救世主と赤ん坊

静かに広がる琵琶湖の隅、苦しそうに唸るアリサを「頑張れ!アリサとハヤテくんとの子なら絶対美形が生まれるよ!」と的外れな声援でリリエは励ましていた。その途中、ふと「そういえばあのとき、何が起こったの?」と急にここへ移動したことを思い出し、ジョウに尋ねた。「俺は歴史人、つまり幽霊だからな。ふっと消えたのさ」と答えた。「えっ、じゃあ私とアリサも一緒にあそこから消えたってこと?そんなことできるの?」とジョウに近寄って質問責めにすると「まあ、おれにかかればな」とちょっと自慢げに彼は頷いた。それを聞いたリリエは「何でそれを黙ってたの?!できるなら最初からそうしてくれればいいのに〜!」と、ジョウの胸ぐらを掴み、緑色の髪を震わせた。ジョウはリリエの手を何とか離すと「さ、最終手段だったんだ!この力を使い過ぎると、現代には居られなくなるからな。あの医者を呼び寄せたのもそうだ、彼らは同じ歴史人だから呼ぶことができた訳だが」と説明した。「そうだったの、ごめん。それよりアリサやマリコさんがジョウを特別みたいな言い方するけど、どうしてなの?」とリリエは立て続けに疑問をを投げかけた。するとジョウはさっぱりと「さあ。別に俺は特別でも何でもないさ。ただアリサが蘇えらせた歴史人の一人だ」と答えた。
そんな風に二人が呑気に話をしていると、「うーん!」とアリサは段々と大きな声で唸りだした。助産師の「ひっひっふー!ひっひっふー!」という掛け声も一段と勢いを増しているようだ。「そろそろなんじゃないか?!」とジョウがそちらに気を取られ、リリエも「アリサ!」と手を合わせたとこで、背後に人が近づいてきていることに気づかなかった。それまでリリエが大事に抱えていた皿の入ったバッグを、アリサの父親がひったくった。「あっ!」とリリエが叫ぶと、父親は「歴史人だか何だか知らんが、こんなもの割ってやる!」と、金槌を振りかざした。「やめて!」とリリエが叫んだ瞬間、現れたのはあの駅員だった。横からアリサの父にタックルし、二人とも地面へ倒れ込む。駅員が手首を強く握ると金槌が落ち、鈍い音を立てた。すかさず駅員が彼を上から抑え、「娘が大変な思いをしているんだぞ、こんな時に何をしているんだ!」と怒鳴りつけた。そしてジョウが「アリサには気の毒だが、警察に突き出すしかないな」と、父親を睨みつけた。「おじさん、よくここが分かったね。助かったよ!」とリリエが礼を言うと「いや、君に呼ばれて・・・」と駅員が言ったその瞬間、「や、やめなさい!誰なんだねあんたは!」と向こうで医者が叫んだ。ジョウとリリエがハッとアリサたちの方を見ると、マリコが刃物を振りかざしている。どうやら発狂しているようで、アリサのお腹を狙っていた。ジョウが走りだしたが、間に合いそうにない。マリコは「産んではいかんのだ、な、長浜が危ない・・・」と口走りながら、刃物を振り下ろそうとしたその時、リリエは目を瞑って「助けて!」と心の中で叫んだ。目を開けると、ハヤテがマリコの手を掴んで抑えている。そして刃物を取り上げられると、マリコはその場に倒れこんで「うあ〜〜っ!」と泣き叫んだ。「よ、良かった・・・!」とリリエは一安心した。「アリサ、頑張って。これで安心して産めるよ」と遠くから呟き、「私も近くで応援しよう」と立ち上がったその時だった。後ろから鈍い音とともに、「うっ」と唸る声が聞こえた。「えっ?」とリリエが振り返ると、アリサの父が金槌を握って立ち尽くし、駅員が頭から血を流して倒れている。「お、おじさん!」とリリエは顔から血の気が引いていくのが分かった。頭が真っ白になり、「なんてことを・・・許さない!」とアリサの父めがけて無我夢中で走り出したとき、彼は急に首を抑えて苦しみ始めた。それを見たリリエはハッと我に返り後ろを見ると、ジョウが激しい形相でアリサの父親を睨みつけて近づいていく。あのヘラヘラしたジョウからはとても想像できない姿だ。「いい加減にしろ・・・どれだけ人を傷つけたら気が済むのだ」と、ジョウからゴウゴウ炎のようなものが燃え上がっているように見える。
その時、後ろから「おぎゃーおぎゃー」という声が琵琶湖の闇夜に響いた。無事、赤ん坊が産まれたようだ。この時、アリサは胸に熱い何かを感じた。説明し難いが、一瞬何かと共鳴したような、そんな気分だった。それを聞いたジョウが怒りの炎を鎮めると、アリサの父はその場に倒れ気絶した。そしてジョウは真っ先に駅員の元へ駆け寄って「済まなかったな、私はお前に救われたのに。傷は浅いから安心しろ。すぐ治る」と目を瞑り、駅員の頭に手をかざすジョウをリリエは近くで見つめていた。彼ががサッと手を離すと出血はおさまり、傷口は閉じている。起き上がった駅員は「何という光栄でしょう。深く感謝します」と、ジョウに礼を言った。「ジョウ、あなたは・・・」とリリエがじっと見つめると、ジョウの表情はチャラチャラした変人などではなく、王の顔に変わっていた。

羽矢 りりい
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羽矢 りりい

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