今日は良い天気。こんな日は、外に出て温かい日差しの中で昼寝が一番ではないか。
そうクロは思った。ご主人様が帰るまでは時間がある。どうやってこの時間を潰そうか。
2階の窓から外を眺めていると、隣の公園のベンチでひなたぼっこをしながら野生の何匹かは昼寝をしている‥‥。気持ち良さそうだな、とついつい思ってしまった。いかんいかん。俺は違うのだ。彼奴らは「野生」で、俺は「飼われている」のだ。
芽生えた浅はかな感情を抑え、クロは一階のソファで眠ることにした。
階段を下りていくと、リビングについた。整理整頓されたテーブルに、きちっと折り畳まれたビニール袋。テーブルの上には果物がいくつか。バナナにリンゴにぶどう‥‥。どれも美味しそうだ。
俺のご主人様は綺麗好きの女教師マリア。年は、何歳だったかな。この前、誕生日で誰かに祝われていたはずだったが、どうやら忘れてしまったようだ。まぁいい。いずれ思い出すだろう。
勝手に食べるとマリアに怒られるから、果物は諦めてソファへと移動する。
ふかふかのソファは気持ちよく、クロをすぐに安堵の世界へと誘った。
うたた寝をしていると、公園にいた野生の何匹かはこちらに気付いてじっとをクロを見ていた。
公園のベンチも心地良さそうだが、こっちはふかふかのソファだぞ。俺はお前らと違うのだとほくそ笑む。どうやら彼奴らはお腹が空いているようだ。ふん。これだから野生は貧乏臭いのだ。
リビングの端っこには朝マリアが切ってくれたリンゴが数切れが、クロの専用容器に入れられていた。
クロはそこに行き、むしゃむしゃと見せつけるように食べてやった。
幾分か虚栄心が満たされたので、再びソファに戻る。
最近は繰り返し毎日がぼうっと過ぎていく。これを幸せと呼べるだろうか。
コンコンっ。
と音がなる。ベランダの窓に、野生の一匹が叩いていた。何か言っていそうだ。
クロは面倒くさそうにその方向に目をやる。えっ。何だって。
「おい。外に出てみろよ。楽しいぞ。」
野生のやつは見てくれは汚い格好をしているが、目を見るとキラキラと輝いていた。
ふむ。不思議と、そいつの目を見てみると外に飛び出してみたい気持ちも分かる。何故だか懐かしい感情がクロを刺激していた。
時計に目をやると針は15時を指していた。
マリアが学校から戻ってくる時間は早くても19時だから、時間はあるか‥‥。
その前に戻れば良いか。そう思ったクロは、野生の一匹に促されるようにベランダから外に出て行った。その見てくれは汚いが、目を輝かせていた彼はFと呼ばれているらしい。Fとクロは公園へと向かった。
Fは言った。
「よく外にでてきたな。」
「お前が誘ってきたんだろう。」
「ははは、そう邪気になるなって。せっかく自由になれたんだ。もう少し気楽にいこうぜ。」
「ほんの少しの自由だ。俺はまたすぐに戻るぞ。お前らとは違うんだ。」
「へぇ。まだそんなこといっているのかい。一度味わったら外の世界は辞められないぜ。」
「うるさいっ。戻ると決めたからには戻るんだ。それがペットの役目でもある。」
「ペットの役目とは何だい?教えてくれよ。」
「ご主人様を癒して差し上げることだろ。」
「へぇ。どうやって癒すんだ。」
「それは‥。ご主人様が帰った時に家で待っていたり。えさを作ってくれたらそれを喜んで食べたり。」
「ふーん。それは楽しいわけ?」
クロはその質問には答えられなかった。楽しさはまるでない。ただ、マリアに生かされている。
それだけだった。公園でFと会話していると、今度は側で寝ていたメスが話しかけてきた。
「あら、あなた新入りね。名前はなんて言うの?」
「俺はクロだ。お前は野生なのか?」
「違うわ。名前はYよ。よろしくね、クロくん。」
その時だった。身体が動かなくなったのは。しびれから始まり、回転性の目眩がクロを襲ってきた。何かよからぬことを感じる。今度は目が霞んできた。必至で息を繰り返すが、空回りするばかり。
もう、もう、息が続かない。
「助けてくれ!!頼む‥。助けてくれ!!」
「全くこれだから野生は困るのよ。ペットにしてもすぐに外に出て行きたがるわ。もう駄目ねぇ。こいつは安楽死させましょう。」
クロは目からさめると、檻の中に閉じ込められていた。どこかの研究所らしい。
朦朧とする頭をフル回転させる。
「近頃の野生のペットは、働かずに外でくっちゃべってるだけで社会の屑でしかないんだから。こういうペットはすぐに処分すべきなのよ。」
横の檻の前でYが、そう呟く。
腕には治安部隊と書かれた腕章がくくってあった。
そうか。俺は捕まったんだな。クロはそう悟った。
横の檻にいるのは声色からして多分Fだ。一緒になってYにだまされて捕まったんだろう。
「頼む。俺は、まだ死にたくない。ただ自由が欲しかっただけだ!!」
「何をバカな事を言っているの。あななたち一度ペット登録された人間は、ご主人様に仕えるのが社会のルールよ。その前は、働く気力もなくただ甘えた生活ばかりしていたんだからいい気味だわ!!」
そうだった。俺たちはニートだった。もはや社会の歯車以下の存在だった。
俺は大学を卒業し、就職活動の荒波にもまれ、内定を一社もとることができず社会へと羽ばたけなかった。実家で母親の出される食事を食べて、部屋に引きこもる毎日だった。そんな母親ももう70歳近くどうやって自分は生活していけば分からなかった。正直、不安でいっぱいだった。
この国では俺みたいなニートが増え過ぎていて、救済措置としてニートでも社会に還元できるよう政府は政策を打ち出していた。
それはニートをペット化する、通称「ニーペット法」である。当時一部の人間は、動物では飽き足らず人間を飼う事で癒しを求めていたりしていた。その人間の残酷な行為に目をつけたのが当時の政府だった。この人が人を飼うことで癒される世界を合法化させてしまったのだった。
社会に働きに出ていないニートは、ニーペットに登録して承認されると、買い手が出るまで実家で変わらず過ごす。もし実家がない場合は、政府が管理している研究所で何不自由ない生活が待っているはずだ。ウェブ上で詳細な情報をアップし、買い手がつけば政府から通達がくることになっていた。
通達欄には、買い手の職業、年齢、趣味、動機などが書かれており、最後に同意の署名欄と金額が書かれていた。この金額はニーペット契約金と言われ、契約するとニーペット税一律5%を国に抜かれ、残った金額は買い手に振り込まれる仕組みとなっていた。
俺は、特にやることも無く日に日にやせ細っていく母親の顔を見て軽い気持ちで署名してしまった。通達は数日後、すぐにやってきた。
女教師マリアはクロを飼うことで癒しを求めていた。思い出した‥。年齢は42歳だった。
マリアは人生で結婚を何回も試みるも、全て上手くいかずここまで歳を重ねてしまった。とうとう、結婚することを諦めてしまったが、人のぬくもりは諦めきれず俺を飼うことになったのだ。
「ぐえぇ。うぅ‥。」
どうやらFはもう駄目らしい。
となりの檻からは苦しそうな声をあげてバタバタとのたうち回っている音がした。
「へぇ、助かったわね、あなたのご主人様が迎えにきているらしいわ。愛されているのね。」
Yは通信機の画面を見ながらそう話しかけてきた。
「俺は、もう一度社会に戻りたい。ニーペットは辞めさせてくれ。」
「へえ、驚いた。あなたにその根性があるの?社会に出れないからニーペットになったのに‥。ニーペットを辞めると、まず政府の研究所に行って職業訓練しなくちゃいけないわよ。運良く、その職業訓練を通過しても、ニーペット契約金を借金としてマイナスからのスタートになるけれど。それでも良いの?」
クロは決めていた。
「‥戻ります。」
「あらそう。その前に、ご主人様の許可を得ないといけないわよ。女の執念は怖いわよ。黒崎クン。」
やれやれ。どうやら、俺はひとつの壁を乗り越えなければいけなそうだ。
檻の外の入り口には、泣きながらこちらを見つめている一人の女が立っていたーーー。
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