「特別な日」

 「特別な日」



十月二十二日。木曜日。
今日は、日向の誕生日だった。
百合は顔を合わせるたびに、何度も「おめでとう」と言ってくれた。

最初の「おめでとう」は、午前零時ピッタリに電話で。
「誰よりも先に言いたくて」と、百合ははにかみながらお祝いの言葉を言ってくれた。
二度目は、いつものように駅まで百合を迎えに行ったとき。
「おはよう」よりも先に、百合は「おめでとう」と言ってくれた。
それから休み時間も、昼休みも、顔を合わせるたび、目が合うたび、何度も何度も「おめでとう」を口にした。

一日にこれだけおめでとうと言われたことは、今まであっただろうか。いいや、ない。
なんだか、一生分の「おめでとう」を言われたような気分だ。
日向は気恥ずかしく思いながらも、やっぱり嬉しかった。

そして放課後。
日向は百合と共に電車に乗っていた。
宣言通りにケーキを焼いたからと、百合の家に招待されたのだ。

初めて訪れる百合の家。
誘いを受けた時は嬉しくてすぐに二つ返事で答えたが、冷静になって考えて、少し後悔した。
百合の家に招待されると言うことは、百合の家族と顔を合わせるかもしれないということだ。
姉の椿は面識があるからまだいいにしろ、百合の母親や父親にも会うかもしれないのだ。
何と言って挨拶をすればいいのか。交際していることも伝えるべきなのだろうか。
百合の両親は、自分のことをどう思うのだろうか。

百合の両親への挨拶なんて、まだ早い。心の準備なんて、全然できていない。
それに、ドラマや映画の世界では、交際を父親に反対されるなんてことは、日常茶飯事だ。
もし、百合との交際を反対されたらどうしよう。
いや、反対されたとしても百合を手放すつもりはない。
ああ、でも百合の両親に気に入られなかったらどうしよう。

考えれば考えるほど、ネガティブな方向に想像が膨らむ。
日向は、ガチガチに緊張していた。

「何か、ちょっと胃が痛くなってきた…。」

「もー、ひーくんったら。そんなに緊張しないでくださいよ。別に、結婚の挨拶しに行くわけじゃないんですから。」

百合は気にしていない様子で、おかしそうに日向を笑う。

「そうだけどさ…。でも、やっぱりなんか緊張する。」

バクバクと鼓動する心臓を宥めるように、日向は胸を撫でる。
けれど駄目だ。動悸は収まりそうもない。

「…あ。こういう時って、何か手土産とか用意した方がいいんだっけ…?どうしよう…何も持ってきてない…。」

「そんなのいりませんよ。それこそ、結婚の挨拶みたいじゃないですか。」

「でも、家にお邪魔するわけだし…。」

「ひーくんはお客様なんだから、そんなの気にしなくていいんですよ。」

「でもなあ…。なんか俺、失礼なことやらかさないかな…大丈夫かな…。」

気持ちを落ち着けようと、大きく深呼吸を一つ。
駄目だ。何をしてみても落ち着かない。
こうしている間にも、電車はゆっくりと百合の家へと近づいていく。

「少しは落ち着いてくださいよ。ほら、手握っててあげますから。」

そう言って、百合が手を絡めてきた。
薬指のリングがコツンと手の甲に当たる。
百合の体温で、少しだけ平静さを取り戻した。

「だって…やっぱり百合のご両親には、良く思われたいじゃん。将来のこと、考えてないわけじゃないんだし…。」

口に出して言うと急に恥ずかしくなって、日向は百合と繋いだ手と反対の手で口元を覆う。
そんな日向を見て、百合はにんまりとした笑みを見せた。

「ひーくんは、私の未来の旦那様ですもんね。」

「百合は、俺の未来のお嫁さんになってくれるの?」

「もちろんですよ。」

最近は、二人の将来の話をすることが多くなった。
先が見えなくて、未来なんてないと思っていた以前とは、大違いだ。
今の自分は、高校卒業後の進路もハッキリ決まって、未来が目に見える形で開けた。
夢物語だと思われてしまうかもしれないけれど、日向は百合との将来を真剣に考えていた。
だからこそ、今これから百合の両親に会うということに、緊張が隠せなかった。

電車を降りて、百合の家へと向かう。
緊張しながらも外を歩いていると、日向はあることに気付いた。
日向が住む町とは違い、ここは海がない。
百合が暮らすこの土地は、山と田畑ばかりの静かな田舎だった。
海の近くで育った自分から見れば、なんだか寂しい印象を受けた。
この町には、青い海がない。

駅から十分ほど歩いた先に、百合の家はあった。
百合が暮らすと言う家は、白い壁が印象的な庭付きの大きな一軒家。
想像していたよりもずっと立派な家だった。
まるでおとぎ話にでも出てきそうな洋風の外観は、まるでカフェや外国の家のようにお洒落だった。
広さも相当のものだろう。自分の家の二倍も三倍もありそうだ。

「百合って、…もしかしてお嬢様?」

「へ?なんでですか?普通ですよ?」

百合は不思議そうな顔で首を傾げる。
そうは言うが、明らかに豪華な佇まいの住宅に、日向は呆気にとられた。
綺麗な白い壁や、よく手入れが行き届いた庭は、割と新しいものだろう。
家の横には、車が3台ほど停められそうな広い駐車場も付いている。
今はその広い空間に、白い軽自動車だけが止まっていた。
誰の車だろうか。母親か、もしくは父親か。
どっちにしろ、百合の家族が在宅と言うことだ。
また緊張が押し寄せてくる。

当たり前だが、百合は慣れた様子で玄関の扉を開けようとする。
日向はその手を掴んだ。

「ま、待って。ちょっと深呼吸させて。」

情けないとは思うが、往生際が悪いとは思うが、心の準備にまだ時間がかかる。
百合に格好悪いところを見せたくないのに。
頭が真っ白になりそうだった。

「だから大丈夫ですって。今はたぶん、お姉ちゃんしかいませんよ。」

百合はクスクスと可笑しそうに笑う。

「それに、お姉ちゃんは結構ひーくんのこと、気に入ってますよ。」

「…ホント?」

「本当です。『日向君は可愛い子ね~』って言ってましたよ。」

「可愛くは…ないと思うけど。」

「あら。ひーくんは意外と可愛いですよ。」

そんなことを話していると、ふいに玄関の扉が開いた。
中から現れたのは、百合の姉、椿だった。

「あらあら。そんなところにいないで、早く入ればいいのに。それとも何?結婚の挨拶でも考えてた?」

椿は二人を見て、少し意地悪そうな顔で笑う。
扉越しに会話を聞かれていたのだろうか。
そう思うと、更に日向は恥ずかしくなった。

「えっと…その…。」

なんと返せばいいのかわからなくて、日向は口ごもる。

「もー。お姉ちゃんったら、あんまりひーくんをからかわないでよ。」

頬を膨らませながら百合は言う。

「ふふっ、ごめんごめん。おかえり、百合。日向君も久しぶりね。」

椿は百合に似た顔で、ふっと微笑む。

「えっと…お久しぶりです。」

日向は、ペコリとぎこちなく頭を下げた。

「あら、かーわいい。そんなに緊張しちゃって。大丈夫よ。
 お父さんは仕事で帰ってくるの遅いし、お母さんも二人に気を利かせて出掛けてるから。」

「お姉ちゃんは、気を利かせてくれないの?」

「お姉ちゃんも、もう少ししたら出かけるわよ。
 今日は二人っきりにしてあげないとね~。日向君、誕生日なんでしょ?」

「あ、えっと、はい…。」

「おめでとう。十八歳になったのよね?もうすっかり大人じゃない。」

さあ、入って入って。と椿に言われ、二人は家へと上がった。
外観通りの広い家だった。玄関だけで六畳はありそうだ。
廊下も広く、部屋の一つなんじゃないかと思うくらい開けた空間だった。

百合に案内されたのは、階段を上って二階の一番奥の部屋。
扉を開けると、一目で百合の部屋だとわかった。
ピンクの壁紙と白い天井、可愛らしい小物や雑貨が溢れている。
可愛らしいというか、女の子らしいというか。百合にピッタリだ。

「今、お茶淹れてきますね。適当に寛いでいてください。」

そう言い残して、百合は部屋を出ていった。
可愛らしい部屋に、ポツンと一人残された。
なんだか女の子特有のいい香りがする。自分が好きな、百合の香り。

日向は部屋を見渡してみた。
白とピンクを基調とした家具。本棚にはファッション雑誌や少女漫画。
学習机の上は整理整頓されている。カーペットは水玉模様。
膝の高さほどの小さな机に、ふわふわのクッション。
大きな窓から見える景色は、見晴らしがよかった。
この部屋が、百合が毎日生活している場所。

ふとベッドを見ると、真ん中に大きな黒い猫のぬいぐるみがあることに気付いた。
日向はそれを手に取る。
以前、百合が、自分のことを猫のようだと言ったことを思い出した。
あの時は、ずっと一緒にいられるのなら、百合がご主人様でも悪くはないな、と思った。
その後に、百合がメイド服なんて着るものだから、どっちがご主人様なのかわからなくなったけれど。

でも、飼う方か飼われる方なら、自分は飼われる方がいい。
首輪でも何でもつけて、自分を繋ぎ止めていてほしかった。
百合のためならなんだってできるし、何だって捨てれる。
そうやって、彼方への未練を断ち切った。

自分にとって、百合は、女神様のようなもので、絶対的な指針だ。
今の自分の人生の中心は、百合だ。
百合がいたから、百合のおかげで、自分は変われた。
今の自分を作ってくれたのは、百合なんだ。
だから百合には、一生頭が上がらないだろう。
でも、それでいい。それが、自分の幸せなんだ。

そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。

「日向君、ちょっといい?」

その声は、椿のものだった。

「あ、はい。」

日向が答えると、扉を開けて、椿が顔を覗かせる。

「あら、そのにゃんこ。…百合から何か聞いた?」

椿は自分が手に持った猫を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
心なしか、少し悪戯っ子のような顔だ。

「いえ…、何も。」

わけがわからずに日向が首を振ると、椿は声を潜めて言った。

「それねえ、この前百合とクレーンゲームで取ったんだけど、百合ったらそのにゃんこに『ひーくん』って名前つけて、毎日一緒に寝てるのよ。」

「えっ…この猫に?」

「ええ。毎日にゃんこのひーくんと一緒に寝てるのよ。ホント、子供っぽくて可愛いでしょう。」

椿は、おかしそうにクスクスと笑う。
日向はその猫のぬいぐるみを見つめてみた。
似て…ないと思う。自分はこんなに可愛くない。
けれど、百合がこの自分の名前がついた猫と毎日寝ているのを想像して、なんだかおかしいような嬉しいような気持ちになった。
同時に、このにゃんこを少し羨ましく感じる。
自分は、今は百合と一緒に眠れないのに。

「あ、そうそう。それでね、ちょっと日向君、手、出して。」

「?…はい。」

不思議に思いながらも、日向は椿に手を差し出した。
その手に、椿の手が上から重ねられた。
いや、何かが手の平に置かれている。それを隠すように、椿が手を重ねている。

「誕生日プレゼント、って言うとちょっとアレなんだけど…。まあ、餞別だと思って。きっと使うと思うから。」

「え?えっと…ありがとうございます。」

「百合に見つからないように、隠しとかなきゃ駄目よ。」

そう言って、椿は手を離す。
自分の手の平に置かれていたのは、コンドームだった。

「えっ!?」

日向は驚いて、避妊具を床に落としてしまう。

「ふふっ、うぶねえ。でもいつか使うことになるんだから、ちゃんと持ってなきゃ駄目よ。」

椿はニコニコと気にもせず床に落ちた避妊具を拾って、再び日向に握らせた。

「いや…あの…使わ、ない…です。」

「今は使わなくても、いつか使う時が来るでしょ~?
 いざっていう時に、ちゃんとこういうのを持ってるのが男の子のマナーよ。」

半ば無理矢理に避妊具を日向に押し付け、椿は微笑む。
その姿は、自分の反応を見て楽しんでいるようだ。

「まあ、でも、日向君は本当に優しくていい子ね。百合のこと、安心して任せられそうだわ。」

「そんなことないですよ。俺…情けないところいっぱいあるし。百合に助けてもらってばかりだし…。」

「そうかしら。でも、百合はワガママだし頑固だから、ちょうどいいんじゃないかしら。
 あの子、結構周りを振り回すタイプだし、日向君くらい優しくてしっかりした子が一番合うと思うけど。」

「似合ってますかね…?」

「お似合いよ。百合も日向君のこと大好きみたいだし。」

その言葉で、椿に認められたような気がした。
百合の家族に、認められたような気がした。
日向は緊張が解けて、一気に安堵する。

「あー!お姉ちゃん!ひーくんにちょっかい出さないって言ってたじゃない!」

その声に、日向は、反射的に押し付けられた避妊具をズボンのポケットに隠す。
廊下には、盆に紅茶とケーキを乗せた百合が立っていた。

「ちょっと話してただけよぉ。ねえ、日向君。」

「あ、はい。」

百合は、訝しげに二人の顔を見比べる。
日向は、動揺を悟られまいと平静を装って見せた。

「もー、ひーくんに何か変なこと言ってない?」

「言ってない、言ってない。昨日、百合が三回もケーキ焦がしたことくらいしか言ってないわよ。」

「それ内緒にしといてくれるって言ってたじゃない!お姉ちゃんのバカー!」

「ふふふ。口が滑っちゃった。あ、そろそろ私行かないと。」

ポケットから携帯電話を取り出して、椿は時間を確認する。

「じゃあ、後は二人でごゆっくり~。」

そう言い残して、椿は何処かへ出掛けてしまった。

まるで嵐のようだった。
いきなり避妊具を渡して来たり、恥ずかしげもなくそういう話をしたり。
なんというか、凄い人だ。それに、自分よりも遥かに大人で、余裕がある。
けれど、押しの強さは百合と同じ。
あの少し強引なところは、似たもの姉妹だな、と日向は思った。

それからは、二人で紅茶を飲んで、百合が作ってくれたケーキを食べた。
百合が作ったケーキは、見た目が少し不格好だった。
歪な丸い形で、スポンジはパサパサだし、生クリームも少しベッタリとしている。
けれど、今までの人生の中で一番美味しいケーキだった。百合の愛情がたくさん籠っている。
不器用ながらも、自分のために無理をして精一杯作ってくれたのだろう。
それだけで、充分幸せに思えた。

「誕生日プレゼントです。開けてみてください。」

ケーキを食べ終えてから、百合は一つの紙袋を差し出した。
日向はそれを受け取り、中身を覗くと、茶色のチェック柄が見えた。

「マフラーだ…。」

手に取って袋から出すと、そのマフラーが姿を現した。
ふわふわの暖かい生地に、お洒落なバーバリーチェック。

「ひーくん、寒がりだって言ってたから。これで暖かいでしょ?」

「ありがとう。大事にする。毎日つける。」

そう言って、日向はさっそく貰ったマフラーを首に巻いてみた。
暖かい。百合とおんなじ温度に包まれているみたいだ。
百合からの初めてのプレゼントに、日向は嬉しくてしょうがなかった。

「でも、すっごいプレゼント選ぶの悩んだんですよ。
 坂野先輩に聞いたら、『頭にリボンつけて、私がプレゼント!ってやれ』とか言われるし、
 中村先輩に聞いても『百合ちゃんがくれるものなら、なんでも喜ぶだろ』って言うし。
 坂野先輩の意見は即却下として、中村先輩は模範解答過ぎて、逆に悩みますよね!」

いつの間に、二人と連絡を取っていたのか。
けれど、確かに二人ならそう言いそうだな、と日向は思った。

「まーた百合は、俺の知らないところで他の男と仲良くして。」

「あら、まーた嫉妬ですか?」

「うん。」

「今日はやけに素直ですね。」

「いいだろ、誕生日くらい百合を独占したい。」

そう言って、百合を抱きしめる。
久々に触れる百合の体温に、ひどく安心した。

麻丸。
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麻丸。

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