「嘘を暴く」
「嘘を暴く」
週が明けた、月曜日の昼休み。
将悟は日向と亮太、そして百合と一緒に昼食を食べていた。
いつの間にか、男三人で昼食を取る屋上に、百合がいるのが当たり前になっていた。
相変わらず、日向と百合は肩を寄せ合って、お揃いの弁当を並べている。
四六時中一緒にいて飽きないものか、と将悟は思うが、この二人には余計なお世話だろう。
彩り鮮やかで栄養バランスの取れた可愛らしい弁当。
今日は海苔でパンダを模ったおにぎりか。
これを日向が毎朝作っているかと思うと、なんだかおかしくて笑ってしまう。
ここまでいくと器用を履き違えている気がするが、毎日毎日彼女に手の込んだ弁当を作るなんて、よくやると思う。
「そういえば、学園祭、百合ちゃんのクラス何すんの?」
パンを頬張りながら、亮太が聞く。
学園祭。今月の末にある、学園一のお祭りイベントだ。
先週のうちに各クラスの出し物が決まって、将悟のクラスは受験生ということもあって、比較的準備に手が掛からないタコ焼き屋をする予定だ。
「うちはコスプレ喫茶です。」
日向にピッタリとくっつきながら、百合は言う。
「コスプレ?マジで!?百合ちゃんはどんなコスプレ着るんだ?」
コスプレという響きに、亮太は目を光らせた。
「まだ決まってないんです。でも、ナースとかメイドとかミニスカポリスとか色々用意する予定ですよ!」
「おおー!やべー!」
亮太は興奮したように鼻息荒く拳を握る。
そうだ、こいつは本能に忠実なのだ。
「おい、あんまり百合のこと変な目で見るなよ…。」
そんな亮太を見て、日向は訝しげな視線を亮太に向ける。
こいつは行き過ぎなくらい百合に過保護だ。
百合もまた、日向に対して過保護だから、似た者同士だと思う。
「いいよなー、コスプレ!男のロマンだよなあ!」
気にする様子もなく、亮太は話を続ける。
「お前ホント、そういうのでテンション上がるよな。エロ親父みたいだぞ。」
将悟は半ば呆れてしまう。
よくもまあ、女子の前でそんなことを言えるものだ。
「何言ってんだよ!白衣の天使、献身的なメイド、ミニスカポリスに『逮捕しちゃうぞ』なんて言われて落ちない男はいないだろ!日向もそう思うよな!?」
「いや、別に…。」
日向は少し引いている。
彼女の前だからか、元々下ネタなんて言わない奴だからか。
「お前それでも男かよおおお!」
大袈裟に亮太は頭を抱えて見せる。
「お前が異常なんだっつーの!」
「そうですよ。坂野先輩ちょっと気持悪いですよ。」
「百合ちゃんひどい!」
呆れる将悟と、笑顔できつい言葉を浴びせる百合。
わざとらしくへこんで見せる亮太に、口元を覆って笑いを堪える日向。
そして、誰からとも言わず、皆で笑い合う。
何の変哲もない、ありふれた高校生の日常だった。
平和で穏やかな午後の陽だまりの中。
日向の隣に、彼方はいないけれど。
誠の通話を盗み聞ぎして、彼方が何をしているのかが、なんとなくわかった。
きっと、誠と同じ仕事。同じ職場。同じ店。ボーイズバー、夜の仕事。
誠は、最初から彼方のことを知っていたんだ。
どうして日向に伝えなかったのだろう。どうして知らないフリをしたのだろう。
理由はわからないが、彼方が原因で、誠は優樹と喧嘩をして仕事を休んでいるのだ。
すぐに日向に教えようと思ったが、以前に屋上で日向と話したことを思い出して、止めた。
日向は、彼方が何をしているのかを、知らない。
彼方がどこにいるかも知らず、探そうともしない。
誠が何か知っているかもしれないと伝えても、日向が誠を訪ねることはなかった。
知ることを、望んでいないのだ。
彼方がいないこの現状を、変えたくないと言っていた。
百合といる毎日が、幸せだと言った。
このままでいたいと、そう言った。
そんなわけにはいかないだろうと将悟は思ったが、あの時見せた日向の切なげな表情が妙に鮮明に思い出されて、何も言えなくなった。
でも、いつか日向だって知ることになるだろう。それなら早い方がいいはずだ。
日向にとって彼方は、かけがえのない肉親なのだから。
けれど、今はあの母親のこともあるし、あまり日向の不安の種を増やすのは良くないと思い、黙っておこうと将悟は思っていた。
日向が自ら知ることを望むときまで―。
そう言えば、日向の母親はどうなったのだろう。
金曜日に一緒に病院に行ったっきり、日向と母親の話をしていない。
本当に、記憶喪失になってしまったのだろうか。
日向は不思議なほどいつも通りだし、百合も日向にピッタリとくっついて幸せそうにしている。
あれから病院を訪れていないのだろうか。
「ねえねえ、ひーくん。ひーくんは私にどんなコスプレ着てほしいですか?」
百合は食べ終えた弁当を綺麗に包み直しながら、日向に聞く。
日向は少し考えるように首を傾げて、
「ええ…。別に、なんでもいいよ。」
そう言って、照れたように目を逸らした。
「はいはい!百合ちゃん、俺ナースがいい!」
すかさず亮太が、手を挙げて自分の好みを主張してくる。
「坂野先輩には聞いてませんよ。」
「えーひどい~!つーめーたーいー!」
小悪魔っぽく笑顔で冷たくあしらう百合に、亮太は大げさに顔を覆って泣き真似をする。
日向は笑っている。楽しそうに、幸せそうに、笑っている。
それが、お前の望んだ幸せか。
人の幸せに口を挟んではいけないと思いながらも、将悟はなんだかやりきれない気持ちになった。
リビングのソファーに座り、優樹が鏡を見ながら髪をセットをしていると、リビングの扉を開いた。
三日間の休暇を終えた彼方が帰ってきたのだ。
彼方は優樹を見て、「ただいまです」と微笑んだ。
「おー彼方おかえりー。休暇どうだった?」
「楽しかったですよ。あ、これ見てください。」
そう言って、彼方は手に持っていたカメラを優樹に見せた。
高そうな、一眼レフのカメラ。
「お前、写真が趣味なの?」
「いいえ。今から始めようと思って。よかったら優樹さんも撮らせてください。」
彼方に週末二日間の休暇を与えた。
仕事の出勤は自由シフト制とは言ってるが、彼方が自ら休みを取ろうとしないので、優樹なりの気遣いだった。
休暇を満喫したらしく、帰ってきた彼方の様子は上機嫌だった。
「おーおー、髪のセット終わったらなー。お前も出勤準備しろよー。」
「はーい。」
そう言って、彼方は出勤準備をするためか、一旦自室へと戻っていった。
彼方は帰ってきたら、毎回律儀にリビングに寄って顔を見せるのが癖になっていた。
今日の彼方は、元気そうに見える。いつもより機嫌がいいように見える。
優樹は、金曜日に智美が自分に話したことを思い出す。
彼方がいないのを知って店に来た智美は、「最近、彼方の様子がおかしいの」と言った。
どうおかしいと聞くと、智美は言葉を濁しながら、「疲れてるみたい。ほら、彼方君まだ若いんだし、もっと遊ばせてあげないと。」と、グラスに視線を落とした。
心配そうな智美に、彼方に休みを与えたことを説明しても、煮え切らない様子で、
「そうなんだ。でも…病院…連れて行ってあげた方がいいと思う。」
そう小さく零して、すぐにハッとして「なんでもないの」と取り繕った。
「でも…もっと彼方君のこと、気にかけてあげて。」
それ以上のことは、言わなかった。
酒を一杯だけ飲んで、帰ってしまった。
智美は、よく店に来てくれて、彼方と同伴やアフターを頻繁にしている彼方の上客の一人だ。
こうやって出勤前と仕事中しか彼方と話す時間がない自分と比べて、智美の方が彼方と過ごす時間が長いのかもしれない。
もしかしたら、智美の方が、彼方のことをよくわかっているのだろうか。
気にかけてあげて。自分なりに彼方のことを気にかけているつもりだったが、足りなかったか。
智美の不安はなんなのだろう。
彼方の様子がおかしいだなんて、智美は何を見て、何を知ったのだろう。
そんな抽象的な言葉だけじゃ、わからない。
彼方はいつも笑っているが、その笑顔の裏に何を隠しているのだろう。
出勤準備を終えてリビングに戻ってきた彼方は、ソファーに座ってカメラのレンズを磨いていた。
鼻歌交じりにカメラを覗き込む姿は、本当に子供のようだ。
「カメラ、店に持って行ってもいいですか?」
「いいけど、撮る時はちゃんと許可取れよ。」
「もちろんです。」
そう言って、彼方は微笑む。
この笑顔は、作り物なのだろうか。
彼方の抱える悩みは、なんなのだろうか。
何を隠して、暴かれないように笑うのか。
「なあ、彼方。」
「はい?」
優樹が声を掛けると、彼方は顔を上げた。
いっそ、全て暴いてしまいたい。
全て暴いて、自分が彼方の力になってやりたい。
躊躇ってきた干渉を、ここでしてしまおうと優樹は考えた。
「智美さんから聞いたんだけど、」
「え」
智美の名前を出すと、彼方はわずかに動揺したように目を瞠った。
そして、すぐに自分の視線から逃げるように目を伏せる。
「智美さん、店に来てたんですか。」
彼方はカメラを両手で弄ぶ。
シャッターを指でなぞったり、ダイヤルを回してみたり。
動揺を悟られまいと、平静を装おうとしているみたいだ。
けれど、その落ち着きのない行動は、不自然にしか見えない。
「ああ、金曜日に一人で来てた。」
「何か言ってました?」
感情を押し殺したような、平坦な声。
カチカチとダイヤルを回す音が響く。
「お前のこと心配してたよ。最近元気ないって。」
僅かに、彼方は顔を上げる。
「…それだけですか?」
そう言って、上目で探るような視線を優樹に向けた。
「他になんかあるのか?」
「いいえ。なにもないですよ。」
彼方は視線を上げて、取り繕うように微笑む。
「智美さんから連絡なかったから、ちょっとびっくりしただけです。」
いつもの小首を傾げた可愛らしい微笑み。
けれど、さっきの動揺を、優樹は見逃していない。
この笑顔は嘘の笑顔だ。作り物だ。
自分に気を遣っているのか、暴かれたらまずいことがあるのか、彼方は自分に何も話そうとしない。
彼方から話すのことを待っていても、彼方は話してくれない。
だったら、自分から踏み込むしかない。
優樹は、気持ちを落ち着けようと煙草に火を点ける。
灰色の煙を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出す。
そして、切り出した。
「俺、前も言ったよな?悩みあるなら聞いてやるって。なんか悩んでるなら言ってみろよ。」
真っ直ぐに彼方を見据える。
彼方はその視線を受け止めて、ニッコリとした微笑みを浮かべた。
そして、軽く首を振って、キッパリと否定する。
「悩みなんて、ないですよ。毎日楽しいし、それなりに僕、幸せですよ?」
さっきまでの動揺は消えて、余裕の笑みを浮かべる彼方。
まただ。彼方はその笑みで、自らの深いところへ踏み込ませないようにするんだ。
あの時と同じ。なんでもないふうを装うのだ。
もっと。もっと踏み込んでしまおう。
優樹は、もう一度煙草を肺の奥まで吸い込んで、ゆっくりと吐いた。
「お前、本当は高校生なんだって?」
その言葉に、彼方は驚いたように目を見開いた。
そして、一度目を伏せ、吹っ切れたように、ふっと笑った。
「…はい。」
驚いた。やけにあっさりと認めるなんて。
彼方は悲しげな笑みを浮かべて、諦めたように溜息を一つ吐いた。
「そのこと、誠さんから聞いたんですよね。」
「…なんでそのこと知ってんの?」
「誠さんと話しました。先月…だったかな。たまたま地元の方で会って。」
「なんか言われたのか?」
「嫌いだって、言われちゃいました。…わかってたんですけどね。」
彼方は自嘲気味に笑って、悲しそうに目を伏せる。
そして、姿勢を正して、頭を下げた。
「…騙していて、ごめんなさい。クビ、ですよね。」
深々と頭を下げて謝る彼方を見て、優樹は思った。
やっぱり彼方は、素直で、律儀で、いい奴だ。
本質は本当にいい奴なんだ、こいつは。
だけど、背中に背負った厄介なものを、一人で抱え込んで隠し続けている。
隠し事が多すぎて、抱えているものが大きすぎて、持て余しているんだ。
可哀想な奴、そう思った。
「お前はどうしたいんだ?」
「優樹さんの迷惑にはなりたくないから、…辞めます。」
頭を下げて俯いたまま、彼方は言う。
嘘がバレて、行くところがないと言いながら、尚も自分のことを気遣うのか。
「行くとこ、ないんだろ?」
「だけど…これ以上、優樹さんに迷惑をかけられません。」
「お前、ホント馬鹿だな。」
「…ごめんなさい。」
「顔、上げろ。」
そう言うと、彼方は恐る恐る顔を上げた。
怯えているような、バツの悪そうな表情。
まるで叱られた子供のようだ。
なんだか悪いことをしている気分だ。
優樹は大きく溜息を吐いた。
「俺のことはいいから、お前はどうしたいんだ?
もうこんな仕事嫌になって、本気で辞めたいのか、まだ俺と一緒に仕事するつもりあるのか、どっちなんだ?」
「それは…。」
そのまま、彼方は押し黙ってしまった。
どっちだ。本気で仕事を辞めたいのか、そうじゃないのか。
彼方が望むなら、仕事を続けさせてやろうと思ったけれど、彼方は何も言わない。
自分に遠慮しているのだろうか。こいつは普段から、自分に過剰なほどに気を遣っていたな。
彼方の本音が聞きたいのに。いつだって彼方は、本音を漏らさない。
張り詰めるような沈黙。
耐えかねて、優樹は口を開いた。
「ま、いーや。俺、お前をクビにするつもりはねえから。」
「…え?」
彼方は、驚いたように口をポカンと開けた。
鳩が豆鉄砲を食ったようとは、こんな表情のことを言うのだろうか。
なんだかおかしくて、優樹は笑った。
「今まで通り、俺ん家にいればいいさ。別に、仕事が嫌なら出勤しなくてもいい。」
「でも…。」
「居場所がないって奴を、路頭に迷わせるようなことしねーよ。
俺はお前の『おとーさん』だからな。でも、少しくらい頼れよな。『おとーさん』に!」
そう言って、優樹はいつもの勝気な笑みを見せた。