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「おいオヤジ」
俺は目の前の建物を見るなり、スーツ姿で胸を張り、ロマンスグレーのオールバックを撫で付けて、したり顔で頷く父の龍一(りゅういち)を睨みつけた。
「まさかとは思うが、ここに泊まるんじゃないだろうな?」
年に一度の家族旅行。毎年恒例とはいえ、高校二年の俺と一つ違いの妹の抹莉(まつり)は、そろそろ面倒になる年頃だ。
今年を最後にしよう。
そう思って、俺なりに例年より協力したつもりだった。
だが。
――やられた。
目の前には、今にも倒壊しそうな木造二階建ての古びた温泉宿。
家族内での日程調整やら何やらは俺が率先し、場所をオヤジに任せたのが失敗だった。
「崇(たかし)。どうだ、この堂々とした雰囲気。まさに『秘境』じゃないか」
そういうオヤジは、どこか誇らしげだった。
俺にはさっぱり理解できないが。
オヤジの趣味を甘く見すぎていた。
日程的に一泊が限度の行程で行き先の範囲を狭めたつもりだった。
車で移動してせいぜい二時間。大体半径二〇キロの範囲を想定していた。
だがオヤジはその『車』での移動を逆手に取った。
まさか飛行機を利用し、その後はレンタカーでの移動にするとは……。
自宅から空港までの一時間と、そこからこの旅館までの一時間。
きっかり二時間。
俺は、今日何度目かのため息をついた。
「秘境って、何もこんな山奥の旅館じゃなくてもいいじゃないか」
「何をいう!」
オヤジはここぞとばかりに声を張った。
「見ろ、この見るからに人里離れた感。全く人の気配がない。しかも予約する手間すらいらないという便利さ。その上キャンセル料も取らないという大変親切な旅館だぞ? お前のいう自宅近辺数キロ圏内の旅館とはワケが違う」
何を威張っているんだ?
俺は、行き場のない、例えようもない思いを茉莉にぶつけた。
「なぁ、お前はどう思う?」
それも失敗だった。
ミニスカートにブラウスという軽装で、とても秘境には似つかわしくない出で立ちの茉莉は、目を輝かせ腰まで届くロングヘアをふりふりこう言ったのだ。
「素敵っ!」
俺は力なくうなだれ、母親を見た。母は山積みされている全員分の荷物に座り、あさっての方向を見ていた。きっと何かを見ているわけではない。ただ見ている。そんな雰囲気だった。要はいつも通りな母親だった。
元々母は旅行自体に感心はなく、オヤジが言い出した時「あ、私はどこでもいいから」と企画段階で丸投げしていた。まぁこのオヤジと一緒になるくらいだ。扱いは心得ているといったところか。
「さぁ、各々の荷物を持つがいい。今年のテーマは『秘境探検』だ!」
一体何のテーマだ?
俺はもう抵抗する気すら失せ、やたらと元気の良い父親と妹、そして普段通りの母の後ろについて、のそのそと旅館に入った。