黒の団欒
「ありがとうございました~」
親切な店員に見送られながらスーパーを出る。帰り道、行きに見た“何か”が気になった。どうしても公園を通るのだから仕方がない。そこにはやっぱり何かがいた。
見るものを射貫く赤の瞳。夜に溶けてしまうほど黒くて黒くて黒い翼。ひと目で悪魔と分かるそれからはまったく恐怖を感じなかった。むしろ、触れればそのまま夜に溶けてしまいそうな危うささえ感じる。
目が合った。
……ギュルルルル……
「お腹が空いたわ」
「へ?」
「お腹が空いた」
鋭い目に似合わず可愛いことをいう。少女がこちらに向けて歩いてきた。コスプレというにはあまりにも神秘を帯びている。
「う~ん……うち来るか?」
「?」
黒翼の少女は首を傾げる。
「うちに帰れば食い物があるんだけど?」
「!」
明らかに僕らと違う存在だが、不思議と嫌な感じはない。
「あ、でもその羽は問題だな……」
ケーキ店にはまだ正隆たちがいるし、羽とか見られたらまずい。
「羽?羽があると食べに行けないの?」
「そう……ちょっとまずいかな」
「ふ~ん。わかったわ」
少女はすっと闇に溶けて消える。
「え?お、おい!どこいった って うわあああ!」
「で、どこに行けばいいの?」
いつの間にか僕の背後に立っている。上目遣いで僕を見つめる彼女には羽がない。
「人になれるのか?」
「そうよ。私をその辺の低級悪魔と一緒にしないでよね」
え……もしかして高貴なご身分?というか、悪魔なのか……。
「それじゃあ、こっち」
怪しいし、やっぱり躊躇してしまうが、弱っているのは本当のようだ。僕は少女をケーキ屋まで案内した。
「ただいま~」
「「「おかえり」」」
正隆と由依奈、明美が席に座り、紅茶を飲みながら出迎えてくれた。
「卵買ってきた。ついでに少女拾ってきた」
「おう、おつかれ~」
「お疲れ様です!」
「お疲れ様~」
「「「……?んん?」」」
皆の頭上に疑問符が浮かぶ。
「入ってきて」
入り口からひょっこりと少女が顔を出す。
「本当だ!いっぱいご飯があるね!」
嬉しそうにはしゃぐ彼女を、皆は怪訝そうな顔で見る。
「「「誰?」」」
「よくわからん。腹空かして公園にいたみたいだから連れてきた」
「そんな……捨て猫みたいな軽いノリで……」
「健介さんらしいといえばらしいですけどね」
「嫁!私以外の女に優しくすんじゃないわよ!」
「とりあえず、名前聞いてもいいか?」
「う~ん……この国で一番発音しやすい名前で言うとリュシフュ……いいえ、“ルシフ”ってとこよ」
「ルシフか、じゃあその席にでも座って」
僕は手近な席に少女を座らせた。彼女は不思議そうな顔をしている。
「正隆紅茶」
「はいよ」
正隆がティーポットから紅茶を淹れてる間、僕は適当に残ったケーキを皿に載せ、フォークとともにルシフの机においた。
「何これ?」
「僕たち自慢のケーキだよ。余り物だしお金は取らないから食べて」
「???」
ルシフはなおも不思議そうな顔をする。もしかして、ケーキは初見か?悪魔だし。僕はもう1つケーキを持ってきて、彼女の前でそれを食べてみせる。
「それなりの味だぞ」
「本当に私が食べていいものなの?」
「当然だ」
彼女は見よう見まねでフォークを使い、恐る恐るといった感じでケーキをつつく。そして意を決し口に運んだ。
「ん……」
感嘆の声を漏らした直後、ルシフは胸を抑えて突然涙を流した。
「おいおい、大丈夫か?」
「ちょっと!喉につまっちゃったんじゃない!?」
「紅茶……じゃなくて水取ってきます!」
アワアワとするみんなをよそに、ルシフは動かない。
「ルシフ、どうかしたのか?」
由依奈が持ってきた水も飲まないし、詰まったわけじゃないらしい。ポケットからハンカチを取り出して彼女の涙を拭う。
「なんでもないわよ」
彼女は黙々と食べ進める。紅茶も気に入ってもらえたらしい。彼女の顔は笑顔だった。
「健介、一パティシエとして、泣くほど喜んでもらえたのは嬉しいんじゃないか?」
意地悪い顔で正隆が聞いてくる。
「そ、そんなことはない」
「意地っ張りですね~」
「嫁、意地っ張り」
「俺は装飾担当として嬉しい」
「あ、ずるいぞ正隆!」
みんなが笑う。ルシフはケーキを食べ終え、口の周りにいっぱいのクリームをつけてそれを見ていた。再びハンカチでそれを拭ってやる。
「そんなに夢中になって食べるくらいですから、相当おいしかったんでしょうね」
「おいしい?……うん、おいしかった」
ぎこちなくルシフは答える。
「ねえ……えっと、あんた。名前は?」
彼女は僕を指さし問う。
「岳中健介だ」
「それでは健介、周りのやつらはあなたの仲間かしら?」
「え……うん、そうだけど……」
「理解したわ」
彼女は1人でコクコクと頷く。
「俺は優木正隆。よろしく」
「私は大崎明美。健介は私の嫁だから手は出さないこと」
「柏木由依奈です。よろしくお願いします」
「健介の仲間なら仲良くしましょ」
背は平均的な彼女だが、その表情はずいぶん大人びているように見えた。
「ルシフってどこから来たの?目が赤いし日本人じゃないよね?」
「綺麗な目ですよね」
「一応フランスってことにしておいて」
「えっ!?フランス語ペラペラとか?」
ルシフが頷く。
「すごいじゃねえか」
「というか、どの国の言語も話せるわよ?」
冗談……だよな。多分。
「健介、この子どうする気なんだ?」
どうする気と言われても、悪魔だしな……。
「ルシフ、家はあるのか?」
「今はないわね」
「じゃあうちに泊まるか?」
「妥当か……健介のおふくろさん今いないしな!」
部屋は母さんの使ってもらえばいいし、女の子を放り出したら俺が母さんに殺される。
「健介、もとより泊めるつもりで私を呼んだんじゃないの?」
「え?違うよ。ケーキ食べさせたかっただけ」
さすがは悪魔……もとから泊まる気満々だったというわけか。
「それだけ?」
「それだけ」
「健介、不思議な人ね」
「ルシフに言われたくない!」
一方で不満気な顔が2つあった。
「私は反対です!」
「同じく」
由依奈と明美が言い放った。
「お前らが心配してんのは、同じ家で健介と女の子が一緒に暮らすことか?それなら心配ないだろ。健介だぜ?健介」
「あ、そうか!健介さんですもんね」
「健介……この世にこれほど説得力ある言葉があったなんて思わなかったわ」
「おい、お前ら……何言ってんか全然わかんねーけど、けなされていることだけは分かるぞ?」
「お前なら間違いも起こらねえってこと。これでも信頼の証だぜ?」
一転して由依奈と明美も笑みを浮かべている。間違いって何だ?
「じゃ、私たち帰りますから」
時計を見ると短針が11を指していた。3人は扉に手をかける。多少遅くなってもみんなここの近所だし、正隆が付いているから不良にも絡まれない。職質受けることもあるらしいが、その時は由依奈が説明してくれるらしい。
「じゃあな!また学校で」
「おう、ルシフちゃんに優しくしてやるんだぞ?」
「お疲れ様でした!」
「嫁、お別れのキ
「さっさと帰れ。あと嫁じゃない」
騒がしい連中が帰り、僕らは店で2人だけになった。
「健介の仲間はずいぶん個性的だったわね」
「まあそうかもな……。ところで、いくつか確認したいことがあるんだけど?」
「何かしら?」
赤い瞳が僕を貫く。
「ルシフは悪魔ってことでいいんだな?」
「そうよ」
よく考えてみたら、悪魔に何聞けばいいんだろう?
「全言語話せるって本当?」
「健介、そんなことも知らないの?私たち悪魔っていろいろなところに召喚されるでしょう?だからどの国、どの民族に呼ばれても会話ができるようにしているわけよ。もちろん文字も読めるわ。いついかなる時代のものでもね」
考古学者とか大喜びだろうな。
「召喚ね~」
「そうなのよ。今どき魔術なんて使える人間はほとんどいないから、こうして私自ら人間の元へ出向くの」
悪魔も意外と大変なんだな。ってか、魔術まであるのか!?
「結局、ルシフはここに泊まりってことでいいんだな?今後の予定とかあるのか?」
「泊まるのはいいし、予定はないわよ。健介に任せるわ」
「悪魔の予定任されてもなぁ……」
「あ!じゃあ、さっきのアレでも作ってみようかしら。健介が作ったのよね?やり方教えてくれないかしら」
「さっきのあれってショートケーキのことか?悪魔の料理って響きだけでも不吉なんだが……」
さっきから悪魔の予定だとか悪魔のレシピだとか、テロやウィルスくらいしか連想できない。
「失礼ね」
「ま、少し教えるくらいならいいけど。明日の朝とかはどうだ?今日はもう眠いし」
予想外の大盛況とか、悪魔のお世話とかで疲れた。
「え!?これからが私たちの時間なのに?しかも朝に活動とかって……」
「私たちって一緒にするな!人間はたいていこんなもんだ」
「あなたって本当に不思議ね。う~ん……少しくらいならあなたのサイクルに合わせるわよ」
神妙な顔で彼女は頷いた。
「じゃあ、風呂入って寝ちまおうぜ?」
「風呂……ってあれね。張った湯につかるやつ。私には身を清める必要ないのよ」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんよ。悪魔ですもの」
「悪魔と同居なんて経験したことないからいまいち勝手がつかめん」
「そういえばそうよね。悪魔と同じ館に住もうとする人間はまずいないもの」
「だな。まあ、徐々になれていくさ。先に寝るか?」
「全然眠くないけれど、そうするわ」
そう言って彼女は身を屈めて丸くなる。
「おい、まさか床で寝る気か?」
「そうだけど?悪魔は寝る場所なんて選ばないもの」
「はあ……こっち来い」
僕はルシフの手を取り立ち上がらせて、2階にある母の部屋まで連れて行った。
「このベッド使っていいからこっちで寝てくれ。女の子を床で寝かせたなんて知れたら、あいつらにも怒られちまう」
「人間はいろいろ大変なのね」
「そういうことだ」
「これで良かったかしら?」
彼女はベッドに横になった。
「そうそう。じゃ、おやすみ」
「?……あ、おやすみ」
おやすみもやったことないのか。波乱の予感である。僕はそのまま風呂に入り、歯を磨いて寝ることにした。でも、少しルシフが気になる。
「起きてるか?」
そっと扉を開けて覗きこむと、そこには寝息を立てる黒翼の悪魔がいた。なるほど……寝るときは元の姿にもどるのか。
そのままそっと扉を閉めて、朝の目覚ましをセットし眠りについた。