一・走るな! 悠
百合神悠は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。悠は政治が少しはわかる。
学業優秀、スポーツも人並み外れた実力を見せ、特に幼少期から剣の師匠の下に内弟子に入り、振るい続けた剣道の腕は全国でも有名になるほどである。その正義感たるや察して余りあるというものだ。
「…………」
ピン、と伸びた背筋の緊張。悠の利き腕である右腕の小刻みな震え。顔を見ずとも俺にはわかる。顔はいつも通り柔和な笑みを湛えているに違いない。だが、その双眸が開かれたが最後。絶対にその目は笑っていない。薄開きの目をしていることだろう。
「えっと、そこで何をしている訳? ぼーっと突っ立ってるのには何か意味があるの? 剱人」
悠は特に何の気持ちも込めること無く後ろに立つ俺に声をかけた。
「いや? お前こそどうしたよ? ちょっと通りがかっただけだぜ? 俺は」
話しかけられた俺はそう言って誤魔化した。人の背中を見て勝手に激怒させてみたり邪知暴虐の王に殺意を抱かせたりしているのがバレる訳はないが、妙に勘は鋭い悠のことだ。警戒はしておいて損はない。と思っての行為だった訳だが、
「嘘だ」
速攻でバレる。まぁ俺嘘下手だし。しょうがねぇか。でもすぐバレるのが癪で、ちょっとだけ言い逃れをしてみる。
「いやいや。俺が嘘ついてどうなるってんだよ?」
「そうやって言葉尻が上がるのはお前が嘘ついてる時の癖。わざとやってるのかってくらい露骨に上がってる」
「これが高等テクってや……」
「ダウト」
くそったれ。
この癖だけは本当に治らない。頭を軽く掻く。悠は全盲の癖に、というか、全盲だからこそ、視覚以外の情報に対して本当に鋭敏に反応する。音、香り、勘。本当に、鋭い。この鋭さにまた一本取られた形の俺はばつの悪さに話題を変える。
「で、衆議院解散のニュースを流すテレビを前にお前は何をやってるんだ?」
テレビに映る緊急ニュースではついに衆議院が解散となり、朝から何度も何度も、バカバカしい万歳三唱の声が耳にけたたましく響く。
「王の圧政がこのような事態を招いたのだ。こっそりと道行く老爺の肩を揺すり尋ねれば、『王様は、人を殺します』と答えるに違いない。とりあえずお前はそう思ってる訳だよな?」
俺が尋ねてみると、思う以上に即答で悠は言葉を返してきた。
「いや意味が分からないよ。王って誰?」
「お前は衆議院が解散するニュースを見て激怒したんだよ。そして必ずかの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意する訳だ」
「…………」
「…………」
二人して沈黙。そこに、ゴツゴツとガタイだけは不必要なまでにゴツく厳めしい奴が来て、
「そろそろ終わるよな? ……って、二人して何無言で見つめ合ってんだよ。気持ち悪ぃよ。何だ? 新たな目覚めか?」
気持ち悪いことを言ってくる。ふざけんなよ気持ち悪ぃ妄想はてめぇだけでやってろよ、と言おうとしたが、
「ちょっと聞いてよ。今日の剱人は暇過ぎて頭がおかしくなってるんだ」
という言葉に遮られてしまった。っておい待てや。
「別におかしかねぇよ」
「半音上がった」
「上がってねぇし」
「上がったなぁ」
「真彦てめぇは黙ってろ、バカ」
筋骨隆々の脳筋、真彦には軽く釘を刺しておく。
「あ、いや、そうじゃねぇんだよ。悠。お前にちょっと用があってな、そろそろ終わるだろって思って、な、来た、ん、だが……」
スイッチが入るのは突然のことだった。