order22.砕けた刀は
<深夜・"聖フィリア総合病院">
パトカーで病院へ急行した後、グラハムは重傷であるシノに肩を貸して病院へ運び込んだ。
到着する前から急患として連絡していた為、搬送口は空いている。
「警察だ! 急患がいる、開けてくれ! 」
「連絡は受けてます。どうぞこちらへ」
三つの担架を搬送口付近まで持ってきた看護師が彼らを迎えた。
「先生は今いらっしゃいますか!? 」
「アンジュ先生がいらっしゃいます。すぐに縫合しましょう」
初老の女性看護師が慌てるグラハムをなだめるように肩を叩き、三人は治療室へ運ばれる。
「ハァーイ♪ 久しぶり、グレイ」
「はぁ……はぁ……。アンジュ、か……? 」
「あなたもシノも、手酷くやられたわね。今治療するから待っていてちょうだい」
「……恩に……着る……」
綺麗に裂かれた左腿の肉と脇腹の部分を消毒し、彼女は慣れた手付きで傷を縫合していく。
神経を突き刺す痛みが全身を襲い、思わずグレイは叫び声を上げそうになった。
「はい、縫合終わり。包帯を巻いてベッドで寝かせておいてくれます? 」
「わかりました。手が空いてる人は手伝って! 」
少し痛みが引いたグレイは落ち着きを取り戻し、担架で運ばれていく。
アンジュは次にシノの元へと歩み寄った。
「シノ? 意識はある? 痛いところは? 」
「な、んとか……。腹と胸が……」
彼の服を捲ると、五つの穴が中心に空いているのが見える。
乱雑に包帯が巻かれており、赤く滲んでいた。
「彼の処置は私が施すから、あなた達はもう一人の女の子を診てくれる? 」
「わかりました」
2,3人の看護師がソフィアの元へ向かい、彼女は傷を負っている脇腹を差し出す。
予想以上に深く斬りつけられており、応急処置の包帯も役立たずとなっている。
「消毒しますね。我慢してください」
「はい――――っぐぅッ!? 」
突き刺すような痛みがソフィアを貫いた。
だが彼女は声を噛み殺し、側にあったシーツを掴む。
その後、消毒を終えると彼女は痛みで気絶してしまい、看護師たちは縫合を進めていった。
「……強い娘ね。シノ、あなたはこれから手術が必要だわ。麻酔を掛けて手術室へ運ぶから、もうしばらくの辛抱よ」
「わかっ……た……。頼む……ぞ……」
肩で息をしながらシノはアンジュに視線を向ける。
「彼女の治療が終わりました。病室に運んで安静に寝かせておきますね」
「お願い。それとその子を運び終えたら彼の手術を開始するわ。少し深刻な傷を負ってるから」
虚ろな意識の中で、シノは天井を仰ぐ。
本当に助かったという実感が湧くと、彼の意識は次第に睡魔へと奪われていった。
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<翌朝、聖フィリア総合病院・病室>
ベッドで寝かされていたグレイはゆっくりと目を覚まし、むくりと上体を起こす。
一瞬左の脇腹が痛み、彼は顔ををしかめるが、すぐに痛みは引いていった。
「ここは……アンジュの病院、か」
辺りを見回すと、ソフィアやシノも同じ病室にいる。
二人とも未だに静かに寝息を立て、安静にしていた。
「おっ、起きたかい。グレイの兄ちゃん」
「ん? 誰だ? 」
「さすがに帽子かぶってなきゃあ分かんねぇか。あん時世話になったデイビッドだよ」
「……なんでいるんだ? 」
「いやぁ、ちっとばかし盲腸に掛かっちまってね。こうして入院してるわけ。お前さんたちは……ずいぶんと派手に怪我してるみたいだな」
まじまじとデイビッドは彼に巻かれた包帯を見つめる。
「ま、訳アリさ。この後色々と人が立て込むみたいだから、寝ておいた方が懸命だぜ? 」
「へっ、俺はどこでも寝られる体質でね。どんなに騒音が響いても――」
瞬間、ノックの音が病室に響いた。
「ほら、な? 」
「……そうみたいだねぇ」
おどけたようにデイビッドは肩を竦める。
どうぞ、とグレイは応答すると一斉に4人ほどの男女がなだれ込んできた。
「グレイ!! 」
「おわっ!? 」
「大丈夫!? どこか怪我してない!? っていうかなんでアンタ入院してんのよバカ!! 」
「お、落ち着けってシエラ! 痛い痛い! 傷口開くから! 」
グレイに抱き付くシエラを、デイビッドは羨ましそうに見やる。
後ろのハリスやダニエルも苦笑しているが、構わずシエラはグレイから離れない。
「……グレイ君、きみも罪な男だねぇ」
「いやいやいや! ハリスさん一部始終見てるじゃないですか! マジで傷口が開く5秒前だからこいつ離してくれません!? 」
「そんな美女に抱き付かれて嬉しくない方がおかしいねぇ。お前さん、もしかしてホモか? 」
「えっ……そうだったのグレイ……。ちょっと引くわ……」
「てめぇら全員風穴空けてやろうか……」
冗談も程々にしたところでシエラも落ち着きを取り戻し、グレイのベッドの側に座った。
先程の様子を見てデイビッドが笑いながら盲腸の痛みに耐えていたので凄い形相になりながらナースコールを押している。
「ま、ここから先は仕事の話だ。お二方、申し訳ないが席を外してくれるかい? 」
「分かりました。さ、シエラ? 行こう」
「えっ、あ、あぁ、うん。またね、グレイ」
手を挙げて彼女の挨拶に応えると、ダニエルはグレイの前に置いてある椅子に座った。
「大変だったなぁ。ずいぶんと手こずったみてぇじゃねぇか? 」
「まだ俺達は奴を殺したとは言っていませんが? 」
「お前さん、嘘はいけねぇ。アンタから血の臭いがプンプンすんだよ。言ってみろ、別に警察としちゃあんな野郎は死んでくれて有難く思ってるからなぁ」
「人の命を守る警察がそんな事を言うとはな。命を軽く見ちゃいけないぜ? 」
病室に沈黙が張り詰める。
「はっはっは! そんだけ大口叩けるようになりゃあもう安心だな。俺達はお前さん達を犯人だと疑っとるわけじゃない。ただ奴が死んだ事に証言が必要でな」
「証言……というと? 」
「始末書みてーなもんさ。事件の発端から末端まで纏めなくちゃいかん。お前さん達の事は、正当防衛として会議で決定した」
「正当防衛、ですか」
ダニエルは頷く。
内心グレイはホッとため息をついていた。
「まず俺達は拘束されていた人質、行方不明者の捜索を依頼されていました。場所を特定できていざ救出しようとした矢先、あの男に襲撃されたんです」
「なるほど。その時の様子は? 」
「人質は目と口を隠され、椅子に縄で縛りつけられていた状態でした。人質の拘束を解こうとした瞬間に他の男に襲撃されましたね」
「……ふむ。犯行は複数で行われたと? 」
「いや、違います。奴は死体を鋼線で操って俺達を攻撃していました。死体を人形みたいにね」
彼の言葉を聞いた瞬間、ダニエルは苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
それもそのはず、ダニーの得物は悪趣味すぎた。
「それで止むを得ず殺した……そういうことか。合点が合うな」
「さすがにこっちも必死でしたよ。やらなきゃやられるところでした」
グレイの話を一部始終聞き終えたダニエルは、手帳に証言を纏めた後イスから立ち上がる。
「証言ありがとうよ。これから検察にレポートを出して正当防衛のお赦しとやらを貰ってくる。ま、アンタらがこれからも成功するよう祈ってるよ」
「ありがとうございます。近々一緒にでも飲みませんか? 」
「はは、考えとくよ」
そう言いながらダニエルは病室を出て行く。
その拍子に再びシエラとハリスが入室し、今度はヘルガも一緒だ。
「…………ん、誰――――」
「シノっ!! 」
「うぶぉっ!? 」
入室の音で目覚めたシノに思いっ切りヘルガが抱き付き、部屋にいた全員が唖然とする。
「良かったシノ、怪我はない? どこか痛いところは? 具合悪くない? ええと、それからそれから……」
「お、落ち着けヘルガ……。お前のおかげで若干傷口が開きつつある……」
「あ、シノ。性処理は私に任せて」
「まっ、真顔で言うな!! 」
既視感をグレイは覚え、肩を竦めた。
ソフィアも起きはじめたようで、シエラ達が彼女の元へと向かっている。
「あっ! シエラさんにハリスさん! 」
「ソフィアちゃん、大丈夫? 具合はどう? 」
「まあなんとか……。今後こういうことは少なくしたいですね……」
「そうだね。けど、命に別条がなくてよかったよ」
ソフィアは頷いた。
「その様子だと、元気そうね。3人とも」
「よ、アンジュ。深夜に押しかけちまって悪かったな」
「いいのよ。私とアナタの仲でしょ? 」
白衣を纏ったアンジュが彼らの病室に入ってくるなり、グレイとの距離を近づける。
一気に部屋の雰囲気が豹変し、シエラからの鋭い視線を猛烈に受けた。
「おいおい兄ちゃんマジかよ! あんなエロい女どこで知り合ったんだ!? 」
「軍からの付き合いでな。アンジュは軍医だったのさ」
「アナタ、よく怪我してたわよねぇ。消毒する度に喚き散らしてたのもいい思い出だわ」
「半べそかきながら戻ってきたのは印象的」
鋭い視線がニヤニヤしたものに変わる。
「痛いのは苦手だって言ってんだろ? だからソフィア、後でお前ゲンコツな」
「なっ、なんでですか! ニヤニヤしてただけじゃないですか! 」
「うるせぇ! 仮にも上司な俺を笑うんじゃねぇ! 」
怒り散らした直後にキズが痛み始め、グレイは脇腹を抑えた。
すぐにアンジュが彼に近付き、傷の部分を触り始める。
「……今食事を持って来るわ。何か食べないと治るものも治らないわね」
「そうしてくれると有難い。腹と背中がくっついちまいそうだ」
素早い足取りで彼女は病室を出た。
「そういやシノ。お前の刀……どうするんだ? 」
「あら? シノの兄ちゃんの刀、折れちまったのかい? 」
「あぁ。奴の攻撃を防いだ拍子に、な。生憎、シカゴには刀鍛冶なんていない。本来なら今すぐにでも日本に戻るべきなんだが……」
「日本、ねぇ」
シノは腕を組み、唸るように考え始める。
「いいよ、行ってこい。病院にいるうちにネットで航空券取っとけよ」
「恩に着る。向こうには長くいる羽目になるかもしれない」
「気にすんな。有給にしてやるから、お前もたまには休め」
「……すまん、グレイ」
彼は申し訳なさそうな表情を見せ、頭を下げた。
「いいなぁ、シノさん。お休み貰えて」
「じゃあいっそのこと事務所自体を休みにしちまうか。生憎金もたんまり入る事だし」
「おぉ! グレイさん太っ腹! 」
「だろー? 時期的にもうすぐクリスマスだから、羽根休めってやつよ」
ソフィアは両腕を上げて喜びを表現するものの、脇腹の痛みによりすぐに呻き声を上げる。
ちょうど良く食事も来たので、彼らは早めの朝食を採る事にした。
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<約2週間後・成田空港>
約11時間のフライトを終えて、シノは成田空港の出国カウンターまでの廊下を歩く。
今年の日本の冬は寒いと聞いていたので、彼は灰色のチェスターコートに赤とオレンジのマフラーを巻いて黒いジーンズを穿いて来た。
久しぶりの日本だ、と窓から見える景色を仰ぐ。
「パスポートの提示をお願いします」
「はい」
シノはボストンバッグからパスポートを取り出し、係員に見せた。
パスポートを赤外線センサーにかざして情報をチェックし、係員はシノにパスポートを返す。
「どうも」
会釈してからシノは預けた荷物を取り、何事もなく出国カウンターを出た。
「まずは……どうしたものか」
空港を出たはいいものの、古くからの知り合いである刀鍛冶からは連絡が届いていない。
迎えに来るとは言っていたが、連絡が来ないようではどうしようもない。
「おーい! シノ坊! 」
「……その名前で呼ぶのは止めてくれ、秀人」
その時、眼鏡をかけた男が彼の名前を大声で呼ぶ。
彼の名前は"萩野秀人(はぎの ひでと)"。
シノの日本での知人であり、秀人が彼の刀を造った張本人であった。
「悪い悪い、シノ。それとも苗字で呼んだ方がいいか? 」
「よせ、その名前はとうの昔に捨てた。今の俺は"シノ・フェイロン"だ」
彼の本当の名前は"狩谷紫乃(かりや しの)"。
アメリカへ飛んだ事をきっかけに名前を改名し、アメリカの国籍を取得したのであった。
「秀人、それで俺が日本に来た理由なんだが……」
「分かってるって。任せてくれ、とっておきの業物を造ってやるよ」
「すまない。あと師匠にも久しぶりに会いたいな」
「親父もシノが帰って来るって言ったら喜んでたぞ」
シノに"禊葉一刀流"を会得させたのは秀人の父親である。
二人は適当に会話をしながら、秀人の車に乗り込んだ。
「しかし、お前は本当に心配をかける奴だな。両親の仇を討つつってアメリカに行ったっきり、何の連絡もよこさせねぇんだからな」
「悪かった。勘弁してくれ」
「ま、向こうでの事は飯でも食いながら聞かせてもらうことにするよ」
「そうしてくれると助かる。俺も腹が減ってしまってな」
「そうこなくっちゃ! 飛ばすぜ! 」
颯爽と車のエンジンを点け、彼らを乗せた軽自動車は成田空港を去って行った。