始まりはケーキ
今日もいつもの日常が過ぎていく。
僕は岳中健介。高校2年生だ。
「今日のケーキは何すか!?」
「ちょっと!Mr.女子力は私の嫁よ!」
いつものごとく、昼休みには迷惑な友達がたかってくる。
「今日は昨日あまったチョコケーキ4カット。争奪枠は1つね」
母は洋菓子店を経営している。それなりの繁盛店で、余った商品は友達に流しているというわけだ。新商品の試食を頼むこともある。
「俺が食う!今日弁当忘れたんだ!」
「皮下脂肪なんて気にしないわ!ケーキは私のものよ!」
無料で食えるし腹は膨れる。その条件なら高校生は亡者になれるらしい。空腹に喘ぐ男子は光月速人、最近体重計が悪魔に見えてきたらしい女子は大崎明美である。
「はいはい、じゃんけん」
うおおおっと背後で聞こえる騒音は無視して包からケーキを取り出す。
「はい、由依奈と正隆1カットずつね」
「おう、いつも悪いな」
優木正隆。茶色がかった髪に目つきの悪い顔。怖そうに見えるが中学のころからつるんでいる気の合うやつだ。
「健介くんありがとう!」
長く綺麗な黒髪に、整った顔立ちの彼女は柏木由依奈。正隆と同じく中学時代からの友達だ。白い手で髪を掻き揚げ身を乗り出し、僕の手からケーキを受け取る。
そして、近くの机を5つ適当に寄せた食卓で僕ら3人はケーキにありつく。
「く……おのれ……この恨み、晴らさでおくべきか……」
怒号は鳴り止み、崩れ落ちたのは速人だ。勝者は明美だったらしい。
「はっ!私に勝とうなんて5ヶ月早いわ!」
「うるせえ!俺が3月の遅生まれなのは関係ねえだろ!?てかなんでいつも負けるんだよ……」
ひとつ補足しておくと速人は顔がいいだけの馬鹿だ。明美がいうところの残念系イケメンである。初手はグーかチョキで、その後はグーチョキパーの法則で変化するという単純なもの。負けるほうが難しい。
「明美、これお前の分のケーキな~」
「ん、あんがと~」
スキップしながらケーキを受け取り食卓に加わる明美と、ゾンビのような動きで何も持たずに席につく速人。
「いつもながらおいしいです!」
「だよな~」
由依奈と正隆はどちらも幸せそうに食べてくれるから作りがいがあるというものだ。明美もケーキに口をつける。
「ああ、俺のケーキ……」
「やめて~痛いよ!」
「鬼!悪魔!」
「食いにくいわ!!」
明美が1口ケーキを食べるたび、速人は奇声を上げる。
「まあまあ、そのくらいにしろよ。負けたお前が悪い」
「腹が……腹が減った……」
「飴玉ならあるぞ」
「何だと!?」
僕が飴を出すと、速人はすさまじい速度で寄ってくる。動きが気持ち悪い。
「ありがとう友よ!」
「お、おう」
彼は僕の手を握って飴を受け取る。
「私の嫁を薄汚い手で触らないでくれるかしら?」
「誰が嫁だ誰が!」
明美いわく、何故か僕は嫁らしい。男だぞ!?もういい、面倒くさい。
「おい、もうすぐ昼休み終わるんじゃねえか?」
ケーキを食べ終えた正隆が教室の掛け時計を見てそういう。
「あ、やっばい!次の授業英単語テストだ!!何が出るんだっけ?」
「明美さん、範囲はこれですよ」
「由依奈マジ天使!ありがと!」
「頑張れよ。追試あるぞ?」
僕がいうと明美は顔を青くする。ちなみに30問のテストで合格ラインは6割、追試の合格ラインは8割だ。
「ふっ!追試なんて楽勝だぜ!なにせ全く同じ問題が出るんだからな」
「速人、すでに追試前提じゃねえか……」
正隆は呆れ顔だ。
「そういう正隆くんは勉強したの?」
「もちろんだ」
明美と見かけ天才の速人は学力的問題児だが、僕と由依奈は普通にクリアできるし、見かけ不良の正隆は学年10位に入る実力者だ。初めは誰もがこのギャップに驚く。
「ほい、お前ら宴会終了だ。明美と速人はさっさと勉強しろ!」
僕はみんなにお手拭きを差し出しながら、明美のケーキを回収する。
「え~まだ私ケーキ食べてない!」
「放課後ウチ来れば食わせてやっから勉強しとけ!」
「健介優しい~」
「うざいくっつくな!正隆、今日出そうな単語適当に教えてやって!」
「うっす」
僕にくっついて来そうな勢いだった明美が正隆に連れて行かれる。ついでに速人も捕獲された。そして彼は何故か由依奈へグッドサインを送る。いつものことだが目が怖い。
「あ、あの……健介さん!お話が
頬を赤く染めた由依奈の言葉を遮って鐘が鳴った。
「ふっ……潔く死んだぜ!」
テストを終え0点確実な速人は、顔だけを輝かせて言い放つ。
「威張るな馬鹿」
「そんなこと言うなよ。馬鹿は俺だけじゃないはずだぜ?」
速人は明美をちら見する。一方、見られた方はドヤ顔だ。
「私、合格したわよ」
「何!?」
速人に衝撃。
「正隆くんに教わった単語が全部出たのよ!ドヤ~」
「ってことは追試俺だけ!?」
速人以外の全員がうなずく。
「さすがだな、正隆!」
「おう、教師ごとの出題傾向は分析済みだ。ついで言うと明美は飲み込みが早い」
「やった!正隆くんに評価された!」
「明美さんは元々頭いいですからね」
「由依奈~あんまり褒めると図に乗るぞこいつ」
「健介ひどい!」
「まあいいや、帰ろうぜ。うちのケーキ屋手伝わないと」
僕はカバンを手に取り廊下へ出た。後ろから正隆、由依奈、明美が付いて来る。
「ケーキ……忘れてないわよね、嫁?」
「嫁じゃねえし忘れてねえよ」
「じゃ、このまま健介についていく!というか今日はバイトしようか?」
「いいや、手は足りてるし必要ないよ」
正隆も由依奈も手伝ってくれるし、別に問題ないのである。
「お、俺も
「速人は追試の勉強しとけ」
「はい……」
少し遅れて追って来た速人は、正隆の一声で立ち止まる。明美はそれを見て舌を出し煽った。
扉を開けるとチャリンという涼しげな音色が響く。
「ただいま~」
正隆と由依奈、明美は おじゃまします といってから店へ入る。店名は『エール・ド・ランジュ』。先々代がつけた名前だから意味はよく知らない。ちなみに2階は民家になっていて、もちろん僕が住んでいる。
「そういえば、健介の母さんフランスだっけ?」
「そうなんだよ!いきなり修行するとか言い出してさ~。意味分かんないよな!」
「いや、あんたが悪い」
「そうですね、今回ばかりは健介さん有罪です」
3人共僕を非難の目で見る。
「え、それはないだろ!?」
「お母様より美味しいケーキ作っちゃダメです!」
「長年やってきたプライドだってあったろうにな」
「それを健介に打ち砕かれて……可哀想に……」
「こ、この洋菓子店では美味いものを作ると文句言われるのか!?」
どうやら味方はいないらしい。
「さ、さっさと仕込み始めようぜ」
「そうですね」
正隆は2階へ、由依奈は1階奥にある更衣室へと入っていく。もともと男女がわかれていないため、男性は2階の僕の部屋で、女性は更衣室でそれぞれ着替えるのだ。知り合い以外のバイトは受け付けていないから自分の部屋が更衣室として使われても問題はない。
「あ、これケーキ」
明美から回収したケーキを適当な机においた。もちろん保冷剤を入れていたので問題はない。
「待ってました!」
「テスト頑張ったらしいから紅茶のサービスつけるけど、着替えてから淹れる。少し待っててな」
「はーい!」
明美は早速席につき、フォークでおいしそうにケーキを口に運んでくれた。僕は正隆を追って2階へ上がる。
「で、チケットは渡せたのかよ?」
「そ、それが……誘おうとしたところでチャイム鳴っちゃって……」
正隆が一足早く着替えを終えて、僕も少し遅れ1階の厨房についた時そんな会話が聞こえてきた。
「チケットがどうしたって?」
「あ、健介さん!」
シェフ姿の正隆と、ウェイトレス姿の由依奈がこちらを向く。由依奈がバイトに来たばかりの時は目のやり場に困ったものだが、今では慣れてしまった。
「チケットというのはですね、え~っと……」
「ん?」
徐々にうつむき加減に、そして顔が赤くなっていく由依奈。
「み、皆さんで一緒に遊園地行きませんかっ!」
なぜだか正隆はため息をつきながら額に手を当て、首を横にふっていた。誘った本人もため息をつくこの状況はなんだ?
「日曜なら店も休業日だし行けるけど?」
「そ、そうですか……明美さんも誘っておいてください……」
「お、おう」
「ドンマイ!チャンスはまた来るさ」
正隆が彼女の肩を叩く。
「あ、そうだ正隆。明美に紅茶持ってってくれ!仕込みはやっておくから」
「りょーかい」
「由依奈は手伝い頼んでもいいか?」
「わかりました!」
由依奈は気持ちの切り替えがすぐできる。朝に仕込んでおいた材料を使って19時までに店で出す洋菓子を作らなければならない。ベースは僕が作って、クリームなんかの装飾は正隆が担当する。正隆は器用かつ美的センスに富んでいるらしいのだ。ちなみに開店まで由依奈には洗い物や食材の処理など雑用をしてもらう。その後は彼女の本領発揮で、店に出て品物を売りさばいてもらうのだ。彼女目当てで来る客も少なくない。
18:50
「由依奈~開店準備は?」
「大丈夫!終わってます」
「今日のクリームアートは自信作だ!」
「うん、正隆はやるたびに技術が上がってるな」
「本当ですね!」
「よし、ケーキも並べを終わったし、今日もやりますか!」
おーっと3人声を合わせる。
「なんか楽しそ~!」
「明美……まだいたの?」
「健介冷たい!ちゃんとケーキと紅茶食べてるもん!」
「タダ飯だがな。そんなんで2時間も居座ってたのか」
「う……そこを突かれると痛い」
「ま、ほとんどのお客はお持ち帰りだからいいんじゃないか?」
「ですね!」
「さ、開店の時間だ」
店の扉を開けると、5人ほどのお客さんがそれを待っていた。顔なじみのお客さんばかりだが、非常にありがたいことである。
「いらっしゃいませ!」
由依奈と一緒に出迎える。正隆は顔が怖いので厨房待機だ。ケーキもクッキーもそこそこ順調に売れていく。
「ショートケーキが無くなりそうだ。ちょっと作ってくるから店番頼む!」
「任せて下さい!」
店にはお客さんが出たり入ったりで常に3人いるような状態だ。人気商品のショートケーキとチーズケーキは無くなりそう。
「正隆!」
「わかってる。ショートとチーズの準備ならできてるぜ」
「さすが相棒!」
用意してくれた生地を手早く混ぜる。手は抜かないが迅速に。
「焼きはこっちでもできるから、生地できたら由依奈の方を手伝ってやれよ」
「ああ、顔に見合わず紳士だね」
「顔に見合わずは余計だ店主」
「店主って……まあ、母さんがいない間はそうなのか」
生地ができあがる。ショートケーキはふんわりと、チーズケーキはしっとり生地になるはずだ。
「じゃあいつも通りの時間で焼き頼む」
「了解っと。そっちも俺の分まで接客頼んだ」
「任せといて」
僕は由依奈の元へ向かった。
「す、すいません健介さん!レジ手伝ってください!」
見れば何だか盛況していた。注文とレジ待ちで7人ほどのお客さんがいる。正直びっくりだ。
「わ、わかった」
「健介くんが作ったんだって?おいしいって評判になってるから買いに来ちゃったよ」
近所のおじさんが笑顔で言ってくれる。というかご近所ネットワークすごいな……。
「はい、ありがとうございます」
「健介~!焼きあがったぞ」
「ちょっと手が足りない!いつもやってるやり方で冷ましといて!」
「了解」
厨房から声が聞こえたが、レジ待ちの人があまり減らないので手が放せなかった。
22:00
「お、お疲れ由依奈……」
「あ、はい……お疲れ様です」
「お前ら痩せたな」
厨房から食器洗いを終えた正隆がやってくる。
「そうね。やっぱり健介のせいよ。今回、生地からあんたが作ったんでしょう?それであの人気っぷり……罪だわ」
「お母様の立つ瀬がありません」
「やっぱここは美味いもん作ると怒られるのか……てか、まだいたのか明美?」
「ふふふ……実は正隆に教わったところ勉強してたのよ!これで次のテストでも速人を負かしてやる」
明美はニヤニヤしながらそんなことをいう。
「なあ店長、そろそろ卵が切れそうだぞ?」
「え、じゃあ今から買ってくる。近くのスーパーが23時までだったはずだから」
「私も行きましょうか?」
「いいよ、由依奈休んでて」
着替え、財布を持ってドアに手をかける。
「みんな、余り物のケーキなら食べていいからな」
夜の道は電灯で照らされてはいるが少し心もとないだろうか。ふと、公園の一角に目がとまる。闇に溶けたその場所に、何かがいる……そんな気がした。人通りもない。きっと気のせいなのだと自分自身に言い聞かせ歩き続けた……