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入選

あらすじ

 1719年(享保四)第九次の朝鮮通信使が来日し、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)がその護行役として対馬と江戸を往復する、との知らせが長浜の医師橘良房(たちばなよしふさ)のもとに入った。良房は雨森村へそのことを伝え、人々は近江の番場宿(ばんばしゅく)で待つことにした。
 芳洲と通信使の申維翰(シンユハン)は、対馬では藩主への儀礼をめぐって対立したが、長い旅中の間に親交を深める。 二人は琵琶湖が一望できる摺針峠(すりはりとうげ)で両国の交わりの要諦について語り合う。芳洲は互いの国の違いを理解し尊重することを基本にした『誠信の交わり』こそ大切だと説く。申維翰は感銘を受け二人は堅い友情を結ぶ。
 帰国した申維翰は国王の粛宗(しゅくそう)に「芳洲がいるかぎり、そして日本に彼を生み育てる土壌があるかぎり、両国の交隣と平和は続く」と復命し、それを聞いた粛宗は玉座から日東の方を眺めやるのだった。

作品更新日 :
2018-11-30
文字数 :
19,499
閲覧数 :
1,226

目次

中川法夫

中川法夫

プロフィール

みんなの感想 2件のレビュー

  • 相河柚希

    5.0

    とても丁寧に調べられている良作だと思います。感服いたしました。
    雨森芳洲につきましては私自身も調べましたが橘良房に関わる記述は余りなく
    とても貴重な物語だと思います。大変勉強になりました。

  • 古橋 童子

    5.0

    芳洲庵はすぐ近くにあり、表までは行ったことがあるのですが、ちゃんと中に入って詳しく資料等を見たいと思いました。朝鮮通信使として活躍された賢人ということは、湖北に住めばどこかしらから聞こえてきて知るのですが、このお話で、恐らく一部分でしょうがその功績を垣間見させて頂けました。長浜だけではな...く、日本、そして韓国の方々ともこの方を語り合えればと思わずにいられません。良いお話を読ませて頂きました。

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