section3:Meeting---ANSUR

「何でさ?」
部屋に入ってきたリリスに向け、開口一番コメットが噛み付くような口調で突っかかる。リリスは小首を傾げて「何が?」と言いたそうな表情でコメットを見た。
「だから、何で、あいつがここにいても驚きもしないんだよ?君はこの前あいつに殺されかけてたじゃないか!」
リリスは数秒考えるような仕草をした後、コメットに再び笑顔を向けた。
「そうだったわね」
「そうだったって……」
呆れた声で言ったのはリーファスだ。
この場にいる全員にとってベンスンは調査機関の仲間だったアーサー・ランドンを殺した存在だ。だが、リリスは自身もベンスンに絞め殺されかけていたのである。コメットやリーファスのこの反応は当然と言えば当然だろう。ケインも困惑気味な表情で言う。
「そりゃ”良い”って言うのなら、それはリリスの自由だけれど。本当に気にならない?」
「気にならないと言うよりは、気にしても仕方ないっていうのが近いかしら」
そこまでは笑顔だったリリスだが、ふと真顔になり言葉を続けた。
「私たちが"ジャカル"の指令で動いているのと、彼がロードマック卿に使われていたのは"仕事"という意味では似たような物でしょう?そして今の彼の雇い主は"ジャッカル"になった。個人的な私情を挟む理由なんてない。それに、私も彼と似たような物だしね」
最後の言葉はやや自嘲的なニュアンスを含んでいるようにも聞こえたが、ほとんど表情ない彼女からは感情らしきものは全く読み取れない。

ゲーリーが少々下世話な表情でニヤニヤしながら言う。
「君が首を締められる趣味があるというなら、俺はそれでも構わないんだがね」
「あら、私が締める役なんじゃなくて?」
リリスはにっこりと笑顔に戻り、まるで鶏の首でも締めるようにきゅっと手を動かす。そして、ゲーリーの顔を見たままぐいっとそれをへし折るような仕草をした。あながち冗談には聞こえないだけに、ゲーリーの笑顔はやや引きつった物に変わった。
「……僕は、そこまで割り切れない」
コメットが少し不機嫌そうに言う。リーファスが頷いた。
「私も。何と言うか、慣れるまでに結構時間が掛かりそうな気がするわ」
リリスは少しだけ上方に目を向けた後、再び二人に視線を戻して答えた。
「それで良いんじゃないかしら?"ジャッカル"もベンスンさん本人も、拠点でいきなり歓迎されるなん思ってないはずよ。むしろ冷遇も覚悟の上での事だと思うわ。だから、コメットはコメット、リーファスはリーファスの接し方で問題はないわよ」
「君は不思議な所で合理的になるな」
ケインが少し呆れたように言うと、リリスは「そう?」と笑った。

「では諸君、そろそろ仕事の話をしようじゃないか」
会話が途切れたところで、ややビジネス口調でそう言ったゲーリーに一同は頷く。
「ところで確認なのだけど。誰も切り裂きジャックの再来なんて噂は信じていないわよね?」
珍しく最初にリリスが口を切った。特にこの噂を信じていた訳でもなかったが、あえてコメットが問う。
「君が"違う"と思った根拠は?」
「資料写真で見た遺体の傷。全ての被害者が上半身、もしくは腕や肩から下方向に切断されてた傷だったから」
「そうか。ホワイトチャペル事件では臓器の持ち出しもあったし、腹部や下半身に傷が多かったって事よね?」
リーファスの言葉にリリスは黙ったまま頷く。
「数十年の間に、切り裂きジャックが宗旨変えしたって事じゃなければ、だね?」
と、コメット。
「有り得なくはないけれど確率としてはかなり低いわね。被害者の数が同じ5人で時期も似ているから、あんな噂が出ただけだと思う」
「まあ噂は噂だし。実際に調査して確かめてみなきゃ、だよな」
調査用のメモ帳に何か書きながらケインが言う。それを見て、リリスがややゆっくりした口調で現情報をまとめた。

「今までに分かっているのは、被害者は5人。女性も男性も被害に遭っている。全て夜半過ぎの犯行。そして最後の被害者が調査員のホーリー・フリッペンだという事。さっきジェーンさんに確認したのだけれど、その時の連絡要員もフリッペンの調査内容は全く把握していなかったそうよ。つまりこの事件はまだ全くの"白紙"」
「うーん、どこから調べていくかなぁ」
一通り内容を書き留めたケインが呟く。全体に抽象的で掴み所がないせいだろう。
「古い新聞を見れば、被害者についても何か分かるかしら?」
リーファスの言葉に、リリスが答える。
「ええ、被害者の名前と事件全体のあらましは分かるはずよ」
「遺体を診た検視官はわかってるんだっけ?」
ゲーリーの言葉に、コメットが首を振る。
「それも記事にあるかも知れないけれど、警察か情報屋に聞く方が早いんじゃない?」
「そうだな。まあ当たってみれば良いか」
そこでケインがふと思いついたように言った。
「手っ取り早く、現場で俺の『霊魂君』を使うってのは?」
「それはやめて頂戴」
リリスがいつになく強い調子で言う。
「殺された時の記憶でパニック状態の霊を下手に刺激すると、無差別に襲って来る場合があるのよ。だから残忍な殺人事件現場での霊視や幽体感知機器の使用は必要最低限にして欲しいの」
これは経験からの言葉だ。彼女の左手は無意識に自分の右肘を掴んでいた。本人以外は知らない事だったが、袖に隠された彼女の右腕には霊に引きちぎられた無残な傷跡が残っている。
「分かったよ」
リリスの口調が妙に強いので、ケインは素直に諦めた。
「有難う」
彼女は笑顔に戻る。何が「有難う」なのかは分からないケインは、無難に「No problem.」とだけ返しておいた。

部屋の扉が叩く音が聞こえた。
「はい」
ゲーリーが扉を開けると、ジェーンとベンスンがトレイに乗せた紅茶を運んで来た。前もってゲーリーが彼らに頼んでおいた物である。
「今夜も寒いですからねぇ。お茶を飲んで温まって下さいな」
ゲーリーは二人がカップをテーブルにセットしている間に、脇に置いていた袋からリボンのついた可愛らしい包装を取り出して全員に配って回る。
「あら有難う。でも、これ何?」
リーファスが受け取った包みを手にゲーリーに問う。
「茶菓子にな。まあ早めのクリスマスだ」
「ジンジャーブレッドマンだ!わー、有難う!」
これは既に封を開けていたコメット。しかし彼は一旦嬉しそうな顔をした後に、念押しのように言った。
「あのさ、僕は人形型だから喜んでる訳じゃないんだよ。ジンジャー・クッキーが好きなだけだからね」
「俺も好きだな、これ。有り難く頂くよ。こういうの見るとさ、クリスマスが近いんだなぁって気になるよなぁ」
ケインは素直に嬉しそうだ。
「あら、私たちにも下さるの?嬉しいわぁ」
にこにこしているジェーンと、きちんと礼は言ったものの「どうしろと?」と言いたそうな顔のベンスンの対比が奇妙だ。

さて(ゲーリーにとっては)問題のリリスである。
彼女は、受け取ったまま包装紙を見て瞬きを繰り返していた。全くの無反応だったので「滑ったか?」とゲーリーが思った時だった。
「私、これ頂いて良いの?」
と、やや的外れの質問を彼女は発した。
「それは君の分だから勿論」
(むしろ君に渡したくて買ったんだが)と心の中で付け加えてゲーリーは答える。リリスはゲーリーの顔を見た後、再び包装紙をじっと見つめた。
「でも開けてしまったら、もう元には戻せないわよね」
言葉のニュアンスからして、『開けてしまうとゲーリー宛の返品が不可能になる』という趣旨の話ではないらしい。それを聞いたリーファスがティーカップを持ち上げながら言う。
「あら良いじゃない。折角だから、お茶菓子に頂きましょうよ」
「うん、これ美味しいよ」
コメットは既に二枚目を食べ始めていた。リリスは二人の言葉に少し考えるような表情になったが、やがてゆっくりと丁寧に封を開け始めた。そして、今度は中に入っていたクッキーを見詰めて小さく呟いた。
「困った。駄目。可哀想。食べられない」
ケインが危うく紅茶を吹き出しそうになる。とても彼女の言葉とは思えなかったからだ。

心霊調査機関のメンバーの間で『ブラックウィドウ(黒後家蜘蛛)』と仇名され、「死神も跨いで行く」と噂され、「その気なれば国王相手にも毒舌で対応出来る」と言われ、バラバラ死体も腐乱死体も躊躇せず隈なく検分を行い、立ち塞がる相手は容赦なく叩きのめす……。その彼女が人形型のクッキー相手に「可哀想」とのたまうと誰が想像したであろうか。

「怖い物を見てしまった」という反応の男性たちだったが、同性のリーファスは少し違うらしい。
「でも食べてあげないと、お菓子もゲーリーも可哀想でしょう?」
「いや、俺が可哀想というのはどうでも良いから」
リリスは人形型クッキーを手にしたまま、リーファスに頷いた。
「そうよね。これは食べ物だものね。でも、もう少しだけ、このままにしておきたいわ」
その後、彼女はゲーリーに向けて静かな声で言った。
「どうも有難う。後で大切に頂く事にします」
いつもの作り笑いでの礼ではない。むしろ今のリリスには、ほとんど表情という物がない。だが、わずかに伏せられた青い瞳は柔らかな印象がある。
「なあ。これって、もしかして俺に脈有りと見ても良いのかな?」
小声でゲーリーがケインに聞くが、彼は首を振った。
「いや、なんか。ちょっとこれは違うような気がする」
その隣からコメットが小声で口を挟む。
「うん。物凄く意外な感じだけどさぁ。実は『可愛い物大好き!』、とかそういうのじゃない?」
「だろなぁ。もう少し高級な物にするべきだった。失敗した」
「高価だと受け取ってくれないと思うよ」
ケインが苦笑しながら言った。

紅茶とジンジャーブレッドでの休憩を挟んだ後。一同は改めて情報を整理し、明日の朝の調査担当を決めた。
警察からの情報収集はリリスがロンドン警視庁にいる友人ロバート・ブラウン警部に連絡をつけてみる事になった。彼女以外に警察につなぎのあるメンバーはいないので、これは無難な選択だ。
問題は残りの4人。
各々別の調査を行うには、現状では出揃っている情報が少なすぎる。そこで、ひとまず全員で図書館へ向かい、集中して過去の新聞から事件の大まかな情報を探すという事になった。
その後、コメット、リーファス、ケインの三人は犯行現場付近での聞き込み調査を行う。
ゲーリーは一旦リリスと合流し、彼女が警察から貰った検視官の情報を受け取り、知り合いの医者に仲介してもらいコンタクトを取る。
リリスの方は、午後は「警察からの情報を検分して次の行動を決める」と言う。

「なんだか随分と大雑把な調査になりそうね」
リーファスがふうと息を吐く。コメットが尤もらしい表情で言った。
「とにかく情報を集めるのが先決なのだよ、ワトスン君」
「誰がワトスンなのよ」
リーファスはいたく不本意な表情で答えた。

nyan
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