「約束の指輪」

 「約束の指輪」



土曜日。今日は、日向とのデートの日。
百合は朝からご機嫌だった。
今日は、二人を邪魔する学校もバイトもない。
一日中日向と一緒にいられるのは、夏休みぶりだった。
一緒に電車に乗るのも初めてで、些細なことだけれど、そんな「二人の初めて」が嬉しかった。

街の駅に着いて向かったのは、駅を出て東側の商業施設だった。
自分が「映画を見たい」と言ったから、電車で二時間かけてわざわざ遠くの街まで来た。
駅前のショッピングビルは、土曜日の午後と言うこともあって、賑やかだった。
右を見ても、左を見ても、人、人、人。
人混みではぐれないように、固く手を握って歩いた。

今日はいつもより念入りに髪を梳かして、薄化粧をした。
一張羅の白いワンピースと、少し背伸びをした高いヒールのサンダル。
今日の自分は、きっと可愛い。

「映画までまだ時間あるし、どこか行きたいところある?」

最初に映画のチケットは買ったけれど、上演までまだ一時間近くある。
そう聞かれても、街なんて滅多に来ないので、何処に何があるかなんてわからない。
とりあえず、このビルを上から順番に回ろうということになった。
七階の映画館を出て、エスカレータで下に降りて、六階の飲食店街を通り超えて、五階へ。
五階はアクセサリー屋や小物屋、雑貨屋や本屋が並んでいた。
キラキラと目を引くお店の中で、二人は近くの店に入った。

「わー、可愛いのがいっぱい。」

その店は、女性用の比較的安価のアクセサリーや雑貨を取り扱う店だった。
ネックレス、ブレスレット、髪飾りや指輪が並ぶ。
百合は髪飾りを手に取って、髪に合わせてみる。

「どうですか?」

「可愛いよ。」

そう言って、日向は小さく微笑む。
夏休み以来の、外でのデート。
日向も楽しみにしていてくれたのだろうか。
いつも以上に、日向の表情は柔らかい。

店内をぐるっと一周回って、日向は指輪が並ぶ棚で足を止めた。
飾りのないシンプルなものから、派手な石を埋め込まれた指輪まで色々と並ぶ。

「…百合の指は、何号?」

日向は並んでいる指輪を一つ手に取って、百合に聞く。

「うーんどうだろ。測ったことないです。」

「ちょっと測ってみて。」

「どの指ですか?」

「…薬指。」

そう言って、日向は目を逸らして口元に手を当てる。
恥ずかしい時や、照れくさい時に口元を隠すのは、日向の癖だ。
指輪のサイズを測るだなんて、なんだか婚約指輪を選ぶみたいだ。
そんなのは、まだ高校生の二人にとって、まだ先のことだけれど。
でも、本当にそうなったらいいな、と百合は思う。

目の前の棚には、サイズ別に指輪が並ぶ。
五号から十二号まで、様々なサイズを取り揃えていた。
百合は大きいものから順に指に嵌めてみる。

「これは少しおっきいしー…。」

十二号は大きすぎる。ぶかぶかだ。

「これは?」

次に日向が差し出したのは、十号。

「うーん、まだ大きいかなー。」

これもまだ少し大きい。
手を下に向けたら、指をするりと抜けて落ちてしまう。

「じゃあ、これは?」

更にサイズを小さくして、九号。
女性の平均サイズとポップに書いてある。

「んー、もうちょっとですかねー。」

自分は身長が低い分、普通の人よりも、服や靴のサイズが小さい。
特に靴は、サイズが小さすぎると、普通の店では取り扱っていないことも多い。
可愛い靴はたくさんあるのに、自分に合うサイズが無くて、諦めることもある。
子供用の靴の方がピッタリだったりするから、小さすぎるのも困りものだ。
それが服や靴だけじゃなく、指輪にまで現れるのか。
もしかしたら、ここに自分のサイズの指輪はないかもしれない。

けれど、順番に指輪を指に嵌めてみると、自分の指にピッタリなサイズがあった。

「あ、これぴったりかも!」

その指輪は、大きすぎず、小さすぎず、手を下に向けても、抜け落ちたりはしない。
女性平均よりは少し小さいサイズだけれど、自分にピッタリだ。

「それ、何号?」

「えーっと、七号です。」

「百合は、どの指輪が好き?どれがいい?」

日向は、七号の指輪の棚を指さす。
値段は、全て千円ちょっとの安価。高校生でも手が届く値段だ。
でも、日向のその聞き方は、なんだかおかしい。

「…もしかして、プレゼントしてくれようと思ってます?」

百合がおずおずと聞くと、日向は頷いた。

「うん。バイト代も入ったし、せっかく久しぶりのデートだし、何か一つくらい百合にあげたいな、って思って。」

そう言って、日向ははにかんで笑う。
けれど、さっきも映画代を支払ってもらったばっかりだ。
それに、いくらバイト代が入ったとはいえ、そのお金は専門学校の学費に使うためのものだ。
自分のために使っていいお金じゃない。

「駄目ですよ。せっかく学費のためにバイトしてるんですから、こんなことでお金使わないでください。
 そういうプレゼントはいいですから。私は、日向先輩と一緒にいられるだけでいいんです。」

そう咎めると、日向は窺うような視線で首を傾げた。

「…駄目?」

「駄目です!ちゃんと貯金してください。」

ただでさえ、バイトで会える時間が減っているんだ。
こんなところで無駄遣いをして、またバイトを増やされたら、こちらも困る。
ちゃんと貯金して、早く自分の夢を叶えてほしい。
そうすれば、もっと一緒に過ごせる。いつか、一緒に暮らせる。
それまでは、贅沢なんて言わない。隣に日向がいてくれるだけでいい。

「そっか。わかったよ。」

口ではそう言うが、日向はわかりやすくしょんぼりと肩を落とす。
少しでも自分に、カッコいいところを見せたかったのだろうか。
そんなことをしてもらわなくても、日向はいつもカッコいいのに。それに、時々可愛い。
そう思ってしまうのは、やっぱり自分が日向に惚れているからだろうか。

そのアクセサリー店を出る時、日向は名残惜しそうに指輪を見ていた。
指輪なんてなくても、自分は日向から離れていかないのに。
この前みたいに我儘を言ったり、困らせてしまうこともあるけれど、自分は日向の傍を離れる気なんてない。
ずっと日向の傍にいて、弱くて脆いこの人を、支えてあげたい。
日向の隣は自分のものだ。誰にも渡さない。

次に訪れたのは、同じ五階の書店だった。

「こういうの、一人で買うの恥ずかしくて…。」

そう言って日向が手に取るのは、ヘアカタログだった。
どこの書店に行っても、こういう雑誌は大体女性誌のコーナーに並んでいる。
日向が一人で買うのを躊躇うのも、少しわかる。

そういえば、ヘアアイロンも買いたいと言っていた。
これを見て、練習しようというのか。
学校では結構サボり魔だと亮太が言っていたが、こういうところは真面目だ。
日向は真剣な目でページをペラペラと捲る。

「今日おうち帰ったら、私で練習してくれるんですよね?こういうのやってほしいなあ。」

そう言って、百合はその雑誌の表紙を指さす。
表紙の女性の髪形は、ハーフアップの巻髪だった。

「うーん。できるかなあ。なんか、凄く難しそう…。」

日向は似た髪型の説明ページを見て、自信なさげに首を傾げる。

「誰だって最初は初心者なんですから、大丈夫です!それに、失敗しても私は怒りませんよ。」

「えー…。もっと簡単そうなのからにしない?これとかやってみたい。」

日向が見せるのは、シンプルな巻き下ろし。
一番スタンダードな巻髪と言っていいだろう。

「こういうの、百合ならもっと可愛くなると思うし…。」

そう言って、日向は口元を手で覆う。
言ってから恥ずかしくなったのか。可愛い人だ。

それから店内を回って、数冊のヘアアレンジの本や美容雑誌を選んだ。
ついでに日向は、料理の本まで買っていた。
新しい料理に挑戦するつもりか、バイトで必要になったのか。
自分ももう少し料理ができるようにならないと、と百合は思う。
日向の真似をして料理をしてみても、日向のように上手くはできない。
やっぱり慣れなのだろうか。なら、自分ももっと練習しないと。

会計を済ませると、ちょうどいい時間になっていた。
二人は再び七階の映画館へ向かった。

選んだ映画は、テレビでも話題になっていた青春ラブストーリー。
この映画の原作は、自分が好きな少女漫画で、内容はよく知っていた。
冴えない女子高生が、学校一のイケメンに恋をする話。
まるで、何の取り柄もない自分みたいだ。

今思えば、日向と付き合えたのだって、夢みたいな話だ。
最初は、遠くから見つめるだけだった。
日向に会いたいがために、毎週図書室に通った。
最初は目も合わせてくれなくて、素っ気なかった。
けれど、今では隣で楽しそうに笑ってくれる。自分を求めてくれる。
今こうして二人で映画デートをしているなんて、本当に夢みたいな話だ。

映画が始まるまで、二人で手を繋いでいた。
なんだか、薄暗い映画館の中は少しドキドキする。
すぐ隣に日向がいる。息遣いや、心臓の音まで聞こえてしまいそうなほど、近くに。
なんだか、凄く幸せな気分だ。思わず繋いだ手をギュッと握ってしまう。
今日は一日中日向と二人っきり。今日の日向は、全部自分のモノだ。

長いブザー音の後に、照明が落ちる。
当たりは暗闇に包まれた。見えるのは非常口の灯りだけ。
しばらくして、映画が始まった。

ヒロインは、今流行りのアイドル女優。
冴えない女子高生なんかじゃない。彼女は、可愛くて清廉だ。

しかし、映画が始まってしばらくして、日向は席を立った。
「すぐ戻ってくるから」そう言い残して、行ってしまった。
トイレだろうか。それにしては、結構時間が経ったと思う。
百合は、小さく溜息を吐いた。

楽しみにしていたのに。
日向は何処へ行っているのだろう。
もしかしたら、誰かから電話でもかかってきたのだろうか。
今日だけは、誰にも邪魔されないで済むと思ったのに。
日向がデートをしようと言ってくれたのに。
自分は、映画館に一人残されてしまった。

日向が戻ってきたのは、映画が中盤に入ったころだった。
「ごめん、遅くなって」そう日向は謝って、手を繋ぎ直してくれた。
何処で何をしていたのか聞きたくても、映画の途中だ。
あまり話すのは良くないと思って、百合はその言葉を飲み込んだ。
戻ってきた日向は、なんだかそわそわと落ち着かない様子だった。

そのまま何事もなかったように、ストーリーは進んでいく。
横目で日向の顔を窺ってみる。
よっぽど夢中になっているのか、薄らと口が開いていた。
いつも日向の家でテレビを見ていても、気付いたら日向はポカンと口を開けている。
それはきっと、自分しか知らない日向の癖。日向は口が緩い。
そんなところがマヌケで、それでもなんだか可愛くて、怒っていたのに、どうでもよくなってしまった。
自分の視線に気付いたのか、日向はこちらを向いて不思議そうに首を傾げる。
「どうかした?」と聞きたいのだろう。
百合は笑いを堪えながら、首を振った。「なんでもないよ」と。

映画はハッピーエンドを迎えて終わった。
冴えない女子高生が、いろんな困難を乗り越えて男の子と付き合う、そんなありふれたストーリーだった。
原作の漫画はまだ連載されているから、最後の方は映画オリジナルストーリーで、漫画を読んでいた自分は結末を知らないからドキドキした。

映画を終えた二人は、少し遅めの昼食を取ろうと、六階の飲食店街へ移動した。
そのフロアは様々な飲食店が立ち並び、ラーメンやお好み焼きなどの大衆グルメから、イタリアンやフレンチ、寿司などの少し高級なお店まで色々あった。
そんな中で二人が選んだのは、オムライスの専門店。

メニューにはデミグラスソースがかかったオムライスや、トマトソース、クリームソースなど、いろいろなソースを取り扱っていた。
オムライスの中のご飯も、一般的なチキンライスとバターライスから選べる。
トッピングにはエビフライやハンバーグまである、バラエティ豊かな店た。

「美味しい!」

オムライスを頬張りながら、百合は微笑む。

「よかった。」

日向もつられて微笑む。
百合が注文したのは、バターライスを包んだ卵にクリームソースがかかっていて、エビフライも乗っているものだった。
メニューの写真よりも大きくて、ボリュームがある。
卵がふわふわでとろとろで、美味しい。
日向が注文したのは、チキンライスにトマトソースの一般的なオムライスだった。

「でも、日向先輩の作るお料理の方が美味しいですよ!」

「そんなわけないだろ?俺、料理はできるけど、上手いわけじゃないし…。」

「そんなことないですよ!日向先輩のお料理は本当に美味しいし、毎日でも食べたいくらいです!」

「毎日…。」

そう呟いて、日向は照れたように目を逸らした。
だって、本当のことだ。日向の作る料理は美味しい。
毎日食べられたら、きっと幸せだ。
いや、自分が彼女なのだから、毎日日向に美味しい料理を作れるようにならないと。

食事を終えた二人は、映画の感想などを言い合ったりして、くつろいでいた。
ふいに、日向が口元に手を当てて、呟く。

「ねえ、百合。ちょっと手、出して。」

「…?はい。」

百合は不思議そうな顔をして首を傾げる。
けれど素直に、手の平を上に向けて、両手を日向に差し出した。
日向は百合の右手だけを両手で握って、手の甲を上に向かせる。

「目、瞑って。」

ほんのり日向の頬が赤い。どうしたのだろう。

「え?何ですか?」

「いいから。俺がいいって言うまで、絶対に目を開けないで。」

百合は、日向の言うとおりに目を瞑る。
日向は自分の手をギュッと握った後、片手を離した。
そして、代わりになんだか冷たくて固い感触が指に伝わる。なんだろう。

「…もう、いいよ。」

そう言って、日向はそっと手を離す。
言われたとおり、百合は恐る恐る目を開ける。

「わあ…!」

思わず、言葉を失う。
日向が手を離した右手の薬指には、銀の指輪がつけられていた。
映画を見る前にアクセサリー店で見た、可愛いシンプルな指輪。
サイズも自分にピッタリだ。

「え?え?なんで?いつの間に…」

百合は、驚いて目を瞬かせる。

「…さっき、映画見てる時に、ちょっと…。」

わかりやすく目を背けて口元を手で覆う日向の頬は、赤くなっていた。
恥ずかしいのか、多くなった瞬きで長い睫毛が揺れる。

映画を見ている時に、なかなか帰って来ないと思ったら、指輪を買いに行ってくれていたのか。
でも、「そういうプレゼントはいらない」と言ったのに。

「私、こんなことしてくれなくていいって言ったのに…。」

「どうしても、渡したくて…。俺の最初のバイトの給料は、百合に使うって決めてたんだ。
 …駄目、かな?…貰ってくれない?」

日向は上目で窺うように聞く。
そんなことを言われたら、貰わないわけにはいかない。
それに、自分だって嬉しい。

「嬉しいです!大切にしますね!」

そう言って百合が微笑むと、日向は安心したように笑った。
日向から初めて貰ったプレゼントが指輪だなんて、なんだかロマンチックだ。
嬉しくなって、指輪を天に翳してみる。
傷一つない真新しい銀の指輪は、蛍光灯に反射してキラキラと輝いた。

「あの、さ…。」

躊躇いがちに、日向が口を開く。
頬は赤いままで、肩を窄めて、少し緊張しているようだった。

「なんですか?」

百合は首を傾げて聞く。
日向は上目で自分を見つめて、おずおずと口を開いた。

「…左は、もう少しの間だけ、開けといて。
 ちゃんと俺が美容師になれたら、…もっといいのプレゼントするから。」

たどたどしい言葉で紡いだのは、まるでプロポーズのようだった。
顔を真っ赤にして必死に伝えてくれる日向を見ていると、なんだかこっちまで恥ずかしくなってしまう。
日向は、自分との将来を考えてくれているのか。
自分とずっと一緒にいることを、望んでいてくれているのか。
驚きと、嬉しさに胸がドキドキして、自分まで頬が熱くなる。
なんでだろう。悲しくなんてないのに、涙が出そうだ。

「…楽しみにしてますね。」


百合は涙を堪えながら、微笑んだ。

麻丸。
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麻丸。

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