カフェ『Rencontre』にて

 例えば楽しいことがあったとき。
 例えば悲しいことがあったとき。
 僕が思い出すのは、おいしかったあの味のことだ。
 だって、おいしいは幸せなのだから。
 

 東京都心部。オフィス街のそこまで人通りの多くない道沿いのテナントビルの一階。そこが僕――川上啓吾が店長を務めるカフェ『Rencontre』だ。内装は古き良き純喫茶風。少し古びたニュアンスにして、落ち着いた雰囲気にしている。
 この店は、僕が勤める食品販売会社が自社商品のプロモーションも兼ねてやっていて、ランチ平均価格が千円という地域にあって七百五十円で定食スタイルを提供しており、近隣のサラリーマン、OLさんに好評価をいただいている、味自慢のカフェである。
 今日のランチは秋の定番、焼き秋刀魚だ。
 僕は店の外からもよく見える席に陣取って、いただきますと手を合わせた。
 こちらは先日宮城の漁港で猫と戯れていたところ、地元の漁師さんと大いに盛り上がって直接買い付けに至ったので、福を呼ぶ秋刀魚として、猫福秋刀魚という商品名で提供している。この時期、あの地域の秋刀魚は身がしっかりと付いていてとてもおいしいのだ。
「魚、食べるのうまいっすね」
 というのは、ホール担当の大地くん。
「いくら顔面がキレイでも食べ方きたねーやつは万死に値するんで、そういうとこも川上さんはこの仕事向いてますよね」
「大地くん、一応、僕の仕事は経営だよ」
「えー、そうだったんですかぁ? 俺、てっきり飯を食うのが仕事だと思ってました」
 そういうと大地くんはおかわりのご飯をドンっと置く。
「経営を気にするなら、その無尽蔵な胃袋をどうにかしてほしいですね」
「飯ぐらい好きなだけ食べさせてもらいたいね」
「へいへい」
 ちりーんと呼び出しベルがなる。
 先ほどからこちらの様子をうかがっていた若い女性二人が注文を決めたようだ。僕は目があったのでにこりと会釈をする。二人の注文は僕と同じ焼き秋刀魚定食だ。
 僕の仕事は経営である。この店を都内イチのカフェに……とはまったく考えていないけども、そこそこに売り上げをあげて黒字にすることが求められている。
 そんな僕がなぜ店内の一角を陣取って食事をしているかというと、これも仕事の一部であるからだ。
 まず、最初に申しておきたいのは僕は自分の容姿について人より優れているとは思ったことはない。それはそれで嫌みだといわれるのだが、僕は生まれてこのかた三十五年あまり、悪くいえば人にジロジロと観察され、よくいえば容姿を褒められる人生を送ってきた。要するに人がいうところのイケメンというジャンルに当てはまるらしい。
 我が社は、僕の容姿とか、よく食べるところとか、食べ姿がキレイなところとか、いかにもプロモーション向きな僕を店舗に置いて広告費の節約を図っているというわけだ。
 実際、僕がいる日といない日では売り上げが随分違うし、僕が食べているメニューはかなり売れる。どうやらSNSでは僕の名前のタグまであるらしいから、この方針は間違いではないようである。
 なんとも自由な仕事と思われるかもしれないが、案外そうでもない。
 常時人に見られているというは殊の外気を使うのだ。迂闊にあくびも居眠りもできない。だからといって慰労費が付くわけではないから、僕はお腹いっぱい好きなだけ食べさせていただくことにしている。
 僕は食う。売り上げは伸びる。ほら、結果オーライだ。
 ともあれ、先ほど注文していた彼女たちが猫福秋刀魚をおいしそうに食べているので、今日もいい仕事ができている。
 ランチタイムの終了まで店の一角でおいしく食事をして、僕はごちそうさまと手を合わせた。
 
 
「川上さん、食べ終わったんなら自分で片付けてくださいよ」
「もう一杯食べようかなあ。おにぎり用のご飯、そろそろ炊けるんじゃないか?」
「ダメです。おにぎり分がなくなるんで」
「ケチなことを。あれは僕が育ててた米だぞ」
「そんなこといってもダメだし、かわいこぶりっこしてもダメなものはダメです」
 にべもなし。
 オフィス街にあるため、近隣の企業さんの休憩時間が終わると客が引ける。ランチタイムを外して来店する人は急いでいることが多く、テイクアウト需要が高い。そのため十五時以降はテイクアウト用のおにぎりがよく売れる。
 このおにぎりに使っている米は、おにぎり用に特別にブレンドした湖北米を使っている。湖北とは琵琶湖の北側、滋賀県長浜市一帯のことだ。
 具材は僕がいろいろ食べ歩いておいしかった各地方の佃煮が多い。定番の昆布や、江戸前のシジミ、伽羅蕗は甘いヤツと塩っぱいヤツ。今の時期は栗ご飯も用意している。
 要するにこの店は、食道楽な僕が食べておいしかったものを買い付けてきて販売している、僕セレクトのマルシェというわけだ。

 大地くんとおかわりの争いをしていると、
「あら、納品してる米の中には、啓吾くんが植えた米はないわよ」
 と、大きな袋を担いでおしりでドアを押し開けながら、一人の女性が店内に入ってきた。
「あ、祥子さん、お疲れ様でーす」
 タイミングよく米袋を担いで現れた彼女――横山祥子は件の湖北米の生産者だ。年は聞いたことはないが僕よりは年上であることは確実である。
「お疲れ様ー、大地くん。今年の新米のサンプルを届けに来たんだけど、何々、啓吾くん、また大地くんに理不尽働いているわけ?」
「人聞き悪い。僕は僕の当然の権利を主張しているだけだよ」
「はいはい、私のかわいい大地くんをいじめないでね」
「うちの従業員はいつからキミのになったんだい」
「大地くんもこんな陰険な陰キャラのとこよりも、うちで働きなよー」
「えー、農家はムリっすよ。虫、嫌いだもん」
 大地くんはケラケラと笑いながらいう。
「啓吾くんと同じこというのねー。さてはキミも都会っ子だな」
「僕は虫が嫌いだから手伝わないとはいったことはない」
「あらー、そうでしたっけー? 田植えのときギャーギャーいって逃げ惑ってたじゃない。めっちゃおもしろかったわ」
「なにそれ、めっちゃおもしろそうじゃないっすか」 
 動画もあるわよとスマホを見せる祥子さん。スマホには子どもがかなりロングなミミズを持って僕を追いかけているところが映し出されている。
「ちょ、ちょっと!」
「あっはは! 必死すぎでしょ、川上さん」
「涼しい顔して田植えしてたところからのコレだもの。ホント、啓吾くん、残念イケメン」
「はぁ、祥子さん、納品に来たんでしょ! さっさと納品書を出して」
「はいはい。あ、あと、これが」
 と、祥子さんは一キロ袋を荷物の中から取り出す。
「啓吾くんが植えた分ね。今年も無事に収穫できました」
「すぐに炊いてもらうよ。食べていくだろう?」
「あら、気が利くじゃない」
 祥子さんはニカッと気持ちいい笑顔を見せる。
「米は精米したてが一番おいしいからね」 
 僕は受け取った袋の湖北米と書かれたラベルを慈しむように撫でて、大地くんに渡す。
「新米だから水は少なめで。キッチンに頼めばわかるから」
「はーい」
 ちなみにだが、米は季節や種類によって内包している水分量が異なる。家庭用の炊飯器では、総じておいしく炊きあがる水分量が指定されているが、米の状態に合わせて水分量を微妙に調整したほうが好みの固さに炊きあがる。今回の場合は新米で精米したて。少し水分量が少ないほうがピンとした米になるだろうという算段だ。
 キッチンに米を渡した大地くんが「30分ぐらいだってー」と戻ってくる。
「そういえば、祥子さんはなんでわざわざサンプルを自分で持ってくるんすか?」
 大地くんはなんで? と首を傾げる。
「朝、精米してそのまま持ってきてるから。そのほうがおいしいし」
 さも当たり前のように祥子さんはいう。
「それだけー? なんか特別な理由があるんじゃないか? って。ほら、例えばさ、実は二人は付き合ってたり~~とか」
「ないよ」
「ないわね」
 気持ちが悪いほどキレイにハモる。
「こんな根暗なヤツ、こっちから願い下げですー。いくらイケメンだって年に数回会うだけでお腹いっぱいだわ」   
「はっ。僕だって何が悲しくてこんなガサツな女性と付き合わなきゃならないんだ」
「ガサツだー? 料理どころかゴミの分別すらできないヤツにいわれたくないわよ」
「ゴミの分別ぐらいできますー」
「あら~~、川上さんちの啓吾くんは、ようやく人並みの生活力を手に入れたのかしら~~?」
「はは、元から独り暮らしですしー?」
 互いに譲る気のない龍虎の様相に、大地くんはげんなりとした様子で、
「仲良いじゃないっすか」   
 と、いう。
 タイミングを見計らったようにほかほかのどんぶり飯が運ばれてきて、僕も祥子さんもいい争いはどこへやら。
「……大人げない」
「うっさいよ、大地くん」
 ツヤツヤのお米は新米の証しである。
「いただきます」
 甘味があってしっかりとした味がする。湖北米は日本一厳しい水質管理の下で栽培される特Aランクの米だ。
「そうそう、啓吾くん、収穫、手伝いに来なさいよ。キミの田んぼでもあるんだから」
 祥子さんはぴっと指さして「サボるなよ」っと念を押した。
 

 春の田植えと秋の収穫。僕は長浜を訪れる。もちろん手伝いのためだが、毎年、滞在中に食べる米のほうが多いといわれるぐらいまるで役に立たない。
 それでも向かうのは、それが仕事であり、そして大切な縁の地であるからだ。



 キレイに輝く米を口に運ぶ。
 僕にとってこの米は、思い出の味である。
 
 祥子さんは僕の死んだ恋人の姉だ。
 僕はこの米の縁を繋げていきたいと思っている。

きゆう
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きゆう

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