「新入部員は15人。走り込みに耐えられたのは8人。ま、初日にしては、上出来じゃない?」
3年生の緒川玲美が腰に手を当てて偉そうに言う。
「そうか」
口数少なく頷いたのは、同じく3年生の荒畑康介。このバスケ部のキャプテンだ。
その足元には、ハーハーと肩で息をする1年生が8人。
誰1人、まさか練習初日から校外を全力疾走させられるとは思っていなかっただろう。
しかも、振り返りもせずに自転車を飛ばすマネージャーに付いていくなんて…
入部届を出した時、練習がハードだとは確かに言われた。
筋トレと走り込みを自分でも欠かすなとも告げられたし。
しっかり食べてよく寝ろと子を諭すようにも言われた。美人マネージャーの緒川先輩に優しい声でにっこりと。
途中で脱落した7人は、鬼のような形相の緒川マネージャーに冷たく見捨てられていた。
後ろから自転車で追いかけてきた2年生のマネージャーが2人、甲斐甲斐しくタオルと飲み物を渡しているのが視界に入ったが、あいつらは無事だろうか…
人の事を気にしている余裕はなかった。くらいついていくので精いっぱいだった。
「さて。そろそろ息は整ったか?」
荒畑キャプテンに言われ、1年生8人が体育館前に整列した。
「1年生にはこれから一ヶ月、毎日今日のコースを走ってもらうつもりだ」
その言葉に、一斉にうなだれた。
「あはは、何だ、元気ないな」
キャプテンは笑いながら緒川の方を見た。
「緒川は厳しいからな。大変だっただろ。安心しろ、明日からは緒川じゃなくて1年生のマネージャーが先導するから」
皆がどよめく。
入部説明の時に1年生のマネージャーはいなかったはずだ。
「2年の部員が必死に口説き落とした大切なマネージャーだ。大事にしろよ」
キャプテンが体育館のドアを開ける。
中には並んでレイアップシュートの練習をしている2・3年生の部員。
そして。
隅にちょこんと立っている、女の子。
「みみ!」
芝田秀典(ひでのり)は思わず大きな声を出した。
振り返る女の子に、どよめく部員たち。
「あ…」
注目されて秀典は下を向いた。
「おい、お前、知り合いなのか」
同じ1年生の瀬良勇太が肘でつついてくる。
「あ、まあ」
「同じ中学か?」
「中学っていうか、幼稚園からずっと一緒」
「幼馴染ってやつか。おい、まさか付き合ってるんじゃねえだろうな」
やたら顔を近づけてくる。暑苦しい。
「うるさいな。何でそんな事聞くんだよ」
「あ?だってあの子、学年一の美女だろ。すっげえかわいくて、俺、入学式から目付けてたんだよ」
「は?」
「あんなかわいい彼女がいたら、何でも頑張れるぜ、俺」
「別にそんな騒ぐほどのもんでもないだろ」
秀典は小さくため息をついて、そっぽを向いた。
「おい、そこの1年、うるせえぞ!」
練習中の上級生に怒鳴られ、2人はすいません、と小さく謝った。
「じゃ、改めて紹介する。マネージャーとして入部してくれた、三上みやびさんだ」
キャプテンに言われ、深々と頭を下げるみやび。
「よろしくお願いします。わからないことだらけなのでご迷惑をお掛けしてしまうと思いますが、少しでも皆さんのお役にたてるように頑張ります」
「おおおおおお」
勇太が大きな声を上げた。
「みやびさん。なんて素敵な名前なんだ。なんてかわいいんだ。最高だ!!」
感動しているのは勇太1人だと思ったのだが。
見回すと、1年生だけでなく上級生も感心したように頷いている。
「かわいいなあ…初々しくて守ってあげたいタイプだな」
あちこちから漏れる声。
「1年生、いいなあ」
「やっぱ無理にでも誘って正解だったな」
「おいお前ら、練習に集中しろ!!」
キャプテンが叫ぶ。
「ったく…あいつらにはさっき、ちゃんと紹介したのに…」
「2年生がどうしても入部させたがった意味が分かったわ。釘さしとかないとダメね」
緒川が盛大にため息をつく。
「だな」
キャプテンも頷き、練習を止めさせた。
「全員集合!」
「はいっ」
キャプテンの掛け声に、全員が整列する。走り込みを棄権したメンバーも2年のマネージャーと一緒に戻ってきていた。
「改めて全体に話しておく。新しく入った1年生のマネージャー、三上みやびさんだ。よろしく。大事な仲間だからな、大切にしてくれよ」
「はいっ!」
「で、ハッキリ言っておくことがある。緒川、頼む」
バトンタッチして緒川が口を開いた。
「改めて確認します。このバスケ部では、部内恋愛は禁止。マネージャーは部員全員と平等に接します。それが守れなかったら、退部。皆さん、絶対に守ってください。特に1年生、頼むわよ」
緒川の言葉に、皆がうつむいた。
「返事がないんだけど」
「はっはいっ」
慌てて返事をする1年生。
その中で勇太だけが納得いかない顔で手を上げた。
「あの…恋愛は個人の自由だと思うんですけど…」
「ったく…」
緒川が悲しそうな顔をした。
「あのね。もし誰か1人と付き合ったりしたら、全体のバランスが崩れちゃうのよ。部員同士の仲もおかしくなるし、バスケ部全員の問題になっちゃうの。それに、ふられたとか喧嘩したとか、色んなことが部活に影響してきちゃうでしょ。マネージャーを好きになるのは自由よ。それを支えにして張り合い持ってバスケ頑張ってくれれば、何も文句はないわ。ただ、あくまで自分の胸の中だけにしておいてね」
「…」
皆が黙って緒川を見つめた。
「誰にも人を好きになる気持ちを止める事なんて出来ないわよ。自分にも。でも、それを外に出してはダメなの…」
「緒川?」
キャプテンの言葉に我に返ったように、緒川がバッと顔を上げた。
「やだ。何か変な話になっちゃったわね。とにかく、部内恋愛は禁止。わかった?」
さっきまでの緒川に戻っている。
男相手でも負けない強気な態度。
「怖いけど、緒川さんも美人ですよね」
秀典がボソッとつぶやいた。
「やだ、おだてても何も出ないわよ」
「いや、そういうつもりじゃ…」
「何だよお前、先輩みたいなタイプが好みなのか」
おとなしくしていた勇太が、またちょっかいを出してくる。
「別に…そんなんじゃねえよ」
秀典の視線の先、みやびが困ったような顔で緒川を見ていた。
「じゃ、そういうことだから、よろしくね」
緒川に言われて緊張したようにみやびが頷いた。
「練習再開!1年生はまずドリブルの練習からだ。あ、そうだ、明日からは昼休みにボール磨きも加わるからな」
「はいっ!」
「やり方は2年生に聞いてくれ。おい、2年生明日何人か1年のとこ行って教えてやってくれな」
「はーい」
5時には学校を出なければいけない。ギリギリまで練習して、床にモップを掛ける。
秀典は慌てて着替え、追い出されるように校門を出た。
「秀ちゃん」
後ろから声を掛けられる。
振り向かなくてもわかる。声の主は、みみだ。
「みみ」
「ふふっ。その呼び名、懐かしいね」
三上みやび。最初に名前を聞いたのは、記憶にないがきっと2歳くらいの頃だ。幼い秀典は「み」が多いと思ったのだろうか。発音しにくかったのかもしれない。
「みみ」そう呼んだ。
そう呼ぶのが当たり前になってから幼稚園に入り、周りが皆「みやびちゃん」と呼ぶのを聞いても特に変えようと思わなかった。
だが、小学校高学年になると、呼びにくくなった。
男子はみな「三上」と呼び捨てするようになり、「みみ」は変に目立つようになってしまったのだ。
中学も一緒だったが、3年間で話した記憶はない。
特に話す必要も機会もなかっただけ。
段々と色気づいてきた男どもがみやびを下品な言葉で噂していても、別に気になんてならなかった。
何も感じなかっただけだ。敢えて見ないようにしていたわけではない。視界に入らなかっただけ。
みみの存在など、秀典にはちっぽけなものでしかなかった、のだ。
秀典はそう思っている。
「お前、バスケなんて興味あるのか?」
自転車を足早に押しながら、秀典はつまらなそうに言った。
「うーん。先輩たちに毎日毎日説得されて…何かしら部活には入ろうと思ってたし、マネージャーってのも一度やってみたかったし…それに…」
みやびが何か言いたそうに秀典を見つめた。
「ふーん」
秀典は逃げるように自転車にまたがった。
「ま、頑張れよ。よろしくな」
「あ、秀ちゃん、待って!」
秀典はすがりつく声を振りほどくように、自転車のスピードを上げた。
みみと仲良かったのは、小さかった自分だ。
あの温かい笑顔が自分に向けられていたのは、ずっと昔の話だ。
部員全員に平等に。
これからは、マネージャーの1人として接するだけ。
別に、みみの笑顔を見るためにバスケを頑張るわけじゃない
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