あんなオヤジでも父親には違いない。
 俺はきっかり五分後に玄関ロビーにいた。
 だが誰もいなかった。
 薄暗いロビーには古びたソファが置いてあった。。完全和風な造りのロビー。障子戸で仕切られた通路や、高い天井。そこには年季の入った立派な梁が見えた。
 そこに真っ赤なソファがある。
 内装とのギャップがすごい事になっている。
 俺は気にしないことにした。
 そう。ここは秘境なのだ。何があってもおかしくはない。
 割り切ろう。
 そして待つこと一〇分くらい。
「あ、お兄ちゃん」
 茉莉がやってきた。
「お前五分後とか言われなかったか?」
「? 言われたけど?」
「俺がここで何分待ったかわかるか?」
 茉莉は小首を傾げた。何を言っているんだろう? 目がそう言っていた。
 我が家族は時間にルーズだ。時間を守るなんてのは端から頭にない。律儀にそれを守っているのは俺くらい。そんなことは分かっていたのだが。
 茉莉が俺の横に座った。ぎし、と音がした。もしかしたらこのソファ、もう一人座ったら壊れるかもしれない。
「で、お父さんは?」
「見ての通りだ」
 茉莉はロビーを見渡した。もちろん、ここにいるのは俺と茉莉だけだ。
「まぁ、そのうち来るでしょ」
 なんと楽天的な!
 俺は茉莉に気付かれないように天を仰いだ。
「それより、部屋にあったガイド読んだんだけど……」
 なぬ? ガイドブックなんて置いてがあったのか!
「この辺、何もないみたい。歩いて一時間程で滝があるらしいけど……」
「まさかそこに行く気じゃないだろうな」
 俺は嫌な予感がした。
「その通りだ!」
 いつの間に涌いたのか、オヤジがソファの後ろに突っ立っていた。
「秘境に来たからには、滝だ。谷だ。峡谷だ。山の中には『秘境』だらけだ!」
 一人盛り上がるオヤジ。
 俺は一応、確認した。答えはわかりきっているが。
「お袋は?」
「ん? ああ、母さんは、そのなんだ。ちょっと事情があって来ない」
 どうせ散策自体を一蹴されたに違いない。それも辛辣な言葉で。
「というわけで出発だ」
「ホントに行くのか?」
 きっと言うだけ無駄な事はわかっている。でも言わずにはおれなかった。
「当然だ。お前は一体なんのためにここに来たんだ? 秘境を探検して、一汗書いて温泉に浸かる。これこそ、旅の醍醐味だろう?」
 すでに目的がすり替わってる。
――まぁ、毎年の事だし。それにきっとこれが最後だろうし。
 俺はこれも親孝行だろうと、重い腰を上げた。

なぎのき
この作品の作者

なぎのき

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141514957439581","category":["cat0013","cat0017"],"title":"\u3010\u7af6\u6f14\u3011\u8db3\u97f3\u306e\u3059\u308b\u5eca\u4e0b","copy":"\u5bb6\u65cf\u65c5\u884c\u306e\u9014\u4e2d\u3001\u602a\u6211\u3092\u3057\u305f\u5d07\u306f\u3072\u3068\u308a\u53e4\u3073\u305f\u65c5\u9928\u306b\u6b8b\u308b\u3002\u305d\u3053\u3067\u5d07\u304c\u898b\u305f\u3082\u306e\u306f\u2026\u2026\uff1f","color":"tomato"}