「星空と愛を紡ぐ夜」

 「星空と愛を紡ぐ夜」



十一月も下旬になった冬の夕方。
相変わらず、彼方は毎日自分の部屋を訪れる。
浮気、売春騒動から二週間。完全にわだかまりがなくなったわけではないが、とりあえずは、いつも通りの日常を取り戻していた。

変わったのは、彼方の休みが多くなったこと。
今まで週一で泊まりに来ていたのが、今は週に二回も三回も泊まりに来るようになった。
泊まりに来ると言うことは、彼方の仕事を休みなわけで、そんなに休んでも大丈夫なのかと聞いたら、「だって、一緒にいれば、京子ちゃんは安心でしょ。」と彼方は笑うのだ。
彼方なりに、誠実になろうとしているのだろう。
自分の前で携帯電話を操作することも、無くなった。

そして、最近は愛情表現と言うか、スキンシップが多くなった。
何かあるたびに、いや、何もなくても、彼方は自分を抱きしめ、キスをする。
あまりにも無邪気な顔で懐いてくるものだから、まるで大型犬にでも懐かれたような気分だ。
それが行き過ぎていて、少しうっとおしいと思うこともあるが、悪い気はしなかった。

「ねー、京子ちゃん。お腹すいたあ。」

彼方は自分を抱えるように後ろから抱きしめながら、甘えた声を出す。
そんなにくっつかれると、雑誌を読むのすら大変だ。
京子は、読みかけの雑誌を閉じた。

「今日泊まりに来るなんて聞いてなかったから、冷蔵庫の中空っぽですよ。」

そうだ、いつも彼方が泊まりに来るときは急なのだ。
連絡くらい寄越せば、食材くらい買っておくのに。

「えー、じゃあスーパーいこ。」

「彼方さんも付いてくるんですか。」

「もちろん。」

「誰かに会ったらどうするんです?」

「大丈夫でしょ。帽子被っていくし。あ、サングラスもしようかな。」

そう言って、彼方は机の上に置いてあったサングラスをつけて見せる。

「ほら、似合うでしょ。最近買ったんだ。」

「逆に怪しいですよ。外、もう暗いのに。」

「そうかなあ。でも、ま、大丈夫でしょ。」

サングラスに帽子と言う冬の夕方にはそぐわない格好で、二人は家を出た。
彼方が、こうしてスーパーまで着いてくるのは珍しい。
不特定多数の人が行き交う街でデートをするならまだしも、こんな田舎の小さなスーパーに行きたがるなんて。

この田舎町には、一軒しかスーパーがない。
だからこそ、知り合いに会う確率が高いのだ。
京子だって、頻繁に学校の知り合いと出くわしたりする。
そんなところに、彼方を連れて行ってもいいものか。誰にも会わないで済めばいいのだが。
そんな心配をよそに、当の本人は鼻歌交じりに慣れた道を歩く。

「今日は魚の気分だな~。サバの塩焼きとかいいよねえ。」

「サバ…ですか。肉じゃがでも作ってあげようかと思ってたのに。」

「え、肉じゃが?食べる食べる!サバの塩焼きと肉じゃがで決定だね!楽しみだな~。」

スーパーに行く前から夕飯のメニューが決まり、彼方は上機嫌で歩みを進める。
そんな彼方の姿を見て、やっぱりチグハグだな、と京子は思った。
中身は子供のままなのに、外見はやけに大人びている。
サングラス越しに、大人の顔で、子供の表情で笑うのだ。
普通の人生とは違う人生を歩んでいるのだから当然かもしれないが、強烈なギャップがあることには間違いない。

スーパーに着いて、京子はカートを押しながら食材を物色する。
彼方はその横に続いて、物珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡していた。

「ねえねえ、卵豆腐食べたい。」

「味噌汁に豆腐入れるんじゃなかったんですか。」

「入れるよ?でも、卵豆腐も食べたいなあ。」

「豆腐だらけになっちゃいますよ。」

「いいじゃん。ヘルシーで。」

そう言いながら、彼方は買い物カゴに卵豆腐と絹豆腐を入れた。
カートの中には、肉じゃがの材料、サバ、お酒のアテにイカの塩辛、イクラのしょうゆ漬け。
りんごにみかん、インスタントのコーンスープや肉まん、スナック菓子やメロンパンまで入っている。

無駄なものばかりを買っている気がする。
こんなに買って、賞味期限内に食べきれるのか。
しかし、京子が咎めても、彼方は気にすることなく、目についたものを次々とカゴに入れていく。
ちょっと目を離せば姿を消し、両手にお菓子やおつまみを抱えて帰ってくる。
なんだか、子供と買い物に来ているみたいだ。

山盛りになった買い物カゴを見て、京子は溜息を吐いた。
相当重たい荷物になりそうだ。まあ、荷物持ちくらいはしてくれるだろう。
そう思いながら振り返ると、彼方の姿はなかった。
また何かを物色しに行ったのか。

そう思っていると、自分の携帯電話が、メールの受信を知らせる電子音を鳴らした。
京子はポケットから携帯電話を取り出して画面を確認する。そこには、彼方と表示されていた。
そのメールを開くと、「先帰って待ってるね」とだけ書かれていた。

どういうことだ。さっきまでここにいたじゃないか。
そう思って辺りを見渡すと、精肉コーナーに立つ男と目が合った。

「あ、竹内さん。」

目が合ったのは、日向だった。
驚いたような表情で、日向は自分を見つめる。

「なあに、日向。彼女?」

日向の背後から、腕をギプスで固めた綺麗な大人の女性が顔を覗かせた。
見たことのない顔だ。やけに日向に親しくしているが、一体誰だろう。

「違うよ。バイト先の子。」

日向は明らかにマズいというような表情で、慌てて否定する。

「あら、そうなの。いつも日向がお世話になってます。日向の母です。」

彼方に似た柔らかい笑みで、日向の母親と名乗る女は、丁寧に頭を下げた。
こうして見ると、確かに目元や口元は日向に似ている。もちろん、彼方とも。

「いえ、こちらこそ…。」

京子はどう反応していいかわからず、曖昧に笑って見せた。

この人が、日向と彼方の母親なのか。
想像していたのと全然違う。
彼方から聞いた話では、もっと冷たくて怖い人かと思っていたのに。

「竹内さんも買い物?」

「ええ、まあ…。」

「そっか。…じゃあ、またバイトで。」

それだけの短い会話をして、日向はさっさと行ってしまった。
母親と買い物に来ているところを見られて、恥ずかしいとでも思ったのだろうか。
逃げるように遠ざかる後姿を見ながら、そういうことか、と京子は思った。
彼方は、自分より先に日向を見つけて、逃げたのだ。

それにしても、日向が母親と二人で買い物だなんて。
端から見れば、仲の良さそうな親子に見えた。
買い物をしながら母親は、ニコニコと楽しそうに日向にあれやこれやと話しかける。
日向はそれに頷いたり、相槌を打ったりして、決して仲が悪そうには見えなかった。
むしろ、腕を怪我している母親に献身的に接しているようにも見える。

あの母親が、虐待をしているなんて。そんな風には、全然見えなかった。
けれど、彼方の話が嘘だとは思えない。
外面がいいだけなのか。―それとも、他に何かあったのか。
考えても仕方がない。京子は、さっさと買い物を済ませることにした。


家の扉を開けたとたん、やけに甘ったるい香りが鼻孔をくすぐった。
その匂いが何の匂いなのかは、何度もかぎ慣れている京子にはすぐにわかった。
彼方の煙草の香りだ。

京子が靴を脱いで家に上がると、彼方はベランダにしゃがみ込んで煙草を吸っていた。
遠くを見つめて物思いに耽る姿が、やけに様になっていて、不覚にも、少しドキリとしてしまった。
黙っていれば、大人っぽくてカッコいいのに。

「ああ、おかえり。京子ちゃん。」

煙を吐き出して、彼方は柔らかく笑って見せる。
いつもの微笑みのはずだが、さっき見たばかりの母親によく似た笑みだと思った。
紛れもなくあの人は、彼方の母親でもあるのだ。

「荷物、すっごい重たかったんですけど。」

「ごめんね。途中まで迎えに行けばよかったね。」

「ホントですよ。誰のせいでこんなに重たくなったんだか。」

「ごめんごめん。」

唇を尖らせて拗ねて見せると、彼方は困ったような顔で笑う。
本当に悪いと思っているのか。自分が拗ねているから、取り敢えず波風立たないように謝っておこうとでも思ってそうだ。
けれど、彼方も計算外だったのだろう。日向ならまだしも、あんなところで母親に会うなんて。
そんなこと、思ってもみなかったのだろう。

「…お母さん、退院してたんですね。」

「京子ちゃんも知らなかったの?」

京子は静かに頷いた。

「日向さんは、そういうこと話さなかったから…。私から聞くのもアレだし…。」

「そう…。あの人、また帰ってきてたんだね…。」

短く呟いたその言葉は、なんだか冷たい響きを持っていた。
彼方は自分の母親を見て、どう思ったのか。
遠くを見つめるその視線の先に、一体何を見ているのか。

冬の冷たい風に煽られて、紫煙が揺れては広がって、消えた。
彼方は短くなった煙草を灰皿代わりの空き缶で揉み消し、「寒っ。今日は冷えるね。」と肩を竦めた。

スーパーから帰ってきてからの彼方は、言葉少なになった。
夕食に彼方のリクエストした肉じゃがとサバの塩焼きを並べてみても、それほど喜んではいないように思える。
スーパーに行く前の方が、ずっと嬉しそうにしていた。

もちろん、食事を食べれば、「美味しいよ。」と微笑んではくれる。
しかし、彼方の頭の中は、別のことで埋め尽くされているのだろう。
食事中もどこか上の空で、視線はずっと下の方を見ていた。

日向の味に似せて作ってみたのだけれど、彼方は気付いてくれただろうか。
それとも、日向の味には程遠かったか。
いくら愛情をこめてみても、思い出の味には敵わないのだろうか。

その日は珍しく、彼方が泊まりに来ていても、酒は飲まなかった。
京子は自分から酒を飲むこともなかったし、彼方もそういう気分ではなかったようだ。

いつものように、夕食を済ませ、交互に風呂に入る。
寒くなってきたから浴槽にお湯を張って入浴剤を入れてみたのだが、先に風呂に入った彼方は、いつも通り数分で出てきた。
のんびり体を温めればいいのに。それとも、バラの香りの入浴剤なんて苦手だったのか。

それにしても、あれだけ温泉に行きたがっていたのだから、「一緒に入ろうよ」とでも言うかと思ったのに。
彼方は相変わらず口数少なく、濡れた髪をタオルで拭きながら、物思いに耽っていた。
いつもそうだ。彼方を惑わせるのは、日向なのだ。

京子が風呂に入ろうと席を立った時、ふいに彼方に後ろから抱きしめられた。
ふわりとシャンプーの匂いが香る。濡れた髪が当たって、首元がひんやりとした。

「ねえ。今日、そういう気分なんだけど、いい?」

耳元で囁く低く甘い声。
なんだかくすぐったくて、頬がカッと熱くなった。

「そ…そういう気分って…まさか…。」

京子は動揺を隠そうと平静を装ってみたが、声が裏返った。

「うん。そういう気分。」

振り返ると、彼方はおかしそうに笑っていた。

「京子ちゃん、顔真っ赤じゃない。ほら、早くお風呂入ってきなよ。女の子は準備大変なんでしょ?」

脱衣所に入って、京子は大きな溜息を吐いた。
まだ心臓がバクバク言っている。動揺しすぎておかしくなりそうだ。

そういう気分ってなんだ。彼方は、自分とセックスをするつもりなのか。
でも、彼方は自分を抱かないと言っていたじゃないか。
特別だから、大事にしたいと言ってくれたじゃないか。
一体どういう心境の変化なんだ。

いや、それよりも、ああやって宣言するものなのか。
そういうことは雰囲気に流されてすることであって、先に宣言されてしまうと、どういう顔をしていいのかわからない。
だって、風呂を出たら、そういうことが始まるわけで―。

京子は、脱衣所にあるカラーボックスを開けた。
脱衣所に置いてあるカラーボックスは、三段重ねで中が見えないようになっている。
一番上はタオル類、二段目は京子の下着、三段目は生理用品を入れていた。

京子は迷わず二段目のカラーボックスを開く。
中には、色とりどりの下着が収納されていた。
どうしよう。どれを選べばいいだろう。
赤?それじゃあ、自分がやる気満々みたいじゃないか。
黒?それも期待しているみたいじゃないか。
白?絶対、似合わないって笑われる。

どうしよう、どうしよう。
そう頭を抱えていると、自分が一番彼方を意識していることに気付いた。
馬鹿馬鹿しい。処女じゃあるまいし、そんなに考え込まなくてもいいじゃないか。

けれど、ずっと期待していたのは事実だった。
そりゃ、自分も女だし、彼方とそういうことをしたいとは、思ってはいたけれど。
いざ、その直前になると、頭が混乱して仕方がなかった。

京子は、いつもより長い時間をかけて風呂に入った。
いつもより念入りに体を洗って、鏡の前で緊張で強張った顔をほぐし、浴槽の中で冷静になることに努めた。
心の準備ができたのは、のぼせる一歩手前だった。

パジャマを着て、髪を拭いて、脱衣所を出ると、彼方はまたベランダで煙草を吸っているところだった。
今日は、やけに煙草の本数が多い。彼方も、緊張しているのだろうか。
窓の外から吹く冷たい風は、風呂上りの火照った体には、ちょうどいいくらいだった。

「おかえり。結構時間かかったね。」

紫煙を吐き出しながら、彼方は微笑む。

「ねえ、京子ちゃんもこっちきなよ。」

そう手招きされるまま、京子もベランダへ足を進めた。

「見て。今日は星が綺麗だよ。」

彼方が指さす空を見上げると、辺り一面満天の星空が広がっていた。

「わあ…綺麗。」

「こういうのがあるから、たまには田舎もいいでしょ。」

そう言って、彼方は満足そうに笑った。
星座になんて詳しくない自分は、今見ているこの星たちが何なのかはわからないけれど、それでも、ただただ綺麗だと思った。
田舎なんて、何もいいことがないと思っていたけれど、こんなに綺麗な星空を見せられたら、田舎も悪くはないと思った。
何よりも、夜空を見上げる彼方の横顔が綺麗で、見蕩れてしまった。


その日、彼方は自分を抱いた。
恋人になってから、初めてのことだった。
自分のことを、まるでガラス細工のように優しく扱う指先。
耳元で囁かれるのに弱いことを、知ってか知らずか、彼方は甘い言葉を囁く。
羞恥と快楽の中、愛しい人と肌を合わせることに、京子は幸せを感じた。

彼方と一つになった時、彼方の瞳から涙が一粒零れた。
その涙は、彼方の頬を伝って、京子の頬へと流れ落ちる。

「なんで…泣いてるんですか。」

「…ごめん。なんか、嬉しくてさ。」

彼方は京子の手を取り、自分の胸に押し当てた。

「ドキドキしてるの、わかる?好きな子を抱くのは、初めてなんだ。」

彼方は、愛おしそうな瞳を自分に向ける。
手の平から、彼方の心臓の鼓動が伝わる。
ドクン、ドクン、と、少し早いペースで命を紡いでいる音だった。

「京子ちゃん好き。好きだよ。愛してる。」

自分を抱きしめて、耳元で熱く囁く。
妙に熱っぽい甘い言葉に、酔いしれてしまいそうだ。

「何があっても、僕を一人にしないで。」

麻丸。
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麻丸。

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