『夢の中』

 ここは京都にある大学の、とある文芸部の部室である。そろそろ夏季休暇に入ろうかという時期で、室内はクーラーが効いている。
「というわけで、皆で長浜に行こうと思うんです」
 白衣の男は、文芸部員総勢三名に向かって言った。彼は文芸部の顧問である。割かし若いが、いまいち何を考えているのかわからない能面のような顔をしている。
 文芸部員たちは「はぁ」というような顔をしていて実に分かりやすい。そもそも引きこもりがちな文芸部員たちの気分転換のために合宿をしないか、と佐倉が話し始めた時点で、「はぁ……」または「はぁ?」という表情だったが、それがより顕著になった。「はぁ?」という顔をしている男子、夏目が言った。
「長浜って、滋賀の?」
「そうそう。琵琶湖の向こう側ですねぇ」
「なんでまた……」
「君たちがどうも行き詰まっているように見えたから」
 君たちとは、ここにいる三人の文芸部員――里、瑞野、夏目――のことである。ボーイッシュな雰囲気の女子部員、瑞野は眠そうな顔で言った。「行き詰っているも何も」声も眠そうである。「私たちはどこに行こうとしているんでしょうね」
佐倉は頷いた。「実にいい質問だ。里君、どう思います」
「ええっ」突然話を振られたおかっぱ頭の女子部員、里は、目をしばたたかせた。「ええと、その……どこにも行こうとしていないと思います」
「そうその通り。正解した里君にはこのメンダコのぬいぐるみをあげましょう」
 どこから取り出したのか、佐倉の手にはとてつもなくゆるい顔をしたメンダコのぬいぐるみ。
「あ、ありがとうございます……?」
横から瑞野、「里、それ受け取らなくていいから」
「もらってくれないんですか? めっちゃ気持ちいいのに……」佐倉は残念そうな顔をしつつ、メンダコをいじくっている。
「話、戻していいすか?」相変わらず不機嫌顔の夏目が言った。「俺たちが行き詰ってるって?」
「そうそう」佐倉はメンダコを弄り続けている。「皆さん、今年度に入ってから一冊も部誌を出していないのにお気づきですか?」
「ヴッ」
 みぞおちを突かれたような声を出したのは里であった。里は文芸部の部長でもあり、部誌の刊行、部員から原稿を回収する役割も担っている。そして、毎回安定して作品を掲載している貴重な存在。そう、今までは。
「すみません、ちょっと今、スランプで……」
 里はつぶれた饅頭のような声でぶつぶつと言った。「書いてはいるんですけど……」
「里がスランプって、珍しいね」と瑞野。瑞野はSF書きである。しかし、その時の気分によって書いたり書かなかったり、書いても途中で時間が足りなくなって落ちをぶん投げたりしているマイペース物書きであった。たいてい落ちが思いつかなくなったら宇宙を終わらせてしまう。
 里は机に突っ伏している。今年度に入ってから彼女がこの調子なので、部誌が出ていないのである。そもそも、里以外に部誌を作ろうと言う人がいない。瑞野も夏目も新作がないわけではなかったが、面倒くさいので黙っているのだった。
「自分が何を書きたいのかすらよくわからなくて、もうほんと、どうしたらいいか……」
佐倉はむしろうれしそうな顔。「そう、そういう言葉を待っていました。里君のような人のために、合宿を企画したんですよ!」
「合宿!?」と夏目。「日帰りじゃないだと。何泊ですか」
「二泊」
「二泊……」夏目は考え込む。彼は登場人物を絶対一人は殺すことで有名だ。「絶対に誰か死ぬ」
「勝手に合宿をサスペンスにしないでくれる?」と瑞野。「でも、一泊じゃないんですね」
「長浜を満喫するには二泊でも足りないくらいです。むしろ長浜に住みたい」
 こいつ、単に長浜に行きたいだけだな? と、部員三人の心の声が見事にハモった。佐倉もなんとなくそれに気づいたが無視した。
「と、いうわけで長浜に行きましょう」
「ちょっと、別に俺はスランプじゃないんすけど」
「そうですか? じゃあ、君には課題を出そう」と佐倉。「登場人物が誰も死なないお話を書いてください」
「マジか。むずっ」
「そんなに……?」首をかしげる里。彼女は小学生の時から十年ものを書いているが、一度も登場人物を殺したことがない。
「いや、むずいだろ。まじか」
瑞野は他人事と思って頬杖をついている。「頑張れ夏目~」
「それから、瑞野君にも課題を」
「おおっと」
「地球人だけで話を完結させてください」
「なんてこった」
 瑞野は、宇宙人だけで話を完結させたことこそあるが、地球内のみで進行する話は書いたことがない。学科内では本人が宇宙人なのではないかと言われている。もっともこれは、ころころ髪色と服の趣味を変える瑞野の趣味のせいもあった。今は白髪に黒ずくめである。
「ええ、私地球人に興味ないんだけど……」
「そういうことを言ってるから宇宙人説が浮上するんでしょうねぇ。まぁとにかく、瑞野君も夏目君も、スランプではないみたいですけど、作品を上げてないのも事実ですし。この機会に新しいジャンルにチャレンジしてみましょうね」
「えー、どうしよう……」
「地球人って何なんや……」
 真剣に悩み始める二人。里は、この人たち合宿について突っ込んでたのすっかり忘れたな、と一人考えていた。まぁいいか、と思いつつ、顧問の顔を見ると、実に楽しそうな笑顔で悩む部員たちを眺めていた。目が合うと、佐倉は静かにメンダコのぬいぐるみを里の頭の上に乗せて席を立つ。
「さて、もう閉館の時間ですよ。日程や諸々に関しては後日連絡します」

 合宿は夏休み期間中、八月の半ばに行われることになった。泊るのは普通のホテルではなく、「町屋ホテル」と呼ばれるところ。里たち部員三人と佐倉は、午前中にいったん京都駅に集合してそこから長浜へ向かうことになった。長浜行きの電車の中で、里はスマホを弄るついでにホテルについて調べてみた。ホームページでは風情のある室内や中庭の写真が紹介されている。
「いいところでしょう」
「うわっ」
 いつの間にか佐倉が隣に座って画面をのぞき込んでいた。里は露骨に驚いた声を出した。
「うわって……」
「すいません、びっくりして……」
 里は目線をさまよわせた。向かいの座席では、夏目が推理小説を読み、瑞野は綺麗な姿勢のまま熟睡している。
里はもごもごと言った。「でも、ほんとにいいところですね、ここ。楽しみです」
「そうでしょうとも。きっとリラックスして、いいアイデアが浮かびますよ」
「だと、いいんですが」
 里は自信なさげに瞬きをしてから、一つあくびをした。そしてそのまま、眠りについた。

 長浜は穏やかな雰囲気を持った町だ。一行は、大手門通り商店街を歩きつつ、町屋ホテルに向かった。途中、佐倉が「ベビーカステラを買いましょう」と言うが早いか、専門店で四袋調達して戻ってきた。
「一人一袋……」と瑞野がつぶやく。「もはや昼ご飯では」
「ベビーカステラ美味っ」と、既に食べている夏目。
 焼きたてのベビーカステラは美味しいのである。佐倉は得意げな顔をしている。
「ほら、優しい気持ちになって、人が死なない話を書きたくなってきませんか?」
「いや、別に……」
 夏目ならベビーカステラを題材にしても人を殺せるだろう、と瑞野は後にコメントした。
 それから四人はホテルにチェックインし、腹ごしらえのために鯖そうめんを食べに行ったり、ガラス館を見に行ったり、夜食を買いに行ったりして、またホテルに戻ってきた。そして、戦いの夜が始まったのである。
「今日は寝かせませんよ」
と、顧問からの死刑宣告。
「今夜は殺さない」
と、改心した殺人鬼のようなセリフを吐く夏目。
「地球って素晴らしい」
 と、気に入ったらしい堅ボーロをかみ砕きながら言う瑞野。
「筆が進みますように」
 切実な願い、里。
 それぞれの課題を背負いながら、一同はちゃぶ台にPCを並べて戦闘態勢に入った。町屋は静かにそれを見守っているようであった。柱時計は止まっていて音を立てない。縁側のある中庭から見える夜空には月が浮かんでいる。しかし、文芸部員たちは最早ワードの画面から目を離せなくなっていた。そんな様子を佐倉は一人ニコニコしながら眺めていた。
 三人の頭の中には、ベビーカステラとか、堅ボーロとか、色とりどりのガラス細工とか、鯖そうめんとか、長浜城とか、琵琶湖から吹く風とか、そういう長浜的なもののイメージが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。例えば瑞野の頭の中では琵琶湖のほとりに宇宙船が墜落していて、そこから這い出てきた地球外生命体は後に堅ボーロを手土産に星に帰ることになる。また、夏目の頭の中ではここにいるメンバーが合宿中に一人ずつ死んでいく殺人劇が繰り広げられている。しかし、二人の妄想は顧問から与えられた課題により、ボツにせざるを得なかった。
 ただ一人、頭の中が真っ白で何も浮かばない者がいる。里である。書きかけの小説はあるのだが、どうしても結末が書けないのだ。「どうしようかなぁ」という文字列が彼女の頭の中を支配し始める。時刻は零時を過ぎた。「これ、どのタイミングでお風呂入るんだろう?」なんてどうでもいい疑問が浮かび始めるのと同時に、里は睡魔に襲われた。次第に目の前がぼやけて、意識は遠のいていった。

 里が目を覚ますと、そこはよくわからない場所だった。色彩が何やらおかしく、全てが陰に包まれたように、壁や、机、時計の文字盤までもが黒かった。しかしなぜか数字は浮かび上がっているように見える。止まっていたはずの柱時計が午前二時を打った。
「どうかしましたか?」
 戸惑っていると、聞き慣れた顧問の声がした。見ると、黒い狐の面を被っている。隣を見れば、夏目と瑞野も、それぞれ狐面を被っているではないか。
「夢かな」直感的にそうつぶやいた。
「夢ならどうした」と夏目らしきものが言った。「お前、結末は書けたのか」
「いや……」
「全員殺せ。そうすれば終わる」
 よく見ると、夏目の狐面の口元からは血が滴っているように見えた。夢の中でも物騒な男である。
「怖いなぁ」横から瑞野らしきものが口を出す。「ねぇ、宇宙を終わらせれば、全ては終わるよ」
 よく見ると狐面の目のあたりで星のようなものが光っている。里は疑問に思った。合宿とは、長浜とは、こんなに不気味で殺伐とした夢を見る場所だったのだろうか、いや、そんなはずはない。
「殺せば終わる」
「月に帰れば終わるさ」
「さっさと終わらせろ」
「いっそ宇宙ごと」
 里はわけが分からなくなってきた。ベビーカステラが食べたい、とふと思った。
「ふむ」狐顔の顧問は言った。「いけませんねぇ。ちょっと散歩に行きましょうか」
 よくわからないが、外がどうなっているのか気になったので里は顧問についていくことにした。玄関を出ると異様ににぎやかだった。なにか騒がしい気配が近づいてくる。
「百鬼夜行だ」と顧問は言った。
 確かに、石畳の道路を、何か妖の行列のようなものが更新してくるようだった。その中心には祭りで使われるような曳山がある。妖が山を曳いているのだ。
「曳山祭りで使うものですねぇ」と佐倉。
「はぁ」もう理解するのを諦めた。
 商店街に行くと夜中だというのに店が明かりをともしている。ベビーカステラもちゃんと売っていた。しかし店主も何やら化け猫のような見た目に代わっている。佐倉はベビーカステラを一袋買って、自分も食べながら里に差し出した。
「深夜の甘いものは格別ですねぇ」
里は一つつまんで口に入れた。昼間と変わらない味がしてひどくほっとした。「佐倉さんは」もうひとつカステラを掴みながら言う。「夢の中でもあまり変わらないんですね」
「もともとこちらの世界の住人ですからねぇ」
「えっ」
「嘘ですよ」
「嘘に聞こえませんでした」
「嘘です。ところで、そろそろ目が覚めますよ」
 それは本当のようだった。三つ目のベビーカステラを口に入れたとき、世界が白くぼんやりと光っていくのを感じた。里は目を覚ました。
「起きろ、里」
 夏目の声だ。「起きろ。長浜だぞ」
 里はその一言に違和感を覚えた。目を瞬かせて辺りを確認すると、そこは電車の中だった。あれっ、と里は思った。
「今、長浜に着いたの?」
「正確にはもうすぐ着く。次の駅だ」
「里、熟睡してたね。寝不足?」
 瑞野が首をかしげている。どうもおかしいと思っているうちに、電車が止まった。長浜である。何かとてつもなく変な夢を見ていた気がする。しかし、里の頭の中で、その記憶はだんだんと薄れて行ってしまった。
「さぁ、行きましょう」
 佐倉は狐面のような表情で笑うのだった。

鯖みそ
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鯖みそ

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