「電車の向かう先」

 「電車の向かう先」



週末前の金曜日。
十月に入り、衣替えを迎えた。
男子は上着に学ランを羽織り、女子は長袖のセーラー服の上からセーターを着ている。
変わったことといえば、それくらい。
ただ当たり前のように、何もない毎日が過ぎていた。
秋になって日が短くなり、午後の授業を終えるころには、オレンジの夕日が窓から差し込んで来る。

放課後になって、将悟は家に帰ろうと下駄箱の前で靴を履き替え、外へと踏み出した。
校門に近付くにつれ、聞きなれた声が聞こえる。
何やら、言い争っているようだ。

「一緒じゃないと嫌です!」

「だから、俺一人で平気だってば。」

「平気なわけないでしょう!私も一緒に行きます!」

「大丈夫だって。さすがに病院だし、人前だし…変なことにはならないと思うし…。」

「そんなのわからないじゃないですか!」

「とにかく、百合を危ない目に遭わせられないし…」

「ほら!危ないんじゃないですか!」

「そうじゃなくて…ええと…。」

外を出ると、校門の前で日向と百合が喧嘩をしていた。
喧嘩と言うよりは、怒っている百合を日向が宥めるような感じだ。
幸せそうに見えて、このカップルは意外と喧嘩が多い。
というより、いつも一方的に百合が怒っている。

辺りには野次馬らしい生徒が遠巻きに二人を見ていた。
女子が二、三人集まってひそひそ話をしたり、男子が遠慮もなしに二人を指さしたりしている。
何やってるんだ、あの二人は。かなり悪目立りしているじゃないか。

「…何やってんの?」

将悟は、二人に声を掛けた。

「将悟…。」

「中村先輩…。」

二人は同時に自分の方を振り返る。
自分の名を呼ぶタイミングもピッタリだ。

「聞いてください、中村先輩!日向先輩が一人で病院行くって言いだしたんですよ!」

百合は自分の方へ駆け寄ってきて、興奮した様子で言う。
日向も百合を追って、自分の傍に来た。

「百合…ちょっと声大きい…。」

日向は周りの視線を気にして、人差し指を立てて口元に当てる。
けれど、百合は周りの視線など、気にしていない様子だった。

「ひーくんはちょっと黙っていてください!」

そう一蹴され、日向は肩を落として小さくなる。
日向はとことん百合に甘い。そして百合に弱い。

「日向先輩ったら、私も一緒に行くって言ったら駄目って言うんです!
 じゃあ病院行かないでって言ったら、そういうわけにもいかないって言うし…。
 危ないのわかってるのに…中村先輩からも、なんか言ってあげてくださいよ!」

百合は、ぐいっと自分に詰め寄って、興奮した様子で事情を話す。
ああ、どうしてこうも女子は声が大きいのだろう。
なんだか自分が怒られているみたいだ。

「ちょっと、百合ちゃん落ち着いて。」

大体事情は呑み込めた。
将悟は大きな溜息を吐いて、百合を制す。

「病院ならいつも日向一人で行ってるだろ?何が心配なんだ?」

日向の母親が事故に遭ってから、日向はたまに病院に顔を出していると言っていた。
けれど、未だに意識が戻らないらしく、日向の母親が眠ったままのはずだ。

「さっき、病院から携帯に連絡があったんだ。…目が覚めたって。」

「…え?」

日向は周囲を気にしながら、声を潜めて小さく呟いた。
まだ辺りには、野次馬が残っている。

「そうなんです!だから危ないから一緒に行くって言ってるんですけど、ひーくんが駄目だって言って…。」

「だから、相手は怪我人なんだから大丈夫だ、って言ってるだろ?」

「そんなわけないでしょう!ひーくんは私が守ります!」

「俺は平気だって。」

「平気なわけないでしょう!私も行きます!」

自分は驚いている間に、また二人の喧嘩が始まった。
百合はヒートアップして、どんどん声が大きくなっている。
日向は周囲を気にしながら、小声で百合を宥めようと必死だ。
これじゃ、周りにいる野次馬にも、事情がバレてしまう。

「…ああ、そういうことか。」

ようやく将悟は理解して、再び大きな溜息を吐いた。
百合が心配しているのは、日向の母親が目覚めたからか。
日向の母親がどんな人なのかは、自分も知っている。
百合が心配するのも、無理はない。

「二人とも、ストップ。」

言い争う二人を、将悟は手で制止する。

「なら、百合ちゃんに行かせるわけにはいかないし、俺が日向に付いてくよ。」

「将悟…。」

「嫌です!ひーくんは私が守るんです!」

百合は、怒ったような顔で自分を見てくる。
意地でも日向に付いていきたいらしい。
けれど、危険があるのかもしれないのなら、そういうわけにもいかない。

「百合ちゃんは女の子なんだから、大人しく家に帰りな。」

「でも…」

「百合ちゃんに何かあったら、またコイツが落ち込むんだから、わかってやれよ。」

そう言って日向を指さすと、百合は不満そうに、可愛らしい頬を膨らませた。
百合がこんなに怒るのは、日向のことを大事に思っているからだろう。
けれど、女の子を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
それが日向の彼女なら、尚更だ。


なんとか百合を宥めて、三人は電車に乗った。
日向の母親が入院しているのは、街の方の大学病院らしい。
電車で二時間近くほどかかる距離。
百合も家の方向が同じだから、一緒に電車に乗った。

電車の中は、ガランとしていて静かだった。
百合が降りる駅は三駅目。
百合は、ずっと心配そうに日向にピッタリとくっついていた。
日向はというと、ぼーっと窓の外を眺めて、何かを考えているようだった。
少しだけ、気まずい。なんだか自分が邪魔者みたいだ。

ガタンゴトンと揺れながら、電車は進む。
景色は流れて、海が見えなくなった。
窓の外には、紅葉した木々が生い茂る山と、田畑が広がる。
百合が降りる駅が近付いてきた。

百合は、迫る別れを惜しむように、日向の腕に縋りついていた。
百合が降りる駅への到着を告げるアナウンスが鳴る。
電車はゆっくりと停まり、ホームへの扉が開いた。
しかし、百合は立ち上がろうとはしない。

「百合、降りないと。」

日向は、トントンと百合の肩を叩く。
けれど、百合は俯いて一層強く日向にしがみついた。

「百合…。」

日向は、困ったように百合の名を呼んだ。
けれど、百合は子供のように嫌々と首を振る。
そして、俯いたまま、ぼそりと小さな声で呟いた。

「…本当に、平気なんですか…?」

百合がゆっくり顔を上げると、その瞳は潤んでいた。
泣くほど、心配なのか。

「ん、大丈夫だから。百合はちゃんと真っ直ぐ家帰らないと。」

そう言って、日向は子供をあやすように百合の頭を撫でる。
百合は心配そうな顔のまま立ち上がり、涙を拭うような仕草をした。
そして、自分を真っ直ぐに見つめて、言った。

「中村先輩、日向先輩のこと…お願いします。」

その顔は少し不満そうで、自分も付いていきたかったと訴えているようだった。

「おう、任せろ。ちゃんと日向に付いてくから、百合ちゃんは気を付けて帰れよ。」

「はい…お願いします。」

ぺこりと百合は頭を下げた。
そして今度は日向の方を向いて、日向の手をぎゅっと握った。

「帰ったら、絶対メールくださいね。絶対絶対…私、ひーくんがメールくれるまで、寝ないで待ってますから。」

「わかったよ。…ごめんな、心配かけて。」

「…ちゃんと待ってますからね。」

「…うん。」

別れを惜しむように、百合は日向を見つめる。
日向もまた、少し寂しそうに百合を見つめた。
まるで二人だけの世界のようだ。自分など、見えていないみたいに。
けれど、この二人は、本当にいい恋人同士だと思う。
将悟は少しだけ、羨ましく思った。


百合がいなくなった車内は、一層静かだった。
乗客は自分たち二人しかいない。
日向は黙って窓の外を眺めていた。
自分も特にすることもなく、変わり映えのしない景色を見つめる。
電車の揺れる音だけが、車内に響いていた。

この田舎のローカル線はいつ乗っても、人が少なかった。
車社会の地方都市だから当然か。
電車を利用するのは、街に用事がある学生か、車を持っていない年寄りくらいしかいない。
それに、こんな平日にわざわざ遠出をするような人間も少ないだろう。

沈黙が、重い。
なんだか葬式にでも行くような気分だ。
将悟はこの空気を紛らわそうと、何か会話ないものかと考える。
そういえば、百合は日向のことを「ひーくん」と呼んでいたっけ。

「お前、ひーくんって呼ばれてんの?」

「…うん、まあ。」

日向は、照れくさそうに頬を掻く。
百合はいつも日向先輩と呼んでいたのに、二人っきりの時はそう呼ぶのか。
さっきは興奮していて、ごっちゃになっていたけれど。
それがなんだかおかしくなって、将悟は笑ってしまう。

「ぷっ…最初、誰のことかと思った。」

「…笑うなよ。俺だって恥ずかしいんだから。」

そう言って、日向は恥ずかしそうに、プイと視線を窓の外へ向ける。
日向はわかりやすい。口元を手で覆ったり、頬を掻く仕草。
忙しなく手を動かして、平静を取り繕う。
本当は、恥ずかしすぎて居た堪れないくせに。

「…ごめん。付き合わせて。」

流れる景色を見つめながら、日向はポツリと呟く。

「いーよ。別に帰ってもやることないし。気にすんな。」

本当はやることがないわけじゃないけれど、とりあえずそう言っとく。
庭の手入れも、猫の世話も、ギターの練習も、いつでもできる。
誠には何の連絡もしていないけれど、あの人のことだから適当にくつろいで猫達や祖母と仲良くやってるだろう。
今はやっぱり、隣に座る友人のことが心配だった。

「やっぱり…将悟は帰った方が…。」

日向は視線を落として、遠慮がちに言う。

「馬鹿。ここで帰ったら、明日俺が百合ちゃんに怒られるだろ。」

その言葉に、日向は少しバツの悪そうな顔をした。
百合の名前を出されると、日向は弱い。
それは尻に敷かれているだとか、言いなりになっているとか、そういうことじゃなくて、日向は本当に百合のことを大事に思っているからこそだと思う。
大事にしたいからこそ、大切にしたいからこそ、日向は百合に弱い。
そして同時に、百合も日向のことをとても大切に想っているのだと思う。
校門の前で喧嘩をしていた時だって、百合は日向を心配しているからこそ、怒っていたんだ。

「…百合ちゃん、いい子だな。」

「…うん。」

日向は、目を伏せて小さく頷く。

「『私が守ります』だってさ。普通、あんなこと言える子いないぞ。…大事にしろよ。」

「…わかってる。」

静かな車内で、二人の声が小さく響く。
その声を掻き消すように、電車が音を立てて不規則に揺れる。
日向は、どんな気持ちで病院へ向かっているのだろう。

「百合ちゃんは、お前のことがすげえ大事なんだよ。」

「…俺だって、そうだよ。」

「お前は、もっと周りに相談することを覚えろよ。一人で抱え込むから、百合ちゃんが心配するんだろ。」

その言葉に、日向は小さく溜息を吐いた。
肩を落として、膝の上で手を組んで額を押し付ける。
猫背な背中が、更に丸くなる。

「…やっぱり俺、頼りないかな。」

自信無さげに、日向は呟く。
自分の不甲斐なさを、悔やんでいるのだろうか。

「頼りないとかそういうのじゃないだろ。これは、そういう問題じゃない。」

そうだ。日向は何も悪くない。
悪いのは、日向の母親と、日向の置かれた環境だ。

「…そうかな。」

「そーだよ。」

電車は静かに進んで行く。
行く先で、何が起こるのだろう。
自分は日向を守ってやれるのか。

夕日は沈みかけ、辺りは薄暗くなり始めていた。






「おかえり、京子ちゃん。」

京子が家に帰ると、いつものように彼方がソファーでくつろいでいた。
机の上には、洋菓子店の菓子箱。自分の好きなマルシェのお菓子だ。
彼方は毎回欠かさずに、自分に甘いお菓子を与える。今日の貢物は何だろう。
京子は微かに胸が躍るのを感じた。
それは甘いお菓子のせいもあるけれど、こうやって彼方が毎日会いに来てくれるからだ。

京子は鞄を置いて、彼方の隣に座る。
すると、見慣れないものが目に映った。
彼方が座るソファーの脇に、大きな鞄とコンビニ袋が置いてあった。
半透明のコンビニ袋の中には、お菓子…というより、柿ピーやチーズおかきなど、おつまみのようなものがたくさん入っている。

「どうしたんですか、その荷物。」

「今日は、お泊りしようと思って。」

そう言って、彼方は微笑む。
大きな鞄の中には、着替えなどが入っているのか。

「またサボりですか。」

「違うよ。今日はちゃんと優樹さんに休み貰ったの。二連休。」

「週末なのに…大丈夫なんですか?」

今日が金曜日で明日が土曜日。
優樹には、一週間で一番忙しい二日間と聞いている。

「平気平気。たまにはいいでしょ。優樹さんも『いつでも好きな時に休みとらせてやる』って言ってくれてるし。」

「そうなんですか。」

京子は安堵した。
彼方がサボりじゃないのなら、問題はない。
二日間、ずっと一緒にいてくれるのだろうか。
なんだか緊張するような嬉しいような、なんとも言えない高揚が胸に広がる。
けれど、自分の週末の予定を思い返して、少しだけ残念な気持ちになった。

「でも、私…明日の昼はバイトなんです。」

「えー、明日も泊まろうと思ってたのに。」

彼方は不満そうに唇を尖らせる。
自分だって残念だ。彼方が泊まることをわかっていたら、最初から休みにしていたのに。

「泊まる時は先に言ってくださいよ。こっちの予定もあるんだから。」

「だって急に決まったことだし。せっかくだから驚かせようと思ったんだけどなー。
 …まあいいや。京子ちゃんがバイト終わるまで、大人しくここで待ってるよ。」

そう言って、彼方は自分の肩に凭れかかってくる。
想いが通じ合ってから、こうやって触れ合うことが多くなった。
手を繋いだり、抱きしめたり。たまに照れながらもキスをしたり。

この甘く穏やかな時間が、幸せで仕方がなかった。

麻丸。
この作品の作者

麻丸。

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