order14.猫の恩返し
<1週間後、なんでも屋アールグレイ事務所>
ロジャーたちを無事救出してから、約1週間の月日が流れた。
あれから彼らに何か不可解な事や尾行などといった行為がされていないか確認してみたが、その用心も不要らしく道場の経営を再開したらしい。
そんなことを思い出したグレイはソファに座りながら開けられた窓にタバコの煙を吐き、テーブルに置いてあるコーヒーを啜る。
「グレイ、休憩に入るぞ」
「おう、お疲れさん。足の調子はどうだ? 」
しばらくして少し不器用にシノが休憩室へと入ってきた。
「歩けるようにまでは回復した。以前のように戦闘をしたりするのはまだまだ時間が掛かるだろう」
「そいつは良かった。お前さんにはまだまだ働いて貰わなきゃ困るからな」
「一番働いてない奴が言うな。ソフィアなんて今尻に火が付いたように働いてるぞ」
「普通女の子にそんな表現使うか? 」
「知らん」
無造作に同じテーブルに緑茶の入った湯呑みを置き、グレイの隣に座る。
「しゃーねぇ、そろそろ俺も戻るとすっかぁ。次のオーダー何時からだっけ? 」
「13時からだ。いい加減に覚えろ」
「んんー? 雇い主に対してその態度は何かなー? 君のクビが社会的に飛ぶことになっちゃうぞー? 」
「もし俺をクビにするのならお前の仕事が増えるだけだが? 」
「…………いってきます」
「よろしい」
勝った、と心の中でガッツポーズをとるシノ。
鼻で機嫌よく笑いながら、湯呑みを片手に緑茶を啜る。
一口を飲み干し息を吐くと、彼は不意に窓の方へ目をやった。
「……ん? 」
窓の縁側に何かがいる事を気付いたシノは、音を立てないようにそっと近づく。
「にゃー」
「……猫、か」
しかしよく見ると首の毛の中にピンク色の首輪が付けられている。
誰かの飼い猫かもしれない、そう思ったシノはその猫を抱え上げ、自分の膝元へと乗せた。
「にゃー」
(……かわいい)
彼の膝元で和む猫を見て、思わずシノはそう思ってしまう。
頭を撫でてやると、猫は気持ち良さそうに目を閉じた。
「そうだ、俺だけ茶を飲んでいる訳にもいかん。待っていろ、何か持って来る」
「にゃー! 」
(くそっ……可愛すぎる……。前から確かに犬や猫を飼いたいとは思っていたが職業柄そういう訳にもいかん……。他の子は近づいたら逃げてしまうし……)
誰にも見せたことのないような悶々とした表情を見せ、シノは一人事務所のキッチンへと向かう。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、棚から皿を一枚猫の前に置いた。
その皿の上に水を注いでやると、猫は一目散に皿へと飛びつく。
「すまないな。お前の飼い主があげる物よりかは不味いだろうが、我慢してくれ」
「にゃー♪ 」
「……俺の言葉が分かるのか? 」
「にゃー? 」
まさかな、と一人で鼻で笑うとシノは立ち上がり、今度は引き出しからペットフードを取り出した。
もし犬や猫が来た時のために買っておいてよかったと彼は安堵する。
しかし既にその猫はおらず、シノは辺りを見回すがどこにも見当たらない。
水だけ飲んで気ままにどこか行ってしまったのだろう、猫とはそういう生き物だ。
「あれ? シノさん? こんなとこでペットフード持ってどうしたんですか? 」
「ッ!? そ、ソフィア!? な、なんでもないぞ! 」
しばらくして休憩に入ったソフィアが呆然と立ち尽くすシノに声を掛ける。
「むむむ……。なーんか怪しい……。それに床に置いてある水の入ったお皿も……。さては! シノさん犬か猫をここに連れ込んでいたんじゃないでしょうね? 」
「そ、そそそそんな筈ないだろう!? 首輪をつけた三毛猫などここに入れちゃ……あっ」
「意外とシノさんもアホなんですね……。さあどういう事情か話して頂きますよっ! 」
「お前にアホとは言われたくない! 」
彼女が来た途端に騒がしくなる休憩室。
二人とも変な構えを取りつつお互いに距離を取り合っている。
「あの、ごめんくださーい」
その時であった。
扉のノックする音が聞こえ、二人は一斉に玄関へと視線が向く。
「珍しいな。わざわざ休日に事務所に赴いてくる人間なんて」
「そうですね……。まあ、ひとまず迎えてみましょうよ」
シノが扉へと杖を付きながら向かい、扉を開けた。
「えっと……ここって"なんでもやさん"です、よね? 」
「あ、あぁ。そうだが……」
「シノさん? どうかして……あら? 女の子? 」
「おねがいしたい事があって来たんです! どうか聞いてください! 」
「落ち着いてくれ。訳は事務所の中で聞こう。中で座って待っててくれるか? 」
「は、はい! ありがとうございます! 」
扉を開けると立っていたのはまだ10代半ばの女の子。
ソフィアのような合法ではなく正真正銘の女の子である。
慌てているようなので一旦落ち着かせると、シノは優しく彼女を事務所へと招き入れた。
「はい、紅茶。お砂糖はテーブルの側にあるから使ってね」
「あ、ありがとうございます……」
「それで、君のような女の子がどうしてうちの事務所に? 」
「……私のお家で飼っている猫が逃げちゃったんです。お父さんやお母さんと一緒に探しても見つからなくて……」
「なるほど。それで依頼に来たんだな」
「はい……。あ、お、お金ならあります! お小遣い貯めて30ドルくらいですけど……」
女の子はスカートのポケットから財布を取り出し、5ドル札を五枚テーブルの上に広げる。
不安そうな彼女の顔を横目にシノは立ち上がった。
「……君の名前は? 」
「み、ミラ・ウィルソンです」
「そうか。ミラ、俺達は君の依頼を請けよう。飼い猫を探してほしい、そうだったな? 」
「あ、ありがとうございます! 」
「それで、ミラに聞きたいことが幾つかある。まずその猫の特徴を教えてくれないか? 」
「えーっと……。三毛猫でピンク色の首輪を付けてた、かなぁ……」
ミラの言う特徴にシノは鮮烈な既視感を覚える。
先程休憩室で出会った猫だと確信するのにはそう難しくなかった。
「その猫……俺も見覚えがあるかもしれない。妙に人懐っこくて、俺にもすぐ懐いた」
「ほ、本当ですか!? じ、じゃあまだ近くにいるのかも……! 」
「あぁ、その可能性は高い。だが、生憎今の足じゃ到底走る事も不可能だ。うちのソフィアに探索をお願いしよう。いいか、ソフィア? 」
「任せてください! これでも猫ちゃんを探すのは得意なんですよっ! 」
「とまぁ、こんな調子だがよろしくお願いする。あと俺は色んな知り合いに連絡してみるから、ミラは安心して家に帰ってくれ。あと依頼した事はご両親に報告すること。いいかい? 」
「う……はい……。その、うちのマリーのことお願いします! 」
核心を突かれたようにはっと驚き、不安そうに顔を俯かせた。
そんな彼女の肩を励ます様に叩くと、歳の割には似つかない礼儀正しさを見せる。
「よし、行動開始だ。俺はヘルガとグレイに連絡するから、ソフィアは早速聞き込みをしてきてくれ」
「はーい! そこまで一緒に行こ、ミラちゃん! 」
「分かりました。し、失礼しますっ! 」
「結果が分かり次第連絡する。ご両親にはしっかり報告しておくんだぞ」
頷きながらミラとソフィアは事務所を出る。
二人を見送ったシノは、早速行動に移ることにした。
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<夕方・シカゴ市内親水公園>
昼過ぎから入っていたオーダーである"犬の世話"を片付けたグレイは、休憩がてらにスターバックスでカフェオレを購入しタバコを吹かしながら公園のベンチに座っている。
「今度は"飼い猫の捜索"かよ……。ったくシノ、余計なオーダー受けやがったな」
おかげで先ほどの幸福感が嘘のように崩れ落ち、カッとなったグレイは買っていたクッキーを全て食べつくしてしまう。
「まあ、ヘルガも手伝うって言ってたしすぐ終わるだろ。しゃーねぇ、今度日本料理屋でラーメンとかいう食いもんでも奢ってもらうとするか」
グレイは疲れた体に発破をかけながらベンチを立ち上がった。
まず彼が向かった先は"ウェッソン鉄砲店"である。
幸い鉄砲店はここの親水公園から近い為、徒歩でも向かえる距離。
タバコをポケット灰皿に捨て、真っ直ぐグレイはシエラの元へと歩き出した。
「おーい、シエラ。いるかー? 」
そして10分後。
彼は鉄砲店へとたどり着き、中に入れて貰おうと入口のインターホンを押す。
だが、妙な事に返事がない。
「……シエラッ!! 」
グレイの顔に嫌な汗が浮かんだ。
腰のホルスターからM586を抜くと、彼は鉄砲店の傍にある路地裏へと駆け込む。
「…………あらら、心配して損したかねぇ」
壁に身を隠してそっと敵がいないか確認すると、グレイの視界には見覚えのある長いポニーテールと店のエプロン姿でその場に座り込む女性が入った。
「こ、怖くないよ~? おいで、おいでー? にゃー? 」
「シエラ? 何してんだ? 」
「ひうっ!? 」
銃を仕舞い、声を掛けるとぎこちない素振りでシエラは振り向く。
「ぐぐぐグレイ!? あ、アンタこんなとこで何してんのよ! 」
「いや、俺お前に用があって来たんだけど……。しかしまぁ……お前の猫撫で声を売ったら幾らで売れると思う? 」
「きっ、聞いてたの!? なんで聞いてんのよバカ! 」
「さすがにその怒り方は理不尽だろお前……」
おもむろにポケットからスマートフォンを取り出すと、先程のシエラの声が大音量で流れた。
彼の行動にシエラは顔を真っ赤にして怒り、腕を振り回す。
あっさりその腕も止められてしまい、彼女は地面にへたり込んだ。
「お願いよぉ……お願いだからあたしがこんな声出してたこと言いふらさないでぇ……うぇぇ……」
「いや泣くなって……。なんか俺が悪者みてぇじゃねーか……。まあこの録音ボイスは置いといて、一体お前はこんなとこで何してたんだ? 夕方に一人で路地裏にいちゃ危ないぜ? 」
とうとう泣かせてしまったので彼女には見えない様に音声を消しておく。
ハンカチを渡しながら手を差し出し立たせてやると、シエラは涙を拭きながら答えた。
「……今そこに首輪をした猫ちゃんがいたのよ。もうあまりにも可愛いからうちに連れてこようと思って声かけてたらアンタが来て……ふん、泣かせた事許さないんだからね」
「いやその……悪かったよ。んで、その猫はお前の胸の中、ってわけか」
「うん。この子妙に人懐っこくて、すっごくかわいいのよね。首輪してるみたいだから、どっかのお家から逃げてきちゃったみたいなんだけど……」
「ちょうどうちにもそういう依頼が来ててな。少しその子逃げない様に見ててくれるか? 今シノに確認してみるから」
「分かったわ。もしその依頼された子なら連れてってあげてね」
シエラに向けて笑顔を作ることで肯定と捉えられたのか、彼女は猫を撫で始める。
数コールした後、シノの声が受話器越しに聞こえた。
「ようシノ、例の猫ちゃんの件でお前に聞きたいことがある」
『どうした? まさか見つかったのか? 』
「かもしれない。三毛猫で人懐っこくて、ピンク色の首輪をしてる。違いないか? 」
『その猫だ。今どうしてる? 』
「シエラのでけぇ胸の中だ。今連れてくる」
『し、シエラの大きい胸の中だと……!? おのれなんて羨ましい! 』
「……シノ、お前そんなキャラだったか? 」
『……冗談だ』
適当な会話を交わした後、グレイは電話を切る。
シノとの通話を聞かれていたのか、シエラが睨んできた。
「……今の会話とあたし泣かした事、お父さんに言いつけるから」
「それだけはやめろ! 色んな意味で死ぬ! 」
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<夕方・なんでも屋アールグレイ>
なんとかシエラを説得(土下座)した後、グレイは例の猫を抱え上げて事務所へと向かっていた。
鉄砲店から事務所までかなりの距離があるので、彼はタクシーを使っている。
「猫にこんな手間をかけさせられるとは……。まあいいや、ありがとうな。釣りはいらねぇよ」
「毎度どうも! 猫ちゃんの飼い主見つかって良かったな! 」
「ははっ、ありがとう。こいつも喜んでるだろうさ」
気さくなタクシー運転手に挨拶を交わすと、グレイは胸に猫を抱えながら事務所の階段を駆け上がった。
扉を開けると、そこにはくたくたになって疲れ切ったソフィアの姿と立ち上がったシノと小さな女の子が中で彼を待っており、グレイは猫を地面に座らせてやる。
「あっ……! マリーッ! 」
「にゃーっ! 」
マリー、と呼ばれるなりその猫は少女の元へ走っていく。
そんな様子を横目に、グレイはシノへ歩み寄った。
「すまない、グレイ。仕事終わりのお前に緊急で入れてしまって」
「気にすんなよ。面白いもんも見れたし別にいいさ」
「あっ、あのっ! ありがとうございました! シノさん、グレイさん! 」
「どういたしまして、お嬢ちゃん。今度は目を離しちゃいけないぜ? 」
ミラの目線まで座り、彼女の頭をなでると恥ずかしそうに俯く。
ニカッと笑うと、ミラを出口まで見送る事となった。
ソファでぐだっていたソフィアも急いで立ち上がり、ミラを見送る。
どうやら事務所沿いの通りに両親の車が泊めてあるらしく、彼女は青色の4WDへと駆けていった。
「さぁーてと。もう今日の業務は終了だ。飯でも食いに行こうや。ちょっとお前らに面白いもん後で見せてやるよ」
「ほう、興味深い。行きつけの日本料理店にでも行くか」
「賛成です! 私うどん食べたい! 」
「はいはい。もちろん割り勘だぞー」
「せこいな」
「せこいですね」
「うるせーんだよ! それがいきなり人に依頼押し付けた奴の態度か! 」
車が彼らの視界から消えたことを確認すると、全員は事務所の中へと入り次々に帰宅の準備を始める。
そんな中シノは、先程のマリーと出会った部屋に来ていた。
何か忘れ物がないかを確認するためではあるのだが、不思議とこの部屋から立ち去る事ができない。
一人で佇んでいると、シノは夕日に煌めく何かを見つけた。
「……鈴? あぁ、マリーの……」
床に落ちていたのは猫の首輪の鈴である。
「……猫の恩返し、か」
「何やってんだ、シノ! 置いて行っちまうぞ! 」
柄にもなくそう呟いて、シノは鈴をポケットに仕舞った。