犬の伝承はさておき、訪ねてきた龍神様に道真公は
「どうしたの。龍神様。」
と言い、めずらしい客人に驚きつつも、龍神様の話に耳を傾けました。天界において指折りの知恵者である道真公は龍神様に知恵を与えます。色々な話を聞きましたが理屈っぽいので、とりあえず人の好みの平均を取って無難に柴犬になる事にしました。
「柴犬かわいいよね。」
龍神様はポンと柴犬になりました。
「ところで、道真さん。名前はどうするの?」
と聞きます。
道真公は
「メッキー」
と一言。
「ラッキーじゃないの。メッキーなの。何で?」
おかしな名前に龍神様は思わず聞いてしまいます。
「うちの犬の名前」
涙もろい道真公は昔を思い出すと境内にある犬塚の話を長々と語りだしたので、龍神様は話を程々に聞いて松岡明のアパートに向かいました。アパートに到着すると1階の松岡の部屋のドアの前で座り込んでいました。昨日に続いて春の日差しはまぶしく、冬毛のままの柴犬の背中を照らしています。優しい風が吹き抜け、メッキーはウトウトと眠ってしまいました。



 日が西へと傾き、風が毛並みをなでるのとは違う背中のくすぐったさを感じたメッキーは重いまぶたを開けた。あたりは少し暗くなっていた。
「おーい。どいてよー。」
誰かが指で毛並みをなでながら話しかけていた。メッキーは目を覚ましワンワンと鳴いてみた。
「お前かわいいなー。どっから来たの。どいてくれないと部屋に入れないよー。」
松岡はメッキーの頭をなでて、目を見ながら話しかけた。
「家に帰らなきゃだめだよ。」
とメッキーを抱きかかえるとドアから離して部屋に入ってしまった。このままではいけないとメッキーは部屋に入った松岡を呼び出すために、ドアをカリカリと引っ掻いてみた。靴を脱いで部屋に上がろうとしていた松岡は柴犬がドアの外にいることに気付いた。犬が挟まれないようにそっとドアを開けると入口にいるメッキーを抱え上げた。
「こら。いたずらしたらアカン。」
と話しかけると、メッキーが首輪をしていないことに気付いた。人になれた姿を見て野良犬ではなさそうなメッキーに、
「野良犬じゃないだろ。帰らなきゃダメ。」
と言うと、アパートのドアから表通りまで抱きかかえて、道端にメッキーを下ろした。
「バイバイ。」
と言って部屋に戻ろうとするが、メッキーはスッと駆け寄ってきて足にまとわりついて離れようとしなかった。
「仕方ないなあ。もう暗くなるし、一晩だけ泊めてあげるわ。」
と言い部屋に入れてあげた。
仕事が早上がりの松岡はちょうど近くのスーパーで弁当とつまみのサバの水煮を買って帰ってきたところだった。部屋に入ると弁当をレンジに入れスイッチをオンにした。そのまま部屋の奥に入ると、テレビの前のテーブルの横にある座布団を部屋の隅に置き、足にまとわりつくメッキーを座布団の上にのせてやった。自分はレンジの下の冷蔵庫からビールを取り出すとおもむろに飲みだした。シンクには空缶が無造作に積まれていた。ビールをもう1本取り出すと部屋に戻りテレビをつけた。
いつもなら適当にダラダラと明日の出勤までの時間をやり過ごすが、今日は迷い込んだ来客に少し浮かれていた。座布団の上にちょこんと座るメッキーに水を汲んでやろうと適当な容器をさがし、ずっと使っていない食器棚から深めのカレー皿を取り出して水を汲みそっと座布団の前に置いてやった。水を飲む愛くるしい姿につけたテレビを見ることもなく、指で背中をなででいた。ビールはいつもより進んでいるようだ。弁当を入れたレンジのタイマーはとうに切れていた。
メッキーとじゃれる松岡は弁当を思い出し食器棚から平皿を取り出すと冷めた弁当のご飯の半分を平皿にとりわけ、さらにつまみに買ってきたサバの水煮を平皿にのせた。もう一度レンジのふたを開けると自分の弁当を温め直した。シンクから戻る松岡の足取りはフワフワしているように見える。平皿をメッキーの前に置くと松岡も一緒に寝転がった。自分の二の腕に頭を置いて眠たそうだ。
「これ。うまっ。」
置かれたサバの水煮を口にしてメッキーは思わずしゃべってしまった。視線を感じとりサバの水煮から目を離すと松岡がこっちを見ていた。春の過ごしやすさは部屋のエアコンを必要とせず、静けさが一人と一匹を硬直させた。
「しゃべった?」
松岡がぼそっと言った。柴犬メッキーとなった龍神様は弁天様との話を思い出し、もう戻れない、やるしかないと覚悟を決め、顔は松岡に向けたまま、視線だけをずらし、口を閉じて軽く頷いた。
「マジでしゃべった?」
と聞き直す松岡に対し、今度は目を見て、同じく口を閉じたままもう一度軽く頷いた。
「どこの犬?何て名前?」
松岡は奇妙なものを見る目で話しかけると、すかさず龍神様は
「メッキー」
と口を開いた。松岡はその名前に口元だけが半笑いだった。狐と言うより犬につままれているようだ。
「どうしたん。何があったん。」
と松岡はメッキーの話に耳を傾けた。メッキーは松岡に昨日の竹生島でのかわらけ投げの事を聞きたいと伝えた。松岡はそんな事をなぜ知りたいのか不思議に思いつつも昨日のことを思い出していた。

 話によれば、昨日は仕事が休みで何もすることがなかった松岡はふと竹生島に行ってみようと思ったという。かわらけ投げの事は知っていたが、竹生島に来たことはなかった。住所と名前を書いたのも最近のパワースポットブームで神社のお参りには住所と名前を伝えるべしみたいな事がまことしやかに言われているからだと話した。
 肝心のかわらけについては1枚目のかわらけが大きくそれたので、2枚目をさっさと投げようとしたら、どこかで見たことのある顔が縁側に居たという。それは三人家族の父親の秀文のことで、名前は分からないけど、どこかで見たことがあるなと思い2枚目を投げずに思い出そうと見ていたという。投げたかわらけが鳥居を外れた事も気にもせず子供に見せる笑顔を見て、その笑顔から男が長浜の老舗和菓子屋の若旦那だと分かったと話した。
 そう思い出した後で、視線を鳥居に戻し「宝くじが当たりますように。」と書いたかわらけを投げたという。投げたかわらけは風に乗り鳥居に向かったが、鳥居の外を僅かにかすめて下に落ちたと話した。
「そんな簡単にかわらけが鳥居をくぐらんもんな。」
メッキーは少しホッとして言った。
「名前のかわらけが外れたから、願い事も宝くじもないんやけどね。でも、あれらしいで。あそこの若旦那。」
松岡がさっと話を変えてきた。
「何かあったん。」
メッキーはシッポを振って興味津々であった。松岡が言うには、その和菓子屋は長浜でも一二を争う老舗だが、店の主である秀文の父がこの春から秀文を勘当して弟を呼び戻すという。聞いてみれば、秀文とは意見が合わず経営方針の違いからきているらしいと話した。
「でも、若旦那も腕は良いと思うけどな。」
ふと松岡が言った。
「何で知ってるの。」
メッキーは残りのサバの水煮を頬張りながら聞いていた。店の跡取りを決めたのは他の誰でもない秀文の父のようだ。昔気質の職人らしい。
「僕は元々長浜の市内に住んでいて、和菓子屋の近くに実家があるんよ。亡くなったばあちゃんとは年が違うけど、お店のご主人とはご近所さんでよく話していた位だから。」
松岡は懐かしそうに言った。さらにこんな世間話もあったという。秀文もその弟も若いころから店を慕い、一生懸命に修行をして腕は良かった。そこで店の主はいろいろ考えた上で、秀文を跡取りにして弟を京都の知り合いの店に預けたという。腕については甲乙つけられない兄弟だが、性格が全く逆で、兄の秀文は楽天的な天才肌、弟は真面目な秀才肌だという。何でも要領よくこなす兄より、コツコツ努力する弟なら周りにも受け入れてもらいやすいだろうと考えた末の事だという。
「ふーん。ダメな奴じゃなさそうだね。」
メッキーは水を飲みながら、仕事をしないろくでなしと思っていた堀川秀文という男に思いをめぐらせた。
「子供の頃にばあちゃんとその店よく通ったもん。だから顔を何となく覚えていたんだろうね。」
昔を思い出すように松岡がさらに続けた。
「生菓子ってスゴイのよ。手の平くらいの大きさなんだけど、桜や菊とか食べるのもったいないくらい奇麗なの。ばあちゃんと俺が買いに行くと、たしか若旦那だったと思うけど、わざわざイヌとか漫画のキャラクターまで作ってくれるのよ。懐かしいなあ。」
松岡はアルコールがまわっているのか顔が赤かった。
「ふーん。いい奴やん。何で家を追い出されるの。」
メッキーの疑問に対し、
「さあ。それは知らん。全部うわさ話。」
と松岡は答えた。夜も深くなり、一人と一匹はウトウトと寝入ってしまった。

 朝になり、仕事に行かねばならない松岡の足元に、昨日と同じようにまとわりつくメッキーだったが、昨日のカレー皿に水をもらい、頭をなでられてもワンワンとしか鳴かなかった。松岡がシャワーを浴びて仕事に出ようとドアを開けた瞬間、足元からスッと外に飛び出した。ドアから「メッキー」と呼ぶ声に対して、道端から振り返るが、もはやワンワンとしか鳴かず、そのまま道路に飛び出しどこかへ行ってしまった。松岡は家を出た後になってレンジに昨日の弁当が入れたままだと気づき、頭をポリポリ掻いて少し酒を控えようと思っていた。

大入冷蔵庫
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