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ひなたは昼食を一人で食べる事が多い。関わる事が少ないと、暴走を抑える事ができる。その暴走を水原爽が抑えてくれる事が分かっていても、まだコワイ。
屋上から街の光景を見て、母が作ってくれた弁当を食べる。
『ひなたも自分で作ったらいいのに』
そう言われて、え? と思ったが、今度チャレンジしてもいいかなぁ、と思っている自分もいる。隣で爽が、自分のお弁当を分けてくれている。全て自分で作っていると聞いて、目を丸くした。
そして何より、甲斐甲斐しくひなたに弁当を分けてくれる後輩の彼女がいる。桑島ゆかりというのが彼女の名前だった。ゆかりは、すっかりひなたに懐いてしまったという表現でも控えめな様相を呈していた。
一応先輩なのだが、『ひな先輩』と言って髪を撫でたり頬を触ったりと、可愛がってくるので、先輩扱いされる気がしない。そもそも『ひな先輩』の『ひな』は『雛』である気がしてならない昨今だ。そしてそれが事実である事を知り、悶絶するのがこの後だったりするのだが。
爽は少し憮然としながら、その光景を見やっていた。
「水原先輩、ヤキモチ?」
ニッとゆかりは笑ってみせる。別に? とそっぽ向く爽と。心なしかいつもの笑顔が出ていない為、ひなたには心配になったが『大丈夫』とゆかりには押し切られてしまう。何が大丈夫なのか全然分からないが、2人がじゃれあっているようにも見えるので、良しにしている。
と、ひなたはゆかりに向き合う。
言わなくてはいけなかった事を言葉にする為に。
「ゆかりちゃん、ごめんね」
「ひな先輩?」
「言えなくて、ずっとどう言葉にしていいか分からなくて……」
「ひなた?」
爽が首を傾げる。
「……ゆかりちゃんの能力を完全に消してあげる事ができなくて…」
爽とゆかりは顔を見合わせる。そして苦笑が漏れた。二人とも仲が良い。妙にモヤモヤした感情が湧き上がったが、今はそれを飲み込んだ。
「ひなた、この前も言ったけど、スクラップ・チップスはオーバードライブすると制御なんかできない。普通は廃棄だ。それを救っただけで、ひなたはスゴイんだぞ?」
オーバードライブは能力の最大上限稼働を意味する。その状態での稼働は体内細胞の酷使、壊死を意味していた。
「でも!」
ひなたは思う。実験室の枠組みに縛られる人間は少ない方がいい。ゆかりの爽に対しての気持ちは本物だった。今はそれを噛み砕いて、納得したと本人は笑っているが。きっと、爽に対しての気持ちは揺らいでないのではないかと思う。その強さで、背筋を伸ばして爽をまっすぐ見つめている。その想いの強さが、ひなたには眩しい。
「私は感謝してるんですよ、ひな先輩?」
手を伸ばし、指先に走る青白い電気。バチンパチンと弾けるそれを見ながら。
「誰かのせいにずっとしてきたから」
「え?」
「私が認められないのは、私が 廃材だから、って」
「……」
「多分、今でも状態は変わってない。でも気分はいい感じなんですよね」
「え?」
「清々しいとは違うかな? きっと、手を伸ばす事を諦めなかった、ひな先輩のようになりたいって思ったんです」
目をぱちくりさせる。ワタシ?
「先輩は私に手を伸ばすことを迷わなかった。トバッチリで、八つ当たりにも近かったのに」
そんな高尚なものじゃなくて、ただ体が動いただけ――そう言いたかったが、何故か言葉にできなくて、唾を飲み込む。ゆかりの笑顔がこれでもかと言うくらいに眩しく感じたから。
「私と一緒にいるということは、実験室が何らかの形で関わる事になるかもよ?」
「望むところ」
爽とひなたの声が重なった。「だ」「です」と不協和音を打ちながら。ひなたは目をパチクリさせ、爽は苦笑を浮かべ、ゆかりは満足そうに頷いた。
傷つけたり、想ったり、身勝手で、そして忙しくて。
ひなたは思う。身勝手で私達は弱いかもしれないけど、目一杯生きてる。コワイという感情はやっぱり強い。でも我が儘にも、もっと手を伸ばした人がいて。
水原爽の事をもっと知りたい。
コワイ。
でも知りたい。
手を伸ばすのは、本当はコワイ。怖い。でも、爽はあっさり手を伸ばしてくれた。それは彼にとって過去の清算でしかないにしても。
だから、ゆかりに手を伸ばす事に躊躇なかった。ゆかりは今度は、ひなたに手を伸ばしてくれている。
だから、孤独じゃない。孤独じゃない事がコワイ事だと知った事が驚きだったけれど。
と、爽が顔を上げた。愛用のスマートフォンを取り出す。同時に空気がピンと張り詰めたのをひなたは感じた。それはゆかりも同様だったらしい。ここらへんは被験体になった者同士の勘のようなものだった。”フラスコ”であればナンバリング・リンクスがあると朗々と語ってくれたかもしれないが。
「実験室?」
ひなたが聞く。情報取得に関してすでに満幅の信頼を置いている。
「スクラップ・チップスだね。保育園を襲ってるみたいだな」
とひなたを見る。ひなたは弁当の最後の一口を飲み込んでから、立ち上がった。
「やっぱり、行くのか?」
やれやれ、と爽も立ち上がる。気苦労も一緒に抱えて。
やっぱりね、とゆかりも同様に。歓喜を表すように、その手にさらに青白い電光を明滅させ、臨戦体制に入る。
「付きあわせて、ごめんね」
にっこりと、無自覚にひなたは微笑む。その笑顔はズルいなぁ、と爽は思ったが、仕方ない。
ひなた曰く『バケモノの相棒』である事に躊躇無いのだ、爽は。
だから爽は、ペンダントを通して、 廃材の位置情報、現況、周辺データをリアルタイムで送っていく。
「まだそんなに切羽つまった感じじゃない?」
「詳細データを送る。悠長な事言ってられないかも」
「……自分の子どもがいる保育園……離婚、奥さんに親権が……あんまり良くないね、急ごう」
「なんかいいなぁ」
「え?」
「二人だけの世界になってる!」
「は?!」
爽も呆れるが仕方ない、現状ひなたに合うようにカスタマイズしているのだ、それこそゆかりの場合は過剰ブーストでオーバードライブしかねない。真面目にそんな事を思索していると、
「ひな先輩とそうやって繋がりたいなぁ」
と冗談とも本気ともつかない台詞を吐く。
「あんな事や、こんな事、少し卑猥な事もひな先輩に送信したりして、さ」
いひひ、と笑う。困惑のひなたと、深くため息をつく爽と。
「時間が無い、行くよ」
とひなたの手を引く。
「え、あ、うん」
「水原先輩、ズルい!」
「五月蝿いよ。桑島がいると、ひなたと二人っきりの時間を確保できないだろ!」
「ホンネ出た!」
「五月蝿いって、作戦立てたいの。茶々をいれるな!」
「イチャイチャ?」
「五月蝿い!」
そんな二人のやりとりを聞きながら、爽の手をひなたは握り直してみる。
爽がチラリとひなたを見た。それだけ。ペンダントを媒介にしていない。でも伝わる想いがあって。
――行こう?
ひなたを全肯定してくれている爽がいる。ゆかりがいる。爽とゆかりに危険な目に合わせたくないと思う自分と、それでも手を伸ばしたいと思う自分がいて。やっぱり無視できない自分のエゴを自覚しながら。
だから、もう一度ひなたは、爽の温度を確かめるように、爽の存在を感じ取りたくて、爽の力を貸して欲しいから、爽の手を握りしめた。
「行こう?」
「行くか」
「行きますか」
意識せずとも3人の声が重なって。そんなシンプルな掛け声が、戦いの狼煙のようであり。固い約束のようであり。だから結束している事を感じさせてくれて。