section 7:Investigation "X. Wheel of Fortune"
10th November,192x
翌朝。心霊調査機関から派遣されている連絡兼世話役のジェーン・コッカーが用意した朝食を食べながら、一同は今日の予定を確認し合った。
ケインはUCL工学部で助教授をしている旧友の一人から、歴史科学学部のアラン・ダラス教授への繋ぎを取ってもらう事になっている。その間、少し時間のあるリーファスは一旦ブルームズベリー通りにある仕事場に向かい、数日間休業する旨を店の前に出しておく事にした。ここから店までは往復しても30分程しか掛からない距離だ。その後、二人は合流してUCLへ向かう。
同じくアラン・ダラス教授に会うためにUCLへ行くゲーリー。彼はダラス教授とは直接の面識はなかったが、以前自分に支援交渉をしてきた助手のモリスン氏に連絡を取っておいた。恐らくは何の問題もなく研究室へ案内してもらえるはずだった。
コメットは行方不明の調査員(ゴーストハンター)アーサー・ランドンの消息を追う予定だ。以前一緒になった仕事の際に「以前はリヴァプール大学で教鞭を取っていた」と彼は言っていた。そちらから活動範囲を絞る予定だ。
連絡要員のジェーンを通じて"ジャッカル"から直接情報を貰うという手もあったのだが、その場合は早くても明日以降になる。本職が探偵のコメットは自力で情報を出したいという気持ちもあり、あえて直接出向いて探る方法を選んでいた。
警察関係者の友人から遺物ブローカーに関する情報を収集する予定のリリスは、朝のお茶だけ飲んで既に拠点から出ていた。
「リリスは相変わらずクールだな」
ジェーンから卵料理のお代わりを貰いながら、ケインが軽いため息をついた。既に何度か一緒に仕事をしているのだが、リリスは他者と一歩距離を置いている事が多い。彼女は必要な事は口にして積極的に仲間と情報共有するし、推理した事は包み隠さず話してくれる。だが自分自身の行動に関してはギリギリまで言おうとはしない。行動する際には滅多に他者の同行も許さない。そして時折黙ったままふらりと何処かへ行ってしまったり、予想外の行動を取る事も多いのである。
「彼女は動く時にあまり他人の介入を受けたくないんじゃないかな? 僕もそういう事はたまにあるから、何となく気持ちは分かるよ」
「まあ一人の方が動きやすい場面も意外に多いもんだからな」
バターを塗ったトーストを手に取りながら言うコメットに、ゲーリーが同意した。リーファスとケインが顔を見合わせる。
「確かにそういう事もあるわね」
「うん、無いとは言えないな」
これまでの仕事で単独行動の経験のないケインとリーファスも、リリスと組むようになってからは単身で動く事も視野に入れるようになった。リリス本人はあずかり知らない事だが、彼女の調査方法は一緒に仕事をする仲間たちにも少なからず影響を及ぼしている。それが確実かつ効率的な手段であり、迅速な結果を生み出す事が多いためだろう。
ただし危険度が高く失敗の恐れがあると予め分かる場合は、リリスとて単身で赴く事は無い。心霊調査機関は世界の表舞台には出ていない極秘機関組織だ。警察など公的組織に怪しまれる事があっても、上層部からの働きかけで表面上の捜査以上の介入はほぼ無いと言える。
つまりミッション失敗のしわ寄せは、全て同機関の他の調査員たちに来る事になる。他者に尻拭いをさせる事はリリスの本位ではないのだろう。
食事を終えた一同は調査に出るために支度を整え始めた。食後のお茶をゆっくり嗜んだゲーリーが少し遅れて部屋を出た時、戸口でジェーンと会った。
「今日の夕飯時は皆さん揃って下さいますかしらねぇ? 」
「自信はないが、恐らく」
まだ捜査の初日なので皆が戻るのもあまり遅くはないだろうとは思う。だが毎回散開して拠点に戻る時間がまちまちなのは、この顔ぶれでの仕事の恒例とさえ言える状態だ。
「でも、あなたのディナーには皆が期待していますよ、ミセス・コッカー」
とりなすような言葉だが嘘ではない。口の肥えたゲーリーから見てもジェーンの料理は、海外で本格的に学んだのではないかと思われる程だ。偏食傾向のある調査員も、彼女の料理を残す事はほぼ無いので全員が同意見だろう。
「それじゃあ今日の夕食も目一杯期待して下さいね」
ジェーンは満面の笑顔で言った後、派手な赤いフリルつきのワンピースを翻しながらキッチンへと戻っていった。
一方リリスはロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)のロバート"ロブ"・ブラウン警部と面会していた。
サウサンプトン出身のブラウン警部は、リリスの同郷者だった。地元の小地主であるリリスの祖父が彼が大学へ行く際に資金支援した事が縁での知り合いだ。パブリックスクールから脱走に近い形でアメリカの大学に進んで以来からは帰宅さえしていない実家のコネを使う事は、リリスもあまり気乗りはしない。だがゴーストハンターとしての彼女は『使えるカードは全て切る』を信条としている。
もっとも現在はブラウン警部との友好関係も個人的な物に変わってきたので、少し気が楽にもなっているのだが。
「それで今日は何の取材だい?」
一通りの挨拶を終えた後、ブラウン警部からそう聞いてきた。
心霊調査機関のエージェントの立場は公に出来ないため、リリスは常に表の顔であるジャーナリストの立場で「取材」と称した情報収集を行う。切れ者のブラウン警部がそれを鵜呑みにしているとも思えないが、探りを入れずにいてくれるので彼女もそれに甘んじる事にしていた。
リリスは愛想の良い笑顔で言った。
「噂で聞いたのだけど、最近エジプトで出土した遺物を非合法に捌くブローカーがいるそうね? 」
ロブ・ブラウン警部の肩がぴくりと動いた。
「アイリス、まさか君。それが欲しいって言うんじゃないだろうな? 」
女の子なのに恐竜の化石や土器が好きだったリリスの子供時代を知っているが故の言葉だ。
「まさか。そんな所から買物する訳ないでしょう?あくまで仕事で必要な情報よ」
笑顔を崩さず答えたリリスだが、内心ブローカーに接触するには取引を持ちかけるのが早いと思っていた。そういう意味では警部の読みは正しい。
「それで? 」
「ロンドンから米国に酒類の密輸を行っている組織の情報を幾つか提供出来るのだけど、交換って事で如何かしら? 」
軽く口髭を撫で、ブラウン警部は頷いた。
「良いだろう、取引に応じよう」
アメリカは禁酒法の施行中だ。有名なギャングのアル・カポネを始めとする犯罪者がそれを逆手に取り酒類の密輸や違法販売で大儲けしている話は有名だった。ロンドン警察はアメリカの禁酒法とは何の関わりあいもないが、英国内でそれに便乗して泡銭を稼ぐチンピラや密輸業者を取り締まるのは彼らの仕事だ。
リリスとブラウン警部は証拠を残さないため口頭で情報交換し、必要最低限のメモだけを取る。リリスは三軒のブローカーについての情報を得た代わりに、二軒の密輸関係の情報を提供した。
「しかし雑誌編集員が何故密輸の話を出せるんだい? 」
ブラウン警部の素朴な疑問にリリスは愛想の良い笑顔で「企業秘密」と答えた。
実際リリスには犯罪関係のコネは無い。情報収集と推理を駆使して信憑性の高い情報をまとめ上げただけだ。情報提供者は他のゴーストハンター、一般の酒場、ロンドン市警、芸能関係者、記者仲間など多岐に渡っている。過去リリスがこの方法で割り出した情報が見当違いだった試しはないので、何らかの収穫があるはずだ。
ブラウン警部に礼を述べ、リリスは件の遺物を流すブローカーの特定を急ぐ事にした。別れ際に警部が言った。
「More haste, less speed. 分かるかい? 」
「勿論よ」
(焦ってるように見えたかしら? )と、リリスは改めて口元に笑みを作り直した。
「ようこそミスター・クローン。大変お待たせ致しました」
アラン・ダラス教授の助手を務めるモリスンがゲーリーのいる待合室に姿を現したのは午前十時の事である。
10分前に指定の場所に着いていたゲーリーは椅子から立ち上がり、モリスンと握手と軽い挨拶を交わす。
「教授はここ数日はほとんどずっと研究室に篭もりっきりなんです。でもスポンサーの方のご訪問があればすぐに研究室に来て頂くようにと以前から申しておりました。早速ご案内します」
モリスンが先に立ち構内を歩いて行く。大学内にあるダラス教授の研究室は、敷地のやや奥に建てられたレンガ造りの建物の三階にあるという話だった。
途中、遠くで教会の鐘が鳴り響く音が聞こえて来た。どこかでミサがあるのだろうと、ゲーリーはさして気にも止めずに先を歩いて行く助手の後に着いて行った。
間もなく案内された部屋の前に着いた。日当たりが悪いせいか薄暗い廊下に立ち、モリスンが扉をノックした。しかし返事はない。
「仮眠中なのかな?ミスター・クローン、少々お待ち下さい」
そう言うとモリスンはポケットから出した合鍵で扉を開けて中に入って行った。
しかし十秒も待たず、まず「うわあ!」という悲鳴が聞こえる。そして今入ったばかりの助手が転げるように部屋から飛び出してきた。
「け、警察を!! 」
半ば腰を抜かした助手の様子を見て、ゲーリーは(ひょっとして遅かったか? )と考える。ゴーストハンターが証人や事情を知る者を探し当てて到着したら、何かしら事件が起こっていたのはよくあるパターンだった。今回ゲーリーは第一発見者でないので犯人と疑われる可能性は低めだったが、昨夜から拠点にいたためここに来るまでのアリバイ証明が出来ない。世間一般に「悪人面」と言われる第一印象の悪いゲーリーは、こんな時は極力「紳士」であり、「善き隣人」であるという印象を積極的に作る事にしていた。わざと大げさに驚いた顔をして言う。
「ミスター・モリスン、一体何があったのですか? 」
「神様!!部屋がとんでもない事になっています!とにかく警察を呼びます!! 」
扉を開け放したままで彼はどこかに走っていった。一番近い電話に向かったのだろう。
ゲーリーは扉には触れないようにして部屋の中を覗いた。床板が血だらけだ。他に見えるのはうず高く積まれた大量の本と、血の海の中に崩れた大量の本。教授の姿は見えない。部屋の奥にかも知れないが、下手に部屋に入り込むと警察が来た時に厄介なのでやめておく。
ゲーリーはハンカチで口元を覆い、「うっかり中を覗いて気分が悪い」という素振りで助手が戻るのを待った。
同じ頃ケインとリーファスはUCL構内を科学工学部のクリフォード助教授と連れ立って歩いていた。彼はケインの学生時代の知り合いだ。目的地はアラン・ダラス教授の研究室。考古学に興味があるクリフォードは「ダラス教授と面識がある」と言い、直接研究室へと向かっている。しかし彼は一度しか会った事のない相手でも「知り合い」「友人」と言う傾向がある。このお調子者の旧友を「先方が覚えているのか? 」と、ケインは少々不安だった。何も知らないリーファスは「直接紹介して貰えて運が良い」と素直に思っているようだが。
しかし大学内を進み件の建物が見えると、それどころではないらしいと悟った。まず建物の周囲には野次馬の学生が群がり、それを制する数人の警察官が見えた。建物の入り口では別の警察官が二人の男性に話を聞いているが、片方はケインもリーファスも見知った顔だ。言わずと知れたゲーリー・クローンである。リーファスが「My God」と口の中で呟いた。
クリフォード助教授は警察官と話しているもう一人の男に向かって言った。
「モリスンじゃないか!どうしたんだ」
いきなり話に割り込んできた男に警官は視線を向けて一言。
「申し訳ありませんが、取り調べの最中です」
「ここで何があったんですか?我々はダラス教授に大切な用があって来たんです」
ケインが丁重に警官に話しかける。
「見ての通りですよ。ダラス教授はここにはいません」
警官と助教授とケインが話している間に、リーファスとゲーリーの目が合う。
「はて?以前どちからでお会いしましたかな? 」
そう言ったゲーリーにリーファスが答える。
「ええ、先日ミラー氏の交霊会で」
「あの時のご婦人ですが、その節はどうも」
わざとらしい芝居だが、これは「心霊調査機関のエージェントという立場を伏せて他人として会話をしよう」と言う一種の合図だ。
「何かあったのですか? 」
「皆目分かりません。私はミイラを見せて貰う約束で来たのに、そのミイラが無くなるとは」
リーファスの問いかけに、ゲーリーは困ったような顔を作って答えた。リーファスの目が少し見開かれる。演技ではなく本当に驚いたのだろう。
「教授がどこかにお持ちになったのではありませんか? 」
「ですが、研究室の床には沢山の血がありました!おお神よ」
ゲーリーは十字を切る。それに合わせるようにリーファスも「なんて事かしら! 」と言った。
コメットはリヴァプール大学から辿り、アーサー・ランドンの最近の動向を探っていた。独身者のランドンは、かつては大学の寄宿舎で生活をしていた。大学を辞してからはロンドンに居を移したという所までは探るのは簡単だった。
そこからは不動産関連や情報屋を使っての探索だ。最終的には『ランドンの甥』を名乗り、消息不明の伯父を探すシチュエーションで聞き込みを行った。容姿を利用する気は無かったが、「田舎の少年が都会の伯父を訪ねてきた」と勝手に解釈した周囲の人は親切だった。ランドンの住居に辿り着いたは夕刻だが、昼食も午後のお茶もそこに至るまでに親切な人がご馳走してくれた。この勘違いは些か不本意だが、見知らぬ人の親切はやはり嬉しい。
ランドン宅の前で通行人を装い周囲を見回す。付近は住宅街だ。しかし天候が悪くなってきたせいなのか、人通りは全く無い。出来れば雨が降り出す前に屋内に入りたい所である。
何気ない素振りで目的の建物の玄関に立ち、革製の手袋を付けて鍵穴に小さなピックを差し込んだ。極自然に鍵を開けようと試みたのだが、生憎そちらに関しては素人のコメット。ガチャガチャ不自然に大きな音が出るのも仕方なかろう。
「もう! 撃っちゃうよ? 」
彼が小さく呟いた時。ドアノブが言葉を理解した訳ではないだろうが、カチンと良い音がして鍵が開いた。日も沈まない住宅街で45口径銃を発砲する事態にはならずに済んだ。
人目につかないうちに屋内に入る。ランドンが家を空けて数日が経過しているようだが、さほど埃などは積もっていない。彼が一人暮らしだった事は情報からも間違いないはずだが、通いの家政婦か愛人がいた可能性はありそうだ。念のため手袋は付けたままの方が良いだろうとコメットは考える。
天候のせいもあり室内は薄暗い。だが不法侵入に外から気付かれないよう、灯は点けずに屋内を歩く事にする。敷地の広さから考えて一階はキッチンやリビングルームだと踏み、先に玄関ホールの奥にある階段へ向かった。
二階には幾つかの小さな部屋がある。恐らくは寝室や書斎があるのだろう。
手近な扉を開けて部屋を覗く。そこは書斎のようだったが、部屋の半分以上は本棚だ。木製のくずかごには空。机の上も整頓されている。一階の様子から見ても、ランドンは綺麗好きだったのだろう。
幸い机の引き出しには鍵は掛かっていないので、一番上から順に開けて調べることにした。最初の二つにはめぼしい物は何も無かったが、三番目の引き出しに書簡類がまとめて入っていた。それほど罪悪感がある訳では無かったが、コメットは小声で「アーサー、ごめんよ」と一応の謝罪をした後にそれらを調べた。
プライベートな書状に見せかけて実は……という事はよくある話なので、比較的近年の消印の物の中から旧友・親類・大学関連・同業の考古学者までチェックしていく。
と、妙な文面が書かれた封書があった。
He came from hell of Buckinghamshire.
Oh, he say.
"Come for a row with me!
keep you waiting. "
Cocks is five
Apples is two
AND he enter the room of Alexander.
何やら詩のような文体だが、内容も文字も子供が書いたように拙い印象がある。
封筒の表書きに名前は無く、蝋封は前足を上げて立ち上がる獅子。彼はあまり紋章学には詳しくなかったが、この獅子の絵柄には見覚えがある。欧州のどこかの土地か王家の紋章だった気がする。
コメットは少し口を尖らせ眉を寄せた表情で文面をしばし見詰めた。そして少しの間思案した後、書面を封筒に戻しポケットに入れる。
後日警察がアーサ・ランドンの失踪を事件として扱った場合に、これは確実に証拠品となる物だ。それを勝手に持ち帰るのは悪い事だとはコメットも分かってはいるのだが、ここで読み解くだけの時間はない。
その後、書斎の本棚、寝室、リビングなどを順番に回って調べてみたが、その書面以上の収穫はなかった。灯なしでの行動が難しくなった頃、コメットは書斎のキーボックスから玄関の合鍵を一つ手に取った。人目が周囲にない事を確認して外へ出て、すぐに施錠する。合鍵は入り口脇にあった薔薇のプランターの中に落とし入れておいた。
ぽつりぽつりと雨が降り始めている。コメットは玄関から足跡を残さないよう注意しながら通りへと出た。今はとにかく書面の内容が気になる。彼は拠点に戻るために、近くの地下鉄駅までの道を急いだ。